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手が届く頃には  作者: testrip
4/13

『夏』 海の記憶―前編―

 あの後、千夏は何事も無かったみたいに素麺を食べて、さっさと帰って行った。

 それがあまりにも当たり前の動作で、あたしは引き止める間も無く少し顔を歪めるだけだった。何かがずれてるような噛み合ってないような、もどかしい感覚。


『海の記憶』


「と、言う訳だよ小林クン」

「……珍しく呼び出されたと思ったら、これまた厄介な」


 一通り昨日起こった事を適当に話すと、りーは視線すらこちらへ向けずにギターを調律しながらめんどくさそうに返事をした。

 ガガガ。と壊れるんじゃないの?って思うくらい古びたクーラーがうるさいだけで、美術準備室は実に静かなものだ。

 今日は部活のある日で、私以外の大抵の部員は隣の美術室でせっせと作品作りに励んでいる。一方でりーは今日は部活の無い日だ。だから呼び出したんだけどね。

 はあっ。と小さくりーは溜息を吐く。よっぽど呆れているのか、やはり視線はこちらに向けてはくれない。


「っていうかね、夏葉にも分かんないのに私に分かる訳ないじゃん」

「ですよねー」なんておどけて言うと、りーはさっきからペンペン鳴らしているギターの音を止めた。


 あら、怒らせちゃったか。

 そう思い、謝罪の弁を述べようとする前にりーはちらりとこちらを一度だけ一瞥した。そしてまた調律を再開する。あたしはうん?と内心疑問に思った。それと同時にその表情がどこかに引っ掛かる。


「ま、私には分かんないよ」もう一度苦笑いしながら言う小林クンは何だか手元のギターとは違うものを見ている気がする。


 だよね。ともそっか。とも返せずに、あたしは何だかばつが悪くなって小さくごめんと呟く。何で謝ったのかなんてあたしにも分からないのに、りーは納得した表情で笑った。


「いいよ、別に」よし、終わった。こう続けて嬉しそうにギターを軽快に鳴らす。否、弾く。


 相変わらず楽しそうに演奏する奴だと思う。

 出会った時、というか顔も見た事の無い彼女の音に出会った時。こんなにも軽快で愉快に楽器を演奏する人がいるのかとあたしはわくわくした。『楽器は大抵何でも弾けるよ』自慢げでも誇らしげでもなく、出会ってから林檎が青から赤に変わるくらいの時が経ったときに、りーはそう言った。素直に感心したのを覚えている。ちっさい癖にりーは昔から見た目の大きさ以上に大きかった。

 ……実際、今じゃ身長も大きいんだけどね。昔はあたしより小さかったのに、あっさりと抜かされてしまった。


「古そうなのに、意外と綺麗な音だね」

「私の調律が上手いのさ」にやりと笑うりーは黙ってれば綺麗だ。


 調律とか音楽関係の類には一切詳しくないあたしは、はいはい。と軽く流してその話を終わらせた。

 夏には似合わないゆったりとした春の日差しみたいな曲を、りーは穏やかな顔をして弾いている。クーラーの効いた部屋で聴く分には非常にまったりしていていいのだけれど、これを炎天下の下で弾かれた日には少々苛々するだろうな、なんて思う。

 ほこりっぽい臭いと絵の具の不思議な臭い、古びた教室。それにギターの音でこの空間はちょっとした異空間みたいだ。


「そういえば、ペット吹くとき以外はくくらないよね」とりーの頭を指差して言うと演奏を止める事無くりーは考える風に首を傾げて左上を仰ぐ。


「あー、そういえばそうかも」


 それから、りーは妙に納得して頷いた。春生まれの彼女が笑うと、涼しいこの部屋が春の陽気に一瞬触れたみたいになる。なら、夏生まれの私が笑ったら夏の直射日光になってしまうのだろうかなんてくだらない事を考える。それは勘弁してほしいな。

 普段はしゃきっとしてるというか身長も影響してなのか、りーはクラスでは所謂姐御肌タイプだ。だけど、話をして噛み砕いていくとなんともぽかぽかぽやぽやした人間だ。春生まれのB型はいつもかなりのマイペースっぷりを発揮してくれる。それは親しい人間だけが知ってる顔だと思う。


「まあ、千夏さんが元気無いのはわかった」


 ギターを元あった場所に置きつつ、りーは何だかにやにやしている。……今日は何を企んでいるのだろうか。突拍子の無い事を言うのはりーの十八番だ。


「海に行こう!」


 脚を組んで、目をきらきらさせてこちらを真っ直ぐ見つめるりーは、きっと第三者から見ればかなり美人なんだろうけれど。あたしにとって今のりーはただの子供(がき)だ。

 言いたい事は一杯ある。とりあえず……全部言わせてもらおう。


「いってらっしゃい」

「釣れないなあ」


 皆で行こーよ。夏といえば海、あとは西瓜にかき氷だよ!とりあえず、りーが海に行って西瓜とかき氷を食べたいという事は重々承知した。

 こいつは色んな事を分かってて言ってるのか、分かってないのか。


「千夏サンは受験生なんですけど」


 わざとらしくさん付けをするとりーはこの程度の事ではひるまなかった。


「一日くらい平気だって、千夏さん頭いいし」

「てか、千夏はまだ部活もあるし」うちらも部活あるじゃん。と続けるとりーは一瞬詰まった。

「今日みたいに夏葉がサボればなんとかいけ「今日は特別、あたしだってまだ作品仕上がってないし」

「うっ。ま、まあ一日くらい休みが重なっ「無いね、千夏は合宿まであるし」


 まだ言うか、という感じで言葉を被せていけばりーが怪訝そうな顔をした。言いたい事は分かる。


「げっ、受験生なのに合宿まであんの」

「あるらしいよ」


 素っ気無く窓の外を見てそう言えば、りーが何やら怪しい声を出して笑う。


「ははーん、その顔は寂しいんでしょ」

「……は?」


 思わず驚いてりーに向き直る。

 十八番だから慣れていると言えど先の台詞には少々理解に時間がかかった。

 視線を交えればにやにや顔のりー。何が言いたい、という風に視線を外さずにいるとりーは「顔に寂しいって書いてある」と膝に頬杖を突いて言った。そんな訳あるかっ。と心の中で一蹴する。どちらかといえばこの間の千夏が気がかりで、寂しいというよりか心配だった。


「ふーん」

「ほらまたそんな顔する」


 視線をもう一度窓の外へやれば苦笑するりーの声。


「千夏さんを元気に出来るのは夏葉だけだよ。だから海に行こう!」


 やたらと自信満々に言うその声と、校庭で鳴く蝉の声が酷く耳についた。後半は凄く無理矢理感が漂っていたけれど前半の台詞には、はっとした。的を射ているようでずれているような台詞だ。

 塵埃にまみれた準備室の窓は見ればくしゃみの出そうなくらいくすんでいる。それと同じくらいぼやけた、漠然な言葉だった。


「あたししか、ね」随分と自意識過剰な台詞だと思う。

「そうだよ。夏葉にしか無理」


 何を根拠に言っているのかは分からないけど、りーの言葉の最後が何故か震えている気がした。冷房がきついのか、なんなのか。どこかにその声が引っ掛かって、もどかしい感じがする。今日のりーは昨日の千夏並みに変だ。

 視線を戻す気にはなれず、とにかくグラウンドを眺めた。ざわざわと騒ぎ出す胸はいつの日かみたいで、少し眉を顰めた。


「行こうよー海ー」


 まだ言うか。とは言えなかった。トーンの戻ったりーの声に安心してしまってつい口走った言葉。


「行こっか」


 ふっと笑って零せばぽかぽかと笑顔を浮かべているのが見ずとも分かった。

 しまったと思う反面、心のざわつきが消えて落ち着いた。まあ、いっか。千夏もきっと疲れてるから変なんだろうし。気分転換ってやつだ。


「さっすが夏葉!」分かってる!そう続けたりーに、あたしは笑うしかなかった。


 分かってなんていない。きっとあたしは二人の事をほとんど理解していない。今、言った『分かってる』はそういう事とは少し違うんだと頭では理解していても、それを否定するしかなかった。

 りーは早速携帯を取り出して、連絡のメールを打ってるみたいだ。それを見て、やっぱり私が千夏に連絡入れなきゃいけないんだろうな。と腹を括る。


「紗綾ちゃん?」


 九割九歩そうだと分かっていつつ尋ねると、りーは当たり前じゃんという風に文面を見せてきた。

 おー。と適当に相槌を打つと、りーはまた打ち始めた。

 簡素で、だけど素っ気無い訳じゃないその文面。少ない数の絵文字は逆に相手を安心させる。そういえば、紗綾ちゃんも千夏も絵文字が少ない。まあ、相手によって変えたりするだろうし、一概にそうだとは言えないんだろうな。

 ぼーっとそんな事を考えてしまう。あたしは絵文字を入れた事は、片手で事足りるくらいの数だ。

仕方無いか。なんて溜め息を一つ吐いてから携帯を開く。スライド式の携帯は、開くときに少し物足りない気がするのはあたしだけだろうか。……スライドって日本語で何て言うんだろう。また仕様も無い事を考えてしまった。

 千夏のアドレスをちゃっちゃとみつけて、文章を考える。


「そーしんっと」


 そう言って、りーは満足気に携帯をぱたりと閉じる。壊れかけのクーラーは少々冷えすぎる。


「何て送ったの」

「んー?海行こうってのと、空いてる日教えて」

「あー、意外と普通」

「え、何それ」失礼な奴。と、りーは綺麗に笑う。ほんと、黙ってれば美人。


 かちかちと、りーの内容を完全にパクった文章を打つ。途中で絵文字を入れたのは、昨日の事があったからだろうか。一瞬迷ってから、クリアボタンを押す。絵文字の無い文章は、自分で打っておきながらいつもより冷たい気がする。送信ボタンを押す瞬間、誰かにさよならをするような、そんな変な感じがした。


「よし」


 携帯をポケットに仕舞う。顔を上げると、りーはじっとこちらを見ている。まるで心配するみたいに。

格段と目が大きいわけでないりーの目が真っ直ぐにこちらへ向いている。大人びた表情って、こういう事を言うのだろうか。

 見詰め合うというのも少々変な気がしたから、あたしは「なに」と笑いながら声を掛ける。小林里帆は、その言葉に笑った。


「海でのお絵描き禁止ね」


 柔らかい笑顔でそう告げられる。一瞬きょとんとしてしまったけれど、すぐにその言葉を把握した。  それは無理だ。心の中でぽつりと出てきた言葉。海に行くと毎回、ほとんど泳がずに遠くから海を描いている。海と、他にも少々。あたしは苦笑いするしかなかった。


「それは――」

「今年は禁止」


 何が何でも、という風にりーはあたしの言葉を遮る。どうして今年に限ってこういう事を言い出すのだろうか。それとも、今年だからだろうか。あたしには分からないでいた。少し体温が上がる。


「ちょっとだけでも……」


 りーの空気に押し負けて、あたしは妥協してしまった。

 その台詞に、りーは複雑そうに眉を顰めた。ほとんどその変化が分からないような、小さな動きだった。

 何故だかじんわりと汗が滲んでくる。クーラーが壊れたのだろうか。音が聞こえなくなった。


「まあ、ちょっとならいいか」メインは海水浴だからね。


 ふんわりと、諭すようにそう言われる。答えはイエスというしかなかった。

 まだ少しだけ、りーの顔に陰りがある。それにあたしは気付かないフリをする。


「よかったあ」


 りーの瞳に映る自分は、きちんと安堵の表情を浮かべているだろうか。気が気でないというのは、こういう事だろう。今海に行ったとしてもあたしはきっと、絵を描かない。どうしてかは、分からない。

やっぱりあたしは『分かってない』。

 私とりーの携帯がほとんど同時に震える。二人共一瞬、何故か躊躇ってから携帯を開いた。

 ガガガ。と、クーラーは冷えすぎた空間を更に冷やしていく。



つづく。

夏だ!海だ!なんて、作者は里帆のようにははしゃげない夏でした^^;

前書きに書いたように、十一月からお休みを頂きます。

中途半端なところで、休載に入りそうです。すみません(深々)

間に合うかどうか分かりませんが、頑張りますね(何)

では、失礼します。


3/1

次回更新分が書け次第の復活となります。

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