『夏』 海の記憶―中編―
あっつい。
GL注意。分からない人はバックプリーズ。
千夏からの、海へのお誘いの返事は、二つ返事で了承だった。あまりに呆気無くて、あたしは携帯の画面を二度見してしまった。しかし二度読んでも、そこには『いいよ』の三文字がぼんやりと浮かんでいるだけだった。
『海の記憶―中編―』
呆気無いと言えば、最近、巡り行く季節が非常に呆気無い。すぐ終わって、始まって。誰かが早送りしてるみたいに。そう思うのは、自分が今に満足出来ていないからなのか、それとも逆なのか。
がたんごとんと、やかましく揺れる電車の中。向かい合わせの、四人掛けの椅子。外を眺めれば、田舎っぽいというか、田舎の風景らしいなと思った。
意外にも、あたしの目の前には千夏と紗綾ちゃんがいた。という事は、必然的に私の隣はりーな訳で。どうしてだか、少々恥ずかしかった。幸いにも窓側だったので、外へ視線を逃がす事で、難を逃れていた。どんな難なのかは、自分でも分かり兼ねる。
暑いな。
クーラーは効いているはずなのに、暑い気がした。視線が窓の向こうに縛られたみたいに、動けなかった。少しだけ視線を戻せば、視界に入る距離に、千夏がいる。何を戸惑っているのだろうか。
「なっちゃん」
「へ?」
「どうしたの、さっきから」
あー。と、どっちつかずの返事を返せば、少し怒ったように千夏は顔をしかめた。嗚呼、拗ねてるんだななんて、冷静に理解した自分がいた。昔っから拗ねた時には、よくこの顔をしていた。何だ、変わってないのか。そう思うと、気が楽になった。ごめんと言う代わりに、笑ってみせた。
「変なの」
そう言いながら笑った千夏は、妙に綺麗だった。すっかり何かを忘れたみたいに、気持ちが軽くなっていった。
「夏葉が変なのは今更だよ」
そしてその一言に、かちんときたのは言うまでも無い。すぐさま右を見れば、ばっちり視線が合った。してやったり顔のりーが、子供っぽく見えておかしかった。
「りーには言われたくないね」
「ほー」
「何さ」
「チビ」
「なっ……関係無いし。おまけにあんたがデカイだけ」
「170センチのどこがデカイ」
「十分デカイ。165センチのどこがチビだ」
中身の無い言い合いは、思いの外楽しかった。千夏と紗綾ちゃんは、やれやれといった表情で笑っていた。そして丁度、降りる駅を知らせるアナウンスが入った。
暑い。と降車するや否や、全員が呟いた。りーだけは、叫んでいたけれど。わんわんみんみんとうるさい蝉達に迎えられても、まったく嬉しくはなかった。
「どっちだっけ」
改札を出て、きょろきょろと辺りを見渡したけれど。まったくもって記憶に無かった。もう何度も来ているのに、相変わらずあたしは海までの道程を覚えていない。地図も読めなければ、勘も無い。よく生きてこれたねなんて、りーに言われた事がある。遠回しに、千夏がいて良かったねと言われた気がした。それに関しては、何にも言えないなと思った。
「あっちだよ」
呆れるように横にいたりーが指差した先は、私の予想したのとは全く逆の方向だった。
「なっちゃんは相変わらず方向音痴だね」
「昔っから重症だよね」
後ろで笑いながら、千夏が言った言葉に、りーは言葉を乗せた。
「そうなんですか?」
紗綾ちゃんは千夏にそう確認した。この中で一番小さな紗綾ちゃんは、人形みたいだ。
「そうそう。昔っから。酷かったのはさ、昔ね」
「ちーなーつー」
心当たりが幾つもある、あたしの思い出したくない失敗談。有無を言わさずに割って入ると、千夏は「また後でね」なんて紗綾ちゃんに告げた。その"後でね"が来ない事を祈るばかりだ。
暑いな。
急ぐ理由が、無いとも言えないのだけれど、あたし達は急ごうとはしなかった。距離が近い事や、りーが明らかにだるそうに後ろを歩いている事。それに、何故だかあたしの隣にいるのが紗綾ちゃんだという事。どうみても紗綾ちゃんは、せかせかと歩くタイプではなさそうなので、あたしは合わせてみる事にした。千夏は、後ろでりーを呆れながら見ていた。
『向こうはさ、こう何ていうか。からっとしてた』
そんな土産話をいつだったかに聞かされて、あたしはそれがどんなものなのか、想像を巡らした。しかし、オーストラリアの空ですら見分けがつかないのに、そこの気候の話をされたって分かる訳がない。あたしはすぐに白旗を揚げて、アイスを頬張り続けた。その後の話は、ぞんざいに聞いていた。ただ千夏が『それにしても、日本はじめっとしてるね』と言った事を、覚えていた。
これが、じめっとか。
あたしはそう思うしかなかった。焼けたコンクリートに、異常なまでの湿度。愛すべき日本が、急に憎くなるのは夏だ。夏生まれだとか、そんなのは関係無い。暑いのは、好ましくない。
「暑いねー」
「そだね」
二人共が、ぽーんと白球を天に投げたような、一方的なキャッチボールだった。間延びした紗綾ちゃんの声が、涼しげだった。彼女は、言葉とは裏腹に、あまり暑さを感じていないように思えた。そしてこの子が、『暑い』と言っているのを、あたしは初めて聞いた気がした。冬生まれの彼女の肌は、とても冷たそうに思えた。
「もう少しだから」
その先は何も言わなかった。続きを言う前に、紗綾ちゃんは「うん」と高めのトーンで笑った。暑い筈なのに、温かくなった心が奇妙だった。
こういう子を、可愛いって言うんだろうな。
うんうんと一人で納得している内に、眼前には砂浜が広がっていた。有名な海岸ではないけれど、さすがにこの時期なので人もたくさんいる。
やっぱこの時期は、少し多いね。誰かがそう言った。
りーが慣れた手付きで、ビーチパラソルを広げているのを尻目に、あたしはさっさとシートを敷いて、座りこんだ。小言が聞こえた気がしたのは、きっと気のせいだろう。
インドアなあたしには、日差しがきつい。
半袖パーカーのフードを被ったとき、右隣の砂が、控え目に沈んだ。
「お茶飲む?」
「あー、うん」
紗綾ちゃんは、人の目をしっかり見てものを話す。それはきっと、礼儀作法的には凄く当たり前で、そうするべきなんだろうけれど。あたしはいつも、困ってしまう。逸らして良いのか、悪いのか。そうして困っている内に、会話が大抵終わってしまう。
どーぞ。
緩く笑って、紗綾ちゃんはお茶をくれた。緑茶が好きな彼女は、いつもマイ緑茶を持参している。冷たくてほんのり苦い。でも、その苦さが逆に爽やかで心地が良い。日本も悪くないななんて思う。
「そういえば、よく休めたね」
部活。と紗綾ちゃんは何故か嬉しそうに言った。
「ん、あー。部長の機嫌が良かったから、かな」
ちらりと脳裏を金髪がよぎって、肩がぶるっと震えた。『休んでいいよ。その代わり、コンクール間に合わなかったら髪の毛剃るからな』と、とびきりの笑顔で言い放った部長の顔が、今でも鮮明に思い出される。
「大丈夫?」
ぬっと眼前に出てきた顔が、誰かと被る。髪の毛の色も長さも、目の大きさだって違うのに。暑さで頭がやられたんだろうか。大丈夫だよと返せば、紗綾ちゃんは安心したように向こうへ行った。
そろそろ手伝わないと駄目だぞ。
まるで他人事みたいに考える。そうこうしている内に、きっとビーチパラソルは完成してしまう。いつもの事だ。毎年そうだ。静観している間に出来上がって、一番先にりーが飛び込む。そして、準備体操しろー!と言いつつ千夏が準備体操せずに飛び込む。私はそれを静観してる。泳ぎは嫌いじゃないし、寧ろ得意な方。ひらたく言ってしまえば……日焼けが大嫌いなのだ。
「な~つ~は~ちゃ~ん」
アーメン私。
りーにパーカーを剥ぎ取られ、そこに千夏が加わった。海へと放り込まれるだなんて、人生初体験だった。周りの人たちの哀れそうな目ったら。忘れられない。
「ぶはっ!なにすんのさ」
「泳ごう夏葉、あの夕日に向かって」
「まだ昼前だよ」
み、見事に鼻に入った海水が憎らしい。紗綾ちゃんの冷静すぎるツッコミは、相変わらずのんびりしている。千夏なんて酷いもので、すい~っと一人で優雅に泳いでいる。沈んでしまえこいつ。
鼻が痛い。眼も潤んできた。そんな中でぼんやりと考えるのは、去年の夏。同じような時期にここへやってきた。違うのは、紗綾ちゃんがいることと、私の髪の毛が短い事。あとは、なんだろうか。受験生じゃないことくらいか。
短い毛をぶるぶると振るわせれば、当然のように気分が悪くなった。頭なんて振るものではない。声にならない声を出してから、水面に仰向けになる。日差しがぎらぎらと頑張っている。痛い。日焼け止めなんて人間の悪あがきは、きっと通用しない。
きゃっきゃとはしゃぐ声が聞こえる。りーが何かしているのかと耳を澄ませば、声の主は千夏だった。どうしようもなく、呆れた自分がいた。
「ねえ」
声はすれども、姿は見えず。知らず知らずの内に、目を閉じていたらしい。投げられた声に、瞼を上げた。太陽ではなく、紗綾ちゃんの顔がそこにはあった。
「私も一緒に寝ていい?」
寝ては、いないんだけどね。とは言えなかった。にこりと音を付けたくなる程に、綺麗に笑っていた。いいよと言った自分も、自然と笑っていた。ざぷん、とやっぱり控えめに揺れる水面が、彼女らしさを表していた。ゆらゆらと揺れる。面白い程に何もない。それだけ。
「気持ちいーね」
「焼けるけどねー」
「夏葉ちゃん白いよね」
「紗綾ちゃんもね」
ぽんぽんと投げられるような会話が、どことなく気だるい夏のようだった。こんな平和な時間は、そう長くは続かないのだ。そう言わんばかりに、りーが突撃してくるのは、ほんの数分後の話。
つづく。
書きたい事が、書けずにだらだら長いので、後編へ。
間があきすぎですね、ごめんなさい。




