03 お隣さんとハイボール
お隣さんの部屋から、今日もドッタンバッタン大騒ぎする音が聞こえてくる。
「おー、今日もやってんなぁ」
俺は「よいしょ」と腰を上げ、キッチンへと移動する。
そして冷蔵庫を開け、昨日からタッパーに入れて漬けダレに漬け込んでおいた鶏肉を取り出した。
「おー、いい塩梅に浸かってますなぁ」
俺はそう独り言を言って、油の入った揚げ鍋をコンロに置き、火をかけた。
「ふんふんふーん」
鼻歌なんて歌っちゃいながら酒を吟味する。
今日の肴は唐揚げだ。
となるとここはやはり、ハイボール。
酒はこれ一択だろう。
俺は上機嫌で棚からバーボンを一本取り出す。
ハイボールならハーパーソーダ。
これは譲れない俺のこだわりだ。
「そろそろ油も温まったかねー」
揚げ鍋に菜箸を突っ込んで、泡が立つのを確認する。
「うし! 適温、適温。では、唐揚げ、投入!」
鶏肉をタッパーから一つ摘み上げる。
そしてサッと手早く揚げ鍋に投下した。
すると、ジュワッと音を立てて鶏肉が唐揚げへと生まれ変わっていく。
部屋中に食欲をそそる揚げ物の良い匂いが充満する。
―― ギエィィ、グワァアアアッッ!! ――
油の跳ねる音に混じって、お隣さんから断末魔の悲鳴が聞こえてくる。
「お、やべ。もう決着かよ」
俺は揚げ鍋に向き直り、次から次へと鶏肉を投下していった。
「お疲れさーん」
俺はそう声を掛けながら、お隣さん家の玄関扉を開く。
すると中から女騎士マリベルが顔を出した。
マリベルは、頰についた返り血を拭いながら口を開く。
「うむ、コタローか。上がってくれ」
「じゃあ、遠慮なく。お邪魔しますっと」
「ちょうど先ほど、またぞろ召喚されてきた魔物を退治したところでな。お前はなかなかタイミングがよい」
「ああ、聞こえてたよ」
俺はマリベルに先導されながら、リビングへと続く扉を潜る。
そこには相も変わらぬだだっ広い空間が広がっていた。
「適当に座ってくれ。……といっても床に胡座をかくだけなんだがな」
「はっはっは。これを見ろよマリベル」
「ん?」
「今日もどうせまた床に直座りだと思ってな、座布団を二枚用意してきた」
「おお! これは気が利くではないかコタロー」
「だろ?」
俺は座布団を一枚マリベルに手渡して、もう一枚を自分のケツの下に敷いて座った。
「で、あれは何だ?」
俺は少し離れた場所で血反吐を吐いて絶命している化け物を、親指で指差す。
「ああ、あいつはな、サイクロプスだ」
「お、知ってる知ってる」
マリベルは若干うわの空でそう応えた。
マリベルの視線は俺の持つ大皿に釘付けだ。
「それよりもな、コタロー。その皿に盛られている一口大の茶色い塊はなんだ?」
「これか? これはな、『鶏もも肉の唐揚げ』だ」
俺はそう言って大皿からラップを外す。
そして皿をマリベルにズズいと差し出した。
「ほれ、食ってみろ。旨いぞー」
「……んく、では遠慮なく、……参るッ!」
マリベルは唐揚げを箸で摘み上げ、大きく口を開いて一口でパクッと頬張った。
つか「参る」ってメシ食うときの掛け声じゃねーだろ。
俺は苦笑しながらバーボンを強炭酸水で割る。
シュワシュワと泡の弾ける音がして、琥珀色のハイボールが出来上がった。
「どうだ? 旨いか?」
唐揚げを食べてから時間停止しているマリベルに、俺はそう尋ねる。
マリベルは魂が抜けたような呆けた表情で、俺に振り向いた。
「……なんだ、これ、は?」
「何だってさっきも言っただろ、唐揚げだよ」
「……唐……揚げ」
「旨かっただろ?」
女騎士マリベルはクワッと目を見開く。
「旨いなんてものではないであろう! これは天上に座す神々が食する料理ではないか! ああ、このカリッと揚がった衣にサクッと齧り付くと得も言われぬ心地よい弾力の肉とジュワと湧き出す肉汁の旨味が香ばしい衣の辛さと甘さに見事に調和して天上の美味を醸し出しているッ!」
「……お、おう」
唾を飛ばしながら、マリベルは早口言葉でそう捲し立てる。
そんな女騎士に俺は引き気味に応えた。
だが俺は、気を取り直してマリベルに声をかける。
「あ、そうそう。レモンの果汁を降ってみろ。また違う味わいが楽しめるぞ」
「……真かッ?!」
「真だ」
そうしてマリベルは唐揚げにレモンを絞り、一口食べては「んんんんーーッ?!?!」と、目を白黒させながら口を押さえて悶絶した。
「落ち着いたか?」
「……面目次第もない」
「ははは、唐揚げ食ってあんなに悶える奴なんて、初めてみたわ」
俺が笑うとマリベルは頰を赤くして、そっぽを向いた。
そんな可愛らしい様子をみせるマリベルに俺はハイボールを差し出す。
「ほら、これ飲んでみろ」
「ん? 何だこれは。シュワシュワと気泡が立っているが、飲めるものなのか?」
「勿論だ。飲めねーモンは渡さねえよ。これはハイボールつってな。ウィスキーを炭酸水で割ったもんだ。まあ長々と説明するのも何だな。飲めば分かる」
「……よかろう。いざ!」
マリベルはハイボールをゴクンゴクンと一息に飲み干す。
そして空になったグラスを置いて、「ぷはぁ」と息を吐き出した。
「うむ! 旨いな、この酒は! 味も良いのだが、シュワシュワした飲み味が刺激的で面白い!」
「だろ? にしても一気で飲んじまうとは。さすが女騎士さまは思い切りがいいねぇ」
「ふふん。この程度のこと、私に掛かれば造作もない事よ」
マリベルはそう言って胸を張る。
俺はそんな女騎士の様子に、少しばかり愉快な気分になった。
「しかしコタロー。このハイボールと言うのはアレだな。唐揚げととても相性が良さそうな酒であるな」
「お、マリベル。アンタもそう思うか?」
「うむ、間違いない」
「ああそうだ。やっぱり唐揚げにはハイボールだよ」
俺はハイボールをもう一杯作り、唐揚げと共にマリベルに差し出した。
そして何となく雑談を始める。
「それはそうとマリベル」
「何だ?」
「あのサイクロプスっての、強いのか?」
「あーアレなぁ。強いには強いのだが……」
「ふむふむ」
「サイクロプスはな、馬鹿なんだ」
「馬鹿?」
「ああ、馬鹿だ。考えてもみろ。ヤツの弱点は目なのだがな、弱点なのにその目をギョロリと剥き出しにしている。あれではまるで、ここを攻撃して下さい、と言っているようなもんだ」
「……身も蓋もねーな」
「実際、先ほどの戦闘でも、私がヤツの目をひと突きしてやったらな。ヤツは目が見えなくなって、後は馬鹿みたいに棍棒を振り回すだけであったわ」
「そ、そうか」
そんな事を語らいながら、俺とマリベルはハイボールを酌み交わす。
マリベルは少し頰が薄桃色に色付いてきた。
「あ、コタロー。次はちょっと濃いめにしてくれ」
「あいよー」
マリベルは俺の作ったハイボールを飲み、旨そうに唐揚げを摘む。
サイクロプスの死骸を眺めながら、マッタリと二人で酒を飲む。
俺も何だかちょっとほろ酔い気分だ。
「あ、そうそう。こっちの家って、電気と水道はきてるみたいだけど、ガスきてないよな?」
「ガス?」
「ああ、ガス分かんねーか。えっと、火のつく空気みたいなもんだ」
「そんなモノがあるのか」
「おう、あるぞ。でだな、そのガスがこっちの家にはきてないみたいなんだが、……マリベル、アンタ、風呂とかどうしてんの?」
俺は気になって聞いてみた。
「風呂? ああ、この家には良い水浴び場があってな。そこで行水している」
「死ぬわ、アホッ!?」
俺は口に含んだハイボールを「ブッ」と吹き出す。
差し向かいで飲んでいるマリベルは、サッと身を引いて俺から射出されたハイボールを躱した。
「アホとはなんだ、アホとは!」
「アホにアホと言って何が悪い! こんな寒い季節に真水で風呂に入るバカが何処にいる!」
俺はガシガシと頭を掻きながらマリベルに伝える。
「あーもう、次からは行水はやめて、俺の家に来い。風呂くらいなら貸してやる」
「……いや、私は行水で事足りているのだが」
「いいから来い! 肺炎にでもなって倒れられたりしたら、俺の寝覚めが悪いんだっつの!」
そんな事をギャアギャア言い合いながら、俺とマリベルは今日も酒を二人で楽しんだ。