異世界の事情を知る
イーサンが宿屋のドアから身を出して、手招きをしている。頷いて宿屋の中に入った。
宿屋の中に入ると、手前に四人掛けのテーブルが三つと、奥に調理場と思しき所が見えた。ここは宿屋の食堂なのだろう。
中にはイーサンと他に二人いた。奥の調理場に中年男性と、イーサンの近くにいる中年女性だ。
男性は服の上からも分かる程にマッスルだ。顔つきも険しい。熊のような人だ。
女性は男性と打って変わって、細身でふわりとした長い髪、優しい笑みから柔らかな雰囲気が漂ってくる。
「ダリルさん、クレアさん、この子達です。彼はマサヨシ・ユウキ、赤ん坊はアインです」
イーサンの紹介を受けて、男性がダリル、女性がクレアということが分かった。
おっと、俺からも自己紹介をしないと。
「あの、マサヨシです。で、この子がアインです。ご迷惑をお掛けして、すみません」
「良いのよ、気にしないで。村長さんが滞在しろって言ったんですから。あ、私はクレア・ランパード。奥にいる人は夫のダリル。よろしくね」
クレアは優しい声色で、俺たちの滞在を認めてくれた。
改めて、村長の偉大さが分かった。
「まあ! 可愛い赤ちゃん。ちょっと抱っこさせてもらっても良いかしら?」
「え、ええ。どうぞ」
「ありがとう。可愛いわねぇ。ほら、あなた見て。すごく可愛いわよ」
アインを抱っこしながら、楽しげにダリルへ言った。
「俺はいい」
「もう……。気にしないでね。あの人、不器用なの。接客には向かないのよねぇ」
不満そうにクレアは言った。賛同することもできず、乾いた笑いをすることしかできない。
「あ! マサヨシくん、ご飯食べた? まだなら家の人に作ってもらうわよ?」
「あ、そのぉ……。お願いしても、良いでしょうか?」
恐る恐る聞くと、クレアは笑顔で頷いた。
それを見て気が緩んだ。と、同時にお腹が鳴った。
「あらあら。よっぽどお腹が空いていたのねぇ。あなた~、何か作ってちょうだい。あ、アインちゃんにはヤギのミルクが良いかしら。そこに座って、ちょっと待っててね」
「あ、ありがとうございます」
アインを俺に返すと、クレアは奥に向かった。俺はその背中にお辞儀をする。
食事がとれる。それだけで心が満たされそうだ。
何が何だか分からないまま、赤ん坊を押し付けられて、モンスターに襲われて。とんでもない世界に転移させられたもんだ。
とんでもない世界?
「あの、イーサンさん、ちょっと聞いても良いですか?」
やっぱ呼びづらいな。
「どうかしたか?」
「えっと、俺たち流れ流れて、ここまで来たんですけど。ここはどこですか?」
「おいおい。どれだけ旅していたんだ? 荷物も少ないし」
ギクゥッ! 心臓が跳ね上がりそうになった。
「に、荷物はモンスターに襲われた時に落としちゃって」
「そりゃあ、災難だったな。アインちゃんまで連れていたら、大変だったろう?」
「はい、大変でした」
大変、大変、大変どころじゃないですよ。死を覚悟するぐらいに追い詰められたんですから。
しかし、真実を伝えることはできない。嘘を吐く度に出てくる、この息苦しさから早く解放してほしい。
「話が逸れてしまったな。ここはティターナ王国だ。マサヨシ達は隣国のクナ国から来たのか?」
「はい? じゃなくて、はい」
「そうか。クナ国はモンスターとの戦いが多いようだから、大変だよなぁ」
勝手に納得してくれた。これには安心した。貰った情報から、とりあえずクナ国とやらの出身で話を通すしかない。
「ティターナ王国だと、モンスターは少ないんですか?」
「クナ国に比べれば静かなもんさ。ここら辺は野良しかいないから、滅多に襲ってはこないし。定期的に狩っているしな」
えっ!? 俺、襲われたばかりなんですけど。
「今日、モンスターに襲われたんですけど?」
「そうだったのか。もう少し期間を縮めないと危険かもしれないな」
是非とも、そうしてください。是非とも、是非とも。
何か暢気そうにされていますが、こちらは死活問題だったので早急に対処してください。
「そういえば野良って言いましたけど、その野良じゃないモンスターもいるんですか?」
「ああ、魔王の配下、『アビス・ヴァレット』と呼ばれているやつらが指示をしているらしい。そこのモンスターは、野良とは違って集団で襲ってくるようだ」
ガチだ。本当にRPGの世界に来てしまった。
だから、アインは勇者として作られたということか。となると、魔王を倒さなければいけないんだよな。
「イーサンさん、魔王に挑んだ人っていたりしますか?」
「ん? 話には聞くけど、上手くはいってないようだ。救世主でも出て来てほしいもんだな」
「救世主……ですか」
アインは救世主となるんだろうか。あの神の口ぶりではそうだろう。
運命を決められた子供と思うと、寂しくなってきた。
気分が落ち込んできた時、鼻を刺激する良い匂いがした。
「ほら」
ダリルがいつの間にか横に立っていた。
テーブルに置かれたのは、パンとシチューだ。良かった、前の世界と食文化が大きく違ってなくて。
これで虫とか出された日には、腹が減ったことも忘れかねない。
「ありがとうございます、ダリルさん」
お礼を言うと、ダリルは無言のまま去って行く。入れ違いでクレアがミルク瓶を持ってきた。
「はい、マサヨシくん。これを使って、アインちゃんに飲ませてあげてね」
出された器の中にミルクが注がれる。クレアはスプーンを俺に差しだした。
哺乳瓶でやるものと思っていたが、スプーンで与えるのも良いのだろう。
「クレアさん、ありがとうございます。ほら、アイン。口を開けて。はい、あ~ん」
「あ~う~」
「お、良くできましたねぇ~」
少しずつアインの口へと運んでいく。
お腹が減っていたのか、いい勢いで飲み干していく。これだけ食欲があれば、丈夫な子に育つだろう。
「あら? やっぱりパパねぇ」
「えっ? そうですか?」
「ええ。優しい目をしていたわ。アインちゃんも嬉しそうにしているし。親子なのねぇ……」
クレアは少しだけ寂しそうな顔をした。が、すぐに笑顔に変わった。
何がそうさせたのか分からないが、俺とアインの姿を見て何かを感じたに違いない。
「じゃあ、俺は帰るとするかな。クレアさん、マサヨシとアインちゃんをよろしくお願いいたします」
そう言うと、イーサンは宿屋から去って行った。どことなく寂しくなる。
「マサヨシくん、食事が終わったら部屋に案内するわね」
「あ、はい。よろしくお願いします」
笑みを浮かべたままクレアは奥に引っ込んで行った。
お腹が一杯になったのかアインはまた寝息を立て始めた。
今一度、アインの顔をまじまじと見る。どこからどうみても、普通の赤ん坊だ。
そんな子がモンスターや魔王がいる世界で、勇者として生きていかなければならない。
まだ幼い子には重すぎる話だ。そんな子を俺は育てることができるのだろうか。
神がどうこう、勇者どうこうではない。そもそも、一人の子供を俺が育てることができるのか。
クレアは俺のことをパパ、と言った。今の俺には、その言葉が重く感じた。