60 お隣さんとアサリの酒蒸し
ちょっと間が空いてしまってすみません。
前回、痩せポーションと銘打った変なポーションを飲んで激太りしたハイジアからの続きです。
「とっとっと、それくらいでいいぞコタロー」
「おう! んじゃ次は……」
「はいはーい! 虎太朗さんこっちもおかわり下さーい」
「わたしも欲しいのですッ」
差し出されたグラスに酒を注いで回る。
日曜日のお昼過ぎ。
ここはお隣さん家の宴会部屋だ。
いま酒を注いだ相手はマリベルにシャルル、そして杏子である。
「んく、んく……ふう、美味い……」
マリベルが冷えた日本酒で喉を潤す。
グラスに添えたふっくらとした薄桃色の唇がなんだか艶めかしい。
こうして見るとこの金髪女騎士はやっぱり美人だ。
凛と背筋を伸ばして酒を飲む姿が美しい。
酔っ払って「んあんあ」言い出す残念美人の姿を知らないと、俺でもコロッと騙されかねないほどだ。
「ぷはー、おいしー!」
「クイクイッといけちゃうのです!」
杏子とシャルルも美味そうだ。
つってもこっちは色気も何もあったもんじゃない。
楽しそうにグラスを掲げている。
「んじゃ、俺ももう一杯……」
本日の酒は『古都千年』の大吟醸。
こいつは京都伏見の日本酒、英勲の人気シリーズだ。
京都の酒米であるところの『祝』から作られたこの酒は、まろみのある上品な味わいと豊かな吟醸香が特徴である。
――トクトクトク
手酌で酒を注ぐ。
グラスに口をもっていくと、フルーティーな香りが鼻を通り抜けた。
「んく、んく…………ぷはぁ」
――美味い。
やわらかい口当たりなのにコクのある旨み。
喉を通り過ぎたあとにスッキリとした切れ味と、余韻を舌に残しつつ薄れていく甘み。
……いい酒だ。
うむうむとひとりで頷く。
「ッと、肴は…………」
テーブルを見るともう肴がなかった。
軽くでいいから、この酒に合いそうな肴がもう少し欲しいなぁ。
っとまあそれはひとまず置いといて――
「おう、ハイジアッ」
肴を探してテーブルに視線を彷徨わせた俺の目に映った銀髪少女。
顔を隠してテーブルに突っ伏すその女吸血鬼の名前を呼んだ。
実はハイジアも最初からずっとここにいたのだ。
だがハイジアは顔を伏せて一言も言葉を話さない。
「つか……どうかしたのか?」
返事がない。
両腕で顔を囲い込んだ体勢で突っ伏したままだ。
でもたしかにいま、ピクリと耳が動いた。
寝てはいない筈だ。
「ハイジア? つか起きてんだろ?」
「…………なんじゃ」
力のない声が発せられた。
まったくハイジアらしくない弱々しい声。
「なぁ美味え酒だぜ? んな俯いてちゃこうやって酒も飲めねえだろ? ほら顔あげて一緒に飲もうぜ?」
「…………いやなのじゃ」
「んなこと言わずに、……ほら」
トクトクと酒を注いで差し出す。
吟醸酒特有のフルーティな香りが漂い、ハイジアの鼻腔をくすぐる。
その香りに誘われて、女吸血鬼が身動いだ。
ちょっとだけ顔を上げて、腕の隙間から酒を眺める。
「ほら、古都千年。これ飲んだことねえだろ?」
「…………美味いのかえ?」
「おうッ、うんめえぞー!」
葛藤が垣間見える。
ハイジアはちょっと顔を上げてからすぐ伏せて、またちょっと顔を上げてからすぐ伏せる――そんな動作を繰り返している。
「ほらほら。つか誰も笑ったりしねーから、顔上げろっつの!」
「…………ほんとなのじゃな?」
「おうッ、もちろんだ!」
ハイジアはそろりそろりと顔を上げた。
上目遣いで俺たちを見回し、ちょうど姿勢よく酒を煽っていたマリベルと目があう。
「――――ぶほッ!」
女騎士が酒を吹き出した。
ハイジアがガバッと顔を伏せる。
「ごほッ、ぶはッ! ……くッ、ぐほぁッ!」
「ッ、ひどいのじゃッ!!」
「ち、違うぞハイジア! わ、私は別に笑ったわけでは――ぶはッ、くくくッ」
「ぷ、だ、ダメなのですよお姉ちゃん! ぷ、ぷふぅッ! ハ、ハイジアさんに悪いのです! ねえアンズさんッ」
「そ、そういうシャルルさんだって! ぷーくすくすッ!」
「お、おう、アンタらッ。そんな笑ったら、か、可哀想だろ…………ぷ、ぶふッ」
思わず俺まで釣られて笑ってしまう。
別にハイジアを馬鹿にして笑ったわけじゃない。
強いて言えば俺のは場の雰囲気だ。
「ひ、ひどいのじゃ! 鬼じゃ、貴様らは鬼畜なのじゃー!!」
ハイジアが襲い掛かってきた。
だが顔を隠して動こうとするその様子にはいつものキレがない。
立ち上がったハイジアは足をもつれさせて、その場でバタンと倒れた。
「――――ぷぎゅッ」
屠殺された豚のような声が上がる。
ハイジアは倒れてうつ伏せになったままピクリとも動かない。
肩を揺らしてプルプルと震えている。
「お、おう? ハイジア?」
ちょっと笑いすぎたか?
近寄って抱き起こす。
力なくうつ伏せる体を抱き起こすと、ずっしりとした肉の重量感が腕に伝わってきた。
「重たッ!!」
思わず叫んでから慌てて口をつぐむ。
「なんじゃと、貴様ッ!」
途端にハイジアが復活した。
目を吊り上げ、腹の肉をプルプルと震わせながらご立腹だ。
「あッ、見るでないのじゃ!」
俺たちの視線に気付いたハイジアは、またパンパンに張った頰を隠すようにして蹲った。
あの日から数日。
いまだにハイジアはでっぷりと太ったままだった。
ハイジアが痩せポーションを飲んだあの日からだ。
パンパンに膨らんだほっぺた。
タプタプの二の腕。
樽のような体。
もはやハイジアに以前の面影はない。
ハイジアはそのことを気にしてダイエットを始めた。
まず手始めに聖樹の葉を食べてみたようだが、特に効果はなかった。
当たり前だ。
デブは状態異常ではない。
その後も置き換えダイエットやサプリ系ダイエットを試みたようだが、これまた成果は出なかった。
だがそれも当然だろう。
一食分を低カロリー食品に置き換えてもその分一日四食も食べるならまったく意味はないし、ダイエットサプリなんてものはそもそもがまやかしの類だ。
『なぜじゃ! なぜ痩せんのじゃ!?』
『つか痩せたかったら運動しろよ』
『嫌じゃ! 運動するくらいなら食わぬのじゃ!』
ハイジアのダイエットは難航を極めた。
「はぁ、いったいどうすればいいのじゃ……」
ため息をつきながら、ちびちびとちびっ子が日本酒を飲む。
顔を隠すのは諦めたようだ。
ハイジアの哀愁漂うその背中は、まるで女房子供に出ていかれた呑んだくれ親父のようである。
「つか元気だせよハイジア」
「……コタロー」
「別にちょっとぽっちゃりしててもいいじゃねえか。いまだって相変わらずアンタぁ可愛らしいぜ?」
ポフッとハイジアの頭に手をおいてワシャワシャと撫ぜる。
後ろから『ロリコン』だの『デブ専』だのと呟くホロ酔いの杏子の声が聞こえてくるが無視だ、無視。
「わ、妾を、ここ子供扱いするでないわッ!」
バッと手を払いのけられた。
でもなんだかんだ言ってちょっと嬉しそうである。
「そうだぞハイジア。……お前くらいの容姿なら。別に少しくらいぽ、ぽぽ、ぽっちゃりでも……ぽ、ぽちゃ――ぶほぁッ!」
「だ、ダメなのですよ、お姉ちゃ――ぷふぅッ」
せっかくちょっと機嫌が直ってきていたというのに、女騎士姉妹のせいで台無しである。
ハイジアが怒りにプルプル震える。
「き、貴様らッ! いい加減しつこいのじゃ!」
「ぷ、ぷはぅ! ご、ごめんなさいハイジアさん……でも、お願いですからこっち向かないでー! ひいぃお腹痛いごめんなさいーッ」
「ぐぬぬ……おのれアンズッ……」
ハイジアから黒いオーラが漂いだした。
心なしかオーラまでいつもより太ましい気もするが、とにかく一触即発だ。
このままではお隣さん家で醜い争いが勃発してしまう。
心配して仲裁に入ろうと腰を浮かした。
するとそのとき――
――――ピンポーン
ちょうどいいタイミングで、お隣さん家の玄関チャイムが鳴り響いた。
「おう、ナイスだ! ちょうど肴が欲しかったところなんだよ」
やって来たのは小都だ。
なんでも肴を差し入れしに来てくれたらしい。
「そうなんですか? 作り過ぎちゃって……でもそれなら良かったです」
小都は持参した底の深い大皿をテーブルに置く。
皿にはまだ熱が残っているようだ。
ラップを外すとふんわりとした優しい香りが室内に漂い始めた。
旨そうな酒と醤油とにんにくの香りだ。
「ジャーン! 先輩ッ、『アサリの酒蒸し』ですよッ!」
「おおう……こいつは久しぶりじゃねーか!」
小都は和食が得意だ。
俺も料理はできるほうだが、こと和食に関しては小都の腕には遠く及ばない。
「うふふ……虎太朗先輩、このお料理好きでしたよね」
「おう! つかよく覚えてたなー」
俺は肴になりそうな食いもんは大概好きである。
だがなかでも特に小都のつくる和食には目がない。
旨そうな肴に目を奪われていると、俺とさし向かいに座った小都の向こう側からボソボソと声が聞こえてきた。
「……のう、あれ、絶対に作り過ぎた訳ではないのじゃぞ?……」
「……ですよねぇ。虎太朗さんってば、小都さんに完ッ全に胃袋を掴みにこられてますねー……」
「……あざといのですッ。あの女はあざといのですッ。これはお姉ちゃんも負けてられないのですよッ……」
「んあ? なんの話だ?」
声が小さくて話している内容までは聞き取れない。
けれども小都にはしっかりと聞こえたようで、笑顔で背後を振り返る。
でもその顔はなんつーかちょっと怖い。
「うふふ……どうぞみなさんも、召し上がって下さいね?」
「ひッ!? は、はいなのですッ」
「えっとー、もしかして聞こえちゃいました? あ、あははー」
「そうかッ! これはかたじけないな小都殿!」
「う、うむ……妾はだいえっと中ゆえに食わんが」
そのとき小都がなにかに気付いたようにハイジアに視線を向けた。
頰に手を添えて小首を傾げる。
「あら? 貴女は……」
「ん? なんじゃ?」
「えっと、貴女とは初対面ですよね。初めまして、私は――」
「酷いのじゃッ!?」
ハイジアはわっと嘆いてガバッと顔を伏せた。
突っ伏したまま顔を上げない。
「お、おう、小都……」
「はい、なんですか虎太朗先輩?」
「そいつはハイジアだ。お前も何回かあってんぞ?」
「え? ……あッ!? あの可愛らしかった銀髪のッ!? え、えええ! どうしてこんなことにッ!?」
「可愛『かった』とはなんじゃ! いまでも妾はかわ――じゃなくて美しいのじゃ!」
ハイジアの剣幕に小都が仰け反った。
その隣で箸をかまえてひとりソワソワとしているヤツがいる。
空気を読まない女騎士、マリベルだ。
「おいコト殿ッ。これはもう食べてもいいのかッ?」
「あ、はいどうぞ。みなさんで召し上がって下さい」
「そうか! では頂くとしよう!」
小都が呑水にアサリの酒蒸しを小分けしていく。
この肴はスープを楽しむのも醍醐味だから、大皿をみんなでつつくよりかは小分けした方が都合がいい。
「はい、どうぞ。……えっとマリベルさん」
「かたじけない!」
「虎太朗先輩も、……はい、どうぞ」
「おう! つかあんがとさんッ」
マリベルがいの一番に箸を伸ばした。
俺も続いてアサリを口に運ぶ。
料理にほのかに混ざった磯の香りを嗅ぎながらパクっと頬張る。
「…………ふうぅ」
豊かな風味が口いっぱいに広がった。
なんというか安心する味だ。
薄めながら絶妙な匙加減で味付けされたアサリを噛みしめる。
クニュッとした貝特有の食感が俺の歯を楽しませ、噛むごとにたっぷりと詰まった旨味がアサリから染み出してきた。
つけ合わされた三つ葉と水菜なシャキシャキした食感も実にいい。
「酒だ、酒ッ」
キューッと酒をアサリごと胃に流し込む。
すると今度は先ほどまでの貝の旨みとは違う、キレのいい米の旨みが俺の舌を楽しませてくれる。
「…………くはぁ」
――最高だッ。
思わず声が漏れた。
やっぱりコイツは日本酒との相性抜群だ。
幸せそうな俺をみて、みんなもゴクリと喉を鳴らしてから次々とアサリの酒蒸しを肴に一杯やり始めた。
「んんんん!? これ凄く美味しいですよ、小都さん! 私、こんな美味しい酒蒸しって初めて食べたかもですッ!!」
「あら、そう? じゃあもっと食べる、……えっと」
「杏子です!」
「そうそう、杏子さん。はい、どうぞ」
杏子はおかわりを食べつつ絶賛している。
小都も満更でもないようで嬉しそうだ。
そんなふたりを眺めながら、俺は今日も覚悟を決める。
(…………うしッ!)
腹に力を込めて振り返った。
さて、聞くとするか!
「おうマリベルッ! どうだ、旨いかッ?」
マリベルがギギギと首を回してこちらを振り向いた。
血走った目をクワッと開いて怖いことこの上ない。
「旨いか、だと? 旨いに決まっておろうがッ! このアサリの酒蒸し、その名が示す通りまず最初に感じられるのはふんわりとした酒の香りだ。優しいその香りに否が応にも未来への期待を膨らませながら貝から外したアサリの身を口に放り込むと、未来は現在へと移り変わりそのクニクニした食感と旨みで私をこの上なく楽しませてくれる! そうして噛んだアサリをゴクンと飲み込むと柔らかな醤油やにんにくの味わいがその余韻だけを舌の上に残して消えてゆく! 現在が過去へと流れ消えていくように! この有り様はまるで時を司る三女神ノルン! ウルズ、スクルド、ベルザンディの運命の三姉妹が時と戯れながら我が口内を駆け抜けていきよったわ!」
「それだけじゃないよ、お姉ちゃん! この肴の真の凄さはスープにこそある! しっかりと貝の旨みが溶け出したスープはいわばノルニルの集う運命の泉! お酒の合間にズッとすすると齎される安らぎこそが、このアサリの酒蒸しの真価なんだよ!」
「そこに気付くとは天晴れだ! さすがは我が妹よ!」
やかましいことこの上ない。
つかなんだよ運命の三姉妹って。
だが今日も女騎士の二姉妹はなんだかんだで楽しそうだ。
「お、おう、そうか。……良かったな」
唾を飛ばしながら叫ぶふたりに、俺は引き気味に応えた。
宴は賑やかにすすみ、程なくしてマリベルとシャルルは剣の訓練をすると言って席を外した。
杏子もバイトがあるとかで帰っていった。
残った面子は俺と小都とハイジアだ。
まだ結構残っているアサリの酒蒸しをつつく。
だがそんななか先ほどからひとりだけ肴には手を付けず、酒ばかり飲んでいるヤツが目に付いた。
「おう、ハイジア。食わねえのか?」
そう、目に付いたのはハイジアだ。
「ヒック……わらわは酒だけでよい。肴は食わにゅのじゃ……ヒック」
ハイジアはパンパンに張った頰を赤くしている。
もうだいぶ酔っているみたいだ。
ハイジアはチラチラっと大皿を眺めはするけれども、プイッと肴から目を逸らして酒ばかりパカパカと空けていく。
「つか食わずに飲むと悪酔いしやすいぞ? 軽くでも摘まねえか?」
「いらにゅと言ったら、いらにゅのじゃ!」
ダイエットのつもりなんだろう。
なんとも強情なことだ。
つか例え肴を食わなくても、そんなにカパカパと酒飲んでたら痩せないと思うんだがなぁ。
「えっと、ハイジアちゃん。お口に合わなかったかしら?」
「…………そうではにゃい、ヒック、うぃー。それよりきさまッ! わらわをちゃん付けで呼ぶでにゃいわッ」
「おう小都。そいつはいまダイエットしてるつもりなんだよ」
「――あ、やっぱりッ。なるほどー」
「『やっぱり』ってなんじゃ!? 『なるほど』ってなんなのじゃ!?」
「ご、ごめんなさい」
「謝るでないのじゃッ! うえええ、コタリョー!」
ベソを掻きながらハイジアが抱きついてきた。
酔っ払い特有の急激な感情変化に戸惑いながらも、ハイジアを迎え入れる。
飛び込んできたハイジアから、ドスッと腹部に重みのある衝撃を受けて「ウッ」となった。
「ッと。つか、どうしたハイジア?」
「コタリョー! さっきからアヤツらがわらわをいじめよるにょらー!」
「お、おう。つかコイツはまさか……」
ウルウルと瞳を潤ませた女吸血鬼が上目遣いで俺を見上げる。
腕のなかの吸血鬼が舌ったらずな喋り方でコテンと小首を傾げた。
「…………コタリョー?」
「――――こいつぁッ!?」
まさかッ!?
「……どうしたにょら?」
やはりかッ!
「キ、キターッ! キタキタキタキターッ!」
「せ、先輩ッ!?」
まるで大家さんみたいに声を上げてしまう。
小都がそんな奇怪な行動に出た俺をみて何事かと目を丸くしたが、いまはそれどころではない。
抱きとめた女吸血鬼を繁々と眺める。
「えへへー、コタリョー。好きー」
ハイジアだ!
腕のなかにはたしかに酒の飲みすぎでベロンベロンに酔っ払ったハイジアがいる。
いや違う。
そうじゃない。
こいつは――――『ハイジアたん』だ!
ほっぺたはパンパンに膨らんでいる。
だがそんなことは気にもならない。
そもそもぽっちゃりになったからと言ってハイジアたんの魅力が損なわれるなんて俺はこれっぽっちも思っちゃいない
「ハ、ハイジアたんか?」
ちょっと声が震えてしまう。
でも仕方ないだろう。
なんたって久しぶりのハイジアたんなんだ。
「コタリョー? どうしたにょ?」
「キター! やっぱりハイジアたんじゃねえか!? 久しぶりーッ!」
ギュッとハイジアたをを抱きしめる。
「はわッ、どうしたのりゃ、コタリョー!?」
ハイジアたんが目を白黒させる。
ああ、可愛いなぁ。
俺はハイジアたんを膝に乗せ直した。
ずっしりとした重みがまるで石抱(江戸時代の拷問具。石の重りを抱かせるアレ)のようだ。
「んー? なんでもないぞお?」
「コタリョー?」
「つかどうしたんだい、ハイジアたん?」
「好きー!」
「もちろん俺もだぞーッ」
なんか超可愛いのがキュッと抱きついてくる。
「な、なんなの……この人たち……」
小都が俺たちを交互に眺めて眉をひそめた。
「それはそうと先輩」
「おう、なんだ?」
「どうしてハイジアちゃんはそんな急に太っちゃったんですか? 前に見たときからそれほど間も開いてないのに、いくらなんでも急激に太り過ぎな気が……」
まあ普通は疑問に思うわなぁ。
ハイジアは酔い潰れ、俺の膝で重石になっている。
「実はな――」
俺は小都に説明をした。
異世界の塔からポーションの調合機材を持ち帰ったフレア。
そうして作られた痩せポーションと、それを飲んで逆に激太りしてしまったハイジア。
「痩せポーション……」
黙って話を聞いていま小都がポツリと呟いた。
「お、おう」
なんか食い付いてきたぞ?
小都の目が鋭く光る。
見れば小都は自分の二の腕やお腹の肉なんかを指でつまんでいる。
「つか、どうしたんだ?」
「な、なんでもないですよ!? 別に太ってなんかないんですからッ」
急にワタワタと慌てだす。
ちょっと訳がわからんし、俺は話題を変えることにした。
「……小都も最近は酒を飲むようになったんだったよなぁ」
「ええ、少しずつですけどね」
「そっか、ならコイツを飲んでみるか?」
英勲古都千年の一升瓶を掲げる。
「うーん、じゃあちょっとだけ頂きます」
「おうッ、飲め飲め! つか小都と差し向かいで飲める日が来るなんざ、……嬉しいねぇ」
なにせ小都はずっと酒を嫌っていたからな。
グラスを手渡して酒を注ぐ。
トクトクと澄んだ酒がグラスを満たすと同時に、甘い吟醸香が漂いはじめる。
「じゃあ、頂きます」
「おう、遠慮せずにいってくれ!」
「んく、んく……んふぅ。あ、美味しいッ」
「そうだろ?」
「これってなんていうお酒なんですか?」
「こいつか? こいつは『古都千年』っつーシリーズの酒でな……って、うははッ。こいつを小都が飲んだら『小都三十ね――」
「――ああッ?」
ギンっと凶悪な目つきで睨まれる。
目の前のお淑やかだった女性のガラがいきなり悪くなった。
「いまなんつったんですか、ねぇ虎太朗先輩。ちょっとよく聞こえなかったんで、もう一回言ってくれませんかねぇ? 今度は耳の穴かっぽじって、しーっかりと聞いときますんで?」
「す、すまん……」
「ああッ? 何か悪いことでも言おうとしてたんですかねえ、先輩? もう一回言ってくれないとわかんないんですが。今度はちゃあんとハッキリ口を開いて話してくれませんかねぇ? おおッ?」
「か、勘弁してくれ……」
ちょっと嬉しかったから油断した。
小都に歳の話は厳禁なのだ。
「だいたいまだ私は三十なってないんですけどねぇ、聞いてます? ねえ虎太朗先輩、ねえ?」
「お、おう。そうだよな」
つかしっかり聞こえてんじゃねえか……
俺は小都を宥めながら向かい合って酒を楽しむ。
少しばかりホロ酔いでいい気分になってきた。
小都ももう落ち着いている。
膝には酔い潰れたハイジアたん。
ごにょごにょと寝言で「コタリョー?」なんて呟いている。
痺れすぎてもう脚の感覚がなくなているが、下ろすつもりは毛頭ない。
可愛い吸血鬼の頭を撫でながら、美人のねーちゃん――つっても元カノだが、を侍らして飲む酒のなんと旨いことか。
「そういえばさっきの話なんですけど……」
「さっき? つかさっきってどの話のことだ?」
「言ってたじゃないですか先輩。『痩せポーション』だなんだって」
「おう、それか。その話がどうかしたか?」
「ええ、あるんですか? 痩せポーションなんて夢のような――」
ガチャッと扉が開かれた。
小都は途中で言葉を遮られる。
「で、き、た、わ、よーーッ!」
フレアだ。
勢いよくドアを開けたのは赤い女魔法使い。
フレアは顔を見せて早々、挨拶もそっちのけで声を張り上げる。
「やっとできたのよー!」
「おわッ、フレアか! ビックリするじゃねーか!」
「あら? 美味しそうなの飲んでるわねお兄さん。あとで頂戴な――ッて、それよりハイジアは? ハイジアはどこッ?」
キョロキョロと部屋を見回す。
そして俺の膝で漬物石になっているハイジアを見つけた。
「いた、いた」
ツカツカと寄ってきて俺からハイジアを奪い取る。
「あッ、ハイジアたんッ」
「ほら、ハイジア起きなさい! って重いわね、この子ッ! ほらほらッ」
パンパンと膨よかな頰を張ってハイジアを叩き起こす。
「ん、んえッ!? なんじゃッ、なんなのじゃッ!?」
「いいからほらッ、コレをお飲みなさいな!」
フレアが持参したポーション瓶をハイジアの口にスポンと突っ込んだ。
「んッ、んんんんッ!?」
いきなりのことに目を白黒させながらも、ハイジアは白い喉を動かしてポーションの中身を飲み干していく。
「ようやくわかったのよ! 最初の痩せポーションはね、失敗じゃなかったの! あれは吸血鬼用に調整できてなかったから逆効果になったんだって。そしてこれこそが『吸血鬼用、痩せポーション』! これでハイジアもおデブとはサヨナラよ!」
一気に捲したてるフレア。
その腕のなかでピカーッとハイジアが発光した。
パンパンに張っていた頰から――
タプタプにお肉を蓄えていた顎回りから――
樽のように膨れ上がっていたお腹から――
贅肉がこそげるみたいに落ちていく。
「こ、これはッ!? おぉ、妾が痩せておる! 元に戻っていくのじゃ!! おお……おおおぉッ……」
「…………す、凄いッ」
その光景に小都がゴクリと息を飲んだ。
「よし! 成功だわ!」
「おぉ……おおおぉッ……妾が元にッ…………!」
「やっぱりね! 吸血鬼用に調整したこのポーションなら大丈夫と思ったのよ。効きめ抜群ね! いやぁ、正直ホッとしたわよぉ」
「出来したぞ貴様ッ! 祝杯じゃ! 祝杯をあげるのじゃ!」
「よかったじゃねえかハイジアッ!」
「ふははははーーッ! 酒を持ていコタロー!」
「おうッ、つか任せろ!」
「コト! 貴様はアサリの酒蒸しを持ってくるのじゃッ!」
「…………ふぁい?」
間の抜けた声だ。
一同の視線が集まる。
その視線の向かう先には、小都がテーブルに置かれた痩せポーションの残りを飲む姿があった。
「――ちょッ、貴女ッ!?」
「んく、んく、んく…………ぷはぁッ!」
残った分を豪快に全部飲み干す。
「これで私も痩せられるんですよねッ」
「貴女それは吸血鬼用で、ヒトが飲むと逆効果に――」
「ほえ? あッ、か、体が熱くなってきました」
ぽよぽよと小都の体型が変化していく。
「ふはははッ、バカなのじゃ! バカがおるのじゃー!」
ハイジアが自分を棚に上げて馬鹿笑いする。
元のこじんまりとした体に戻って絶好調だ。
「あ、胸が大きく――って胸だけじゃなくて、お腹もッ、二の腕もッ。ど、どうなってるんですかー?」
「こ、小都……つか気をしっかりと持てよッ」
俺は姿見に小都を映した。
「ええええーーッ!? これはーーッ!?」
そこに映っていたのは、パンパンに膨れ上がったはち切れんばかりのおデブ。
「そんなッ、あれは痩せ薬なんじゃ――」
「あれは『吸血鬼用』よ! まったく……」
「ど、どうにかならないんですかッ?」
小都がフレアの腰に縋り付いた。
「ヒト用の痩せポーションをもう一度作ってあげるわ。……本当にもうハイジアといい貴女といい」
フレアはブツクサ言いながら縋り付く小都を引き剥がす。
「一から調合するから二、三日は掛かるわよ。それまではおデブさんのままで我慢しなさいな」
「そんなぁーーッ!!」
楽して痩せようなんて考えるからこうなる。
そんな言葉が口をつきそうになるがグッと堪える。
「そんなのないですよーーッ!!」
お相撲さんみたいになった小都の情けない声が響いた。




