振るえ木剣
対峙した飛び跳ね竜が低いうなり声を上げ始めた。
張りつめた空気に呼吸がままならなくなる。深呼吸をしたい。だが、それを許してくれない。
この状況から早く抜け出したくなる。
モンスターから発せられる圧力が一瞬で押し寄せてきた。
「わっ!?」
目と鼻の先にモンスターの歯が過ぎった。
生々しく粘っこい口臭が鼻につく。モンスターの圧力とその存在感に押されて、大きく飛び退いた。
恐怖の波から逃れようとした俺に更に荒波が襲い掛かる。
「うわっ! うっ! くぅっ!」
俺の体に喰らい付こうと、粘ついた唾液を垂らした牙が猛追してくる。
何度も飛び退き、足がもつれそうになりながら退いて行く。息が荒くなり、体が思うように動かない。
ただただ、逃げ続ける。恐怖から逃れることしか考えられなくなっていた。
怖い、怖い、怖い、嫌だ、嫌だ、死にたくない。足が絡み合った。
「わっ! わぁ!?」
背中から地面に倒れ、後頭部に鈍い痛みが走る。
頭の中に痛みが響き、揺れる視界に映るのは、モンスターが喰いつこうと首を縮めて力を溜めている瞬間だった。
「ウォォォォォン!」
遠吠えのようなものが聞こえた。森一帯に響く鳴き声によって、朦朧としていた意識が元に戻った。
慌てて声の主を探すと、灰白オオカミが森の切れ間からこちらを覗いていた。
「ウォォォォォォォォォォン!」
先ほどよりも長い遠吠えを発すると、灰白オオカミの体から何かが飛び出した。
それは白いオオカミである。白いオオカミは輪郭が不鮮明で、ゆらゆらと煙のように揺れていた。
その白いオオカミが一直線にこちらに駆けてくる。
白いオオカミの存在にモンスターは反応し、素早く体を向けて臨戦態勢へと移行する。
モンスターと白いオオカミが接近し、ぶつかり合う勢いで両者とも飛び掛かった。
「ギャ!? ギャ、ギャーー!」
モンスターは声を荒げながら、顔や体を右へ左へと動かしていた。何が起きたのか分からない。
今、モンスターの顔に雲のようなものが掛かっているのだ。
「ウォン、ウォフ!」
灰白オオカミが吠えた。それは俺に視線を向けてのものだった。
何を言ったのか分からない。が、俺にやるべきことを教えてくれている気がした。
「……やってやるさ。やってやる! うおおぉぉぉ!」
木剣を上段に構えて駆け出した。駆け出した力をそのままに、振り上げた木剣へと力を込める。
「うおぉぉぉらあぁぁぁ!」
木剣が雲を裂き、モンスターの頭部へと向かう。不快な鈍い音が響き、硬い感触に手が痺れる。
「ギャーーーー! ギャアァ……」
頭蓋骨を割ることができたのか、モンスターはふらつくと地面に崩れ落ちた。
動きがなくなったモンスターを呆けて眺めていると、白いオオカミが俺の近くにいた。
体に触れようと手を伸ばすと、触れる事となくすり抜ける。
見た目はオオカミそのものだが、全体からゆらゆらと煙が上がっており実体がないことから、これは灰白オオカミが作り出したものだと悟った。
作られたオオカミが雲となってモンスターの顔を覆い、視界を奪ってくれたのだ。
助けてくれた灰白オオカミに顔を向けると、いつの間にかいなくなっていた。
見れば白いオオカミも消えていた。
「お父様、ご無事でしたか」
グロウスの呼び掛けにゆっくりと応じる。
「…あの子のお陰さ」
「灰白オオカミですね。雲や霧を作り出すとは聞いておりましたが……。お父様への恩返しだったのでしょうね」
「そうだな。俺だけじゃ死んでいたよ」
言ったままであった。あのままでは確実に死んでいた。恐怖に縛られて、何もできずに人生を終える所だったのだ。
「それでも、最後はお父様の力で倒したのです。胸を張っても良い事ですよ?」
「止めとくよ、あの子の手柄だ。今回の戦いは俺の胸の内に秘めておくとしよう。良い教訓になった……。俺の心の弱さが身に染みて分かったよ」
笑みを浮かべてグロウスを見ると、熱い笑顔が返ってきた。思わず吹き出してしまうと、二人して大きな笑い声を上げた。
「じゃ、とっとともぎ取って帰るとするか」
・ ・ ・
マリーの家に帰り、リンゴを渡した俺に待っていたのは、ジーンの冷たい御怒りだった。
「ごめんなさい! ご機嫌直してください! お願いします!」
頭をぺこぺこと下げる。謝って謝りつくすしかない。
ジーンを見ると、ぷいっと顔を背けている。
「あの、予想外だったんです! まさかモンスターに襲われるとは思っていなくて」
「そうなのぉ~」
「いや、危険じゃないんだよ、普段なら! でも、今回はたまたま偶然、滅多にないことだったんだ」
「そうなのぉ~」
俺の言葉が全く響いていない。自業自得ではあるが、生徒のために頑張ったことを褒めてもらいたくなる。
でも、やっぱり自業自得である。
「ジーンさん、お父様の勇姿は素晴らしいものでしたよ。モンスターを一撃で葬ったのですから」
そう言うと、グロウスは腰に手を当て、胸を張って笑い出した。
笑っている場合じゃないし、お前が言ったから大変なことになったのだろうが。
モンスターと遭遇したことを話さなければ、まだ穏便に済んだだろうに。
「そうなのぉ~」
期待してないがグロウスの言葉も響くことはなかった。むしろ悪化しそうだ。
「あの、ジーンさん。先生を責めないでもらえませんか? 先生はお父さんのために行ってくれたんです。先生に頼った私が悪いんです……」
マリーが頭を下げながら言った。頼られたから助けた訳じゃない。だが、マリーにはそう思えるのだろう。
大きなため息が聞こえた。ジーンがマリーを見つめている。
「マリーちゃんが悪い事はないのよぉ。悪いのはマサヨシ。何も言わずに飛び出すなんてぇ、人を不安にさせるだけなのにぃ~。ね?」
怖っ! 笑顔の下に憤怒が見え隠れしている。これが一番怖い。どうせなら怒鳴ってほしいぐらいだ。
「それでもごめんなさい。みなさんにご迷惑をお掛けしました。本当にごめんなさい」
「マリーは悪くない。俺のせいなんだからさ」
あとは言ったグロウスのせいでもある。
「もう……、分かったわよん。無事に帰って来てくれたんだしねぇ。でもぉ、今後は何かあれば必ず言ってからにしてねぇ」
「あ、ありがとう! ちゃんと言うよ、言う言う。ああ、愛してるよ!」
「何よん、人前で抱きつかないでぇ~」
少し嬉しそうな声でジーンは言った。俺のことを心底、心配してくれたんだ。その愛に俺も愛を伝えるためにきつく抱きしめた。
「いやぁ、一件落着ですね。良かった良かった」
何か偉そうにしているが、今は夫婦の愛を確かめることができた事を喜ぼう。
今回の件では多くの事を知った。マリーの親を愛する気持ち、どこまでも頼もしいグロウス、灰白オオカミの恩返し、ジーンの愛、そして俺自身の弱さ。
一つ一つは大したことはないかもしれないが、今夜は俺の一生で一番多くのことを学ばせてくれた。今更ながらになって、無事に帰れたことにホッとした。




