61 お隣さんとこってりラーメン
「結構遅くなっちまったなぁ」
駅からの道をトボトボと歩く。
あたりを見回すと目に入るのは、夜道を帰宅する背広姿の勤め人たち。
といっても俺も今日は彼らと同じく仕事帰りだ。
スーツのジャケットを脱いでシャツの腕を捲り、ネクタイを緩めたラフな格好で、マンションまでの帰路をひとり歩く。
「おッ、とっと――」
足元がふらついた。
危うく転びそうになる寸前でなんとか持ち直す。
「っと、……ちっと酔っちまったか」
さっきまで取引先の社長さんと飲んでいた。
カウンターに数席だけのこじんまりとした割烹料理屋さんだ。
俺が酒に目がないことがわかると、店の板さんがお勧めの美味い日本酒をじゃんじゃか出してきやがるもんだから、ついつい飲み過ぎてしまった。
(でも、美味かったなぁ)
満足感の高い店だった。
今度お隣さんたちも連れてってやりたい。
立ち止まって舌鼓をうった料理の数々を思い出していると、ギュルルと腹がなった。
「つか、もう小腹が空いてきやがった……」
結構食ったつもりだったんだが、ちと物足りなかったらしい。
俺の腹からギュルギュルと悲鳴があがる。
「なんか食って帰るかねぇ」
さっきの店では割と上品な割烹料理を食った。
今度はこう、ガツンと脳天にくるジャンキーなもんが食べたい。
さて、なにを食おうか。
フラフラと頼りない足取りで歩きながら考える。
すると少し先のほうに、角から曲がってトコトコと歩いていく見知った後ろ姿を見つけた。
「おう! マリベルじゃねえか!」
「…………ん?」
先を歩く人影が振り返る。
凛とした立ち姿。
艶やかな金色の髪をなびかせて振り返る楚々とした女騎士。
お隣さん家の聖騎士マリベルだ。
「ああ、コタローか。いま帰りか?」
マリベルが俺の姿をみとめて僅かに頬を緩ませる。
「おう、ちっと飲んできた帰りだ。アンタはどこ行ってたんだ?」
「私か? 私は、これだ」
ビニールの袋が掲げられた。
その中には日本酒の一升瓶が三本ほども納められている。
「買い置きが切れてしまってな。だというのに商店街の酒屋はもう今日は店じまいしているし……まったく、おかげで夜間営業のスーパーまで足を延ばす羽目になったぞ」
そりゃ仕方ないだろう。
時刻はもう夜の十時を回っている。
さすがにこの時間になると、その辺で個人経営している酒屋はもう閉まっている。
「そっか」
曖昧に頷いてから、おぼつかない足取りでマリベルの元まで歩いていく。
マリベルは立ち止まって俺を待っている。
「うおッ――」
また足がもつれた。
だが転ぶ寸前でマリベルが体を支えてくれる。
「っと、なんだ? 酔っているのかコタロー」
「おうッ、…………っとっと。すまねえ、ちと飲み過ぎちまったみたいでな」
「ふふふ、珍しいではないか。お前がそのように千鳥足になるまで飲むとは」
「面目ねえ。つか、しこたま飲まされたからなぁ」
情けないところを見られた。
ちょっと恥ずかしい。
けれどもマリベルは俺がそんな風に思っているなんて露ほども知らずに、なんだか嬉しそうにしている。
「なに、気にするな。いつもはお前に面倒をみられてばかりだからな。たまにこうして世話を返すのも悪くない」
マリベルが脇の下に腕を回してきた。
どうやらそうやって体を支えてくれるみたいだ。
「ほら、歩けるか?」
「おう、すまねえ」
ふたり並んで歩き始める。
「……つかこれって……」
「ん? どうした?」
「…………いや、なんでもない」
マリベルと腕を組んで月明かりの家路を歩く。
なんだかほんのりと顔が赤くなってきやがった。
けどこれは酒のせいじゃない。
「なんだコタロー? 気になるだろう?」
歩幅を合わせながらテクテクと歩く。
「い、いや、なんでもねえッ」
「んん? なにか気になることがあるなら、ほらッ遠慮なく言ってみろ」
「そ、そんなんじゃねえんだよ。なんつーか……」
「なんだ、はっきりせんヤツだな」
マリベルが眉間に皺を寄せた。
端正な顔を懐疑そうに歪めて、下から俺を覗き込んでくる。
「男だろう? 言いたいことがあるなら言え」
そこまで言われては仕方ない。
俺はそっぽを向きながら応える。
「なんッでもねえよ! つか、こうやって腕を組んで歩くのが、ちょっと、なんつーか……」
「ふむ、『なんつーか?』」
「つか、なんつーか……」
「そこまで言ったのなら最後まで話せ! ほら、『なんつーか?』」
(ええい、ままよッ)
「お、おう。なんつーか、…………恋人、みたいだなって――」
「――んあッ!?」
マリベルがガバッと腕をほどいた。
「な、なななッ、なにをッ!?」
勢いよく腕を振りほどかれた俺は、酔った足をもつれさせて尻餅をつく。
「ぐあッ」
「んあッ!? す、すすすまぬッ!」
慌てたマリベルが俺を抱き起こす。
すると勢いあまってふたりの顔が近づいた。
「――んぁあッ!?」
今度は突き飛ばされた。
「ぐえッ」
「〜〜〜〜ッ、んああぁッ!?」
ゴロゴロとアスファルトを転がる。
「コ、コタローッ!?」
マリベルはしばらくパニックを起こしたまま、右往左往していた。
「たたた……まったく、酷い目にあったぜ」
マリベルに支えられながら夜道を歩く。
今度は腕を絡めてではなく、背中を支えられながらだ。
「お、お前が血迷ったことを言い出すからだろう!」
「おう……そうか?」
「そ、そうだッ! よりにもよって、――こ、こここ恋人などと!」
またマリベルがワタワタし始めた。
やばい。
今度は背中を突き飛ばされるかもしれん。
「お、落ち着けマリベル! な? 落ち着けッ!」
宥めすかせてなんとか落ち着かせる。
物騒な女騎士はどうにか気持ちを落ち着かせて、腰の剣に伸ばした手を俺の背中に添え直してくれた。
「…………まったくお前は!」
「ははは、悪い悪い」
テクテクと並んで帰路を歩く。
煌々と輝く月の明かりが夜道を照らしてくれている。
「……ふぅ。なぁコタロー」
「ん? なんだマリベル」
「いい夜空だな」
「おう、いつもより月がデッカく見えやがるぜ」
「帰ったら屋上にでも出て、一杯やるか……」
マンション屋上の鍵なら大家さんから預かっている。
自由な出入りが許されているのだ。
マリベルが肩のあたりまで酒の入った袋を持ち上げた。
「お前はどうする? 随分と飲んで来たようだし、さすがに今日はやめておくか?」
ちょっと考える。
まあ確かに酔ってはいるんだが、ぼちぼちセーブしながら飲めばまだもうちょいいける気もする。
頭上を見上げれば、月が輝くいい夜空。
それにせっかくのお誘いだ。
飲み直したい気持ちが強い。
けれどもその前に――
「おうマリベル。その前にちょっと付き合ってくれねえか?」
「……寄り道して帰るのか? 私は別に構わんが」
「おう、あんがとさん!」
腹の虫がギュルギュルと鳴いている。
実はもうさっきからずっとこうなのだ。
「それでコタロー。どこへ寄り道していくのだ?」
「おう、いい店が近くにあんだよ」
もったいつけて応えた。
「いまから行くのはなぁ――ラーメン屋だ!」
カウンター席に並んで座る。
ここは近所のラーメン屋だ。
「へい、お待ちッ!」
俺たちの目の前に一杯ずつのラーメンが置かれた。
「つか熱いから気をつけてな」
マリベルは繁々とラーメンを眺めている。
興味津々のようだ。
器をツンツンと指でつついたり、顔を近づけて鼻をクンクンさせてみたりと落ち着きがない。
頼んだのは豚骨六、魚介四の比率のダブルスープラーメン。
やってきたのはド濃厚ラーメンで有名な繁盛店だ。
湯気をたてる熱々のスープの表面には、ドロリと濃厚な豚の背脂がこれでもかというほど浮かんでいる。
「おうマリベル。割り箸だ」
「ああ、すまんな」
マリベルはまだラーメンを観察している。
よっぽど珍しいんだろうか。
「なんだマリベル。ラーメン食うのは初めてか?」
「いや初めてではない。カップ麺ならばよく食べている」
「あ、そうなん?」
「うむ」
カップ麺をすする女騎士。
思い浮かべるとかなりシュールな絵面だ。
「じゃあ食い方はわかるな?」
「ああ、わかる。しかしなんだ。私はラーメンといえばカップ麺のことだと思っていたのだが、こういうものもあるのだな」
「だな。つかどっちが本物のラーメンかっつったらこっちだぞ」
「…………ほう?」
女騎士の目が細まる。
「コタローお前、よもやこれなるは、カップ麺よりも美味いなどとは申さぬだろうな?」
「はぁ? なに言ってんだアンタ! つかカップ麺よりこっちのが数段美味えに決まってんじゃねえか!」
「――なッ!?」
当たり前だ。
カップ麺はたしかに美味い。
特に最近のカップ麺はマジで美味い。
果てなき企業努力の末に、以前とは比べ物にならないくらいハイクオリティな商品にお目にかかることもままある。
とはいえカップ麺はあくまでカップ麺。
店で食うラーメンにはまだまだ遠く及ばないのだ。
隣ではマリベルが驚愕に目を見開いている。
「いいからとにかく食ってみろよ!」
「う、うむ」
半信半疑なのだろうか。
戸惑いながらもマリベルは箸を割り、どんぶりへと向き直り、そこで動きを止めた。
「んじゃお先に。いただきますッ」
固まっている女騎士はひとまず置いて、麺を持ち上げた。
豚骨と魚介の入り混じった癖の強い香りが鼻腔をくすぐる。
この匂いがたまらない。
ハフッと麺を口にいれすすりあげた。
コシのあるちぢれた太麺に、濃厚なスープがたっぷりと絡んでいる。
「くぁあッ、たまんねえッ!」
ガツンときた。
このひと口目を正しく言い表すなら『ガツン』だ。
後頭部が痺れるような味わい。
舌の上に溶け出した背脂がこれでもかと口内を暴れまわる。
その鮮烈な味と一緒に噛みごたえのある麺を奥歯で噛み切った。
「つぁあッ!」
グニっとしてプツンと切れていく食感がたまらなく楽しい。
「これこれこれッ、これだよ!」
舌を蹂躙するジャンキーな味わいに、俺は歓喜の声をあげた。
ふと隣をみると、マリベルがまだラーメンに手をつけずに俺を見つめている。
「どうした? つか、食わねえのか?」
惚けたようにこちらを眺めていた女騎士が、ハッと我に返った。
「い、いや、いただこうッ」
「おう! うんめえぞー?」
「…………いただきます」
女騎士の箸が伸びた。
濃厚なスープをたっぷりと絡めた麺を持ち上げる。
いわゆるリフトアップ状態だ。
戦闘準備を終えた聖騎士マリベルが、窄めた唇からフーフーと細い吐息を麺に吹きかけた。
「――いざッ」
パクっとひと口。
手慣れた仕草で耳に髪をかきあげ、ズズッと麺をすする。
「ッ!? んぁあッ――」
なんか色っぽい声が飛び出た。
瞳を閉じたマリベルが天井を見上げる。
飛び跳ねた汁が照明の光を受けてキラキラと輝いている。
マリベルは震えて恍惚とした表情だ。
暴力的なまでにコッテリとした味の奔流にやられてしまったのかもしれない。
「お、おう。どうだ、旨いか?」
女騎士が上を向いたままクワッと目を見開いた。
ギギギと錆びついたマネキンのように首を回し、こちらを見る。
正直ちょっと怖い。
「――旨いかだと? 旨いに決まっておろうが! だが、ちょっと待てッ!」
マリベルが怒涛の勢いでラーメンを啜り始めた。
ズズズッと麺を啜ってはレンゲに掬ったスープと一緒に腹に収めていく。
凄い勢いでどんぶりからラーメンが消えていく。
「ッ、ハフッ、ハフッ!」
柔らかなチャーシューを噛み締め、トロリと黄身が溶け出す味玉と一緒くたに麺とスープを啜り続ける。
「お、おう、マリベル。そんなに焦って食わなくてもいいんだぜッ?」
引き気味になりながら声をかけるも、必死になってラーメンを貪る女騎士の耳には届かない。
そうこうしているうちにも器から麺は消え続け、最後にマリベルはどんぶりごと両手に持って、ドロリとした濃厚なスープを全部飲み干していく。
「や、やめろ! つかそれやったら体壊して死ぬぞ!」
心配なんてなんのその。
見事最期の一滴までスープを飲み干したマリベルは、プハァッと息を吐いてどんぶりをカウンターに叩きつける。
満足気にほわぁッとした笑顔を浮かべるマリベルの額には、玉のような汗が滲んでいた。
「ちょ、おまッ……この店のスープを飲み干すのは体に――」
「旨いッ!!」
俺の言葉を遮ってマリベルが叫んだ。
クワッと目を見開いてこちらに振り返る。
「一杯まるごと余さず食べ尽くしたいまだからこそ言えるッ! ラーメンとは宇宙だ! この小さなどんぶりのなかには広大な宇宙のすべてが詰まっている! やはりまず語るべきはスープ! 濃厚で舌に絡みつくジャンキーな味わいは他に類をみないまさに独創性の塊! そして麺! まるで天の川がごとき雄大でコシのある太麺にたっぷりと絡みついた宇宙の雫を口いっぱいにすすると訪れるのは超新星爆発! 暴力的なまでの味の奔流に私はもうタジタジだ! しかもこのラーメン! スープの宇宙にぽっかりと浮かぶ惑星がごとき煮卵や杯を所狭しと流れる彗星がごときメンマッ! それに銀河を明るく照らす太陽がごときチャーシューとすべての要素が渾然一体となって杯のなかに顕現した味わいはまさしく宇宙開闢ッ!」
「そ、そうか……」
唾を飛ばして熱く語る姿に引いてしまう。
「親父殿! もう一杯だ!」
「つか、まだ食うのかよッ!?」
「今度は豚骨三の魚介七だッ!」
マリベルは追加のラーメンをまたもや猛然とした勢いですする。
「…………うえッぷ」
その気迫は凄まじく、見ているこっちが胸焼けしてしまった。
「ほら、荷物かせマリベル」
「…………うぅ、すまない」
ぽっこりと膨れたお腹をさする。
気持ち悪そうにえづいているのはお隣さん家の聖騎士マリベル。
「そりゃ、そうなるだろう。あんなコッテリしたラーメンを何杯も食っちまっちゃあなぁ」
「…………面目次第もない、うぅ」
初めてこってりラーメンを食べてそのジャンキーな味の虜になったマリベルは、俺が制止するのも聞かずに結局二回もおかわりをした。
計三杯。
しかもスープまでしっかりと飲み干してだ。
そりゃあ胸焼けもするだろう。
「…………うぅ、気持ち悪い」
マリベルが胸を押さえてしゃがみ込む。
「ほら、手え貸してやるから立て」
「…………うぇ」
「リバースはウチに帰るまで我慢しろ」
「…………は、吐いたりなどせ――うぷッ」
実に気持ち悪そうだ。
顔色が悪い。
「おう、歩けるか? なんだったら負ぶってやってもいいぜ?」
「あ、歩ける…………でも」
立ち上がったマリベルが動きを止めた。
顔を赤くして俯いている。
「どうした? つか大丈夫か?」
「んぁ…………」
躊躇いがちにマリベルの背をさする。
コイツはなんだかんだでウブなヤツだから、ちょっと背中をさすっただけで突き飛ばされるかもしれん。
身構えながら介護を続ける。
「背負われずとも歩ける。…………でも」
「でも?」
「…………でも、こう、させてくれ」
マリベルがオズオズと腕を絡めてきた。
下を向いたその顔は耳まで真っ赤だ。
「――お、おうッ、マリベルッ!?」
「こっちを見るなッ!」
「ッ、す、すまんッ!」
反射的にそっぽを向く。
きっと俺の耳もマリベルに負けないくらい真っ赤だろう。
「…………な、コタロー。ウチに帰るまで、このままで頼む」
「お、おう…………」
会話もなく帰路を歩く。
腕を絡めた俺たちの歩みはゆっくりゆっくりだ。
しばしの静寂。
気恥ずかしさに耐え切れなくなって口を開く。
「なあ?」
「…………なんだ?」
「またラーメン、食いに行こうな」
「――――うぷッ」
「今度はみんなも誘ってよ」
「いまはラーメンの話はするなッ」
「す、すまんッ……」
それきり押し黙り、ふたり並んで家路を歩いた。
たまにはラブコメもするのです(*´∀`*)
って、もしかしたら飲酒シーン書かなかったの、この話が始めてじゃなかろうか……




