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72 お隣さんとオムライスとホットワイン

 ――ピンポーン


 昼飯時。

 キッチンに立って料理をしていると、俺ん家の玄関チャイムが鳴り響いた。


「はいよー、どちらさんー?」


 コンロの火を一旦落として、玄関へと向かう。

 ガチャッと玄関を開けると、そこに立っていたのはサタンだった。


 山羊の巻き角に、白髪褐色の肌。

 短パンからすらりと伸びた健康的な素足が眩しい。

 雌雄どちらの姿にもなれるサタンは、今日はショタ姿である。


「おう、サタン。どうしたんだ?」

「……コタロー。なにか僕に……、食べさせてくれ」


 どうやらサタンはひとりでやって来たようだ。

 ギュルギュルとなくお腹を両手で押さえて、ひもじそうな顔で俺を見上げてくる。


「それは構わんが――」

「そうか! た、助かった! 昨日から何も食べていないんだ……」

「何も食ってない? つか小都はどうした?」

「コトならここ数日、ずっと集中して作業をしているみたいなんだ」


 どういうことだ?

 サタンの世話まで放っぽり出して、いったい何をしているのだろう。

 小都は大丈夫だろうか。


 気になるところではあるが、それよりもまずサタンに飯を食わせてやることにする。


「あがってくれサタン。直ぐに飯にすっからよ!」

「うん! 楽しみだ!」


 満面の笑みを向けてくるサタンを家に迎え入れた。




 キッチンに戻った俺は手早く昼飯を仕上げていく。

 今日のメニューはオムライスだ。


「よっ……ほっ……」


 炊飯器で炊き上げておいたバターライスを卵で巻いていく。

 俺の作るオムライスは、ふわとろタイプのオムライスだ。

 火を通し過ぎないように注意して、手首の返しでフライパンを操る。


「くぅ……たまんねぇなぁ」


 ふんわりと食欲を刺激する香りが漂ってきた。

 バターライスに効かせたガーリックの香りだ。


「最後にこのソースをかけて……。よし、完成だ!」


 上出来だ。

 見た目にもふっくらと綺麗に巻けている。


 早速リビングで待つサタンの元に、昼飯を運んでやることにする。


「おう! お待たせ!」

「まったくだ! お腹と背中がくっついちゃうかと思ったじゃないか……」


 サタンはダイニングチェアに座って、体をテーブルに投げ出していた。

 ひもじさに目が若干虚ろになっている。

 椅子が高すぎて足は床についていない。


「遅くなってすまねぇな。でも出来た飯はうめえぞ! ほら『明太子クリームオムライス』だ!」


 突っ伏していた小さな体が、ガバッと起こされた。

 口の端からヨダレを垂らして、サタンの腹は相変わらずギュルギュルとなったままだ。


「コ、コタロー! これもう食べていいか!?」

「おう! 遠慮なく食ってくれ! ただし、ちゃんといただきますをしてからだぞ!」

「うん、わかった! いただきまーす!」


 サタンが手に持ったスプーンをオムライスに差し入れた。

 プルプルと震える黄色い玉子を裂いて、スプーンが抵抗なく沈んでいく。


「……あむッ」


 花が咲いたような笑顔でパクッとひと口。

 むぐむぐと口を動かしてから、ごくんと飲み込む。


「ふぁ……ふぁぁ……」


 サタンから感嘆の声が漏れ聞こえてきた。

 小さな手のひらで頬っぺたを押さえている。

 瞳をうるうると潤ませて、その頰は赤く染まっている。


「ふぁあ……おいひぃ……。お、おいひぃよぉ……ッ!!」


 スプーンが目にも止まらぬ速さで動き出した。

 山のように盛られたビッグサイズのオムライスが、次から次へと口に運ばれ、消えていく。


「――んぐッ!?」


 サタンが喉を詰まらせた。

 そっと水の入ったグラスを差し出してやる。


「んくんくんく、ぷはー!」

「ははは。つか誰も取らねえから落ち着いて食えよ」

「おいひぃよぉ……。僕、頬っぺた落ちちゃうよぉ」


 俺の言葉を聞いているのかいないのか。

 サタンは再び凄い勢いで、オムライスを掻き込んでいく。


「……ッたく。仕方ねえなぁ」


 口ではそう呟きながらも、実は結構嬉しい。

 こんだけ美味そうに食ってくれたら、俺だって作った甲斐があるってもんだ。

 サタンの食いっぷりを微笑ましく眺めながら、俺も自分のオムライスにスプーンを差し込んだ。


 ぷるんと割れたオムライスから、湯気と一緒にトロトロの卵液が流れ出す。

 いい半熟具合である。


「じゃあ俺も、いただきます!」


 玉子とバターライスに、たっぷりと明太子クリームソースを絡める。

 パクッとスプーンを含んだ瞬間、玉子とソースのまろやかさが口の中いっぱいに広がった。

 舌の上でバターライスがパラパラとほどけていく。


「うんまッ!!」


 思わず言葉にしたくなる美味さだ。

 バターライスに混ぜたガーリックの香りが、鼻を抜けていく。

 この香りがまた、クリームでマイルドになった明太子ソースに非常にマッチしている。

 とろりと蕩けた玉子の濃厚な旨味も相俟って、その満足感たるや思わず唸ってしまうほどである。


「ふぁ……僕、どうにかなっちゃうよぉ……」

「コイツはうめえ! バッチリの出来だッ!」


 スプーンが止まらない。

 気付けば俺もサタンと一緒になって、飲むようにオムライスを掻き込んでいた。




「ふぃー! 食った食ったぁ!」


 くちくなった腹をさすって満足気に息を吐いた。


「うっぷ……もう入らないぞ……」


 サタンは口を押さえて若干気持ち悪そうだ。

 どうやら調子に乗って食い過ぎたらしい。


「おう、サタン!」

「なんだ? 僕はいま少し気分が悪いんだ……ぅうっぷ」

「そうか? じゃあこれはいらないか?」


 耐熱性のあるガラスのグラスを差し出す。


「なんだコレは?」

「おう! コイツはなぁ、『ホットワイン』だ!」


 ホットワイン。

 それは温めたワインに香辛料なんかを混ぜてつくる、ホットカクテルの一種だ。


「ちょっと悪くなったワインがあったから作ってみた。つかこんなのも、洋食の食後には悪くない趣向だろ?」

「なるほど……それでそのお酒は美味いのか?」

「多分な。きっと悪くはねぇと思うぜ?」


 正直なところ俺もワインはよく分からん。

 でもまぁ、たまにはこういうのもアリだろうと思い立って作ってみたのだ。


「うん。じゃあ一杯貰おうかな」

「おう、よしきた!」


 サタンにホットワインを手渡して、自分もグラスを持ち上げる。


 今回初めて挑戦したホットワインは、白ワインに蜂蜜と生姜を加えて温めたものだ。

 事前に少量試して見たところ、あまり温め過ぎるとワインの酸味が強くなりすぎたため、こいつは温燗(ぬるかん)より少し熱め程度に抑えてある。


 グラスに下唇を添えると、温められた葡萄酒の芳醇な香りが鼻を通り抜けていった。

 蜂蜜とジンジャーの香りがそこに混じって、なんとも甘く爽やかだ。


「……ふわぁ。これはホッとする味だなぁ」

「だなぁ。つかリラックスできる酒だなぁ」


 うん。

 やっぱりたまにはこういうのも悪くない。

 俺たちはふたりして、甘くて少し刺激的なホットワインを楽しんだ。




「そういやさ。小都はどうしてんだ?」

「そうそう。その話だ!」


 サタンがホットワインを啜りながら、俺の顔をみる。


「コトもずっと食べてない。お腹を空かせていると思うんだ」

「はぁ? あの小都がぁ?」


 小都は大層な料理上手である。

 そして料理好きだ。

 和食の腕に至っては最早プロ並みだし、その腕前で毎日自炊もしている筈なんだが、その彼女が腹を空かせているとは何故だろう。


「おう。それはダイエットとかじゃねえんだよな?」

「実はな。コトのやつ、最近ろくに休憩も取らずに、ずぅっと机に向かっているんだ」

「そうなのか? つかアイツ何やってんだ?」

「本を作っていた。時折小声でブツブツ呟きながら、一心不乱になにかの絵を描いてるみたいだったぞ」


 仕事の一環か何かだろうか。

 小都は在宅ワークをしている。

 たしかイラストレーターだったか?

 とにかく絵を描く仕事だ。


 俺はその辺詳しくないから、付き合っていた当初もあまり聞かなかった。

 小都も話してこなかったしな。


「そしてな、コトのやつ、突然薄気味悪く笑い出したりするんだぞ……」

「お、おう。そうなのか? 悪魔憑きとか」

「ぼ、僕はコトに憑いたりしてないぞッ!」


 悪魔憑きは冗談としても、大丈夫だろうか。

 俺と一緒だった頃のアイツは、そんな姿を見せたことは一度もなかったが……。


「とにかく小都が心配だ。ちょっくら様子を見に行くかなぁ」

「うん! そうしてやってくれ、コタロー!」




 小都の住むマンションについた。

 ここに来るのも随分と久しぶりだ。

 サタンの先導に従いオートロックの入り口を通り過ぎ、エレベーターに乗って小都ん家の玄関前に立つ。


「コトー。いま戻ったぞー」


 仕事から帰ってきた亭主みたいな声を掛けて、サタンが玄関の鍵を開けた。


 ちなみに今のサタンは幼い女の子の容姿だ。

 サタンが言うには、小都は少年が好きで、目の前にショタ姿を晒すと色々と面倒なことになるらしい。

 なんでも鼻息が荒くなるとか何とか……。


 アイツって少年が好きだったんだなぁ。

 ここの所、知らなかった小都の一面が次々と顔を出して、驚くことが多い。


「ほら、コタローも上がってくれ」

「おう! 邪魔すんぞー!」


 サタンがとある部屋のドアをガチャリと開けて中に入った。

 俺もその後に続く。


「ただいま、コト」

「あ、お帰りなさいサタンちゃん。どこに行って……た……の?」


 小都が俺を認めて目を丸くした。


「よう小都。大丈夫か?」

「こ、こここ、虎太朗先輩いいいいッ!?」


 素っ頓狂な声を出した彼女はジャージ姿だ。

 髪もボサボサで、見るからにやつれている。


「どどど、どうして、ここにッ!?」

「コタローなら僕が連れてきたんだ」

「そういうこった。つか大丈夫か小都? 目の下凄えクマだぞ?」


 頰がこけちまってるじゃねえか。

 まったく飯もろくに食わずに、何をやっているんだか。


「ほら、これ持って来てやったから食え」


 彼女の目の前に、持参したオムライスを掲げて見せる。


「あ、ありがとうございま――って、そうじゃなくて!!」

「お、おう?」

「どうして先輩がいるんですか! と、とにかく、虎太朗先輩は、作業部屋から出て行って下さい!」


 ぐいぐいと背中を押されて、部屋から追い出されてしまった。

 バタンとドアが閉じられ、そのドア越しに声がかけられる。


「せ、先輩はリビングで待ってて下さい!」

「おう? つか何を焦ってんだ?」

「い、いいから言う通りにして下さい!」


 俺は小都の剣幕に押されて、リビングへと足を向けた。




「……お、お待たせ、しましたぁ」


 小都がリビングに顔を出した。

 目元のクマをメイクで隠し、ジャージも着替えている。


「おう、小都。なんか忙しくしてんだってな? 様子を見たら直ぐに帰るつもりだったんだが……」

「あ、はい。それはもう大丈夫です……」

「本当か? でもフラフラじゃねえか?」


 化粧で隠しているものの、小都の顔色は相変わらず悪い。


「ちょっと徹夜が続いてまして。あはは……」

「徹夜って何してたんだよ? もう若く――」

「――あぁんッ?!」


 こ、こええ……。

 いきなり態度の豹変した小都が睨みつけてきた。

 危ない。

 コイツに歳の話は禁句なのである。


「お、おう。何でもねえ! つ、つかそれより!」


 誤魔化しついでに、皿をドンとテーブルに置いた。


「ほらよ。オムライスだ。何も食ってねえんだろ?」


 ラップを外すと明太子クリームとガーリックの芳しい香りが部屋に漂い始める。


「虎太朗先輩……」


 小都がキュルルと可愛くなったお腹を、恥ずかしそうに手で押さえる。

 やっぱり腹は相当減っているらしい。


「コト! このご飯すごく美味しいんだぞ!」

「うん……美味しそうだね、サタンちゃん」

「おう! 実際うめえぞー? とにかくまずは腹ごしらえしろよ!」


 スプーンを渡すと、小都はおずおずとオムライスを食べ始めた。




「ご馳走さまでした」


 小都がスプーンを置いた。

 その顔にはいくらか血色が戻ってきている。


「お粗末様。ほら、食後のホットワインだ」


 レンジで温めたカップを差し出した。

 ほんのりと甘く、だけど少しスパイシーで芳醇な香りが部屋を満たす。


「疲れてるみたいだからな。温まるぞ?」

「ありがとうございます」

「コタロー! 僕にも一杯くれないか?」

「おう! もちろんいいぞ!」


 みんなで温かなワインに口をつける。

 ホッとする優しい甘さだ。


「それで結局、小都は何をやってたんだ?」

「私ですかぁ? えっとぉ、私はイベント用の本を、描いてたんですよぉ」

「イベント?」

「はぃ。今回はぁ、新刊2冊同時進行したんでぇ、描きあげるの大変でしたぁ……」


 小都はポワワンとした口調だ。

 まぶたをトロンとさせて、うつらうつらしている。


 疲れが溜まったところに温かなホットワイン。

 満腹でアルコールも入った。

 きっと心身ともにリラックスして、眠くなっているのだろう。


「つか何のイベントなんだ?」

「それはですねぇ……。同人誌即売――って、はぅあッ!?」


 素っ頓狂な声があがった。

 小都は顔の前でワタワタと両手を振っている。


「い、いい今のは忘れてくださいッ!!」

「お、おう?! なんだぁ?」

「な、なんでもないですッ!」


 耳まで真っ赤にした彼女は、それ以上は答えてくれなかった。




 小さな吐息が聞こえる。

 テーブルに突っ伏して眠ってしまった、小都のたてる寝息である。


「……すぅ……すぅぅ……」


 疲れが限界を超えたのだろう。

 小都は突然、糸が切れた人形の様に眠りに落ちた。

 穏やかに寝息をたてる小都の顔を眺めてから、席を立つ。


「んじゃそろそろ、俺は帰るわ」

「そうか? コタロー、今日はありがとう」

「気にすんなって。ちょっと飯食わせただけだろ」


 立ち上がって伸びをする。

 凝り固まっていた背筋がポキポキとなった。


「しっかし最後まで結局、小都が何やってたかは分かんなかったなぁ」

「ん? ちょっと待っていろ」


 パタパタと足音をならして、サタンが別の部屋に消えていく。

 直ぐに戻ってきた少女は、手に薄い本を2冊持っていた。


「ほら。コトはこんなのを描いてたんだぞ」

「おう、見ていいのか?」

「大丈夫だ! 僕はさっき見ても怒られなかったからな!」


 なら大丈夫か。

 受け取った薄い本を繁々と眺める。

 表紙には『お姉さんとサタンちゃん』と書かれていた。


「聞いて驚け! この本は僕がモデルなんだぞ!」

「そうなのか?」

「ふふん、凄いだろ!」


 何故かサタンは鼻高々だ。

 その薄い本をパラパラとめくってみると、確かにサタンをモデルにしたキャラクターが登場していた。

 だが何かおかしい。


「お、おうッ?! つか、こいつはッ――」


 サタンらしきショタキャラが、お風呂場でお姉さんに体を洗われていた。

 俺は速攻で本を閉じて、サタンに返す。


 本能的に悟った。

 これはアカンやつだ。

 お姉さんがなんとなく小都に似ているあたりが、一層ダメさを予感させる。


「な? この本のお姉さん優しいんだぞ? みてみろこのページなんて――」

「ま、待て!! それ以上は言うな!!」

「――むぎゅッ!?」


 慌ててサタンの口を手で塞いだ。

 騒がしくして小都に起き出されでもしたら大変だ。


「お、おう、サタン!」

「ふむぎゅ!」

「いいから静かに聞け! つかこの本を俺に見せたことは、小都には言うな。わかったか?」

「んぎゅ! んぎゅ!」


 サタンが小さな頭をうんうんと縦に頷かせる。

 それを見届けてから口を塞いだ手を離した。


「ぷはぁッ! いきなり何をするんだお前は!」


 サタンは不満気に頰を膨らませている。

 だがそんな抗議は無視して、強い口調で語りかける。


「いいなッ? 絶対に小都には言うんじゃねーぞ!」

「わ、わかった……」


 ぐっと顔を近づけて念を押すと、サタンは仰け反りながらも了承してくれた。


「じゃあ俺は帰る! あとのことは任せた!」

「あ、コタロー。本はもう一冊あるんだぞ。こっちは『先輩と大家さん』という題名で――」

「じゃあな! ちゃんと飯は食えよ!」


 急いでサタンの言葉を遮り、早足で歩き出す。

 背中越しの「また来いよー」という呑気な声を聞き流しながら、俺はもう小都ん家に来るのはやめようと誓うのであった。



タイトルにお隣さんとか書きつつも、お隣さんは出てきませんでした(*´ω`*)

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