act.5
がり、と、紙に万年筆で線を走らせる。外は雨。この島を恐怖に陥れる、下からの雨。
ぽたぽたと、下から水分が染み込んでくる様子を見て、ムカイは剣呑な様子になった。あの時、気付けなかった自分への嫌悪だろう。
この男は分析や研究に関しては人一倍執着するし、人一倍負けず嫌いだ。いや、人一倍では済まされない。人億倍と言えるだろう。
「……なるほど」
同時に、私の推察が正しいことへの感嘆。
だが、私は落胆を隠せない。歌うだけで人を殺すという歌姫の否定なのだから。
「仕方あるまい、か……とはいえ、この私を謀ろうとした罪の対価は支払ってもらわねばなるまい?」
私とムカイは外に出る。
素早く足元に魔法陣を展開し、雨を弾いていく。快適そのものの中、ひたすら空中通路を歩く。
道の端、歌姫がいつもやってくるとされる場所へ。
出てきたのは、霧だった。魔力を探知する必要もない。明らかに魔法で作られた霧だ。
「視界がかなり悪いですね。振り払いませんか?」
「必要になったらな」
私は短く返しつつ、先を見据える。
魔王眼があれば、この程度の霧は支障にもならない。ムカイは知らんがな。
道の端。そこには、確かに誰かがいた。空中通路の端、落下防止用の柵の上に座っている人物。歌姫――ではない。
一歩、進んだ直後だ。
ふわっと風がやってきて、全身を襲った。
ビリビリと痺れるような感覚の直後、それはあっさりと私から弾かれた。まったく。この程度でこの私をどうこうできると思っているのか。舐められたものだ。
迫ってくる何かを私は全身で平らげて、舌なめずりする。
一瞬だけ意識を失ったらしいムカイが我に返り、頭を振って前に歩きだす。
「……バカな……!?」
.
驚愕の声は、ようやくあがった。
ちっ。阿呆め。私は思わず舌打ちをした。すっかり興がさめて、風に命令して周囲の霧を振り払う。少し乱暴だったかもしれないが、ヤツはそれで吹き飛ばされることはない。
視界が一気に開け、足元から打ってくる雨音だけが響いた。
「あっさりと正体を明かすとは、滑稽だな。若白髪」
私は怜悧な声と表情で睨みつける。
ぐ、と、白髪男は鼻白む。だが、この前のように腰を抜かすことはない。代わりに、もう一度同じ攻撃が強化されて仕掛けられたが、私はあっさりと弾いてやった。
甘い。いくら強化しようとも、中身が同じなのであれば意味がない。
「……!」
「《誘惑》と《強催眠》と《魂剥離》の組み合わせか。面白いな」
言い当ててやると、白髪男は一歩後ろに下がった。後、三歩も下がれば落ちるだろう。
奴の魔法の組み合わせは非常に高度と言える。《誘惑》と《強催眠》によって自失させ、《魂剥離》によって魂を奪う。
残るのは、魂なき遺骸。
だが、それらは丁寧に《反証打消》をかければ問題はない。よほど注意深く、日頃から防御結界を展開しているような魔法使いでもない限り、初見でやられてしまうだろうが。
もっとも、そんなことをせずとも、魔王たる私には通用しない。
魂としての格が違うのである。
卑しい人間風情の干渉魔法など、鼻息一つで消し飛ぶ。
「……いつから、俺だって分かってたんだ?」
「およそ一週間と少し前からだな」
私は優しい。だから、白髪男の問いかけにも応じてやる。
「この島には確かに呪いがある。それも、重力の方向性さえ捻じ曲げてしまうような、相当に強力な干渉力を持った呪いだ」
「……!」
「この島の重力事情は明らかに異常だからな。この島を中心に、明らかに皮肉的な様相で異常を放っている。それは、私の呪いに対する鼻を捻じ曲げてしまうくらいだ」
私は鼻を少しだけ撫でる。
だからこそ、時間がかかってしまった。呪いの存在する、本当の場所に。
「証明に時を要したのは、そのせいもある。そういう意味では、この私をかどわかせたこと、誇っていいぞ?」
「随分と偉そうに……!」
「事実として偉いからな、私は」
歯を食いしばりながら睨んでくる白髪男の額にはうっすらと脂汗が滲んでいる。
もう悟っているのだろう。
この私の、圧倒的な力を。
「とにかく、その呪いの力のおかげと、貴様の話術のおかげで、私たちは騙されたんだ。この島にいる住民も含め――《人殺しの歌姫》なんて存在そのものをな。随分と手のこんだ方法で証明してきたようだが、相手が悪かったな」
「この島にきて、密かに調査をしたんだ。それは、雨の履歴」
私の言葉を受け継いで、ムカイが寂しそうな表情で語る。
「雨の履歴、だと……?」
「私くらいになればな。別に聞き取り調査をしなくても、住民どもから調べることが可能なんだよ。記憶をちょっと覗くだけだからな」
とんとん、とこめかみを人差し指でつつきながら言うと、白髪男は信じられないのか、唖然としながら口を開いた。
なんとも間抜けだな。
「すると、ある情報を提供するまでの雨は、不定期でした。長い時は一週間以上もこないし、そういうこともそれなりにあった」
「だが、私が《歌姫》の魔力維持には三日に一度、歌わなければならないという情報をそれとなく流せば、きっちりと三日に一度、雨がやってくるようになった。直接私が教え伝えればお前も怪しんだろうが……私やムカイと直接接点のないヤツからの情報なら、多少は信じるだろう?」
これも単純な仕掛けだ。
記憶をちょいといじってやっただけである。知識を与えたともいう。
あの《歌姫》は、三日に一度、魔力を回復させなければならない、と。
結果、これだ。
これで都合三回目。
間違いがない。白髪男はその話を信じ、実行したのである。その身に宿す、強力な呪いの力を使って。
「そして、私とムカイと――その情報を提供した男を殺そうとしたのだろう? おそらく、三日に一度、雨を起こすという労力を回収するために。そして再び、雨を不定期に起こすために」
「……お前たちは特別、美味そうだったからな」
「違うな。この島は、貴様にとっての楽園だから、だろう。私とムカイはそれを脅かす存在だからな。気付いていただろう? おそらく――最初から」
白髪男は答えない。
ならば構うまい。私は遠慮なく喋る。どうせ肯定の沈黙だろうから。
「だからこそ、貴様はああやって、私とムカイを引き付けた。およそ、重力境界線にぶつけて、私たちをぐちゃぐちゃにさせるために」
「……そのために、俺が命を張ったとでも?」
「命を張る必要などないだろう。何せ貴様は死なないのだから」
その反駁を、私は切って捨てた。
「知っているぞ。貴様にかけられた呪いは《皮肉の孤独》だろう。自分の周囲を皮肉的に捻じ曲げる呪いだ」
「……――っ!」
「雨が上からでなく下からやってくるのも。外からは入れるが中からは出られないのも。まるで不労所得のようにやってくる食べ物も。貴様には従順な住民たちも。すべて、貴様の呪いが生み出し、運ばれてきたたものだ」
「呪いによってつくられた、自分のための牢獄の楽園。常に己とその周囲に皮肉な結果を呼び起こしてしまう呪い。自分を否定すればするだけ、世界は皮肉的に君を生かそうとする。だから、あの時、君は放っておいても本当は死ななかった」
皮肉として、蘇ってしまうから。
ムカイはそこに同情してなのか、やはり寂しそうだった。
「その皮肉を利用して、僕たちを殺そうとした。危険因子だから」
「この牢獄の天国を、壊してしまう可能性として、な?」
おそらくそれは、呪いの力によって悟ったのだろう。
「この島の時は止まってしまった。君が変化を望んでしまったから。否。時が戻るようになってしまったんだ。時が止まってしまったのであれば、雨が降っても決して濡れることはないからね」
「だがその孤独に、貴様は慣れてしまった。望んでしまった。依存してしまった。結果として、皮肉は加速し、この島は固定されてしまった。そしていつしか、《人殺しの歌姫》もできあがってしまった」
唐突に、白髪男が笑い出した。
壊れたか、と一瞬だけ疑ったが、違う。
「……ああ。ああ、ああ、そうだよ! この島は俺のものだ。だから、俺の呪いそのものなんだ。俺はここから出られない。絶対にだ。命そのものを拘束されているからな。他の連中は出られるのに。死ぬことで、ここから出られるのに……! けど、けどそれでいいんだ。俺はもうどこにもいかなくていい。どこにもいきたくない。だから……!」
「その呪いを維持するためには、膨大なエネルギーが必要だね。それも定期的に。たぶん、人の魂そのものクラスの、高純度で膨大な」
「は、あっはははは! すごいな、そこまで分かるのか! そうさ、そうだとも! 僕は誰かの命を取り込んで、この力を維持してる! この島は、そのための牢獄さ!」
「貴様を裸の王様にする孤独の島だからな、ここは。簡単に分かるとも。実に滑稽だ」
私は嘲笑ってやった。
「最初から私たちを殺すつもりだった。おそらく、《歌姫》に殺されるエピソードにして。その方が、住民たちは納得するからな。そしてこれからも、定期的に搾取されていく。だがその目論見は無駄だったぞ?」
ゆっくりと、私を包む魔法硝子球から、黒い魔手が現れる。
「貴様の望む孤独など知ったものか。私は呪いを食べる。それだけだ」
その魔手は、巨大な顎に変化していく。
とたん、白髪男は展開しようとしてた魔法陣を放ち、火炎を吐き出す。その勢いはすさまじく、避ける暇もなくムカイと私を包み込んだ。
ものの十秒で皮膚を焦げ溶かし、筋肉と内臓を焼き尽くすような力。
ムカイはほとんど炭化してしまった。しかし、私には一切通用していない。
「なっ……!?」
「私を誰だと思っているんだ? 魔王だぞ」
私は酷薄に笑いながら、齧りついた。
がぶり。と。
びくん。白髪男がその音に反応して、大きく身を震わせた。
次々と、私は呪いを食べていく。
「私は五番目の魔王。この世界に堕ちた呪いを食べる、魔王だ」
次回の更新は明日予定です。
また、新連載を近々はじめます。そちらもお楽しみに。