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47 お隣さんと山芋の鉄板焼き

「おーう、邪魔してんぞー!」


 お昼前。

 お隣さん家のリビングに顔を出すと、ちょうどシャルルがユニコーンの世話をしていた。


「あ、コタローさん。いらっしゃいなのです!」


 ユニコーンはよくシャルルに懐いている。

 シャルルが体を撫でると嬉しそうにブルルと唇を震わせて、額をシャルルに擦り付ける。


「もうユニったら、えへへ。ジッとしているのですよー、えへへへ」


 額を押し付けられたシャルルは嬉しそうだ。

 ついでに体に一本角が何度も突き刺さっているが、そんな痛みなど何のそのである。

 念願の馬、それも超有名どころのユニコーンを手なづける事が出来てご満悦なのだろう。


「おう、シャルル。『ユニ』っつーのはそのユニコーンの名前か?」

「はい、そうなのです!」

「そりゃまたえらく直球なネーミングだなぁ」


 背後から声がかけられる。


「良いではないか。『ユニ』、私は気に入ったぞ」


 俺の背中側からマリベルがひょっこりと姿を現した。

 マリベルはそのまま俺の背を追い越し、シャルルと並んでユニコーンの体を撫でる。


「よろしくな、ユニ。私はこのシャルルの姉で、竜殺しの聖騎士マリベルだ」


 マリベルの自己紹介に、ユニは嬉しそうに「ブヒヒン」と頰を震わせていなないた。


「しかし何だな。大家殿は黒王号、シャルルはユニと、二人も己の愛馬を手に入れたとなると、これは私も一頭、自分の騎馬が欲しくなってしまうな」


 マリベルはそう言いながら物思いに耽る。

 腕を組み、頭を傾げて「やはり私にはスレイプニルだろうか」なんてブツブツと呟いている。


 俺はそんなマリベルを横目に、チラリと黒王号を見遣った。

 黒王号も少し離れた場所でこちらを見ている。

 しかし、どうもその様子はシュンとしている。


「……つか、黒王号の元気が無いみたいだが、どうしたんだ?」

「黒王号はここ二、三日大家さんが顔を出していないから元気がないのです」

「そうか。つか、シャルルは構ってやらないのか? ユニを構うついでに」

「うーん、ユニを踏み殺そうとした罰なのです! しばらく黒王号は構って上げないのです!」

「そりゃまた殺生な」


 俺たちが温泉旅行からが戻ってきたとき、リビングに召喚されてきたユニは、黒王号に組み伏せられていた。

 シャルルが慌てて止めに入らなければ、ユニはそのまま黒王号にトドメを刺されていた事だろう。


 そのことをユニもシャルルも根に持っている様子なのだが、そりゃ黒王号にすれば酷ってもんだ。

 黒王号からすれば言い付け通りに、しっかりとリビングを守っていただけだからな。


「おう、黒王号! 元気だせ!」


 俺はそう言って黒王号のそばに寄り、その黒光りする立派な体躯を撫でてやった。

 黒王号は「ブルル」と鳴いて頭を低く下げ、上目遣いで俺を見上げる。


「つか大家さんも、軟禁が解けたらまた直ぐに会いに来てくれっから、な!」


 俺は黒王号を元気付ける。

 大家さんはただいま絶賛軟禁中だ。


 無断で外泊、温泉旅行に行ってきた大家さんは奥さんのお怒りに触れ、しばらく軟禁状態にされているらしい。

 俺は先日奥さんの隙をついて掛けてきた大家さんの電話で現況を知った。


『……と、そういう訳で暫くは家から出られそうにないんだよ。でも必ず家内の隙をみて脱獄するから! 必ずだ! って、ヒィッ、か、家内が、言った先から家内が近づいてくる! 電話がバレた! お、恐ろしい……家内が、家な――』


 そんな電話だ。


 一体大家さんの奥さんってのはどんな人なんだろう。

 怖いもの見たさで一度会ってみたい気もする。


「まあ、それはともかく、酒でも飲もうぜ!」

「うむ、そうだな!」


 俺が缶ビールがパンパンに詰まったビニール袋を元気よく掲げると、マリベルがそう首肯した。




 コタツ部屋にはフレアとニコがいた。

 一人と一匹で仲良くワインを分け合いながら飲んでいる。


「おう、フレアにニコ。俺たちも仲間に入れてくれ!」

「ニャーオ」

「あら、いらっしゃいお兄さん。おはようマリベル」

「うむ、おはよう。ってもう昼だがな」


 俺とマリベルは炬燵に腰をおろす。


「ハイジアとルゼルは、やっぱりまだ寝てんのか?」

「ええ、そうね。それで貴方たちは、シャルルとは一緒じゃないのかしら?」

「ああ、シャルルはまだリビングだ」

「つか誘ったんだけどな、ユニと一緒に居たいから今日の酒は遠慮するんだと」


 俺はそう言いながらマリベルに缶ビールを一本手渡す。

 マリベルは手慣れた手つきでプルタブをカコンと引き上げると、喉を鳴らしてビールを煽った。


「んく、んく、んく、ぷはぁ! 旨い!」

「おう、暖かくなって来たもんなー。そろそろビールが旨い季節になってきたわ」


 俺も自分の缶ビールを開けて「んぐ、んぐ、ぷはぁ!」と煽り飲んだ。


「もう春だなぁ。つか、そろそろ炬燵、片すかねぇ」


 俺はそう独り言ちる。

 その言葉に反応する二人と一匹。


「コタローお前! 炬燵を片付けるなど言語道断だ! 気でも違ったのか!」

「そうよお兄さん! 考えなしにも程があるわよ! 猛烈に反省しない!」

「ゴマニャモッ! フシャーッ!」


 滅茶苦茶反対された。




「おう、ところで有馬温泉で土産にこんなもん買っておいたんだが」


 俺は竹皮に包まれた肉をコタツテーブルにドンと置く。


「すき焼き用但馬牛だ」


 マリベル、フレアにニコ、二人と一匹の視線が卓上の肉に集まった。


「ほう、すき焼きか……それで、すき焼きとは何だコタローよ?」

「おう! ってすき焼き知らねーのか。すき焼きっつーのはな、甘辛く味付けした牛肉を、溶いた卵に絡めて食うっていう超旨い鍋だ! 長ネギや豆腐なんかも入れてな。うんまいぞー? 俺は鍋ならすき焼きが一番好きだわ!」

「そ、それは美味しそうね……」

「ウニャッ!」


 フレアとニコが喉を鳴らす。

 マリベルは口の端からちょっと涎を垂らしていた。


「んで今日はこの肉ですき焼きでも、と思っていたんだが……今は飲みの面子が少ないな。すき焼きはまた今度にすっか」

「そ、そうか。……うむむ、残念だが仕方ない。その今度を楽しみにするとしよう」


 マリベルはそう言いながら口の端を拭う。

 フレアとニコも楽しみは後日として引き下がった。


「そうなると今日の肴はどうするのだ? 私の肴を出しても良いが大したものはないぞ。キュウリに蛍イカの沖漬け、あとはタコわさびくらいか。……ああ、梅クラゲもあったな」

「ほんっと、オッさん臭い肴が好きよねぇ、貴女」

「ウニャニャ」

「ほ、放っておいてくれ!」


 俺はお隣さん達のそんなやり取りを流し見ながら一考する。

 よし決めた、何か作ろう。


「んー、つか今から何か軽く作るわ。冷蔵庫の中のもん、適当に使わせて貰っていいか?」

「ええ、いいわよ」

「おう、あんがとさん」


 俺は早速炬燵を立つ。

 すき焼き用但馬牛をチルド室に突っ込んでから、冷蔵庫の中身を物色する。

 冷蔵庫には大量の缶ビールとちょっとした酒のツマミ。

 後は調味料と卵、野菜室にはいくらかの野菜が入っていた。


「……ふむ、これなら」


 俺は頭の中でレシピを構築しながら食材を漁る。

 取り出したるは山芋に生姜、卵に茹でタコ。


「どうやら作る肴は決まったようだな?」


 俺はマリベルのその問い掛けに応える。


「おう! 旨えの作ってやるから、ちょっとばかし待ってろよ!」




 ホカホカと湯気を立てる熱々のフライパンを、みんなが待つコタツテーブルに乗せる。

 この肴を作るのは久しぶりだったが上手く出来たようだ。


「ほう、これは初めて見る肴だな」

「ンニャッ」

「それでお兄さん、これは何ていう料理なのかしら?」

「おう! こいつはなぁ……」


 俺は勿体ぶって一拍置いてからフレアに応える。

 折角の自慢の肴だ。

 ちょっとくらい焦らしてもバチは当たらんだろう。


「で、お兄さん。こいつは?」

「こいつはなぁ、『山芋の鉄板焼き』だ!」


 山芋の鉄板焼き。

 それはとある居酒屋の鉄板メニューだ。

 俺なんかはその居酒屋に行く度に毎回三皿は注文する人気メニューである。


 これはその料理を俺なりに再現した肴だ。


 レシピは簡単。

 まず山芋を磨りおろす。

 完全に磨りおろすのではなく、手で握り潰して塊も入れておくと焼いた後の食感にアクセントが付いて良い。

 次に摩り下ろした山芋に細かく乱切りにしたタコと白だし、残りは摩った生姜をぶち込む。

 俺の持論としては、ぶち込む生姜は多ければ多いほど旨くなる。

 後は鉄のフライパンやアヒージョ皿に山芋を流し込んで蓋をして焼くだけ。

 焼き上がったら卵の黄身を落とし、マヨネーズと千切った海苔を豪快に振りかければ出来上がりだ。

 手軽な癖に病み付きになる肴なのである。


「おう、見てるだけじゃなくて食ってくれ! スプーンで削ぎながら食うんだぜ! お焦げも旨いからな!」


 マリベルとフレアの匙が伸びた。


「うむ! ではいただこう!」

「じゃああたしも、いっただっきまーす!」


 二人の持つスプーンが山芋の鉄板焼きをこそぎ取り、ホカホカのそれを口へと運ぶ。

 ハフハフと息を吹きかけてパクリ。

 ムグムグと咀嚼してゴクンと飲み込まれた。


「おう、どうだ?」


 俺は二人にそう問いかける。

 するとフレアが俺の問い掛けに応えた。


「お、い、しー! 何これ、凄く美味しいわね!」

「おう! だろ?」

「ええ、熱々でトロトロ! 出汁の旨味と山芋のお味が調和して、ちょっとこれ、やめらんないわね!」


 フレアはそう言ってパクパクと肴を食べる。

 幸せそうに頰を緩ませるフレアを見てると、なんつーか俺まで嬉しくなってきやがる。


「お兄さん、ビール頂戴、ビール! この山芋の鉄板焼きにはワインより絶対にビールよ!」

「おう、たんと飲め!」


 フレアは手渡したビールのプルタブを開ける。


「ありがと、悪いわねー。……んく、んく、んく、ぷはーッ! おいしー、幸せぇ!」


 フレアは頰に手を添え満面の笑顔だ。

 そんなフレアを眺めながら俺も山芋の鉄板焼きに手を伸ばす。

 熱々のそれをフーフーして冷ましながら食べると、口いっぱいに熱さと旨さが広がった。


「くあぁッ、うめー! ビール、ビール……」


 俺はビールで山芋を胃に流し込みながら、次々にスプーンを伸ばす。

 山芋の鉄板焼きは後を引く味わいで、正にやめられない止まらない、だ。


「んぐ、んぐ、くはぁー! たまんねえなー。つか、おう、マリベル! 山芋の鉄板焼き、うめーだろ!」


 一息ついた俺はマリベルに声を掛けた。

 例のごとくスプーンをプルプルと震わせ硬直していた女騎士は、俺の呼びかけを切っ掛けに再起動する。


「旨いどころの話ではないわ! これは正に人を魔性の道へと引きずり落とす禁断の肴であろう! まず第一にこの食感! しっかりと熱の通った山芋は粘り気こそ無くしているものの、代わりにその食感はふんわりトロトロなものへと変じ、山芋が本来持つ優しい口当たりとも相まって人を堕落させる禁断の蜜が如き感触へと昇華されている! 次に味わい! 出汁の味と山芋の旨味がこんなにも調和するものだとは、全く思いもよらなんだわ! ひと匙口にしたが最後、後を引く味わいに支配されたかの様に匙を伸ばす手が止まらん! その様は黄泉へと続く坂を転がり落ちるかの様だ! 真逆この聖騎士マリベルともあろう者が魔性の味に誘われて、黄泉比良坂(よもつひらさか)へと真っ逆さま!」


 マリベルが目を見開いて唾を飛ばす。


「……お、おう。真っ逆さまだよな、真逆真っ逆さま」


 俺はいつものマリベルに今日も引き気味になりながら、曖昧に同意した。




「ンナーニャ」


 ニコが前脚で俺の腕を引っ掻く。


「おう、悪りい悪りい。ニコも山芋食うよな」

「ウニャ」


 俺は小皿に山芋の鉄板焼きを(よそ)ってニコへと差し出した。

 四足歩行の普通の猫形態のニコは、待ってましたとばかりに皿に飛び付く。


「慌てんなってニコ。つか、熱いから気をつけて食えよ」

「ッ!? ギニ゛ャッ!?」

「っと、ほら言わんこっちゃねー。猫舌なんだから冷まして食わねーと」


 ニコは目をキュッと瞑って赤くなった舌をヒィーっと突き出す。


 滅茶苦茶可愛らしい仕草だ。

 正直たまらん。

 俺は辛抱たまらずニコを抱きしめてモフモフした。


「ニャニャー!?」

「おう、ニコは堪んねーな! 愛しすぎんぞ!」

「あら、お兄さん。ニコの独り占めはダメよ? ほらニコ、これをお飲みなさいな。舌をこれで冷やすのよ」


 フレアがキンキンに冷えたビールをニコに差し出した。

 ニコはビール用の皿に酒を注いでもらい、火傷した舌を伸ばして冷えたビールをピチャピチャと飲んでいる。


「おう、ニコ! 山芋、冷ましといたぞ!」


 俺はフーフーして粗熱を取った肴をニコの皿に装う。


「ほおら、ニコ。ビールのお代わりよー」


 フレアが空になった皿にビールを注ぐ。


 代わる代わるビールと肴を差し出されるニコは正に王様だ。


 俺とフレアはニコに奉仕をしながら、そのモフモフの体を撫でて愛らしさを堪能する。

 するとさっきから側でソワソワしていたマリベルが口を開いた。


「わ、私もニコの頭を撫でていいだろうか?」


 マリベルはおずおずとした様子で手を伸ばす。

 伸ばした手がそーっとニコに近づく。


 しかし――


「ゴニャンナッ!」


 その手はニコの頭まで後もう少しという所で、当のニコ本人によってパシリとはたき落とされた。


「なッ、なにゆえッ!?」


 マリベルがビックリして声を上げる。


「あらあら、マリベル。貴女、ニコに嫌われているのを忘れちゃったのかしら?」

「だよなぁ。つか、出会い方が最悪だったからなぁ」

「……そ、そんな」


 ニコは愛想の良い(ケットシー)だ。

 俺たちにはそのモフモフの体を撫でさせてくれる。

 しかしニコは、マリベルにだけは愛想を振りまかない。

 何故ならニコが召喚陣を通じてこの世界にやって来たとき、魔物退治の当番としてニコの前に立ち塞がり、鋭く尖った剣を向けたのがマリベルだったからだ。

 以来、マリベルはニコに嫌われているのである。


 ……マリベル、不憫なヤツだ。

 俺は打ちひしがれた様子の女騎士が哀れになってしまって、ニコに頼んだ。


「なあ、ニコ。ちょっとだけマリベルにも頭、撫でさせてやってくんねーか?」


 うつむき、肩を落としていたマリベルが顔を上げる。


「……コ、コタロー、お前」

「そうよ、ニコ。マリベルだって貴方と仲良くしたいと思っているのよ? 酒飲みだから飲みニケーションを取りたがってるの。少しだけでもその気持ちを汲んであげたらどうかしら」

「フ、フレアまで……お前たち……」


 マリベルが感謝と期待に顔を輝かせる。


 ニコは「ンーニャ……」と少し考えた後、ボワワンと煙に包まれて変身した。


 煙が晴れて姿を現したのは王冠を被り、豪奢なマントを羽織った二足歩行の愛くるしい猫。

 これこそがニコの正体、猫の王様、妖精ケットシーなのだ。


「お、おう、どうしたニコ? 急に変身したりして」

「ニャモンニャ」


 ニコは羽織ったマントをバサッとはためかせ、マリベルに向けて手のひらを伸ばし、クイクイッと動かす。

 その様子はまるでマリベルを挑発しているかの様だ。

 それを見た俺はピコンと閃いた。


「ニャタラニャ、ミャデニャニャル」


 やはりそうか。

 俺は早速二人の前に缶ビールを並べた。


「ん? おい、何をしているコタロー?」

「おう、つか分かんねーのか?」

「え、あたしも分かんないわ。どうしたのお兄さん?」


 まったく鈍いヤツらだ。

 ニコが何を伝えたいかくらい、このピュアな瞳を覗き込めば分かるだろうに。


「つか、アンタらちょっと鈍いんじゃねーか? ニコはこう言ってんだぜ? 『飲み比べだ下女マリベル。余が負けたら撫でさせてやる』ってな!」


 マリベルが目を見開いた。


「ほ、本当かニコ!?」

「ンナニャーナ」

「『王に二言はない』ってよ。……受けて立つかマリベル?」


 俺はマリベルの目をしかと見て問い掛ける。


「ああ勿論だ。こんなチャンスは滅多にないからな。それにこの聖騎士マリベル、挑まれた勝負に背を向けた事は未だ嘗て一度たりとも有りはしない!」


 女騎士マリベルが瞳にメラメラと炎を灯して缶ビールに手を伸ばした。




 空になったビールの缶が何本も無造作に転がっている。

 女騎士と猫の王様が空けたビールの缶だ。


 女騎士マリベルは物凄い勢いで何本ものビールを空けまくった。

 ニコも負けじと前足の爪で器用にプルタブを開け、両手で缶ビールを挟んで豪快に傾け続けた。


 一人と一匹の一進一退のせめぎ合いだ。

 発せられる熱が圧力となって伝わってくるかの様な名勝負だ。

 今ではもう缶ビールでは埒が明かぬと、勝負は日本酒対決に移り変わっている。


「……お、おう。つか凄え勝負だな。お互いに一歩も引かねえ」

「ええ、熱い……熱いわね」


 俺とフレアは、小声で二人の勝負を語り合う。

 二人掛かりで椀子そばの様に、飲み干すそばから酒を継ぎ足しながらだ。


「……でも、なんかおかしくねーか?」

「ん? 何がおかしいのかしら、お兄さん」


 俺はニコが杯を空ける度、フレアはマリベルが杯を空ける度に即座に追加で酒を注ぐ。


「いやな、ニコはともかくマリベルが強過ぎる」

「……あら? 言われてみればそうね」

「だろ? いつものマリベルならとっくに酔い潰れて、『……んあ?』とか馬鹿面を晒している頃合いだ」

「ひ、酷い言い草ね……でも確かにそうねぇ」


 俺とフレアはこの真剣勝負の審判役だ。

 公平な勝敗を判定する義務がある。


 疑わしきは罰せず。

 だが火のない所に煙は立たぬとも言う。


 俺たちは二人揃ってマリベルの一挙一動を観察した。

 しかしマリベルにおかしな動きは見られない。

 例えば日本酒をこぼして飲む量を誤魔化したりせず、しっかりと飲み干している様に見える。


 ……何故だ?

 いったい何が起こっている?


「あー!? マリベルッ、貴女いまッ!?」


 俺が不思議な状況に首を捻っていると突然フレアが大きな声をあげた。

 マリベルが一瞬ビクッとなって、シラーッとあらぬ方向に視線を逸らした。


「お、おうッ!? どうしたフレア!?」


 俺はジト目でマリベルを眺めるフレアに尋ねた。


 マリベルは天井の隅を眺めながら「ヒューヒュヒュヒュー」と口笛なんか吹いている。


「ちょっと聞いてお兄さん! マリベルったら今、自分の肝臓に回復魔法を掛けたのよ! しかも小声で詠唱してコッソリと!」

「……は!? マジかアンタ!?」


 俺はそう声を上げてマリベルに詰め寄る。

 この女騎士は正々堂々と勝負するフリをして自分だけコッソリと酔わない様に肝臓を回復してやがったのだ!


「おう、マリベル! アンタ卑怯だぞッ!」

「ひ、卑怯とはなんだコタロー! 回復魔法を使用してはいけないルールがあるのなら最初からそう言っておけ! 大体回復魔法がダメならシジミ汁はダメなのか? キャベ系の食べる前に飲む、はダメなのか!?」


 うぬぬ。

 コイツ、開き直りやがった。


「これは負けられぬ勝負なのだ! 多少不本意でも私は勝ちにこだわる! 私にもニコを撫でさせろ!」

「マリベル! 貴女には勝負にかける矜持がないの!?」

「くっ、か、勝てばよかろうなのだアァァァッ!!」

「つか、回復魔法とかダメに決まってんだろ! ペナルティーだ! ほら、この日本酒を三合分一気飲みしやがれ!」

「お、鬼かお前は! そんなに一気飲みしたら酔い潰れてしまうだろうが!」

「知らないわよ、そんな事は! 自業自得よ! さあお兄さん、あたしも手伝うわ! マリベルにペナルティーの一気飲みをさせるわよ!」

「クソッ、フレアまで! だが私は断固として断る!」


 俺たちはギャーギャーと騒ぎ立てる。

 側からみたら割と本気でみっともないと思う。


 その時、タンッとテーブルをグラスで叩く音が響いた。

 俺たちの視線が音の発生源に向く。


「……ニャモン」


 グラスの音を発したのはニコだった。

 ニコは両手でグラスを弄びながら、残った中身を一息に煽る。


「ニ、ニコ……」


 女騎士のそんな呟きが聞こえた。


 ニコは立ち上がり、争う俺たちを睥睨(へいげい)する。

 俺たちはニコの視線に萎縮し、押し黙る。

 なんつーか、これが王者の風格というやつか。


「ニャンゴロニー」


 そう鳴いてからニコはふらっと歩き出した。

 そしてフレアの羽交い締めを力任せに解こうとしていたマリベルの前に、そっと膝をつく。


「ニ、ニコ? ど、どうしたというのだ?」


 マリベルが尋ねる。

 するとニコは頭の上に両前足を伸ばして頭上に輝く王冠を脱ぎ捨てた。

 ニコはさらけ出された頭をマリベルに差し出す。


「……ニャデロ」


 マリベルがおずおずと手を伸ばす。


「な、撫でていいのか? わ、私にも撫でさせてくれるのか?」


 ニコは無言でマリベルの手を取って自身の頭に乗せた。

 そしてそのまま手を動かし頭を撫でさせる。


「……んああ、ニコ。柔らかい、モフモフだ。……んああ」


 マリベルの顔が歓喜に染まった。

 その様子を見て俺とフレアは呟く。


「つか、なんつー懐の深え猫だ……」

「……ええ、正に王者の風格ね」


 マリベルは感極まった表情でニコを撫で続ける。


「んああ、ニコ、ニコ、モフモフゥ……」




 しばらく経ってニコが呟いた。


「ニャモン?」


 俺はフニャフニャに蕩けた顔のマリベルに尋ねる。


「おう、マリベル。ニコが満足したかって聞いてんぞ?」

「……ああ、満足した。最高だ、ありがとうニコ」


 ニコはその応えを聞き、王冠をかぶり直した。

 そして俺の方に目配せをしてから立ち上がる。


「……ニャモンゴロニン」

「おう、任せとけ、ニコ。……つか、フレア。二人掛かりでマリベルを抑えんぞ?」

「え、ええ、よく分からないけど分かったわ!」


 俺とフレアはマリベルに飛び掛かり羽交い締めにした。


「んあ!? な、何をする? は、離せ、お前たち!」

「おう、振りほどけるもんなら振りほどいてみやがれ!」

「クッ、な、何!? 力が出ないだと? いったい何が!?」

「……ゴマニャモ」


 ニコが呟いた。

 俺はニコのその呟きを伝える。


「観念しろ、マリベル! それはケットシーの能力の一つ、『脱力(リラックス)』だ! 長時間ニコを撫で続けたアンタはいい塩梅に力が抜けて脱力している!」

「な、何だとッ!?」


 俺たちは二人掛かりでマリベルを抑え込む。

 普段なら一般人と魔法使いの拘束など楽々と振りほどくマリベルだが、いまは脱力のし過ぎで力が出ない。


 それでも尚も暴れるマリベルに、一升瓶を前足で挟み込んだ二足歩行のニコがにじり寄ってくる。


「ま、待てニコ! 何をする気だ!?」

「ミャニャモニー」


 ニコがマリベルの目の前に立ち止まり、一升瓶を振り被る。


「ま、待て! 待ってくれ!」

「……おう、マリベル。ニコはこう言ってんぞ。『下女マリベル。存分に撫でさせてやったのだから、甘んじてズルをした罰を受けよ』ってな!」

「そ、そんなに飲んだら潰れてしまう!」

「往生際が悪いわよ、マリベル!」


 ニコが一升瓶を振り下ろした。

 一升瓶の口の部分がマリベルの唇を割ってスポッと入る。


「んんッ!? んあッ、んんんんんんーーーッ!!」


 マリベルがゴクゴクと喉を鳴らして一升瓶をラッパ飲みする。

 ニコが一升瓶を一旦持ち上げた。


「ぷはぁッ! クッ、いっそ殺せーーッ!?」


 再び強制一気が執行される。


「ん!? んんんんんーーーッ!?」


 そうしてズルをした女騎士の無情な叫び声が、絶え間なくコタツ部屋に木霊したのだった。

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