日々これ精進
教師になると発言してから三か月が過ぎようとしていた。
黒板にチョークを当て、丁寧に文字を描いていく。
チョークを打ち付け子気味良い音を立てながら、白い文字が黒板を埋め尽くした。
「は~い、みんなぁ注目。私語は止めなさ~い」
手を叩き乾いた音を立てて教室内の生徒に呼び掛ける。
生徒数二十人の小さな学校は活気に満ち溢れていた。
だが、勉強で盛り上がるのではなく、私語や遊びで盛り上がっていることが大半なので教師としては寂しい限りだ。
「せんせぇ~。何て書いてあるのか分かりませぇん」
十歳の男の子、ジョーが手を上げるとともに、お手上げと言わんばかりの言葉を口にした。
「ジョー、それを今から教えるから。黒板には皆の名前が書かれているんだ。自分の名前は書けるようになったから、お友達の名前も書けるようになりましょう」
「え~! 早く遊びたいよぉ。サッカーしよう、サッカー」
運動大好きなジョーらしい言葉だ。だが、そうは簡単に遊ばせない。
「ダメ。先ずはお勉強! ……全員が書き終わったら、休み時間にしよう」
俺の言葉で多くの子供がぶーぶー言っているが、嫌がられるのも教師の役目だ。
今考えれば、過去に先生から口やかましく言われていたのも、生徒を思ってのものがあったのだろう。
感傷に浸っていると、また一人が手を上げた。
「先生、勉強することに意味があるんですか? 勉強しなくても生きていけますよ?」
この学校最年長である十五歳のマリーが冷めた口調で言った。ただいま絶賛反抗期中である。
ややつり目に、そばかすがチャームポイントの少女だ。今の態度だけ見れば不良のように感じるが、根は良い子らしい。
「そうだねぇ。生きては行けるんだけどねぇ……。知識はあっても損しないんだよ。知らないことを知れるし」
「畑仕事に必要なんですか?」
マリーの言う通りではある。勉強をしなくても生きては行けるのだ。ただ、生きるだけである。本当に必要なことを伝えなければならない。
「必要だね。もし畑仕事に必要な知識が出た時に、それが本だったらどうする? 誰かに読んでもらうのも手だけど、自分で読めるに超したことはないよ」
「知識知識って言うけど、そんなに大事なんですか?」
「うん、それは間違いない。知識は武器になる。経験ももちろん大事だよ? けど、知識と経験が合わさると、今まで以上の力になるんだ。知識が増えると、今の世界をより輝かせることになるから」
諭すように優しく言う。俺の言葉を聞いて少し唇を尖らせたが、多少は納得してもらったのか次の言葉は出てこなかった。
話しが終わると、それぞれが課題に取り組み始める。一人一人の机を周りながら問題がないかを見て回った。
後ろから俺の後を付いてくる足音が聞こえる。
「アイン、座ってなさい」
振り返るとポテポテと俺に向かって歩いてきていた。
最近は活発に動けるようになっている。クレアに任せっきりにするのも悪かったので学校に連れてきている。
「パ~パ」
やだ! 可愛い! いやいや、ここでにやけている場合ではない。
最近、可愛さに拍車が掛かっている。周りからも寵愛を受けているので、親バカではなく本当に可愛いのである。多分。
「まんま~」
「ああ、まんまね。これが終わったらね。それまで我慢してね」
「うぶぅ~」
どうやら不満を垂れているようだが、授業も大事なので食事は後回しにする。
・ ・ ・
食事を終えて、学校の外に出る。
振り返って学校を見ると、その作りの良さに感慨深いものを感じた。
領主との話しを終えてから、一月余りで完成した建物だ。
生徒数のことを考えて、それなりの大きさで作られているため迫力がある作りであった。
まあ、ただの木造平屋であるが。そうは言っても周りの家に比べると立派なものだ。
ただ、休み時間の遊びに関しては何も考慮されていなかったので、俺なりに色々と考えた。
学校の前にある空き地……といってもただの野原だが。そこの雑草をむしって校庭として使っている。
しかし、遊具などがないので教えることができる遊びは限られていた。
そこでお手製の遊び道具を作れないかと、イーサンやクレアと話して協力してもらった。
その中でも渾身の作が、スライムの皮をボールとして使うサッカーだ。
サッカーゴールはないので、地面にゴールを描いたもので代用した。
「パス、パス!」
「行けー、シュートだぁ!」
スライムボールはよく跳ねる。ボールが作れないか相談した時にイーサンが提示したのが、これであった。
スライムの内容物を全部取り出して、大きなスライムの中に小さなスライムを丸めるように突っ込んでボールとしたのだ。
みんなを楽しませているボールはスライム一家で出来上がった物と言っていい。
やや可哀想である。
勉強に運動、手遊び等、学校らしいことはできるだけしている。
領主の求めた思いには応えていると思う。ただ、この学校を作ったのは俺に対する口止め料の様にも感じた。
「先生もやろうぜ~」
男子生徒からお誘いの言葉があったので、女子生徒にアインの世話を頼んでサッカーに興じた。
・ ・ ・
今日の授業を終えて、アインを連れランパード家に帰る。
家の中に入ると、ちょうどクレアと鉢合わせた。
「あら、マサヨシくん、アインちゃん、お帰りなさい」
「ただいま帰りました」
迎えの言葉に返事をする。拙いながらもアインも返事をした。
言ってみて思うが、俺は相変わらずランパード夫妻のお世話になっている。
一人前の男になりたいと思ってはいるが、結局はまだ未熟者であることを自覚させられた。
「どうかしたの?」
クレアが不思議そうに聞いてきた。思ったままに言うのも良くはないだろう。
「いえ、ちょっと疲れていまして。ほら、アイン、自分で立ちなさい」
「パ~パ~……」
「潤んだ目をしてもダメ。はい、しゃんと立ってねぇ」
抱っこしていたアインを床に下ろす。不満そうな空気を漂わせているが、多少は厳しくしないと。
その時、クレアが小さく笑った。
「あ、ごめんなさい。マサヨシくんが本当にパパって感じがして、微笑ましかったの」
そう言うと、また笑った。嬉しい言葉である。自分ではまだまだと思っているが、そう見えたのなら多少は進歩しているということだ。
俺も笑みを浮かべて頷いた。最近は作り笑いではなく、本当の笑みを出せるようになってきた。
それは村に馴染んできたのもある。
詐欺師の一件を解決し、領主に認めてもらって以降、村人から信用されるようになった。
教師となってからは更に打ち解けるようになり、今では気軽に世間話ができる程だ。
「ありがとうございます。まだ未熟でしょうが頑張っていこうと思います」
「そんなことないわよ。十分頑張っているじゃない。もっと胸を張っていいのよ?」
「そのように言ってもらって嬉しいです。アインを立派な子に育ててみせます」
俺の言葉を聞いて、クレアは微笑んだ。少し恥ずかしい言葉を口にしたこともあり、何かむずがゆくなってきた。
「ねぇ、マサヨシくん、聞いても良いかしら?」
「はい、何でしょうか?」
「お嫁さんを探してみない?」
「うえぇっ!?」
とんでもない話がクレアの口から飛び出してきた。考えたことはないではないが、いきなり話が出てくると動揺してしまう。
何と言えばいいのか分からない。
「えっと、そのぉ……。俺みたいなシングルファーザーと結婚してくれるような人はいないですよ」
乾いた笑いをする。まあ、半分は事実である。あと半分は、俺自身の魅力が足らないことだ。
「そんなことはないわよ。マサヨシくん、結構人気あるのよ? でも、無理にとは言わないわ。その気が出たら一緒に考えましょ」
何ですと!? 人気があるなど、いままでの人生で聞いたことがない。
とりあえずクレアの言葉に頷いて自室に戻る。
考えるのはお嫁さんの事だ。ランパード家にいるから、あまり深くは考えていなかったが、伴侶を持つことも一人前の男の重要な要素である。
とは言っても、いきなりお嫁さんを探せるような勇気はない。
どうしたものかと思い、アインを抱きかかえる。
「なぁ、アイン……。ママがいた方が嬉しい? ママがいないのは寂しい? ……俺はどうなんだろう」
アインにひとしきり問いかけて、大きなため息を吐いた。