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62 お隣さんとお好み焼き

 暖簾をくぐるとムワッとした熱気が押し寄せてきた。

 焼けた鉄板から発せられる熱だ。

 吹き出してくる汗を拭いながら店の奥に声を掛ける。


「おうッ、邪魔すんぞー!」


 バタバタとしたスリッパの音が聞こえてきた。

 慌ただしく奥から男が顔を見せる。


「はいはーい。いらっしゃ――ッてなんだ、虎太朗さんじゃないですか」

「おう、久しぶりだな小此木」

「はい! お久しぶりっす!」

「つか『なんだ』はねーだろ、せっかく来てやったっつーのに」

「や、やだなぁ虎太朗さん。冗談ですよぉアハハ」


 誤魔化しながら笑うこの男の名は『小此木(おこのぎ)』。

 俺の職場の元後輩だ。

 一見するとチャラく見えるこの元後輩は、いいヤツなんだが中身も見た目相応にチャラかったりする。


「六人なんだけど入れるか?」

「あ、お客さん連れてきてくれたんすか? あざっす! 見ての通りガラガラなんで好きな席に座って下さい」


 ここはお好み焼き屋だ。

 小此木が脱サラして開いた店である。

 といってもオープンしたのはつい最近で、ほんの十日ほど前のこと。


「ガラガラってお前……」


 開店直後に大勢で押し寄せるのも悪いかと思って、しばらく様子を伺っていたんだが、僅か十日でもうガラガラとは……


 大丈夫なんだろうか、この店は?

 たしか小此木は料理の腕は確かだった筈だが。

 先行きに若干の不安を覚える。


「とにかく邪魔すんぞ」

「どうぞどうぞ、いらっしゃいませー!」

「おう、入ってこいよみんなも!」


 店の中から暖簾の外に声を掛けると、ぞろぞろとお隣さんたちが店内に入ってきた。


「では邪魔をするぞ、店主殿」

「…………お邪魔する」

「ほえー、大きな鉄板が沢山あるのです!」

「なんじゃこの熱気は、ちと蒸し暑いのぉ」

「あら、あたしは暑いのはへっちゃらだけど」


 入ってきたのは女騎士に女吸血鬼、女魔法使いに女悪魔。

 そうそうお目にかかることのない奇妙な連中に、店主の小此木が面食らっている。

 お隣さんたちはそんな小此木のことなど微塵も気に掛けず、珍しげにキョロキョロと店内を見回している。



「え、えっと、この方たちは?」

「おうッ、うちのお隣さんだ!」

「お隣さん…………コスプレのお友達ですか? 虎太朗さんいつのまにそんな趣味に目覚めたんですか?」

「ちげーつの!」


 なんだよコスプレの趣味って。

 第一俺の服装は普通だろうに。

 反論しつつも、ともかくお隣さんたちに小此木を紹介する。


「おうアンタら! こっちは俺の職場の元後輩で、いまはこの店の店長をやってる――」

「小此木っす! ども、よろしくっす!」


 続いて俺はマリベルたちに自己紹介を促した。

 物珍しげにキョロキョロしていたお隣さんが居住まいを正す。


「ご紹介痛み入る。私の名はマリベル。聖リルエール教皇国、破邪の三騎士がひとり、竜殺しの聖騎士マリベルだ」

「そしてわたしはマリベル様率いる聖騎士団の副団長、かつその妹のシャルルなのです!」

「妾かえ? 妾は永久(とこしえ)の闇が渦巻く夜魔の森、その支配者で真なる闇たる真祖吸血鬼(トゥルーヴァンパイア)。女王ハイジアとは妾のことなるぞ!」

「あたしはフレア。レノア大陸、四方の守護を司る賢者の塔のひとつ、西方『煉獄(れんごく)の塔』の管理人。人呼んで赤の大魔法使いフレア・フレグランスよ!」

「…………私はルゼル。七つの大罪のひとつ『暴食』を司りし大悪魔。深き奈落の底に座し、地獄より煉獄を仰ぎ見る七大悪魔王がひとり、蝿の王ベルゼブル」


 息もつかせぬ自己紹介の嵐だ。

 言ってる内容もぶっちゃけ訳がわからん。

 案の定小此木はポカーンとした顔で、コクコクと頭を縦に振っていた。




「んく、んく、んく、ぷはぁッ!」


 汗を流しながらゴクゴクと喉をならしてビールを飲み干す。

 ――美味い。

 熱気で火照った体に冷たい喉越しが心地よい。


「おう、小此木! こっち生ビールお代わりだ!」

「店主殿ッ、こっちにもビールを追加してくれ! コタローの分と合わせて合計六杯だ!」


 お好み焼きが焼けるのを待ちながら、ビールで身体を潤す。

 ビールはキンキンの冷え冷えだ。

 鉄板で暑くなった室内環境に冷えたビールがありがたい。


「へいお待ちッ、生ビール六杯置いときますよ!」

「わぁ、ありがとうなのです!」

「んく、んく、んく、ぷはーッ! 堪らんのじゃ!」


 ハイジアはジョッキを豪快に傾け、ゴクゴクと喉を鳴らしている。

 みんなでビールを楽しむ。

 空きっ腹のままみんなでワイワイやっていると、ようやくお待ちかねのお好み焼きが焼きあがってきた。


「六人前あがりましたッ!」

「…………待ってた。ぃよッ」

「こちらから、豚玉、イカ玉、ネギ焼き、豚平焼き、イカ焼き、海鮮モダンになります!」

「あらあらッ、美味しそうじゃないのーッ」

「こっちのヘラを使って、どうぞー。鉄板熱いのでお気をつけて!」


 お好み焼きの上で、たんまりと振りかけられた鰹節がクネクネと踊っている。

 鉄板に溢れたソースがジュッと音を立てて蒸発し、ソースの香ばしい匂いが漂ってくる。


「さあ、どうぞ召し上がって下さい!」


 その声と同時にいっせいにヘラが伸びた。

 各々好きな獲物を程よいサイズに切ってから口に運んでいく。


「では頂くとしよう! いざッ!」

「はふ、あちッ! 熱いのです!」

「貴様ッ、それは妾が狙うておったネギ焼きなのじゃぞ!」

「…………知らない。早い者勝ち」

「そうそう早い者勝ちよ! それじゃああたしは、んー、このモダン焼きから頂こうかしら」


 お隣さんたちが競い合うようにお好み焼きをパクついていく。


「はふッ、はひッ、美味ひのじゃ! はふぅッ」

「んぐ、んぐ、ぷはー! この豚平焼きってのはビールに合うわねえッ!」

「…………もぐ、もぐ、イカ玉美味しい」


 この調子だとすぐになくなっちまいそうだ。

 慌てて俺も鉄板にヘラを伸ばした。

 まず最初に頂くのは基本の豚玉。

 ひと口サイズに切り分けたそれを口元に運ぶと、青海苔と鰹節のなんとも言えないよい香りが立った。

 パクッと頬張る。


「はむッ、――ッあっちゃ!」


 舌が火傷しそうなほど熱い。

 濃厚なソースが味覚を痛いほどに刺激する。

 次いでふんわりとした生地の出汁の効いた味が、荒れた口の中いっぱいに優しく広がり尖った味を丸めていく。

 生地の柔らかな味わいが刺激的なソースの味わいとほどよく混ざり合い絡み合う。


「もぐ、もぐ――」


 咀嚼するとシャキシャキしたキャベツの食感と、新鮮な野菜の甘みが感じられた。

 豚肉もしっかりとした食べ応えで俺を満足させてくれる。


「んく、んく、んく、ぷはぁー!」


 最後に生ビールをゴクゴクと喉を鳴らしながら飲んで、口に残った食いもんと一緒に胃に流し込んだ。


「くはぁッ、うんめえー! おう、小此木!」

「はい、なんっすか、虎太朗さん?」

「やっぱお前のお好み焼きは最ッ高に旨えわ!」

「へへッ、そうっすか? あざっす!」


 小此木が照れたみたいに鼻下を指でこする。

 仕事なんかは割りと不真面目だったこいつだが、ことお好み焼きに関しては天才的と言わざるを得ない。


「なんじゃ貴様ッ、ぐぬぬ……それは妾のモダン焼きなのじゃぞ!」

「…………違う、私の。その手を退けて」


 振り返ればハイジアとルゼルが、モダン焼きの最後のひと切れを巡って取っ組み合っていた。

 両手をあわせて押し合いへし合いしている。


「ぐぬぬッ、――おのれッ、おのれ貴様ーッ!」

「…………ふッ、ふんぬッ」


 力比べは僅かながらルゼルが優勢のようだ。

 ハイジアが押されている。

 ちっこい身体が徐々に押し込まれて海老反りに逸らされていく。


「もう、やめなさいよ貴女たち。みっともないわねぇ」


 ――ひょいぱくッ


 呆れ顔で横合いから箸を伸ばしたフレアが最後のひと切れを掻っ攫った。


「あーッ、貴様! 妾のモダン焼きッ!」

「…………なッ、卑怯」

「おーほほほ! 隙を見せるほうが悪いのよ!」

「貴様はモダン焼き最初に食べたじゃろー!」

「つかアンタら騒ぎすぎだっつーの!」


 うるさいったらありゃしねえ。


「はははッ、いいんすよ虎太朗さん! どうぜガラガラだしッ」

「おう、なんかすまんな」


 ハイジアがフレアに詰め寄ってギャーギャー騒いでいる。

 まったくちょっとは静かに出来ねえもんか。

 呆れながらマリベルたちのほうを眺める。

 すると女騎士はふたりして口を半開きにして固まっていた。

 やはり腐っても騎士。

 あっちと違って静かなもんだ。


「おう、マリベルからもなんとか言ってやってくれ!」


 マリベルが声に反応して幽鬼のようにこちらを振り返る。

 シャルルも一緒だ。

 くわっと見開いたふたり目が怖い。


「なんとか……、なんとか……だと? なんとかどころの話ではないわッ! このお好み焼きッ、例えるならそれは『海』だ! ふわッふわの生地の大海を自由に泳ぎ回る海老、イカ、ホタテ、豚! 海中をユラユラと漂うがごときシャキシャキとした甘いキャベツッ! 様々な生命を溶かし込んだ優しい味わいは正しく波ひとつ立たない凪いだ海面! だがこの海は優しいだけではないぞ? 表面に掛かったソースやからしマヨネーズはまるで嵐のような激しさをもって時に私の口内を蹂躙にし掛かってくる! 生地の静とソースの動! それらを深き懐に内包するのがお好み焼き! 故に心に思い描く情景は『海』そのものなのだ!」

「それだけじゃないよお姉ちゃん! 例えばこのモダン焼き! お好み焼きと焼きそばが合体したこのお料理は見ようによってはクラゲにも見える! 香りや味や食感だけでなく見た目でまで楽しめる! それこそがお好み焼きの真髄なんだよッ!」

「そこに気付くとは流石は我が妹シャルル! 私としたことが抜かったわ! 天晴れとしか評しようがないッ!」


 やっぱりこっちもこっちで(やかま)しかった。

 つか味がどうこうとか聞いてねえんだが、もしかしたらコイツらは毎回毎回、叫びたくてウズウズしているのかもしれん。


「お、おう。そうか……」


 スッキリとした表情のふたりを眺めながら、俺は引き気味に呟いた。




 スコンッと栓抜きで瓶ビールの蓋をあける。

 手酌でシュワシュワと泡立つビールを、グラスに並々と注ぎ、ひと息に煽る。


「んく、んく、んく、……ぷはあッ!」


 美味い。

 額の汗を拭いながら琥珀色の切れ味のいい酒を楽しむ。

 夏はやっぱりビールだな。


 ガツガツと飲み食いした俺たちは、いまはもうひと段落してまったりと酒を楽しんでいた。

 マリベルとハイジアなんかはビールはやめて冷酒に移行している。


「つかマジで美味かったぞ!」


 くちくなった腹をさする。

 ホルモン焼きそば、洋食焼き、餅チーズモダン焼き――その他諸々、たくさん食べてたくさん飲んだ。

 俺もお隣さんたちも大満足である。


「あざっす! 隠し味に油かすいれてるんすよ、気付いてました?」

「あー、道理で生地にコクがあったわけだ」


 油かすは粉もんとも相性抜群だかんなぁ。


「ヒック、おい貴様(きしゃま)。こっちに冷酒を三本追加なのじゃ」

「あ、じゃあグラスもうひとつくらさい。わたしもビールやめて冷酒にしゅるのです」

「へい毎度ありッ」


 小此木が冷酒とグラスを持って戻ってくる。


「…………もう一枚食べる? いや、でも……」

「じゃあなんか焼くっすか、美人のお姉さん?」

「ルゼル貴女ぁ、……そんなお腹ぽっこり膨らんでるのに、まだ食べる気なのぉ? ヒック」

「…………美味いものは別腹」


 相変わらず店内には俺たちしかいない。

 ゆったりと寛ぎながら酒を飲む。

 火を落とした鉄板は、それでもまだ熱が残っていてさして広くもない店内は蒸し蒸しと蒸し暑い。


「ふはぁ……お酒が美味しいのです、ヒック」


 シャルルがチビチビと冷酒を飲みながら汗を拭う。


「けどちょっと暑いのですぅ、ウィック」

「うむ、そうじゃのう、ヒック。さっきから汗が止まらんのじゃ、うぃー」

「…………えあこんは?」


 顔を赤くしたお隣さんたちが、酒臭い息を吐きながら不満をタラタラと述べ始めた。

 額からは汗がダラダラ流れている。

 だがそう、俺もずっと思っていた。

 この店、だいぶ暑くないか?

 玄関を開け放しにして風通しをよくしているものの、流石にちょっとこれは暑すぎる。


「小此木! 冷房入れてくんねえか?」

「……すんません。それがですねぇ――」

「おう、マジか……」


 何でも空調関係の設備が開店して三日ほどで故障してしまったらしい。

 この暑い時期に難儀なことだ。


「ほんッとすんません」

「いや、壊れてるもんは仕方ねえからそれはいいんだが、……つかお前はそれで困ってねえのか?」


 鉄板扱う店で夏場に冷房なしとかありえん。

 尋ねると小此木が困った顔をみせた。


「それがホント困ってんですよー。エアコンが故障してからというもの店内で食べていくお客さんはぱったりといなくなっちゃうし、なんとか持ち帰りで食いつないではいるんですが、修理のひともこの猛暑で工事に引っ張りだこらしくてなかなか来てくれないですし……」

「あー、そりゃ大変だなぁ」


 つかなんでこんなに美味いお好み焼きを出す店に、俺たち以外に客がいないのかと思ったら、そういうことか。


「なんとかしてやりてえが……」


 残念ながら工事業者に個人的なツテはない。


「そうだアンタら! なんか冷房がわりになるようないいもんとか知らねえか?」


 フレアあたりはなんか持ってるかもしれん。

 酔って陽気に酒を楽しんでいるお隣さんたちに、声をかけてみた。


「そうねえ、ヒック。シャルル、貴女ちょっと氷の宝剣を出しなさいな」

「うぃー、これなのですかぁ?」


 フラフラとあたまを揺らしながら、危なげな手つきでシャルルが腰の剣を引き抜いた。

 それは先日フレアの管理する煉獄の塔から持ち帰った宝剣、氷剣ミストルティンだ。


「シャキーン! なのですぅ……」


 ミストルティンがキラーンと刀身に光を反射した。

 剣から発せられた冷気がドライアイスのように足元にたまり、ヒンヤリと店内を冷やしていく。


「…………涼しい。ヒック」

「これよぉ、これ。……あー、取ってきて良かったわねぇ」

「これは……ふみゅぅ、快適じゃのぅ……」


 酒と鉄板の熱で火照った体にミストルティンの冷気がありがたい。

 流石は氷の宝剣と謳われるだけのことはある。

 名剣だ。


「おう、シャルル!」

「うぃー、なんですかぁ?」

「ちょっとその剣、ひと夏の間だけ小此木にレンタルしてやったらどうだ?」

「うぃー、わかったので――ッてダメなのですよ!」


 酔って呆けていたシャルルがハッと我に返った。

 剣を隠すように鞘に戻す。


「あぁッ、また暑うなるのじゃッ、うみゅぅ」

「そ、そんなことは知らないのですッ!」

「…………けち」


 いいアイデアだと思ったんだが、全力で拒否られてしまった。


「ふむ……つかどうしたもんか」


 頭を捻る。

 けれども酒に浮かされた頭をいくら悩ませようともいいアイデアは出てこない。

 もう考えるのがしんどい。


「ならぁ、ヒック。こうしたらどうかしらぁ、お兄さん」

「おう、なんかいいアイデアあんのかフレア!」

「マリベルの氷魔法でぇ、冷やしてもらうのよ、ヒック。この子なら三日くらい溶けない氷でも、うぃー、魔法で生み出すくらい訳ない筈よぉ」

「それだッ」


 流石はフレア。

 異世界の大魔法使いだ。

 発想の方向性がなんつーかちょっと違う。


「おうッ、話聞いてただろマリベル!」

「…………んあ?」

「ちょっと店内冷やしてくれよ、アンタの氷魔法でよッ!」

「……………………んあ」


 ポケーッと口を半開きにして呆けていたマリベルが、定まらない焦点で「んあんあ」言いながら何度も頷いた。


 顔を真っ赤にした女騎士が、よっこいしょと立ち上がる。

 片手に持った冷酒グラスを胸の前に突き出して、両腕を交差させながら、聖騎士マリベルは回らない舌で詠唱を始めた。


「――静謐(せいひつ)にゃる氷の王よぉ 万物を流転しゅる悠久の女王よ……ヒック――」


 店内どころか町内すべての大気が震え始めた。


「あはははッ、いいわよマリベルッ! その調子よぉー!」


 やんやと囃し立てるフレアに、ポケーッとしたマリベルが顔を向ける。

 定まらない焦点でコクンと顎を引く。


「――再びいましょッ、いまその時を止め 久遠にょ大地を白銀に染め上げんッぷ――」

「ふはははッ、んぷってなんじゃ、んぷって!」

「…………ちゃんと唱える、ぷふッ」


 赤ら顔をしたハイジアとルゼルが、冷酒グラス片手にマリベルを煽る。

 大気が渦を巻き、収縮、拡散を繰り返す。


「――ああ、常世(とこしよ)にィ、うっぷ、(あまね)く世界に静寂を……ういぃ――」


 静謐なる凍気が町内を包み込んだ。

 女騎士が虚ろな瞳で目の前のなんにもない空間を見つめる。


「しゃすがお姉ちゃん……すごい魔力らのれふぅ」

「お、おう…………つか、これ本当に大丈夫なんだろうなマリベルッ?」


 マリベルが任せろと言わんばかりに親指を突き立てた。


「……………………んあ」


 すべての音がやんだ。

 時を止めたご町内に響き渡るは、女騎士の楚々としたしゃっくりだけ。


「氷属性魔法上級高位 永久凍(パーマフロス)――」




 次の日のこと。

 お好み焼き屋の床に正座をして、頭を下げる女騎士がいた。


「す、すまぬ店主殿ッ! この通りだ!」


 蒼銀の聖騎士は、謝罪をするその姿すら凛として美しい。


「…………酔ってやり過ぎたッ」


 だが口から出た言葉は情けないことこの上なかった。


「ほんッとうにすまない! この通り!」

「俺からも謝る。……すまんかった!」

「もういいっすよ虎太朗さん。美人の金髪さんも頭を上げて下さい」


 氷漬けになった店内。

 だがいまはもうすべての氷は溶かされている。

 あのあと素面に戻ったフレアが氷を溶かしてくれたのだ。

 だが店内はびしょ濡れで、結局昨日は営業を途中で切り上げることになった。


「けどまあ、すんごい氷漬けでしたねぇ。ははは」

「す、すまないッ」

「いやぁそれにしても……コスプレじゃなかったんですね、その格好」


 小此木がマリベルを繁々と眺める。


「別嬪さんだなぁ。ひょっとして虎太朗さんのコレですかぁ? ひひひ」

「…………んあッ!?」

「ち、ちげえよ! そんなんじゃねーよ!」


 小指を立てて突きつけてくる。

 つかこいつ、いつの時代の人間だよ。


「まぁからかうのはこれくらいにして……どうせ昨日も開店休業状態でしたし、半日そこら店を閉めても売り上げなんて変わんなかったですしね」

「……そう言ってもらえると助かる」

「それより魔法なんていいもん見れて、得した気分っすよ!」


 小此木が気のいいヤツで良かった。

 しかしコイツも順応性高いな。

 まあ俺も人の事をどうこう言えた義理ではないが。

 つか今度詫びを兼ねて酒でも奢ってやろう。


「ふたりともまた店に食べに来てくださいね!」

「おう! あんがとなッ」

「本当にすまなかった店主殿ッ――そうだ、詫びがわりに……」


 マリベルはエアコンが修理されるまでの間、冷房がわりの氷を毎朝作りに伺うことを約束した。


「そ、そんな……悪いっすよ。ってまた氷漬け――いやいやッ、ほんと大丈夫ですんでッ」

「なに心配は無用だ、店主殿ッ! 万事私に任せておくがいい!」


 小此木の顔はピクピクと微妙に引き攣っていた。

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