50 お隣さんとぶり大根
トンテンカン――
トンテンカン――
広大なリビングにトンカチを振るう音が響き渡る。
「おう、何やってんだ、大家さん?」
ビール片手にリビングへとやって来た俺は、もう一方の手に持った缶ビールを大家さんに差し出した。
「こりゃあ悪いね、虎太朗くん」
「随分と根を詰めてるみたいっすね。つか、一休みしたらどうだ?」
「ふむ、そうだねぇ。じゃあそろそろ一休みしようかな」
大家さんはトンカチを床に置く。
そして俺が渡した缶ビールのプルタブを引き上げ、喉を鳴らして旨そうに飲み始めた。
「ぷはぁ! 働きながらのビールは普段より美味しいねぇ!」
「おう! で、結局何をしてたんだ?」
「うん、これかい? これはねぇ馬小屋だよ」
大家さんが指差すそこには、簡素な木組みの馬小屋があった。
木の囲いに簡単な屋根がついたものだ。
「このリビングって広い上に見晴らしが良すぎるだろう?」
大家さんはリビングを見渡しながら話す。
「これじゃ黒王号も落ち着かないんじゃないかと思うんだ」
「あー、かもなぁ」
「だから簡素でもいいから、ちょっとした囲いと屋根のある馬小屋を黒王号に建ててあげようかな、と思ってね」
「ブルルン、ヒヒーン!」
黒王号が嘶いてその巨体を大家さんに寄り添わせる。
唇を嬉しそうにイーッと剥いて、大きな舌で大家さんの顔を舐めあげた。
「あはは、こら黒王号。やめないかいー」
「ブルッフ、ブルヒヒーン!」
「ははは、黒王号も嬉しいんだってよ!」
俺はそう言いながら手に持った缶ビールを傾け、ゴクリゴクリと喉を潤す。
すると背後からパカラッパカラッと蹄の立てる音が聞こえてきた。
「その話、ユニにも馬小屋を建ててあげたいのです!」
「おう、シャルルか。ユニも調子よさそうだな」
一角獣のユニに跨がったシャルルだ。
ビールを煽る俺を馬上から見下ろした後、シャルルは華麗に身を宙に躍らせて地面へと着地した。
「やぁシャルルちゃん。ユニにも馬小屋を建ててあげるのかい?」
「はい! 大家さん、一緒に作業させてもらってもいいですか?」
「うん、勿論いいよ! 馬小屋二つとなると材料はちょっと足りないけど、少しずつ建てていこうね」
「わー! ありがとうなのです!」
「おう、なら俺もなんか手伝うわ!」
ユニも何だか嬉しそうだ。
馬上から降りたシャルルは、ユニの白く輝く見事な体躯にブラシを掛け始めた。
ユニが気持ち良さそうに目を細める。
シャルルはそんなユニの姿を、黒王号が羨ましそうに眺めていることに気付いた。
「黒王号もこっちに来るのです。ユニと一緒にブラシを掛けてあげるのですよー」
「ブルルン、ヒヒィ!」
黒王号が大家さんの元から離れて、ユニに並ぶ。
「はーい、ユニも黒王号も仲良くそこに並ぶのですよー」
シャルルが二頭にブラッシングを始めようとする。
しかしユニが動く。
ユニは黒王号のお尻を額から生えた見事な一本角で突き刺した。
「ブヒンッ!?」
「ブルルゥ、ヒヒヒーン!」
「あッ、また!? こらー、ユニ! 黒王号を刺しちゃダメなのです!」
刺された黒王号は涙目だ。
ちょっとお尻から血が滲んでいる。
刺したユニはそっぽを向き知らぬ顔である。
「あー、つかこりゃあ相当根に持ってやがんなぁ」
「そうなんだよ、虎太朗くん。この二頭は最近はいつもこんな感じでねぇ……どうにか仲良く出来ないものかなぁ」
一角獣のユニはリビングに召喚されてきたその日、危うく二角獣の黒王号に退治されてしまうところだった。
そのことをユニはまだ根に持っているのだ。
それで今し方そうした様に、大家さんやシャルルの目を盗んでは、黒王号をその一本角でチクチクと突き刺している。
「ところでほかの皆さんはどうしているのですか?」
ユニをメッと叱ったあと、シャルルが尋ねてきた。
俺はその問いに缶ビールを煽りながら応える。
「おう、アイツらなら酔い潰れて寝てんぞー」
「ありゃー、そうなのですか」
俺はつい先ほどまで元コタツ部屋で酒盛りをしていた。
メンツはマリベル、ハイジア、フレアにルゼル。
つまりシャルルを除くお隣さんメンバー全員だ。
「シャルルもちっとくらい顔を出したら良かったんじゃねーか?」
「うーん、今日はユニ優先なのです。ここの所構ってあげられなかったから何だか拗ねちゃって」
大家さんも同じ理由で酒盛りに参加しなかった。
だから俺はみんなが酔い潰れてから、酒を持って改めて二人を飲みに誘いに来たという訳だ。
「大家さんは缶ビールでいいっすか?」
「うん、ありがとう虎太朗くん」
「あ、わたしもブラッシング終わったら参加していいですか?」
「おう、もちろんだ!」
こうして河岸を変えての飲み会がリビングで始まった。
「お姉ちゃんの日本酒棚から、お酒を一本がめて来たのですよー」
「おう! でかしたシャルル!」
「で、誰か起きたかいシャルルちゃん」
小さな女騎士シャルルが、その体には不似合いに大きな一升瓶を抱えて戻ってきた。
「ダメなのですよー。皆さんもうぐっすり。揺すっても叩いても起きないのです」
「そっかぁ、じゃあ仕方ないね」
「おう、ちと人数は少ないが引き続き三人で飲むとするか!」
俺はシャルルが持ってきた日本酒を受け取る。
銘柄は『上善如水』。
いつだったかもみんなで飲んだ事がある、女性にも飲みやすくて人気の日本酒だ。
「ハイジアさんなんて『コタリョー、わらわはー、わらわはー』なんて寝言を言いながら寝てたのですよー」
「あぁ、つかハイジアのヤツもかなり飲んでたからなぁ」
話しながらグラスに酒を注いでいく。
無色透明な透き通った日本酒がグラスに満たされていく。
俺とシャルルは日本酒、大家さんはビールで乾杯だ。
「んじゃ改めまして、かんぱ――」
グラスを掲げようとした時、リビングのドアがガチャッと開かれた。
俺たちは一斉にドアの方を振り向く。
「……あ、小都?」
振り返った先には小都が立っていた。
「あれって確か、……虎太朗くんの元交際相手の?」
「あー、コトさん! いらっしゃいなのです!」
小都は目を点にして、口をぽかーんと開けながら突っ立っている。
小都の足下で一匹のイケメン猫が「ナオーン」とひと鳴きしてから、どこかへ立ち去っていった。
「おう、小都! そんなとこで突っ立ってないでこっち来たらどうだ?」
「こ、こ、こ――」
「こ?」
「これはーーッ!!??」
小都は急に大声を上げたかと思ったら、早足でこちらまで歩いてきた。
俺の肩を掴んでガクガクと揺らす。
「こ、こ、こ、虎太朗先輩! こ、これは一体何なんですかッ!?」
「お、おう、落ち着け! 落ち着け、小都!」
「お、おお、落ち着いてます! わ、私は落ち着いてますよ!?」
「いや絶対落ち着いてないから! とにかく揺らすな! 酒が回る! ……うぇっぷ」
そんな俺と小都とのやりとりを眺めながら大家さんとシャルルは酒を楽しむ。
呑気なもんだ。
「まぁ、誰だって最初はこうなるよねぇ」
「ってあれれ? 小都さんはリビングの事、知らなかったのですか?」
「そうみたいだねぇ」
そうして小都が落ち着くまで、俺はひたすら揺さぶられ続けた。
小都を交えた俺たち四人は、リビングの床に座布団を敷いてその上に座る。
「はあぁ、まさか本当に異世界の方々だったなんて……」
「おう、やっと理解してくれたか、小都」
俺は揺さぶられて気持ちの悪くなった胸を押さえながら話す。
気持ち悪さが胃の底からこみ上げてくる。
「理解……理解はどうなんでしょう? けれども、とにかく納得はしました」
「小都殿が驚くのも無理はないよ。私だって最初は腰が抜けるほど驚いた」
大家さんが旨そうにビールを煽る。
しかし肴がなくて少し口が寂しそうだ。
「……私はてっきり皆さん、コスプレ好きな外国の方々かと」
「コスプレではないのですよー」
女騎士シャルルがシャキーンと剣を抜いた。
鋭く磨がれた両刃の剣がキラーンと光る。
「そ、そんな物騒なものは仕舞ってください!」
「ご、ごめんなさいなのです」
シャルルはそそくさと剣を鞘に仕舞った。
「それより小都は何しに来たんだ?」
「『何しに来た』とはご挨拶ですね、虎太朗先輩」
「お、おう、すまんな」
「ふふふ、冗談ですよ。あれです。ちょっとお料理を作り過ぎちゃったもので、お裾分けにと思いまして」
小都が持参したバッグからタッパーを取り出した。
「先輩のお部屋のチャイムを押したのですけどご不在で。そうして困っていたら不思議なイケメンの猫さんが、こちらのリビングまで案内してくれたんです」
話しながら小都は手を動かす。
タッパーの中身が皿に移し替えられた。
「つか、これは……」
「えへへ、先輩好きだったでしょう? 『ぶり大根』ですよ」
脂の乗った鰤のあらと食べ応えのありそうな切り身。
琥珀に色付いた大根が食欲をそそる。
「おう、小都の作ったぶり大根か! くぁ、久しぶりだなー! こいつぁ嬉しいねぇ!」
小都の作るぶり大根はすこぶる旨い。
俺もそこそこ料理は出来る方だが、和食の腕では正直小都には到底敵わない。
付き合っていた頃も和食は小都、それ以外は俺、と料理の住み分けがされていた程だ。
「……シャルルちゃん、ねぇシャルルちゃん。どう思うかい?」
「……ぁ ゃ ι ぃ のです」
「だよねぇ」
「これ、絶対作りすぎた訳じゃないのです」
「胃袋を掴みに来てるよねぇ」
大家さんとシャルルが何かコソコソと話している。
だが俺の目はぶり大根に釘付けだ。
「つか小都! 早速食っていいか!?」
「もちろんですよ、先輩! あ、他の皆さんもよろしければどうぞー」
「あ、でも先に温め直した方がいいか」
俺はぶり大根が盛られた皿を持って、キッチンに向かった。
琥珀色の大根に箸を伸ばす。
よく煮込まれた味の染みた大根だ。
箸を沈めると、抵抗なくホロリと大根が崩れる。
俺はホクホクと湯気を立てる大根にフーフーと息を吹きかけてから、パクリとそれを口に含んだ。
途端に甘辛い煮汁が大根から染みだし口いっぱいに広がっていく。
「……あっふ、うまッ!」
少し濃い口の味付けが酒の肴に丁度良い。
俺は冷やの上善如水に手を伸ばして口腔に残る余韻を洗い流していく。
そうして喉を潤すと、直ぐにまたぶり大根に手を伸ばす。
今度は大根とあらを一緒くただ。
脂の乗ったあらと鰤の出汁をたっぷり吸い込んだ大根は相性抜群だ。
俺は確かな満足感を感じながら、ぶり大根を日本酒で胃に流し込んでいく。
「ふふふ、虎太朗先輩ったら、そんな慌てて食べなくてもいいんですよ?」
「おう! でも久しぶりの懐かしい味だかんな、箸が止まらん!」
「…………なんだかこうしてると、昔に戻ったみたい」
グラスを空けた俺に小都が酌をしてくれる。
「つか、昔はお酌してくれなかっただろ。『お酒は嫌いです!』ってな」
「……そうでしたっけ?」
「おう、そうだったぞ」
小都がクスクスと微笑み、俺がうははと笑い返す。
そんな俺たちを遠巻きに眺める二人がいた。
「大家さん、ねぇ大家さん。どう思うのですか?」
「これは小都殿の激しい攻勢だねぇ」
「なのです! 『昔に戻ったみたい』だなんて、魂胆丸見えなのです」
「まぁここは黙って行く末を見守ろうじゃないか。虎太朗くんも満更じゃないみたいだしね」
禿げたオッさんと小さな女騎士は、身を寄せあってコソコソと話し合う。
そんな二人の方を小都が振り返った。
微笑みは絶やさずニコニコとした顔でだ。
「そちらのお二人も、こちらに来て一緒にどうですか?」
「……お、お邪魔じゃないのですか?」
「邪魔だなんてとんでもないですよ。さぁどうぞ、こちらに来て召し上がって下さい」
「う、うん。なんか申し訳ないけど、それじゃあ遠慮なくいただくよ!」
二人がやって来た。
だが若干腰が引けている。
けれどもなんだかんだで肴に飢えていた二人は、早速とばかりにぶり大根に箸を伸ばした。
「美味しい! これ美味しいねぇ小都殿!」
ぶり大根を一口頬張った大家さんは驚きの表情を浮かべる。
「だろ!? 小都の作る和食は、料亭顔負けの旨さなんだぜ?」
「もう、先輩ったら……それほどじゃないですよ。さ、先輩もどうぞ沢山召し上がって下さいね? あ、あと大家さんも」
「うん、いただくよ! 将を射んと欲すれば先ずは馬からだよね!」
「うふふふふ……なんのことでしょう?」
「大丈夫! 虎太朗くんはニブチンだから、なーんにも気付いてないみたいだよ?」
「はぁ? アンタら何を話してんだ?」
小都が笑顔で冷や汗を拭う。
大家さんはそんな小都にウィンクをしながら親指を立てている。
小都は何かを誤魔化す様に視線を彷徨わせてから、シャルルに声を掛けた。
「えっと、シャルルちゃんでいい? シャルルちゃんはぶり大根どうかしら?」
ぶり大根を一口食べて固まっていた小さな女騎士は、小都の言葉に反応してグルリと首を回す。
口を半開きにしたまま目を大きく見開いたその表情は、正直ちょっと恐ろしい。
「え、えっとシャルルちゃん? お口に合わなかった?」
「お口に合わないだなんてとんでもない! これは正に琥珀に輝いた宝石が如き料理なのです! まずは全体的な味付け! 醤油やみりんで味付けされた美味しい煮汁に鰤のあらから沁みだした出汁が加わって甘辛いだけじゃない味の深みが実現されているのです! しかもその煮汁をじっくりコトコト煮込んだ大根に吸わせることによって、本来パサつきがちな鰤の切り身に潤いを持たせている。さらにあらを入れることで出汁だけじゃなく脂の旨みや潤いまでもが料理に追加されているのです! なんて無駄のない合理的な料理! 濃い甘辛いお味は日本酒の肴にも打って付け! ほくほくと湯気を立ち上らせる大根と鰤を一緒くたに頬張ればたちまち気分は花の金曜日! 何かに操られるが如く各々が好き勝手に酒、鰤、大根と手を伸ばせば最後にはみんなが幸せになっている! これこそ正に神の見えざる手と言っても過言ではないのです!」
「…………え、ええ、そうね」
小都は引き気味に応えた。
ぶり大根を摘まみ、俺たちは酒を飲む。
小都は酒には口をつけていないが、他のみんなはいい感じに酔っ払ってきた。
小都も大家さんやシャルルと随分打ち解けてきたみたいだ。
「コトさんはお酒は飲まれないのですかー?」
シャルルが小都に尋ねた。
小都は人差し指と親指であごを挟んで少し考える素振りを見せる。
小都は酒が苦手だ。
酒乱の親を見て育った影響で、酒が好きではないのだ。
俺は勧められた酒を断るだろうと当たりをつけながら、二人のやりとりを眺めていた。
「……んっと。……ん、では私も少しだけ頂きます」
小都はそういって差し出されたグラスを受け取った。
「えへへ、そうこなくっちゃなのです!」
シャルルが小都のグラスに酒を満たしていく。
「この『上善如水』は女性の方にも人気の日本酒なのですよー。果実みたいに甘くてお水のように飲みやすいのです」
小都がグラスに口をつけ「ん……」と吐息を漏らしながら酒を口に含んだ。
細いのどを鳴らしてその液体を飲み込む。
「……ぷは。へぇ、案外飲みやすいんですね」
俺はそんな小都の様子に目を丸くする。
「……な、なぁ小都。アンタ、酒……」
小都は驚く俺を振り返って、頬に手を当てて恥ずかしそうに微笑む。
その頬はほんのりと上気している。
「ええ、下戸という訳ではないですし、色々と思うところもありまして……」
「思うところ?」
「はい。私と虎太朗先輩が別れたのって、私のお酒嫌いが原因だったじゃないですか」
「……まぁ、そうかもな」
「それで思ったんですけど、先輩はあの人みたいに酔って暴れた事なんてなかったですし、いっつも楽しそうに酔っ払ってただけ。……だから、私が嫌うべきはお酒そのものじゃなくて、お酒に飲まれる人なんじゃないのかなぁって」
「……そうか」
あれから小都も色々と思うことがあったらしい。
ふむ、『酒そのものじゃなく、酒に飲まれる人が悪い』か……
――やばいな。
お隣さん家にはマリベルを筆頭に、酒に飲まれる類いの酒飲みしかいない。
だがまぁそれはそれ。
いやな予感がするが、今は小都が酒に対する態度を緩めてくれた事を素直に喜ぼう。
「ねぇ虎太朗先輩。こんな私ですけど、一緒にお酒を飲んで頂けますか?」
小都が不安げに瞳を揺らす。
俺はそんな小都のグラスに酒を注ぎ足す。
「おう、もちろんだ!」
小都がほっと胸をなで下ろした。
「じゃあ俺が小都に、大人の酒の飲み方ってモンを教えてやるぜ! 大家さんもシャルルもグラスを持て! さぁこっから乾杯のやり直しだ!」
そういって俺は、自分の持つグラスを小都の持つグラスと重ね合わせた。




