35 お隣さんと異世界飲み会 夜魔の森前編
「ちっす、邪魔すんぞー!」
俺はお隣さん家の玄関を開ける。
するとちょうどそこにいた女魔法使いフレアと目があった。
「いらっしゃい、お兄さん。ちょうど良い所に来たわね!」
「おう、フレア。つか、いいところって何だ?」
「実はねー、たった今、召喚陣にマナが溜まったところなのよー!」
フレアがそう言うと、玄関を開け放したままの俺の背後から、驚きの声が上がる。
「ほッ、本当かい、フレア殿ッ!?」
「あら、おハゲさんもいらっしゃい」
「うん、お邪魔するよ。それより、今の話は本当かい!?」
「もちろん本当よー!」
「うひょー、きた、きた、きた、きたー!」
大家さんはテンション爆上げだ。
「お父さんうるさいー! 何なのいきなり!?」
そんな大家さんの背後から、杏子がヒョッコリと顔を出した。
「あらあら、三人揃ってやって来たのね?」
「あ、はい! フレアさんこんにちはー」
「こんにちは、アンズ。まあ立ち話も何だし、上がりなさいな貴方たち。続きは炬燵で暖まりながら話しましょう」
フレアに先導されコタツ部屋へと移動する。
コタツ部屋にはマリベルとシャルルがいた。
「よう、マリベルにシャルル。邪魔すんぞ」
「こんにちは、コタローさん、皆さん!」
「うむ、よく来た」
マリベルとシャルルは黄金イカを肴に、姉妹仲良く熱燗をひっかけている。
その直ぐそばでルゼルが昼寝をしていた。
俺たちは腰を下ろし、炬燵に脚を突っ込む。
そこで大家さんが、待ちきれないとばかりに口を開いた。
「それで、それで! それでいつ異世界に旅立てるんだい?!」
「慌てないの、おハゲさん。いつでも行けるわよ」
「うっひょー、本当かい!?」
「お父さん、うるさいー! というか、どうしてお父さんはこんなにテンションが上がっているんですか?」
杏子が首を傾げた。
俺は杏子の疑問に答える。
「つか、リビングに召喚陣あるだろ?」
「はい、魔物が異世界から喚ばれてくるあの召喚陣ですよね?」
「おう。なんつーかマナってのが溜まるとな、あの召喚陣を通って異世界にいけるんだよ」
「い、異世界にですか!? あッ! そういえば虎太朗さんとお父さん、前にマリベルさんの住んでた街に行った事がありましたよねー」
「うむ、聖都ボルドーだな」
マリベルがうむうむと頷いた。
俺は持参した缶ビールのプルタブをカコンと開け、一息に煽る。
「んく、んく、んく、ぷはぁ! んで今回は何処に行くんだ?」
「ボルドーに行くなら、また案内してやるぞ?」
「わたしも案内するのです!」
「あ、はい、はーい! 今回は私も行ってみたいですー!」
「わ、私は絶対参加でお願いするよ!」
大家さん親娘が元気よく手をあげる。
そこに女吸血鬼ハイジアがドアをガチャッと開けて顔を見せた。
「話は全て聞かせてもらったのじゃ!」
「おう、ハイジアか」
「うむ、妾が貴様たちを夜魔の森へと招いてやろう!」
ハイジアがそう言って薄い胸を張る。
「夜魔の森か……つか、夜魔の森ってどんなトコだっけ?」
「夜魔の森は我ら不屍人の安寧の地なのじゃ。靄の立ち込める薄暗い森じゃとか、枯れ木の林に毒の沼地、奈落へと続く洞穴もあって、落ち着く事この上なしじゃの。 あ、お化けも居るえ?」
「ひ、ひぃぃ! 何ですかその怖い森はー!?」
「うっひょー! 夜魔の森、最高じゃないか、ハイジアちゃん」
「貴様! 妾をちゃん付けで呼ぶでないわ!」
中々見所の多い森の様だ。
しかし俺には一つ気になることがあった。
とても重要なことだ。
俺はその気掛かりをハイジアに尋ねる。
「おう、ハイジア。……一つ確認させてくれ」
「何じゃ神妙な顔をしよって。良いぞ、言うてみぃ」
「つか、その夜魔の森には、酒はあるのか?」
俺は重要な懸念事項を尋ねた。
この答え如何では、夜魔の森は異世界ツアーの候補から外さなきゃならん。
ハイジアは俺の問いに、薄い胸を更に張りながら得意げに応える。
「もちろんあるのじゃ! 生への妬みを溶かし込んだ血の様に紅い葡萄酒に、負の想念を詰め込んで何十年も寝かせた蒸留酒!」
「す、凄いね、ハイジアちゃん!」
「何ですか、その怖いお酒はー!?」
「おう、決まりだ! ハイジア、夜魔の森に案内してくれ!」
こうして今回の異世界飲み会は『夜魔の森、飲み歩きツアー』に決定した。
「それじゃあ確認よ? 今回からは一度に四人まで異世界転移出来るわ。夜魔の森に行くメンバーは、お兄さん、おハゲさん、アンズにハイジアで間違いないかしら?」
「おう! 間違いねーぞ!」
準備を終え、リビングに集合した俺たちにフレアが最終確認をする。
今回はフレアも行きたがったが、まだ召喚陣の経過観察ですべき事があるらしく、居残りとなった。
「ど、どうしよう、虎太朗くん! 胸がドキドキして張り裂けそうだよ!」
「……わ、私はやっぱり、止めておこうかなー」
「今更何を言っておるのじゃアンズ。お化けが出ても妾の近くにいれば何の問題もない。それに万が一死んだとしても、妾が眷属として蘇生させてくれようぞ!」
杏子が「ひぃぃ!」と声を上げる。
そんなに怖いのなら居残ればいいと思わんでもないが、やっぱり怖いもの見たさが勝ったらしい。
「ハイジア、コタロー達を頼んだぞ?」
「お姉ちゃん、大丈夫なのです! ハイジアさんが居れば何も問題ないのです!」
「…………ちょっと、心配」
お隣さん達が俺たちを見送る。
「みんな、忘れ物はないわね?」
「おう、つか、ちゃんと酒はいっぱい持った!」
「私も今回はビールを持参したよ!」
「わ、私は肴を持ちましたー!」
俺たちは荷物を掲げる。
異世界ツアーに酒と肴は必需品だ。
「それじゃあ召喚陣に乗ってちょうだい。あと、向こうに行ける時間は半日ほど。それが過ぎたら自動的にこちらに戻される事になるわ」
「心得たのじゃ! ではフレアよ、召喚陣を起動するのじゃ!」
「はい、はい。じゃあ起動するわよー!」
召喚陣から発せられる淡い光が輝きを増して行く。
眩い光が召喚陣に立つ俺たちを包み込む。
「きた、きた、きた、きたー!」
「お、おおう……」
「ひ、ひぃぃ! こ、これ大丈夫なんですよね、虎太朗さん!?」
「ふはははは! では、行ってくるのじゃ!」
俺たちは居残るお隣さん達の「いってらっしゃい」を遠くに聞きながら、召喚陣へと吸い込まれた。
気付くと俺は、冷たい地面にうつ伏せになって倒れていた。
ジメジメした湿り気を帯びた土が、俺の頰から熱を奪う。
「……ん、……お、おう、ここは?」
俺は体に付いた土を払い落としながら上体を起こし、辺りを見回した。
一面を薄ぼんやりとした靄が覆っている。
その靄が視界を遮り遠くが見通せない。
地面に目を向けると赤茶けた大地が広がり、所々にポツリ、ポツリと枯れた木が生えている。
大地にはいくつかの赤や紫の沼地が点在し、そこからコポリと湧き出る泡がパチン弾ける音が聞こえた。
バサッと大きな音が鳴った。
俺は反射的に音のした方を振り向く。
すると人の背丈を倍する程の黒い巨鳥が、彼方へと飛び去って行く姿が見えた。
「コタロー」
呆けた様に辺りを見回す俺にハイジアの声が掛けられた。
「お、おう、ハイジアか」
「うむ、気が付いたかえ?」
「おう、……つか、ここが夜魔の森か?」
「その外れじゃの。夜魔の森の中心は鬱蒼と茂る木々に覆われておるでな」
ハイジアはそう応えながら、倒れ伏す大家さんに近づきその頰を平手で張った。
パンパンと乾いた音が靄に吸い込まれていく。
「ほれ、ほれほれほれ、起きよ、大家!」
「痛ッ、痛いよ! 何だ、何だ!?」
「おう、大家さん、起きろ! つか、大家さんの大好きな異世界だぜ!」
「……ん、んんッ!? 異世界ッ!?」
大家さんが跳ね起きた。
俺と同じ様に辺りを見回しては目を白黒させている。
「う、うっひゃー! 凄い、凄い! アレって毒の沼地かい!? あの上を歩くと毒ダメージでHPが減るんだよね!?」
「まったく起きて早々喧しいの。何じゃその『毒の沼地』とは?」
「毒の沼地は、毒の沼地だよ! ちょっと上を歩いてみていいかなッ!?」
「つか、やめとけ! オッさん死ぬ気かッ!?」
俺たちはやいのやいのと騒ぎ出す。
その声に反応して杏子も身を起こした。
「……こ、ここは? お父さん、みなさん?」
「私はここだよ、杏子!」
「ようやっと目を覚ましたようじゃの」
「おう、杏子ちゃん。辺りを見てみろ! ここは夜魔の森の外れだ!」
その時バサッバサッと鳥の羽ばたく音が聞こえた。
俺たちは揃って音のした方を振り向く。
すると先ほど飛び去っていった黒い巨鳥が、大きな体を巻きつかせる様にして枯れ木へと降り立った所だった。
「きた、きた、きた、きたー! モンスターきたーッ!」
「な、なんだありゃ!? つか、カラスの癖にデカすぎんだろ!?」
「ひ、ひぃぃ! お母さーん!」
俺たちはてんやわんやだ。
そんな中ハイジアだけが、詰まらないものでも見る様に巨鳥を流し見る。
「何じゃ、ただの黒死鳥ではないか」
「うはー、アレが黒死鳥!? それって死を招く鳥だよね? 凄いのきたーッ!」
「死、死を招くって、お父さーん! そんなの見ちゃだめー!」
「お、おう、ハイジア。アイツ、何かヤバい鳥なのか?」
俺は若干引き気味にハイジアに尋ねた。
するとハイジアは事も無げに応える。
「あんな鳥なんぞ、この夜魔の森には掃いて捨てる程おるのじゃ! それにな、あやつはあんなナリでも、締めて食べると旨いんじゃぞ?」
「つか、マジか! ……アレ、旨いの?」
「うむ、旨い!」
「ほ、本当かい!? なら捕まえて締めようよ!」
大家さんがそう言って構える。
今にも飛び出して行きそうだ。
俺は大家さんの首根っこをひっ捕まえた。
「い、行かせてくれ虎太朗くん!」
「つか、やめとけっつの! 死ぬから! マジで死ぬから!」
俺たちがバタバタやっていると黒死鳥は何処かへと飛び去っていった。
俺はホッと息を吐いて大家さんを離し、額の汗を拭う。
すると俺の荷物を漁る杏子の姿が目に入った。
「……何やってんだ、杏子ちゃん?」
「お、お、お酒……お酒、飲まなきゃやってられません!」
杏子は怯えてガクガクと震えた手で日本酒を引っ張り出し、紙コップに並々と注いだそれを一息に飲み干した。
「んく、んく、んく、ぷはぁ! も、もう一杯!」
杏子は次々と酒を注ぎ足し杯を空けていく。
「あ、ずるいのじゃアンズ! 妾にも酒を飲ませよ!」
「杏子! 私は杏子を、お酒を独り占めする様な娘に育てた覚えはないよ!」
ハイジアと大家さんも紙コップを片手に日本酒を美味そうに煽る。
ぷはぁと熱い息を吐き、幸せそうに喉を鳴らす二人を見ていると、俺の喉が我慢出来ずにゴクリと鳴った。
「おう、俺も混ぜろ! つか俺だけ除け者とかあり得ねーだろ!」
ここに、夜魔の森飲み会が唐突に幕を開けた。
――小一時間後。
俺たちはいい感じに酔っ払っていた。
先程まで怯えていた杏子はキャハキャハと笑い、再び舞い戻ってきた黒死鳥を追い回して遊んでいる。
大家さんは毒の沼地に試しに片足を浸し、焼け爛れた足を抱えて、笑いながら冷や汗を掻くという離れ技を披露している。
俺はそんな親娘を眺めながらハイジアと酒を酌み交わしている。
「おっとっと、それくらいでいいのじゃ、骨」
「おう、骨! こっちにも一杯くれねーか?」
骨がコクンと頷き、俺に酒を注いでくれる。
この骨はさっきその辺の地面から湧いて出てきた。
骨を見た大家さんは「スケルトンきたー!」とテンション爆上げだった。
杏子は骨を指差しながら「骨!」とキャハキャハ笑っていた。
そんな骨は、今は俺たちの輪に入って一緒に飲んでいる。
「ほら、骨。アンタも紙コップ出せ!」
俺は骨が差し出したコップに酒を注ぐ。
といっても骨だから、飲んでも酒が喉を伝って地面に染み込むだけなのだが、それでも仲間外れは良くない。
酒を注いでやると、骨は嬉しそうにカタカタと顎を揺らした。
「ぷはぁ! 旨いのじゃ!」
「おう! やっぱ何処で飲んでも日本酒は最高だわ!」
「そうじゃの。だが、妾の居城に秘蔵しておる酒も中々のもんなんじゃぞ?」
「マジかー、それ飲んでみてーなぁ! つか、そろそろ動くか!」
「そうじゃのー」
俺はフラつく脚で立ち上がり、大家さんと杏子に声をかける。
「おう、そろそろ移動すんぞー! つか、夜魔の森ツアーしながら、ハイジアの城まで行こうぜー!」
黒死鳥を追い回していた杏子が「はーい!」と返事をしながら戻ってきた。
大家さんは毒ダメージを受けた脚を引きずりながら立ち上がる。
「んじゃ、城へ向けて出発だー!」
掛け声と共に、俺たちは夜魔の森をゾロゾロと歩き出した。




