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36 お隣さんと異世界飲み会 夜魔の森中編

 霧に煙る毒の沼地を抜けた俺たちは、鬱蒼と木々の生い茂る深い森へと足を踏み入れた。


 そこは薄暗い森だった。

 靄や霧こそないものの、陽の差し込まないその森は常時薄暗く、沼地と変わらず遠くを見通す事は叶わない。


 それでも目を凝らして辺りを観察してみると、苔生(こけむ)した倒木に頭が二つある異様な風体をしたトカゲが貼り付き、宙に目をやれば時折向こう側の透けて見える霊体(レイス)が浮かんでいるのが分かる。


 遠くから狼――ハイジアの言によると狼男(ワーウルフ)らしい――の遠吠えが木霊してきた。

 そんな様子に俺は、ここが異世界であるという事を否応なく思い起こされる。


 そんな夜魔の森を、結構酔いの覚めた俺たちは連れ立って歩く。


「ね、ねえ、虎太朗さん。こ、この森、安全なんですよねー?」


 杏子がそう言って俺の裾をひいた。

 酔いが覚めて素になった杏子は、大分腰が引けている様子だ。


「つか俺にも分からん。でもまあ、ハイジアもいるし、きっと、大丈夫だろ、……多分」


 俺は先頭を歩くハイジアの小さな背中に目をやる。

 その女吸血鬼は迷いなくズンズンと森を進む。

 自信に満ち溢れた足取りが実に頼もしい。


「……う、……うぅ」


 ハイジアの後ろでは大家さんが、先ほど出会ったスケルトンに背負われながら脂汗を流していた。


「おう、大家さん! 足の具合はどうだ?」

「い、痛いよ、虎太朗くん。どんどん痛みが増してくるんだ……」


 大家さんが顔を顰めた。

 そんな大家さんの様子を心配気に見ながら、杏子が話しかける。


「毒の沼地に自分から足を浸すなんて、……お父さんは本当にバカなんだから!」

「杏子だって、酔って黒死鳥を追い回していたじゃないか。……ア、アイタタタ」

「だ、大丈夫かオッさん? つか、ハイジア! なんか大家さんの足を治す方法とかねーのか?」


 俺はそうハイジアの背中に声をかけた。

 ハイジアは一度こちらを振り向き、少し考えてから応える。


「うむむ、難しいのじゃ。妾もこの森の死者どもも生者を癒やす(すべ)など持たぬ」

「そんなー、な、何とかならないかな、ハイジアちゃ……アッ、アイタタタ」

「大家は自業自得じゃ。放っておいても死にはせんのじゃから、その怪我は戻ってからマリベルにでも癒して貰えばよかろ」


 大家さんは「そんな、ご無体なー」と情けない声を上げる。

 俺はそんな大家さんが気の毒になって、日本酒を並々と注いだ紙コップを差し出した。


「ほら、大家さん。これでも飲んで酔っ払え! そんで痛みなんか忘れちまえ!」

「あ、ありがとう、虎太朗くん。……アイタタタ。いつも済まないね、……うぅ」

「おう、気にすんな!」

「あー、コタロー! 妾にも日本酒を寄越すのじゃ!」

「わ、私にも下さい! こんな恐ろしい森、飲まなきゃやってられませんよー」


 俺たち一行は行儀悪く、異世界の森で歩き飲みを始めた。




「……なあ、ハイジア。ここ、さっきも歩かなかったか?」


 俺は自信満々で先を進むハイジアに声を掛けた。

 ハイジアは立ち止まり後ろを振り返る。


「う、うむ? そ、そうじゃったかも知れんのー」

「……アンタ、まさか」

「え? え? どういう事なんですかー!?」

「つ、つまりじゃの……」


 ハイジアがモゴモゴと何かを言っている。


「おう、ハイジア?」

「な、何じゃコタロー?」

「……つか、アンタ、迷ったんだな!?」


 俺はそんなハイジアをビシッと指差した。

 ハイジアは一旦は視線を斜め上に逸らしたが、直ぐに開き直って、薄い胸を張りながら応える。


「ふ、ふはははは! その通りじゃ!」

「『その通りじゃ』じゃねー! つか、どうすんだよ、こんな森で迷うとか!?」

「ふん! そんな事、妾の知った事ではないわ!」

「え、えー!? ちょっと、ハイジアさーん!?」


 薄暗い森の中、俺たちはギャーギャーと喚き合う。

 そんな中、大家さんだけは騒ぎに混ざらず、スケルトンの背中で青い顔をして「ヒューヒュー」と荒い息を吐いていた。


「つか、ハイジア! この森、アンタが支配してんじゃなかったのかよ!?」

「支配はしておるが、道順など知らんわ!」

「じゃ、じゃあ、あの黒い霧みたいになる移動方法で、お城からお知り合いを呼んでくるとか?」

「それは無理じゃな。アレは移動先までのハッキリとした道順が分からねば出来ん」

「……ヒュー、……ヒュー」

「なんつー使えねー吸血鬼だ!」

「なんじゃと、コタロー! 貴様そこへ直れ!」


 俺たちはドッタンバッタン大騒ぎする。

 その時、遠くからバキバキと大きな音を立て、木々を押し倒しながら何かが近づてきた。


「な、な、なんですかー、この音!? ひ、ひぃぃん!」


 杏子が悲鳴を上げる。

 巨大な何かはメキメキと音を立て、木々を薙ぎ倒しつつ直ぐそばまで来ている。


「お、おう……な、何だ、ありゃ!?」


 俺の叫びが暗い森の闇へと消えていく。

 その闇の中から、死臭を纏ってその化け物は現れた。

 化け物が森に響き渡る咆哮を上げる。


「ギグルィグルグァァァアーーーッ!」


 肉が腐り落ち、肋骨が剥き出しになった巨躯。

 骨だけになり天を駆ける事は最早叶わなくなった翼。

 生前は知性の輝きを灯していたであろう、落ち窪みんだ眼窩(がんか)

 死してなお健在な牙と爪が、立ちはだかる愚か者を威圧して止まない。

 そんな無双の怪物、――屍龍(ドラゴンゾンビ)だ。


「……ヒュー、きた、きた、きッ、コヒュー、……ド、ドラゴンゾンビ、きたーッ!? ……フヒュー」


 大家さんが青白い顔をしながら叫んだ。


「何じゃ、ドラゴンゾンビかえ?」

「いや、アンタこれ、絶対『何じゃ』で済ませるようなモンスターじゃねえだろ!」

「いやー、お母さーん! もう、いやぁーッ!」

「……コヒュー、きたー……フヒュー」


 俺たちが半ばパニックになる中、屍龍(ドラゴンゾンビ)がハイジアに向かって頭を下げた。

 巨躯を地に伏せ頭を下げるその様子は服従している様にも見える。


「のう、貴様。妾の城の場所を知らんかえ?」

「グルグァ」


 屍龍(ドラゴンゾンビ)がフルフルと首を左右に振る。


「はぁー、そうかえ。仕方ないの」

「ギグルィ」

「気にせんでよい。しかしどうしたもんかのー?」


 屍龍(ドラゴンゾンビ)が顎に手を当てて首を捻った。

 ハイジアとお揃いのポーズだ。


「……お、おう、つかハイジア。この腐った龍、アンタの知り合いか?」

「いや、知らんのじゃ」

「で、でも、その割に仲良さそうじゃねーか?」

「それはまあ、夜魔の森を彷徨う死者は、みんな妾の配下みたいなもんじゃからの」

「……そ、そうか」


 ハイジアは気楽に応えるが、この屍龍(ドラゴンゾンビ)は見た感じかなりの威圧感がある。

 先程から杏子なんてビビりまくりだ。


「つ、つか襲って来ないよな?」

「コタローらは妾の配下じゃからな。襲われることはないのじゃ! のう、貴様?」

「グギルァ」


 配下じゃねーつの。

 だがまあ一応は安全の様だ。


「あ、そうなのじゃ! 貴様、麻痺毒は使えるかえ?」


 ハイジアが急に声を上げて屍龍(ドラゴンゾンビ)に尋ねる。

 屍龍(ドラゴンゾンビ)は今度はウンウンと首を上下に振った。


「そうか、そうか。なら、此奴(こやつ)を少し麻痺させてやってくれんか? 足の辺りを頼むぞえ?」


 そう言ってハイジアは大家さんを指差す。

 大家さんは足の痛みに顔色が土気色になり、今にも夜魔の森の住人に仲間入りしそうだ。

 グッタリとして、最早、先程までの変な息すらしていない。


 屍龍(ドラゴンゾンビ)は「ガルグォ」と了承の意を示し、大家さんの足にガブリと噛み付いた。

 麻痺毒を注入された大家さんは、ビクリと大きく一度体を震わせた。




 俺たちは今、森の拓けた場所にいる。

 とある大岩の前だ。

 そこで俺たちは地べたに座りこみ、酒盛りをしている。


「杏子。すまないけど、私にもお酒を飲ませてくれないかな?」

「ヤダもー、おとーさん、キャハッ!」

「い、いや、キャハ、じゃなくてね。私にもお酒をだね……」


 スケルトンの膝に抱えられた大家さんが、体をモゾモゾさせる。


「おう、大家さん! つか、俺で良かったら飲ませてやるぞ?」

「ウホッ! お願いするよ、虎太朗くん! ドラゴンゾンビの麻痺毒で、足の痛みは感じなくなったんだけど、代わりにさっきから体が全く言う事をきかなくてね!」

「……分かったから、ウホッつーのはヤメろ!」


 屍龍(ドラゴンゾンビ)はハイジアの城の場所を知らなかった。

 しかし知っていそうな者に心当たりがあると教えてくれた。

 そして俺たちは屍龍(ドラゴンゾンビ)に先導されるままに森を歩き進み、この場所へとやって来た。


「んく、んく、んく、ぷはぁ! ありがとう虎太朗くん!」

「おう、良いってこった!」

「しかし、ロック鳥だなんて、……楽しみだねえ、今からワクワクが止まらないよ!」

「なんでも山の様に大きな鳥なんすよね? 杏子ちゃんなんて、見たら腰抜かすんじゃねーのか?」

「えー!? そんな事ないですよぅー? キャハハッ!」


 ここはロック鳥の巣がある大岩らしい。

 屍龍(ドラゴンゾンビ)はロック鳥ならハイジアの城の場所が分かると、俺たちをこの場所まで連れてきてくれたのだ。


 だが辿り着いたこの場所には肝心のロック鳥の姿が見当たらなかった。

 どうやら少し留守にしているらしい。


 屍龍(ドラゴンゾンビ)によると多分すぐに帰ってくるとの事なので、ここでロック鳥の帰りを待ちながら、酒盛りが始まったという寸法だ。


 俺は缶ビールのプルタブをカコンッと引き上げ、一息にビールを煽る。


「んく、んく、んく、ぷはぁ! カーッ、うめーッ!」


 長く歩いた俺の足はクタクタだ。

 動いた後はビールが旨い。

 満足気に息を吐く俺の周囲を何体もの霊体(レイス)が舞った。

 そして俺の直ぐそばでは、食屍鬼(グール)が緩慢な動作で、俺と同じ様にビールを飲んでいた。


「おう、アンタ! ビールはもっとこう、カーッと飲むとうめーぞ!」


 食屍鬼(グール)はやはり緩慢な動作で「……あー」と頷く。

 つか分かってんのか、分かってねーのか、よく分からんヤツだ。


「はーい! 杏子、一気飲みいきまーす!」

「あ、杏子! 私にも、私にもビールを飲ませてくれないかい?」

「んく、んく、んく、ぷっはー! キャハッ、美味しいー!」


 杏子は此処について早々、恐ろしさから目を逸らす様に酒に溺れた。

 今ではすっかり出来上がってキャハキャハ言っている。


 大岩の(もと)を見やれば、そこではハイジアと屍龍(ドラゴンゾンビ)が仲良く酒を飲んでいた。


「ほれ、貴様にはピーナッツをやろう。そして妾は柿の種を貰うのじゃ」

「ギルグェ」

「妾から下賜(かし)されたピーナッツじゃぞ? 光栄に思うがよいぞ!」


 だが俺は知っている。

 ハイジアは柿の種のピーナッツは取り除く派だ。


 ハイジアは恩着せがましく屍龍(ドラゴンゾンビ)に柿の種のピーナッツを押し付けている。

 屍龍(ドラゴンゾンビ)はそれに文句も言わずにピーナッツを摘み、ハイジアの手のひらから日本酒をチロチロと舌で掬って飲んでいた。

 出来たヤツだ。


 俺たちがワイワイと盛り上がっていると、何処からともなくヒューッと風を切る音が聞こえてきた。

 その音は次第に大きくなる。

 そうこうしていると、頭上でジャンボ機ほどもある大きな大きな鳥が旋回し始めた。


「うはーッ!? きた、きた、きたーッ! ロック鳥きたーッ!」

「キャーッ! おっきいー、キャハハハッ!」

「……お、おう、あれがロック鳥!? つか、デカ過ぎんだろ!」


 ロック鳥はバサバサと大きな羽を動かしながら降下してくる。

 羽風が吹き荒れ、俺は飛ばされない様に足を踏ん張った。

 隣をみれば、踏ん張りの効かない大家さんが、スケルトンに抱き抱えられていた。


「おー、やっと帰ってきた様じゃの!」


 地に降り立ったロック鳥にハイジアが声をかける。

 するとロック鳥は、先の屍龍(ドラゴンゾンビ)がそうした様に体を地に伏せ、頭を低くしてハイジアに向き直った。


「クアー」

「よいよい、堅苦しいのは抜きじゃ!」


 ハイジアが鷹揚に手を振って応える。

 その言葉に応じてロック鳥が頭を上げた。


「して貴様。妾の城の場所を知っておるかえ?」

「クルックアー」

「おー、そうか! 知っておるか! ならば貴様の背に妾達を乗せ、城まで運んでくれるかえ?」

「クルッカー」

「うむ、良き心掛けじゃ! ほれ、貴様にもピーナッツを下賜してやろうぞ!」


 ハイジアはロック鳥にもピーナッツを押し付けた。




「うっひょーい! 凄い、凄いね! ロック鳥の背に乗って飛んでるよ! うっひゃー!」

「大家! 貴様はさっきから喧しいのじゃ!」

「キャハハッ! はっやーい!」

「お、おう! つーか、こりゃ絶景だなッ!」


 俺たちはロック鳥の背に乗って、一路ハイジアの城を目指す。

 スケルトンは連れて来たが、屍龍(ドラゴンゾンビ)とは別れて来た。

 さしものロック鳥も屍龍(ドラゴンゾンビ)を乗せては跳べないとの事だからだ。


「こ、こんな経験、出来るとは思わなかった! 本当に、本当に来て良かったよ! オウフ、オウフ」


 感極まった大家さんが変な泣き方で男泣きをし始めた。

 正直ちょっと気持ち悪い。

 だが気持ちは分からんでもない。

 ロック鳥の背から見下ろす夜魔の森は壮観だ。

 陽もスッカリ落ち、暗くなった夜空に煌めく星々と、煌々と輝く二つの月に照らされた壮大な森を眼下に眺めながら、俺たちは大空を進む。

 大家さんの言う通り、こんな経験早々出来るもんじゃない。

 俺はロック鳥の背に捕まりながら、片手で新しい缶ビールをカコンと開けた。


「お、見えて来たのじゃ! 貴様ら見よ! あれなるが妾の居城なるぞ!」


 遠くに星明かりと月明かりに照らされた古城が見えてきた。


「おう、ハイジア! 凄え立派な城だな!」


 俺は柄にもなくワクワクしながらビールを一息に煽り、缶を潰してバッグに仕舞った。


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