『秋』 秋触れの 4
チャイムを鳴らすと見知らぬ顔した同じ制服の人が出て来た。目立つ金髪は明らかに三年生らしい風格なのと、その女の人が出てきた瞬間に伊勢谷さんが固まったので上級生なことは確定した。
「た、鷹司先輩!」
聞き覚えのある名前に伊勢谷さんの方を向く。その名前は確か美術部の部長だったように思う。
知り合いなのならば伊勢谷さんに話してもらおうと黙って様子をうかがうも、彼女は顔を赤くしただけで次の言葉を紡がないし、鷹司先輩とやらも気まずそうに笑いながら主に私に話しかけるように声を出した。
「こんにちは。何か御用ですか?」
「あ、えっと、紗綾さんのお見舞いついでにプリントを渡しに来たんですけれど」
”そもそもあなたは何でここにいるんですか?”と、続ける勇気はさすがにない。
「そうなんだ。紗綾さっき寝ちゃったから、プリント渡しておくよ。せっかく来てくれたのにごめんね」
「いえ、ちょっと顔が見たかっただけなので」
なんのよどみもなくプリントを受け取って微笑む顔は優しく見えて、夏葉がよく呪文のように「部長は常に目が座っていて怖い」と唱えていた人と同一人物には見えない。ここでどうしてもさーやに会いたいわけではないし粘る理由も無いから引き下がろうとしたとき。やっと呼吸法を思い出した人物が一人。
「ッ!なんでいらっしゃるんですか?! 津川さんの家ですよね!?」
いまだに赤い顔をした伊勢谷さん。呼吸困難にならなくて良かったね。
そう、ここは間違いなくさーやの、津川紗綾さんの御宅だ。私もどうしてこの鷹司先輩がこの家にいるのかは知りたいのでこの質問を邪魔するつもりはない。気持ち一歩引いて、二人の会話を見守る。
「いとこだからだよ」
きょとんとした顔でそう告げられて二人して「「ああ~」」と納得する。いとこね。
「そうだったんですね。知らなかった……」
知ってたら怖いでしょと思いつつ伊勢谷さんに同調するように「ね」とだけ軽く相槌を打った。
いとこと分かれば謎はすべて解明で、私たちが他人様の家の玄関先で騒ぐ必要はもうどこにもない。さっさと家に帰って今日の宿題を済ませてお風呂にでもゆっくり浸かってこの徒労を慰めたい。
「じゃあ、失礼します」
頭を下げて踵を返す。伊勢谷さんも慌てて頭を下げて「失礼しますっ!」とこれまた元気良く声を出して私の後ろをついてくる。
「ありがとうね」
鷹司先輩の声に見送られながら私たちはさっき来たばかりの道を戻る。
――
「あれが噂の鷹司先輩かあ」
電車に乗り込んでから呟いてみる。聞いていたよりずいぶんと優しそうな人だったけれど、確かにああいう笑顔が穏やかなタイプの方が裏が読めなくて怖い。
「かっこいいでしょ」
にこにこと伊勢谷さんが効果音を発しながら私の顔を見てくる。あまりかっこいいという感情を人に抱くことがないので難しい。かっこいいだとか、綺麗だとか外面的な部分はそれぞれの価値観によって大きく違う。
「そうだね」
適当に返事をすると伊勢谷さんはさらにきらきらという効果音を発しながら言葉を紡ぐ。
「私、鷹司先輩のこと好きなんだあ!」
「そうみたいだね」
そんな丸わかりなことを改めて言われて、笑ってしまう。さっき顔を見ただけで真っ赤になっていたのだから、好意は良く分かる。そしてその好きはまだ色が分からない、そんな”好き”だ。
「憧れてるの?」
「うーん、そうなのかな。よくわかんないんだよね」
なーんて眩しいんだ。こんなに素直に好意を口に出来て。私なんて嘘ばっかりついてもう自分の気持ちに何重にも色を塗っているのに。
「じゃあ付き合いたい?」
少しだけ意地悪な質問をしても、伊勢谷さんの前では特に意味をなさない。
「わかんないかなー。難しい」
そう言いながらも楽しそうに笑う伊勢谷さん。私は喉に引っかかりを覚える。私はね、ずっと好きな人がいてその人と付き合いたいけれどそんな気持ちすら口に出せない臆病者だよって。私の中の私じゃない誰かが改めて突き付けてくる。
「まあでも好きって気持ちは良い事じゃん」
自分には絶対にそんなセリフを吐けないのに、他人には言えてしまう。
「ありがとう」
きゅっと小さく笑った伊勢谷さんは晴れた顔をして続ける。
「夏葉にはなんかこういう話、しにくいんだけど。小林さんには何か言いやすい! なんでだろ」
「そりゃ夏葉が恋愛とは無縁の能天気お絵かき人間だからだよ」
口にするつもりのなかった悪口が楽し気に口から出てきてしまって、こういう日もあるよねと笑ってごまかした。