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39 お隣さん家の聖騎士マリベル

「お姉ちゃん、お姉ちゃん」

「……ん、んん」

「お姉ちゃん、もう朝なのですよ。起きて下さい、お姉ちゃん」


 小さな妹騎士シャルルが、聖騎士であり姉でもある私の体をユサユサと揺らす。


「ん、んあ?」


 私は包まったままの布団をずらして、少しだけ顔を覗かせた。


「おはようなのです、お姉ちゃん!」

「……もう、朝か?」

「はい、朝なのですよー」


 どうやらもう目覚めの時間らしい。

 名残惜しさを断ち切り、私は布団から上体を起こす。


「ん、ふぁあ、……おはようシャルル。お前は今日も朝から元気いっぱいだな」

「はい! だってもう、リビングでジョギングだって済ましたのですよー」


 シャルルがそう言って私に笑いかけてくる。

 可愛らしい妹だ。

 見ているとつい頭を撫でたくなってしまう。

 私は昨夜の酒が残る重い頭を二度三度振って、シャルルに微笑み返した。


「よし、私も起きるとしよう! 顔を洗ってくる」

「はいなのです! じゃあ、わたしは朝ごはんの準備をしておきますねー」

「うむ、よろしく頼む」

「あ、お姉ちゃん。ちゃんと髪を()かすのですよー。ボサボサなのです! あと、パジャマもちゃんと着替えて下さいね」

「う、うむ。承知した」


 私はシャルルの声に背を押される様にして、洗面所へと足を向けた。




 タイマーがピピピとなり、三分経過した事を知らせる。


「それじゃあ、いただきます!」

「うむ、私も頂こう」


 姉妹騎士二人の食卓だ。

 キッチリと鎧で身を固めた私たちは、テーブルに差し向かいに座ってカップ麺を啜る。

 梳かし切れなかった髪が一房、私の頭でピョコンと跳ねたが、それもまあご愛嬌という所か。


 カップ麺は偉大だ。

 湯を注ぐだけで簡単に出来上がる。

 そのうえ旨い。

 私たち姉妹の朝食は大概コレである。


「ご馳走様なのです!」

「馳走であった」


 朝食を終えた私たちは、熱い茶などを啜りつつ朝の訓練の時間までマッタリとした時間を過ごす。


「お姉ちゃん、昨日はまた飲み過ぎだったのですよ?」

「ふむ、そうなのか? 正直な所、昨夜の事はあまり覚えていないのだ」

「酔っ払って、『んあんあ』言いながら剣を振り回すもんだから、最後にはお姉ちゃん、ハイジアさんの喉チョップで気絶させられていたのです」

「……そ、そうか」

「お布団まで連れていって、着替えさせて寝かしつけるの、大変だったのです」

「………………そ、そうか、……なんだ、その、すまなかったな」


 何という事だ。

 どうやら昨夜もまた、私は姉としての尊厳を失ってしまったらしい。


「さて、ではそろそろ訓練を始めるか」


 食休みを終えた私は、そう言ってシャルルに声をかける。


「はいなのです! よろしくお願いします!」


 シャルルは元気よく返事をする。


 訓練ではいい所を見せなければ……

 失った分の尊厳を取り戻すのだ。


 私たちは装備を整えてリビングへと向かった。




「踏み込みが甘いぞシャルル! 引くなら引く、踏み込むなら踏み込む! 中途半端にするな!」

「は、はいなのです!」


 繰り出された刺突をヒョイと躱し、私は手に持った剣の柄頭(つかがしら)でシャルルの胸を甲冑の上から叩く。


「あうッ……」

「ほらほら、このくらいで体勢を崩してどうする? 相手の攻撃は自分の反撃の機会でもあるのだぞ!」


 そう言って私はよろめくシャルルに足を引っ掛ける。

 するとシャルルは「きゃッ」と小さな声を出して尻餅をついた。


「シャルルはまだ体幹が出来ていないな。だから少しの事で体勢を崩すし、苦しい姿勢からの反撃が出来ない」

「う、うぅ。精進するのです……」

「うむ。だが剣技には天性の冴えが感じられる」

「ほ、ほんとなのですか!?」

「ああ、嘘は言わん。……流石は私の妹、という所だな」


 そう言って私は手を差し伸べ、シャルルを助け起こした。

 褒められたシャルルは嬉しそうに「えへへ」と笑う。

 その時、リビングの中央で召喚陣が淡く輝きだした。


「あ、召喚陣が光っているのです!」

「ふむ、何らかの魔物が喚ばれて来そうだな」


 召喚陣の輝きが強くなる。

 眩い光と共に現れたのは醜悪で凶暴な巨躯の妖精『トロール』だった。


「グウゥウオォォォーーーッ!!!」


 トロールは召喚されるや否や、目敏(めざと)く私を見つけ、手に持った大きな棍棒を叩きつけて来た。


「お、お姉ちゃん! 危ないのですッ!」

「……ふむ、ちょうど良い相手が現れたな」


 私はそう独り言ちながら振り降ろされる棍棒を剣で流し受け、体の泳いだトロールの緑色した脇腹を思い切り蹴り飛ばした。

 トロールの巨躯がすっ飛んでいく。


「シャルルよ、今日の訓練の仕上げだ! 中々の難敵ではあるが、このトロールを一人で打ち倒してみせよ!」


 ゴロゴロとリビングを転がるトロールを流し見ながら、私はそうシャルルに声をかけた。


「わ、わたしがですか!?」

「うむ、出来ないか?」

「…………や、やるのです。お姉ちゃんは手を出さないで下さい!」


 シャルルがキュッと唇を結んで剣を構えた。

 吹き飛ばされたトロールが憎々しげな顔を隠そうともせずに起き上がる。

 シャルルとトロールは数瞬の間視線を交えた後、戦いの火蓋を切った。




 リビングのドアがガチャッと開かれる。

 赤い魔女服に身を包んだ赤髪の大魔法使いフレアが現れた。


「ふあぁ……おはようマリベル。ってあら?」

「ああ、おはようフレア。何だ大きな欠伸をしおって」

「……まだ起き抜けなのよ。それより取り込み中みたいね」


 フレアは眠気まなこを指で擦りながら、シャルルとトロールの戦いを眺める。


「んっと、加勢しましょうか?」

「いや、それでは特訓にならん。……それにほら、もうそろそろ決着だ」


 シャルルは休まずに動き回りトロールを斬り付け続けている。

 トロールも滅多矢鱈に棍棒を振り回して応戦するが、その棍棒は疾風の様に駆け回る小さな女騎士を捉える事はない。


 トロールの体は傷だらけだ。

 その体に備わる再生能力を上回るスピードで斬り続けられた為だ。


「うふふ、凄いわねシャルルは。将来有望な騎士さまって所かしら?」

「ああ、こちらの世界に来てからというもの、凄い速度で成長している。やはり強敵との実戦が良い経験になっているのだろう」


 トロールが大きな鼻を膨らませて最後の攻撃に出た。

 自慢の再生能力を前提にした捨て身の体当たりだ。


「はあ、はあッ、……かかって来いなのです!」


 シャルルが受けて立つ。

 腰を低く落として剣を引き、刺突の構えをとる。


「グルログアァァァーーーッ!!!」

「てやーッ!!」


 蒼銀の小さな女騎士と緑の巨躯がぶつかり合う。


「あうッ!」

「シャルルッ!?」


 シャルルが弾き飛ばされた。

 リビングの床をバウンドして小さな体が転がる。


 しかしシャルルはただ当たり負けした訳ではない。


「グル、グロァ……」


 トロールの眉間に深々と剣が突き立てられている。

 醜悪な妖精トロールはドスンと重い音を立て倒れ伏し絶命した。


「大丈夫か、シャルル!」


 私は弾き飛ばされたシャルルに駆け寄り、その体を助け起す。


「あ、あいたたた……」


 どうやらシャルルは無事の様だ。

 私はホッと胸を撫でおろす。


「良く戦ったなシャルル」

「……えへへ、勝ちましたのです!」

「ああ、見事な戦いぶりだった」


 しかし、最後のぶつかり合いは良くなかった。

 その点だけは注意をしておかないと。


「だが最後のぶつかり合いは何だ? トロールの体当たりを躱して斬り付ける事も出来た筈だ。ちょうど今日、お前はまだ体幹が出来ていないと指摘したばかりだろう」

「だ、だって、あれは……」


 シャルルがモジモジし始めた。

 歯切れ悪く何かを口籠っている。


「何だシャルル。言いたい事があるなら言ってみろ」


 私はそう言ってシャルルを促す。

 するとシャルルはおずおずとした様子ながら口を開いた。


「だ、だって、あれは、お姉ちゃんの真似をしたかったのです。真っ向から敵を叩き伏せるお姉ちゃんは、わたしの憧れなのです……」


 シャルルは恥ずかしがりポッと頰を染めて視線を逸らす。

 ……何だ、この可愛い生き物は。

 気付けば私は、ワシャワシャとシャルルの頭を乱暴に撫で回していた。


「んふふ、お姉ちゃんしてるわねぇ」


 背後からフレアのそんな呟きが聞こえて来た。




「んあぁ……炬燵の中、すごくあったかいなりぃ。……んあぁ」


 炬燵に脚を突っ込んだ私の口から、思わず変なセリフが漏れ出した。

 温もりに相好がトロンと崩れる。


「っとっと、誰かに聞かれなかっただろうな?」


 シャルルは先のトロールとの戦いで掴むものが有ったらしく、リビングで訓練の続きをしている。

 フレアは召喚陣の解析だ。


 私はキョロキョロとコタツ部屋を見回して誰もいない事を確認しながら表情を引き締める。


「ふぅ、誰もいないか」


 私はホッと胸を撫でて安心する。

 気を緩めた私の耳にコタツ布団の下から残酷な声が届く。


「…………あったかいなりぃ」

「い、居たのか、ルゼル」

「…………あったかいなりぃ」

「なんだ、その、な?」

「…………あったかいなりぃ」

「ぐ、すまん、私の酒を分けてやるから勘弁してくれ」

「…………ん、了解」


 部屋の収納棚から日本酒を取り出す。


 一升瓶のラベルには『獺祭磨き50』と書かれている。

 これはサビ猫ヤマトなる宅配業者が定期的に届けてくれる酒だ。


 他にも『久保田千寿』や『磯自慢』などと書かれた酒が届く事もある。

 以前、アンズに金貨を何枚か手渡し、手配を頼んだのだ。


「ほら、ルゼル。グラスを出せ」


 蝿の王が差し出すグラスにトクトクと日本酒を注ぐ。


「…………ありがと」

「なに、気にせず飲んで先の独り言は忘れてくれ」

「…………あったかいなりぃ」

「ぐッ、と、ともかく乾杯だ!」

「…………ん、乾杯」


 クイッとグラスを傾けて日本酒を煽り飲む。

 円やかな風味がスッと口腔を抜けていき、切れ味の良い冴えた旨味が喉を通り抜ける。

 後味は少しばかりの余韻を残しつつもスッキリとして爽やかだ。


「うむ、やはり日本酒は最高だ」


 私は一人でうむうむと頷きながら酒を飲む。


「…………マリベル、肴は?」

「ふむ、肴か。そういえば冷蔵庫に『子持ちコンニャク』が残っておったな」


 ルゼルに「しばし待て」と伝え、キッチンから子持ちコンニャクと醤油を持ってきた。


「はッ!」


 子持ちコンニャクを軽く放り投げ、剣を抜き放ちスライスする。

 鞘に剣をチンと戻すと、薄くスライスされたコンニャクが皿にトテトテと落ち、見事に盛り付けられた。


「ほらルゼル。肴だ。さあ摘め」

「…………ありがと」


 私は再びルゼルと差し向かいで飲み始めた。

 子持ちコンニャクをわさび醤油に浸して食べる。


「…………クニクニ……プチプチ」

「ああ、クニクニでプチプチだな」


 面白い食感だ。

 わさび醤油に良く合ってちょっとした肴に丁度良い。

 だが、やはり何か物足りない。

 何が足りないんだろう?


「…………冷たい」

「ッ、それだ」


 そうだ、足りないのは温もりだ。

 子持ちコンニャクは確かに美味いが、こんな底冷えのする様な寒い日に摘むには少しばかり難がある。

 暖かい肴も食べたいのだ。


「ふむ、何か暖かい肴でも作ってみるか」


 何を作ろうか。

 私はこの世界に来てから初めて食した食べ物を思い浮かべた。


 召喚陣に喚ばれてこの世界に来て最初の頃。

 私は何も食べずに毎日魔物退治を続け、三日間にして遂に空腹に倒れた。

 その時にあの男に差し出され、私の腹を満たした料理が『だし巻き玉子』だ。


 私はだし巻き玉子の得も言われぬ様な食感と出汁の旨味を思い出して、恍惚とした表情を浮かべる。

 それと同時に、この世界で最初に出会ったお節介で飄々(ひょうひょう)とした態度のあの男の顔を思い出した。


「うーむ、コタローが居れば『おう、つかちょっと待ってろ!』などと言いながら、暖かい肴を用意してくれるのだがなぁ」


 だが今ここにコタローはいない。

 仕方ないので私はやはり自分で調理に挑戦する事にした。




 フライパンから黒い煙が立ち上る。


「ん、んあぁッ!? 熱し過ぎた! ッ、氷刃(アイスエッジ)!」


 私は慌ててフライパンに氷の魔法を撃ち込んだ。

 フライパンの熱がコンロに灯された炎ごと搔き消える。


「くッ、失敗だ……」


 底に貼り付き、真っ黒になって凍り付いただし巻き玉子を眺めて肩を落とした。

 そんな私にため息混じりの声が投げかけられる。


「まったく、何をやっておるのじゃ、貴様は」

「ああ、ハイジアか……笑いたくば笑え、それとおはよう」

「うむ、おはよう。なに、笑いはせぬ。失敗は誰にでもあるものじゃからな。……まあ氷魔法を撃ち込むのは論外じゃが」


 ハイジアが私の肩に手を置いて慰めてくれる。

 この吸血鬼は高飛車だが案外優しい所もある。

 だが今はその優しさが、私をより一層情けない気持ちにさせた。


「さて、ではそこを退くのじゃマリベル。妾が手ずから手本を見せてくれようぞ!」


 ハイジアがそう言って私を押し退ける。

 私はされるがままにキッチンの前を譲り、ハイジアに問いかけた。


「ハ、ハイジアお前……作れるというのか、だし巻き玉子だぞ?」

「ふん、妾に掛かればその程度、造作も無いことよ」

「す、すごいな」

「うむ、テレビの料理番組で観たのじゃ」


 ハイジアが脱力した腕を振るい、スパッと卵の殻の底を削ぎ落とす。


「おい、ハイジア。どうして普通に割らないのだ?」

「貴様は無知じゃのうマリベル。これが正しい卵の割り方じゃ。アンズの持つ漫画で読んだのじゃ」


 なんと、既に漫画を嗜むまでに至っているとは。

 侮りがたし真祖吸血鬼(トゥルーヴァンパイア)


 これは負けてはおれん。

 私はハイジアと横並びになり正しい卵の割り方を実践する。

 脱力した私の腕が振るわれると「パンッ!」と小気味良く空気の破裂する音が鳴り、卵の殻が削ぎ落ちた。


「こうか?」

「うむ、そうじゃ! 貴様は筋が良いの」


 私とハイジアはパンパンと破裂音を鳴らしながら、次々と卵の殻を削ぎ落とした。




「それで、出来たのがこの黒い消し炭という訳かしら?」

「う、うむ。そうじゃ」


 フレアの問いにハイジアが応える。


「ちゃんと油は引いたのじゃぞ?」

「うむ、あの発想には私も驚いた。見事だったぞハイジア」

「じゃろ? そうじゃろ?」

「でも実際に出来ただし巻き玉子は真っ黒なのです」

「…………これは、無理」


 私達は炬燵を囲み首を捻った。

 フレアが缶ビールのプルタブをカコンと押し上げ、ゴクリゴクリと旨そうに喉を鳴らしながら煽る。


「ぷはぁー! で、何がいけなかったのかしら? やっぱり火力不足?」

「いや、私もハイジアも、ちゃんと最大火力で調理したのだぞ?」

「それでも火力が足りないとなると、……あたしの炎魔法で足りない分の火力を補う?」

「あ、それ、いいアイディアなのです!」

「…………だし巻き玉子、食べたい」

「よし、決まりよ! 任せなさい! あたしの最大火力をお見舞いしてやるわ!」


 腕まくりをするフレアが頼もしい。

 仲間をこんなに頼もしく思えるなんて、いつ以来だろうか。


 これまでの人生において、私の力は突出し過ぎていた。

 破邪の三騎士として私と並び称される天騎士レディーレや鉄騎士メーベルですら、正直な所その実力は私と比べると二段、三段落ちる。

 シャルルと同程度という所か。


 ……いや成長した今であれば、あるいはシャルルの方が上かも知れない。


 だというのに、このコタツ部屋にはもしかすると私すら凌ぐかもしれない力の持ち主が揃い踏みしている。

 そして誰もがその力に溺れていない。

 聖都ボルドーですら見つからなかった得難い仲間たちだ。


 ……それにここには、何の力も持たない癖に、妙に頼りになるあの男もいる。


「さあ、もう一度旨いだし巻き玉子作りに挑戦だ! どうせまた今日もやって来るだろうコタローを、我らの調理した肴で驚かせてやる!」


 そう言って私も籠手を外して腕まくりをし、長々と詠唱を唱えるフレアに続いてキッチンへと再度足を向けた。

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