09 お隣さんと牡蠣の缶々焼き
今日も今日とて、俺たちはお隣さん家のコタツ部屋に集まる。
時刻はまだ真っ昼間だ。
「うぅ寒ッ。今日も寒いなー」
「うむ。こんな寒い日は熱燗でも一杯呑みたくなるな」
俺たちは特に約束をしている訳ではない。
だが人は酒の魔力には抗えない。
だからこうして俺たちは、引き寄せられるようにお隣さん家のコタツ部屋に集まるのだろう。
「ほんと、日本酒好きなんだな、マリベルは」
「ああ、日本酒は最高だ」
「あ、はいはい! 私も日本酒好きですよー!」
「へぇ、そうなの?」
「はい。どっちかというと洋酒とかカクテルなんかより、日本酒とか焼酎の方が好きです」
「おー、渋い女子大生だねぇ、杏子ちゃんは」
「私は日本酒も好きだけど、やっぱりビールだな」
「ニャーオ」
俺たちは適当に雑談をかわす。
「ところでハイジアは?」
「ハイジアならまだ寝ていたぞ」
俺は集まった面子を見渡す。
いまコタツ部屋に集まっている面子は、女騎士、女魔法使い、大家さん、あとは猫に俺だ。
「よくこんな昼間まで寝ていられますねー、ハイジアさんは」
女魔法使いがそう言って呆れ顔をした。
……ん?
女魔法使い?
「……なあ、杏子ちゃん」
「はい?」
「あーなんだ。その格好はなんだ?」
「テグミンですけど」
「テグミン?」
「知らないんですか? 爆炎魔法の使い手テグミン。『このズバン!』の人気キャラクターですよ!」
「……お、おう、そうなのか」
杏子はそう言って厨二ポーズを取り、何やらぶつくさとキャラのセリフを喋りだした。
完全に妄想の世界に入り込んでいる。
「おい、コタロー」
「なんだい、父さん」
俺は声を掛けてきた女騎士マリベルに、渾身のボケをぶちかました。
「ん? 父さん? よく分からんが、アンズは一体どうしたのだ?」
俺の渾身のボケはマリベルにスルーされた。
「つか俺にもよく分からんから、杏子ちゃんはしばらくそっとしておこう」
「そうか」
「それでいいよ。杏子は昔っからこうなったら長いんだ」
「それより皆んな、いいもん持ってきたぞー」
俺はそう言って、炬燵テーブルに持ってきた酒をドン、と置いた。
「これは約束していた、焼酎、だ」
「おや、虎太朗くん! その焼酎はッ!」
「さすがに大家さんは知ってるみたいっすね」
「ふむ、一体なんだというのだ?」
「こいつはな、……幻のプレミアム焼酎、『魔王』だ!」
女騎士マリベルは俺が持ってきた焼酎を見つめながら、「魔王……」と呟いてゴクリと喉を鳴らした。
「これはまた奮発したね、虎太朗くん!」
「ええ、こないだ聞いたら、コイツら、まだ焼酎飲んだ事ないっつってたもんだから、ちょっと良い焼酎を飲ませてやろうかなって」
「あ、私も魔王、飲んだことないです!」
いつの間にか妄想の世界から戻ってきた杏子が声を上げた。
「おう、なら今日、たんと飲め!」
「やったー!」
「ということでマリベル、ハイジアを起こしてきてくれるか」
「委細承知した!」
マリベルはソワソワとしながら女吸血鬼を起こしに向かった。
「かんぱーい」
「お疲れ様ー」
「頂きまーす!」
三者三様に声をあげながら、俺たちは手に持ったグラスを掲げる。
「ん、……ぷはぁ! これは旨いな!」
マリベルが「クゥーッ!」と幸せそうな顔で声を上げた。
「だろ?」
「ああ、焼酎とはこんなに豊潤でフルーティな酒なのか! しかも口に含んだ瞬間鼻まで抜けるような香りが口腔を満たしその後呑み込んだ際の喉越し、切れ味、どれをとっても申し分ない! なのにこのスッと波が引くかの様なスッキリとした後味。……これはまさに日本酒に勝るとも劣らない酒、まさしく奇跡の泉の湧き水としか言いようがない!」
「……お、おう」
俺はマリベルの勢いに若干引き気味になる。
「コタロー! もう一杯だ!」
「おう、ドンドン飲め」
「……まったく、朝から騒がしいのぅ」
「いや、今はもう昼すぎだ」
「……昼から騒がしいのぅ。もう少し静かに酒を楽しめんのかぇ?」
「そりゃすまんな。お、ハイジアも、グラス空いてるじゃねーか。もう一杯どうだ?」
「うむ、貰おうかの、ほれ、酌をせぃコタロー」
「あ、私もおかわり下さーい」
「ニャニャーッ!」
ニコもみんなと一緒に鳴き声を上げた。
「ん、なんだお前も呑みたいのか、ニコ?」
「ニャッ!」
自分にも酒を寄越せと前脚を突き出すニコはとても可愛い。
猫の可愛さは反則だ。
「つーか猫って酒呑んでもいいもんなのか?」
「猫と言ってもケットシーだしね、いいんじゃないかい。あ、虎太朗くん、私にもおかわり」
俺は飲んべえ共に酒を注いでまわる。
――ピンポーン
そうしているとお隣さん家の玄関チャイムがピンポンと鳴った。
「サビ猫ヤマトでーす! お届けものお持ちしましたー!」
「ご苦労」
「こちら、竜殺しの聖騎士マリベルさまでお間違いないっすか?」
「ああ、相違ない」
「では、ここにサインか判子をお願いしまーす」
「うむ、承知した」
デッカい缶々を抱えてマリベルがコタツ部屋に戻ってきた。
マリベルは缶をヨイショと床に置き口を開く。
「なにやら私宛にこんなものが届いたのだが」
「あ、それ頼んだの俺だわ」
「そうか、してこの缶は何なのだ?」
「おう、それはな、『牡蠣の一斗缶』だ」
「牡蠣の一斗缶……」
「ほう、虎太朗くん! いいものを頼んだね!」
「お、さすが大家さん、分かります?」
「ああ、缶々焼きだろう? あれは美味しいものだ」
「ふむ、ならば、早う妾に食させぬか」
「おう、ちょっと待ってろ」
俺はひとっ走り隣の自宅に戻ってから、携帯コンロを持ってくる。
そしてぎっしりと牡蠣の詰まった一斗缶をコンロの上に置き、直接火をかけた。
「これで良し、と」
「なんじゃ調理の手順はそれだけか?」
「まぁな」
「へぇー、随分と簡単な料理なんですね」
「おう、元が漁師の浜料理らしいからな、まぁこんなもんだろ」
俺たちは全員、焼酎をストレートで呑みながら牡蠣の出来上がりを待つ。
集まっている面子は割と女性比率の高い。
だが部屋に充満する、そこはかとないこのオッさん臭さは何なんだろう。
「あ、そういや、ニコって雄なのか? 雌なのか?」
「そう言えばどうなんだろうね」
「見た目では分からんからの」
「ふむ、ならば調べてみるか」
「ニ゛ャッ!?」
ニコは一目散に逃げ出した。
「グルルグロゥアアアァーーーーッ!」
ちょうどその時リビングの召喚陣から声が聞こえた。
「きた、きた、きた、きたーーーッ!」
魔物の雄叫びだ。
ついでに大家さんの雄叫びも聞こえる。
お客さんの来訪だ。
「私は行かんぞ。ハイジア、お前がいけ」
「妾も行きとうない」
女騎士と女吸血鬼の目は牡蠣の缶々焼きに釘付けだ。
「私は昨日やったからな、今日はハイジア、お前の番だ」
「……はぁ、仕方なかろ」
ハイジアはグラスを傾け、焼酎を飲み干す。
そして「ぷはぁ」と熱い息を吐いてから立ち上がった。
「直ぐに片付けて戻る故、妾を差し置いて宴を始めるでないぞ?」
そう言い残してハイジアはリビングへと足を運んだ。
ハイジアが魔物退治を終え、コタツ部屋に戻ってきた。
その後ろを大家さんがついて歩く。
大家さんの顔は不満タラタラだ。
「だからハイジアちゃん! 退治するのが早すぎだって何度も言ってるだろう!」
「知らぬわ、そんな事! それに妾をちゃん付けで呼ぶのはやめぃ、この下郎!」
「おう、おかえり」
「うむ、まだ宴は始めておらぬな?」
「ああ、つーか、いまちょうど缶々焼きが出来あがったところだ」
俺は一斗缶から牡蠣を一つ摘まみ出す。
「ほらよ、ハイジア。一つ食ってみろよ」
「うむ」
俺は牡蠣の蓋をこじ開けハイジアに差し出す。
蒸しあがったばかりの牡蠣は、ホカホカと湯気を立ちのぼらせる。
めちゃくちゃ旨そうだ。
「ふむ、見た目は僅かばかりグロテスクじゃの」
「いいから食ってみろ、パクッと一口でな」
ハイジアはアツアツの牡蠣を頬張る。
そしてムグムグと牡蠣を咀嚼し、ゴクンと喉を鳴らして飲み込んだ。
「どうだ?」
ハイジアは頰をピクピクと震わせている。
ニヤケそうになる顔を必死で堪えているみたいだ。
「……ま、まあまあじゃの。こ、この程度の美味なら、夜魔の森の我が居城で、……居城で」
「素直じゃないねぇ」
俺はそうハイジアに声をかけた。
「ええい、やかましい! いいからもう一つ牡蠣を寄越すのじゃ!」
「おう、ドンドン食ってくれ」
「あのー、私も牡蠣食べていいですかー?」
「もちろんだ! みんなもジャンジャン食べてくれ!」
牡蠣パーティーが始まった。
みんなが缶々に集まって、焼酎片手に牡蠣を摘む。
そんな中、俺も牡蠣を一つ摘んで口に放り込んだ。
「あふッ、つか、牡蠣はやっぱ旨いな!」
「うん、この味だ。磯の香りもいいね。これはお酒が欲しくなる!」
「ニャー」
「おう、ニコ、お前も食え食え」
俺はニコに牡蠣を一粒やる。
そのそばでマリベルが牡蠣をつまんだ。
マリベルは牡蠣をモグモグと咀嚼し、カッと目を見開く。
「旨いッ! 熱々の牡蠣のトロリとした食感が舌の上で溶けて口いっぱいに濃厚なまるでバターのような旨味が広がるではないか! それに加えてなんだこの食欲を刺激する磯の香りは! 天然の塩気がまた酒にあって牡蠣を食っていると焼酎を飲む手が止まらん! おいコタロー! 私に魔王をもう一杯だ!」
「……お、おう」
「え、えっと、ハイジアさん。マリベルさん、一体どうしちゃったんですか?」
「……放っておけ。あやつのアレは病気じゃ」
「はあ、変な人ばかりですねー」
女魔法使いはそう言って呆れた顔をした。
「あー、食ったし、よく呑んだなぁ」
「うむ」
「お、何だマリベル、今日は飲み潰れてないんだな」
「もう勘弁してくれ」
俺はそう言ってマリベルをからかう。
今日の酒盛りも楽しかった。
大家さん親娘は既に酔い潰れ、炬燵に脚を突っ込みながら横になってイビキをかいて寝ている。
……なんだかんだでこの親娘は仲いいな。
ニコは炬燵で丸くなっている。
そしてハイジアは、虚ろな瞳で「わらわ、ねりゅ」と言ったあと、千鳥足でコタツ部屋を出て行った。
「んじゃ、マリベル。俺もそろそろ自分ちに戻るわ」
「うむ、承知した」
俺はよっこいしょと呟きながら立ち上がる。
「じゃーなマリベル、おやすみ」
「ああ、おやすみ」
俺は少しだけフラつく脚を前に出してコタツ部屋を後にしようとした。
「なあ、コタロー」
そんな俺の背中にマリベルの声が掛けられる。
俺は首だけでマリベルを振り返った。
「ん?」
「いや、何というか、な。……こういうのもあれだ、幸せ、だな」
女騎士は照れ隠しにポリポリと頰をかく。
そんな女騎士に「ああ」と微笑んで、俺は背中越しに手を振りながらお隣さん家を後にした。
日常の飲み会回でした。
牡蠣の一斗缶、おすすめですよ!