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短編集  作者: 山田憂太郎
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いまが、そのとき(ホラー/スプラッタ)

 ――視界に映るのは、どこかどんよりと暗く濁って見える教室の風景。

 私は、窓際の隅の席に、ひとりぽつんと座って震えていた。

 机の表面には、油性ペンで書かれた罵詈雑言や落書きの数々。机の中はゴミで埋め尽くされ、本来中にしまってあった私物や教材は、その代わりにゴミ箱へと投げ込まれていた。


「お前、いい加減目障りなんだよ」


 ひとりの女子生徒が、複数の取り巻きを連れてやってくる。

 彼女が握りしめた紙パックの中身が、頭上より降り注いだ。冷たい感触とともに、毛先を伝ってぽたぽたと制服や床に滴り落ちる。すると、周囲から複数の嘲笑が漏れ聞こえた。


 それらの醜悪に満ちた声を聴いた途端、吐き気すら催す猛烈な嫌悪感に襲われた。


 体中には、無数の打撲痕。関節がギシギシと激痛に軋んだ。呼吸も辛い。どこかの骨が折れているような感覚。もはや、心身ともに暴発寸前の状態。


「なぁ、聞いてんのかよ。無視してんじゃねぇぞ!」


 私は座っていた椅子ごと蹴り飛ばされ、その衝撃ですぐ横の壁に激突し、床に力なく頽れた。今となっては、抵抗する気すら起きない。されるがままの日々。


「お前、もうつまんねぇから死ねよ。屋上、いこっか?」


 背後の取り巻きの一人が、「バンジージャンプ」とか言ってへらへらと馬鹿な笑みを浮かべている。周りもそれに釣られて笑っている。なにがそんなにも可笑しいというのか。


 ――もしも神様がいるのならと、心から願わずにはいられない。


 この下劣で自分本位な人達がこの世から消えていなくなってくれるのなら、そのために自分はどんなことでもしようと。この身を差し出してもいいとすら思えるほどに、その心身は衰弱し切っていた。

 周囲に蔓延る嘲笑や罵声が、脳内をぐるぐると反芻して止まない。

 しかしそんな中、私はふと視線をあげた。何か、別の存在の気配を感じ取った気がした。視覚では捉えられない何者かが、自分のすぐ近くで息を潜めているかのような感覚。すぐ耳元で、湿った息遣いを感じて、背筋がぞわりと粟立つ。地の底から這いあがってくるような、重く歪んだ声音が響いた。


 『願いの成就――いまが、そのとき』


 とうとう、幻聴まで聴こえるようになってしまった、そう思った。

 不眠によるストレスに悩まされる日々の、蓄積した疲労がもらたした錯覚だ。そもそも、いるのかいないのかも定かではない存在に助けを乞うほど愚かな行為はないと、いまになって思う。どんなに願っても、どんなに祈っても、最終的に訪れるのは暴力と罵詈雑言の繰り返しであると、自分自身が一番よく理解出来ていた。


 ――もう、何も見たくないし、聞きたくない。


 そう、諦念に導かれるような感覚とともに、重い瞼を閉じ両の耳を静かに塞いだ。ふいに、目尻に溜まった一粒の雫が筋となって、頬を伝い落ちた。涙など、もうとっくに枯れ果てたものとばかり思っていた。


 

 ――暗転/無音。



 それから幾ばくかの間――知らぬ間に意識を失っていたことに気付く。止まっていた鼓動が再び動き出すかのような拍動感。時間そのものが停止していたかのような感覚を経て、唐突な回帰を果たした現実感の中で、はっとなった私は、深く息を吸い込んだ。


 すりガラスのように曇った視界に色が射し始める。やがて、鮮明に映し出された光景を前に、私は愕然として目を見開いていた。


「いまが……そのとき……?」


 視界に、――真っ赤な血煙が舞っていた。

 

 蛍光灯がチカチカと瞬き、白い火花が散る。窓ガラスはすべて割れ、整然と並んでいたはずの机は、すべて滅茶苦茶に転倒していた。


 嵐が過ぎ去った後のように荒れ果てた教室内の、床一面に広がる夥しい量の血だまりの上には、元は私をいじめていた生徒たちであったと思われるモノが、無残な肉片と化して転がっていた。その遺体の傷痕は、巨人にでも食い千切られたかのような、巨大な歯型を残していた。まるで、肉食獣の捕食後のような惨状であった。


 唐突に、誰かが発した悲鳴が、私の鼓膜を無遠慮に打った。予期せず訪れた惨劇を前に、クラスメイトたちは恐れおののき、我先にと教室から逃げ出していく。ただひとり、呆然とへたりこんだまま動かずにいる、私だけを残して。


 小刻みに唇が戦慄いて、歯の根が噛み合わずに、カチカチと耳障りな音を発していた。しかし、それは恐怖心によって生じた戦慄からではなかった。


「ざまぁみろ……」


 私は、自身でも思いがけず、掠れた声でぽつりと呟いていた。


「ざまぁみろ!! あははははははっ!!」


 心の底からせり上がってくる激情に身を任せるままに、怨嗟の言葉が呪詛のように口から吐き出された。滝のように押し寄せてくる笑い声を、上げずにはいられない衝動を抑え込めずにいる。息も詰まるような激しい嘲笑とともに、流れ落ちる滂沱の涙を止める術が思い浮かばない。


 それは、怪奇な光景だった。


 いつしか、私の視界に映り込んでいたのは、空気中を漂う死臭に紛れて浮遊する、巨大な泥と血肉の集塊――無数の怨念と悲嘆と憤怒が寄り集まって構成された、惆悵(かいちょう)を喚き散らす死と怨嗟の権化だった。その中央に開かれているのは、醜悪な臭気を放ち、舌なめずりをする巨大な口。ねっとりと糸を引く唾液に濡れた歯の向こう側に、怪しく光る無数の瞳が垣間見える。


 その巨大な口が開かれ、暗く深い洞窟のような口腔が目前へと迫り来る。全身が総毛立つほどの強烈な絶望感をともなったそれは、瞬く間に肉体と精神を蹂躙した。


 突如として、世界が暗転した。

 

 無数に蠢く長い腕が伸び、暗黒に染まった濁水の底に引き摺り込まれていく。遠く、視線の先で揺れ動く水面に、一条の光を捉えた。徐々に遠のいていく光点に伸ばした手指すら絡めとられ、霞む意識は混沌へと堕ちていく――。



 * * *



 ――十数年前の出来事を、思い返していた。


 この日の深夜、私は眠れずいた。電気スタンドが淡く照らし出す室内で、姿見の前に立っている。


 衣服の裾を捲り上げた先。鏡越しに見る、自身の脇腹。白く透き通った素肌に、それは惨たらしい傷跡を残していた。抉ったように等間隔で並ぶそれは、まるで人間の"歯型"のようである。

 


 暗がりに、得体のしれない何者かの気配を感じとった。

 部屋中に漂い出した血臭が、来たる日の到来を暗示していた。



 ――あの日、私は確かに触れてしまったのだ。人が絶対に関わってはならない禁忌(タブー)に。この傷は、その罪の証として残された唯一の呪縛。その後悔は、いまもまだ続いている。


『いまが、そのとき』


 声が聞こえて、私はとっさに振り返った。

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