56 お隣さんと異世界飲み会 煉獄の塔前編
お隣さん家の元コタツ部屋。
そこで小さな女騎士シャルルが肩を落としてしょぼくれていた。
「はぁ、…………なのです」
シャルルはテーブルに頬杖をついたりデロンと体を投げ出したりしている。
ちょうどいまも背中をまるめてため息をひとつ吐いた。
そんな様子にもともと小さなその体が、より一層小さく目に映る。
「おう、シャルル。……つかどうしたんだ?」
「あ、コタローさん。こんにちわ、なのです。……はぁ」
突っ伏したシャルルを眺めながら座卓に腰をおろす。
ずいぶんとまぁしょぼくれたもんだ。
「ふむ、よく来たな」
「コタローはこっちに座るのじゃ、ヒック」
「…………いらっしゃい」
「おう! 邪魔すんぜー」
部屋にはシャルルのほかにマリベル、ハイジア、ルゼルがいた。
みんなで昼間っから焼酎を飲んでいる。
どうやらマリベルは珍しくまだ素面のようだが、ハイジアとルゼルはもうかなり酔っ払ってるみたいだ。
「コタロー、お前も焼酎飲むだろう? ほら」
「おう、あんがとさん」
差し出された焼酎を受け取る。
氷も浮かんでいない、ストレートだ。
遠慮なくご相伴にあずかることにしよう。
「んく、んく、んく、ぷはぁ!」
のどがカッと熱くなる。
「おう、うめぇな! つか『海』じゃねーか」
「ああ、以前お前に教わった焼酎だ。しかしなかなかよい飲みっぷりではないかコタロー」
焼酎はよい酒だ。
特にこの芋焼酎はフルーティで爽やかだ。
香りと喉越しがたまらん。
ストレートで飲んだときの五臓六腑に染み渡る感覚がまた良い。
「おう! それよかどうしたんだ、シャルルは?」
頬杖をつくシャルルを横目に眺める。
やっぱり元気がない。
「シャルルか。それが実はだな――」
マリベルの説明はこうだ。
先日のデュラハンとの戦いでシャルルの剣が根元からポキンと折れてしまった。
そこでマリベルはシャルルを連れて、近所のスーパーへ新しい剣を調達しにいってきたらしい。
「そ、そうか……」
スーパーに剣とか置いてるわけないわなぁ。
まぁ包丁くらいならあると思うが。
「そうなのだ。残念ながらスーパーには剣は置いていなかった。そこで別を当たろうとしたのだが、あそこの商店街には、武器屋のひとつも見当たらなくてな」
「武器屋って、そりゃそうだろ。つかそれでシャルルはしょぼくれてるわけか」
「ああ」
まぁ騎士なのに剣をもってないとか様になんねーしなぁ。
つってもこの辺に武器屋なんざあるわきゃねーし……
さてどうしたもんか。
「……ふん、武器などいらぬのじゃ……ヒック」
思いを巡らせていると、ハイジアが横から口を出してきた。
その顔はもうすでに結構赤くなっている。
吐く息も酒くさい。
つかもう一押しでハイジアたんイケるかもしれん。
(…………狙うか?)
俺の脳裏によこしまな考えが浮かぶ。
「戦いなんぞは、こぶしで十分なのじゃ、こぶしで。シャルルは妾を見習うがよい。……ヒック」
ハイジアがグッとこぶしを握り込んだ。
ちっちゃくて可愛いこぶしだ。
こんなこぶしがあの凄い破壊力を生み出すんだから、なんつーかびっくりである。
ハイジアの隣では、ルゼルがうんうんと首を縦に振っている。
「…………戦いは、要は気合い。ヒック」
こっちもすでに結構酔ってるみたいだ。
酔っ払い特有の精神論を持ちだしてきやがった。
酔ったルゼルはスススとこちらまで寄ってきて、指先で俺のふとももに「の」の字を書き始める。
「ちょッ!? ルゼル、やめ――」
「この蝿女め! ヒック、コタローから離れるのじゃ!」
「…………いや」
ハイジアが空になったグラスでテーブルをタンッと叩いた。
ルゼルはハイジアを無視して俺にしなだれかかる。
さっきからほっぺたにルゼルの角が刺さって痛い。
「ハ、ハイジアさんもルゼルさんも、無茶をいわないで下さいなのです!」
「…………無茶じゃない。ヒック。…………気合いでガツンと叩けば、大体勝てる」
「そ、そんなわけないのです!」
「ヒック……なんとも惰弱じゃのう貴様は。んく、んく、ぷはぁ! ヒック」
つかルゼルもハイジアも滅茶苦茶いいやがる。
これだから脳筋は……
「おう、マリベル」
「ん?」
「つかそれで結局、剣はどうすんだ?」
なんなら俺のほうでちょっと考えてみるか。
いつまでも剣なしじゃあシャルルが可哀想だかんな。
金物屋さんに特注したらいけるかなぁ?
「いや、……一応もう代わりとなる武器は見つけたのだがな」
マリベルがチラと目線をシャルルに向けた。
その視線につられて、俺もシャルルの腰に目を向ける。
「おう、シャルル?」
「……はいなのです」
「つかその腰にぶら下げてるのはなんだ?」
シャルルは腰に棒っきれを引っ提げていた。
四角い角材みたいなやつだ。
「…………『ひのきのぼう』なのです」
「お、おう? なんて?」
「…………『ひのきのぼう』なのです」
ひ、ひのきのぼう?
つか剣の話だったよな、これたしか?
シャルルはぷるぷると肩をふるわせながら口を閉ざす。
そんなシャルルに代わってマリベルが口を開く。
「……商店街の工具店で手に入れた剣だ」
「いや、それ剣じゃねーだろ!」
思わず突っ込む。
「し、仕方なかろうが! 武器屋がないのだぞ、武器屋がッ!」
「それにしても棒切れ一本てのはねーだろ!」
「ならどうしろというのだ!」
「憐れすぎんぞ、シャルルが!」
なんでも檜の棒は三百円(税抜)だったらしい。
これなら鉄パイプやゴルフクラブのほうがまだマシじゃねーか……
「あ、そうだ!」
思いついた。
そういえば、俺んちにいいもんがあった。
「おう、シャルル!」
「……はい……なんなのですか?」
シャルルが恨めしそうに顔を上げる。
その顔はちょっと涙目で、肩がぷるぷると震えている。
なんつー憐れな。
「そんなしょぼくれんな! 俺んちにいい武器があんだよ!」
「ほ、ほんとなのですか、コタローさん!」
シャルルの表情がぱあッと華やいだ。
「どんなッ、どんな武器なのですか?」
「おう、ちょっと待ってろ!」
俺は自分ちへとひとっ走りした。
「…………で、これはなんなのですか、コタローさん」
「おう! 金属バットだ」
俺がとってきた武器はそう、――『金属バット』。
日本で入手できる武器のなかでは上位に入る打撃力を誇る武器だろう。
少なくともひのきのぼうよりはずっと攻守ともに優れているはずだ。
「き、金属バット……」
「どうだ? 気に入ってくれたか?」
シャルルはうつむいて肩を震わせている。
つか、もしかして気に入らんかったのか?
恐る恐る尋ねてみる。
「お、おう……つか『バールのようなもの』のほうがよかったか?」
「ふははは! ヒック。金属バット! よいではないかぇ! ヒック」
「…………金属バット、強そう。ヒック。殴り倒せる」
「な? そうだよな? そうだよな?」
酔っ払いふたりには好評だ。
やっぱり金属バットはイケてる筈だ。
俺は確信を深くする。
「き、金属バ……」
なぜかシャルルはまだ涙目だ。
うつむいてぷるぷると震えている。
「お、おう? シャルル?」
「ッ、う、うわあーーん! お姉ちゃーん!」
顔を上げたシャルルがマリベルに飛びついた。
マリベルは胸にシャルルを抱きとめる。
「うええー、みなさんが酷いのですーーッ!」
「ッとっと。……シャルル、ほら泣くな」
「う、うわあーーん! お姉ちゃーーん!」
珍しくしっかりとお姉ちゃんしてやがる。
マリベルは落ち着いた雰囲気だ。
頭をなでなでしてシャルルを慰めている。
なんとも仲のいい姉妹だ。
「ほらシャルル、な? そんなに泣くな」
「うわーーん! チラッ」
「まいったな、これは」
「お姉ちゃーーん! チラッ」
シャルルが泣きながらチラ見する。
視線の先にあるのはマリベルの腰にぶら下がっている聖剣デュランダルだ。
「チラッ」
「…………んあ?」
マリベルがシャルルの視線に気付いた。
でもどうやらマリベルはその視線をスルーすることにしたみたいだ。
「よしよし、泣き止めシャルル。まったく、しようのないやつだな」
「うわーん! チラッ」
「グッ……ほら、泣くなシャルル」
「うええぇー、チラッ」
「そ、そうだ! 私がそのうち良い剣を見つけてやるから! なッ?」
「うわーん! 良い剣ならもうそこに……チラッ」
シャルルが何度もマリベルの聖剣をチラ見する。
そのたびにマリベルはウッとうめく。
「うッ……こ、これはやらんぞ?」
「うええーん! チラッ……お姉ちゃーん! チラッ」
「んあッ……」
マリベルがたじろぎ始めた。
シャルルは瞳を潤ませてマリベルを見上げる。
「うわーん! お姉ちゃーん、チラッ……うるるきゅーん、チラッ」
「ぐッ……か、かわ、……なんと可愛い妹よ!」
シャルルは抱きついた腕にぎゅっと力を込めた。
捨てられた子犬のような視線でマリベルを見る。
「……ん、……んあぁ」
マリベルは辛抱たまらん顔だ。
口がもう半開きになっている。
震えるその手が腰の聖剣に伸びた。
「い、いや、この剣はッ! だ、だがしかし……」
頭をふって思いとどまる。
「うええぇ、お姉ちゃーん! うるるきゅーん」
悩むマリベル。
シャルルは姉の聖騎士に抱きついたまま、瞳を潤ませ続ける。
子犬みたいに「キューン……」なんて弱々しく呟いた。
えげつないあざとさだ。
一方のマリベルは聖剣をむしり取られる寸前で、口を開けて「んあぁ」と漏らしながらもなんとかギリギリ耐えている。
「いったい何をしておるのじゃ、こやつらは、ヒック」
「…………さぁ? ヒック」
「うぅ……ぐすッ。お、お姉ちゃん……これ」
「くぅッ、……な、なんだ?」
「はい、なのです」
シャルルがそっと『ひのきのぼう』をマリベルに差し出した。
「うるるきゅーん……交換、なのです……」
「ぐッ、……し、仕方あるま――」
マリベルが腰の聖剣を外した。
シャルルがニヤリと口角を釣り上げる。
そのとき――
「話はすべて聞かせてもらったわ!」
元コタツ部屋のドアがガチャッと開かれた。
そこから赤く大きな魔女帽子を被った女魔法使い、フレアが部屋に顔を出す。
「人類は、滅亡するッ!」
「ヒック。いきなりなんじゃ、貴様は?」
「…………あたま、大丈夫?」
「じゃなかった!」
フレアがコホンと咳払いをする。
「話は聞かせてもらったわ! 任せなさい! 剣ならあるわよッ!」
その日の夕方。
俺たちはお隣さん家のリビングに集合していた。
ちなみに居並ぶ面子のなかにハイジアとフレアの顔はない。
あの酔っ払いふたりは酒をかっ食らったあとにゴロンと寝てしまって、いまも元コタツ部屋でいびきを掻いている筈だ。
そして酔い潰れたそのふたりに代わって、目の前には大家さんと杏子の姿がある。
杏子は今日もモコモコマフラーを巻いて、ぬる燗のコスプレ姿だ。
『剣ならあるわよッ!』
俺たちはそういったフレアに話を聞いてみた。
なんでもフレアは異世界で以前、凄い宝剣を手に入れたことがあるらしい。
『おう。つかそんな凄え剣、どうやって手に入れたんだ?』
『北の方にある極寒の塔ってトコの管理人で、ソフランって氷の魔女がいるんだけどね。飲み比べの勝負で、あの子が後生大事にしまっていた氷の宝剣を巻き上げてやったことがあるのよ!』
なんとも酷い話である。
しかも巻き上げたその宝剣は一度も使われずに、フレアの管理する西方『煉獄の塔』の宝物庫に放り込まれたままだというのだから、なおのことタチが悪い。
俺は見ず知らずの魔女ソフランさんに少し同情した。
『そ、それでフレアさん! その剣をくれるのですか!?」
『ええ、あげるわ! ちょうど召還陣のマナもたまったことだし、ちょっと塔にかえって剣をとってきてあげるわよ!』
フレアの言葉にシャルルはキラキラと目を輝かせた。
そのすぐうしろで、マリベルがホッと胸を撫で下ろしていた。
「それじゃあ確認よ!」
フレアが召還陣に集まった俺たちを見回す。
「行き先はレノア大陸、その四方の守護を司る賢者の塔のひとつ、西方『煉獄の塔』!」
「うっひょー! キタ、キタ、キターーッ!」
大家さんの目が輝いた。
「異世界転移の時間は半日ほど! それが過ぎると自動的にこちらの世界に戻されるわ!」
見送りの黒王号とユニがヒヒーンといななく。
「転移するメンバーはお兄さん、おハゲさん、アンズにあたし! 一度に四人までだから定員ピッタリね」
「ああッ、楽しみだーーッ!」
大家さんが飛び跳ねる。
「もうお父さん、ちょっとうるさいー」
杏子がそわそわとし始めた。
首に巻いたデッカいマフラーが暑苦しいことこの上ない。
「目的は塔から氷の宝剣を持って帰ること。いいわね!」
「おう! 了解だ!」
準備は万全。
酒も肴もたっぷりもった。
後顧の憂いはなしだ!
「うわー! 楽しみだねぇ! ドキドキが止まらないよッ!」
「フレアさーん! 今度はハイジアさんの森のときみたいに怖い場所じゃないんですよねー?」
大家さん親子は楽しそうだ。
かくいう俺もワクワクしている。
異世界転移は冒険。
男はいくつになっても冒険が大好きなのだ。
「みなさん! それでは剣のこと、よろしくお願いしますなのです!」
「おう、任せとけ!」
「ほんとうなら、わたしもみなさんと一緒に行きたいのですけど……」
シャルルは定員オーバーで留守番。
見送りのマリベルがシャルルの肩に手を添える。
「そう心配気な顔をするなシャルル。剣はコタローらに任せておけば問題はない」
そういうマリベルはシャルルから見えないように聖剣デュランダルを背に隠している。
「任せておくれ、シャルルちゃん!」
「そうですよー。異世界観光のお土産ですー!」
「つか、木刀じゃねーんだから」
出発を前にして俺たちはちょっと浮かれ気分だ。
そんななか、俺はあることが気になってフレアに確認してみた。
「おう、フレア! たしかその塔にいけば『ポーション』が大量にあるんだったな?」
「ええ、たくさんあるわよー」
――ポーション。
夢のファンタジーアイテム。
今回の俺の個人的な目的はそれだ。
「おう、ならオッケーだ!」
「ん? 虎太朗くん、ポーションでなにをするつもりなんだい?」
なにをするか。
そんなことは決まっている。
「つかわかんねーか? 杏子ちゃんも?」
「う、うん。わからないねぇ」
「あ、私もわかりません。それでポーションでなにをするつもりなんですかー?」
俺の目的、それは――
「おう! 『焼酎のポーション割り』だ!」
途端にふたりの瞳に理解の色が浮かんだ。
揃ってワクワクし始める。
「うっは、それだ! それいいね、虎太朗くん!」
「ポーション割り!? やってみたいです!」
「おう! だろッ?」
「うっほー! ポーションってどんな味なんだろうね? 炭酸水みたいな感じかなぁ? ならウィスキーを割るのに使うのもいいかもしれないッ!」
「スーッと爽快な味かもしれません! だったら泡盛なんかと合わせると、さんぴん茶割りみたいな感じになったりして!」
夢が膨らむ。
俺たちはわちゃわちゃと騒ぎだす。
そうしていると小さな人影がこちらに飛んできた。
その影はリビングに住まう妖精さんのひとり、疾風のハピネスだ。
ハピネスは蝶の羽をパタパタさせながら飛んできて俺の肩に座った。
「ねえねえ。ヒト族のお兄さん!」
「おう、ちんまいの! どうした?」
「これッ、アロマさまからだよー」
見ればハピネスはその手に『聖樹の葉』を何枚か持っている。
こいつは煎じて飲めば、どんな怪我もすぐに治る凄え葉っぱだ。
「つかこれ、もらっていいのか?」
「ええ、どうぞー」
「おう、あんがとよ!」
「どういたしましてー。あ、それとアロマさまから伝言よ! 『ヒト族のあなた。気をつけてお行きなさい。あなたごときの命といえど大切な命には変わりがないのですから、無駄に散らしたりはしませんよう。万一のときはこの葉を使うのですよ』」
ハピネスが妖精姫アロマの真似をしながらツンとすまし顔をする。
俺はその言葉とハピネスの様子に苦笑いする。
まったく相変わらず口の悪い姫さんだぜ。
「おう、アロマに礼を言っといてくれ! また今度、アンタらみんなに美味え酒飲ませてやるかんな!」
「ほんとー? やったぁ!」
ハピネスが俺の肩や頭で小躍りをした。
「それじゃあ、転移するわよ! さ、召喚陣の上にお乗りなさいなー」
フレアに促されるままに召喚陣の上に立つ。
「コタロー! 大家殿にアンズも気をつけてな」
「怪我とかしないようにして下さいなのです!」
「おう! つかポーション土産に持って帰ってきてやっからな!」
「みなさん、いってきまーす!」
「いってくるよ! 黒王号もお土産持って帰るからね!」
フレアが召喚陣を起動した。
召喚陣から淡い光が漏れ出し、徐々に輝きが強く増していく。
「いってらっしゃいー」
見送るその声を遠くに聞きながら、俺たちは召喚陣に吸い込まれた。
――――暑い。
まず最初に感じたのはそれだ。
硬い地面に倒れ伏した俺はゆっくりと目を見開く。
(…………赤い)
次に感じたのはそれだ。
薄眼を開いてみると、目に飛び込んでくるのは赤茶けた土の色。
コポリ、と音がした。
音のする方向を眺める。
体についた土をパンパンと手で払って体を起こし、立ち上がる。
「…………お、おおう」
思わず声が漏れた。
「つ、つか凄えな……」
立ち上がった俺の目に飛び込んできた風景。
それは視界いっぱいに広がる赤い大地。
鮮やかに赤く光る溶岩が至るところで流れ出し、所々に血溜まりのような真っ赤なマグマの池を作り上げている。
またコポリと音がなった。
溶岩の泡が弾ける音だ。
今度は背後から。
俺は音のしたほうを振り返る。
「あら、気付いたのね、お兄さん」
「お、おう、フレアか」
振り向いた先では赤の魔法使いフレア・フレグランスが、ゴツゴツとした岩に腰をかけてこちらを眺めていた。
「さ、じゃあお兄さん! おハゲさんとアンズも起こしちゃうわよ。お兄さんはおハゲさんをお願い」
「おう!」
キョロキョロと辺りを見回すとキラリと光るものを見つけた。
大家さんのハゲ頭だ。
うつ伏せに倒れた大家さんに近づき、体を揺さぶって起こす。
「おう! 大家さん、起きろ!」
「…………ん、んん」
「起きろ! 大家さんの大好きな異世界っすよ!」
「ッ!? 異世界ッ!?」
大家さんが跳ね起きた。
キョロキョロと辺りの風景を見回しては目を丸くしている。
「おう! 目が覚めたか?」
「キ、キターー! キタ、キタ、キタ……キターーッ!」
飛び跳ねてはしゃぐ。
いきなりテンションマックスだ。
相変わらず元気なオッさんである。
「おう、落ち着け大家さん!」
「うっひょー! こ、これが落ち着いていられるかい! なんて凄い光景なんだ! なんだかレッドドラゴンとか出てきそうだね! いや、マグマからすごい怪物が現れたりして! いやはや、それにしても暑いねぇッ!」
凄え楽しそうだ。
ハゲ頭に玉のような汗を浮かべ、目をキラキラと輝かせてはしゃぐ中年の姿は正直ちょっと引くものがある。
つってもまぁ気持ちはわからんではない。
なんつったって、ここは異世界だかんな!
「おハゲさんも起きたのね。こっちもアンズを起こしてきたわよー」
フレアが杏子を連れて戻ってきた。
これで全員集合だ。
見れば杏子は額から滝のような汗を掻いている。
「あっつ……あっついですねー。……はぁ、はぁ、ほんともう、倒れそうですよー」
「そりゃそうだろ。つか杏子ちゃんはまずその暑苦しいマフラーを外せ」
「だ、ダメですよー! これ外したら、なし凸ちゃんじゃなくなっちゃうじゃないですかー!」
よく分からんが、なんかこだわりがあるらしい。
杏子のことは取り敢えず放っておこう。
「それで、それで! それでフレア殿ッ! 『煉獄の塔』っていうのは、どこにあるんだいッ!?」
フレアが下顎に指を添える。
「……それが、ちょっとおかしいのよねぇ」
「ん? つか、どうかしたのか?」
「いえね、たしかに塔の前に転移するようにした筈なんだけど、転移したこの場所って、少し塔から離れちゃってるのよね」
……ほう。
たしかにグルリと見回しても、パッと見だと近くに塔らしき建物はない。
「ほら、遠くのあれが塔なのよ」
フレアの指し示す先を眺める。
するとそこにはうっすらと塔のシルエットが浮かんでみえた。
「あー、ホントだ。ちょっと遠いですねー」
杏子が汗を拭う。
「つか暑そうだな杏子ちゃん」
「は、はい………はぁ、はぁ」
「なんならビール飲むか? いまならまだキンキンに冷えてんぞー」
「あ、いただきます! はぁ、はぁ」
杏子は俺から受け取った缶ビールのプルタブを引き上げ、ゴクゴクと喉を鳴らしてのんだ。
「ぷはぁ! 生き返るー!」
「なになに、お兄さん、アンズだけ? あたしにも一本ちょうだいな!」
「もちろん私もだよ!」
「おう! ジャンジャン飲んでくれ!」
やっぱり暑いときは冷えたビールに限るな。
手提げクーラーボックスに保冷剤たっぷり詰め込んで持ってきたのは正解だったようだ。
俺たちは灼熱の溶岩地帯で早速いっぱいやり始める。
「それはそうとみなさん。これからどうしましょう?」
「歩けない距離じゃなさそうだし、とにかく塔まで行ってみようじゃないか!」
「んー、そうね。ひとまず塔まで歩きましょうか。貴方たち、あたしについて来なさいな!」
「おう! 了解だ!」
まぁここでビール飲んでるだけじゃ仕方ないしな。
俺たちは赤茶けた溶岩の大地を、缶ビールを片手にマグマの川を避けながら歩きだした。




