息吹の剣士
何を言っているのだ。このごっついヤツは。
「ああ……、何と美しい。貴女のお子様なのでしょうか?」
俺ではなくジーンに向けて言った。おそらく俺の子供とは思えない、という失礼な理由ではないだろうか。
「そうよん。どうかしましたぁ?」
「やはり! どうりで見目麗しいと思ったのです。このような出会いがあるとは。僥倖とはまさにこの事でしょう」
何だこの仰々しい男は。爽やかな声のくせして、見た目通りにむさくるしい男だ。
ジーンも若干、引いている。人生経験豊富なジーンが引くとは、こいつの無駄に熱い空気に押されているのだろう。
男の目を見るとアインに向けて熱い視線を送っている。割とキモい。
「あなたが何者か知りませんが、他所様の子供をジロジロ見て良いとは思えませんが。ほら、少し怯えているじゃないですか?」
アインに目を向けるとジーンの足に隠れて、男のマグマのように熱く粘っこい視線から逃れている。
それを見ても男はアインを見つめるのを止めない。何があってこの男はここまで。
思い出した、アインの力のせいかもしれない。最近は前のように変な方向に力は及んではいないと思っていたが。
まさかまさかの男にハーレム能力が向いているのかもしれない。そうであれば、アインは何かを求めている可能性がある。
「いや、失礼しました。決して、そのようなつもりではないのです。あまりの美しさに見とれてしまいまして」
「そうですか。気が済まれたのなら、止めてあげてください。このままじゃ泣いてしまうかもしれませんよ?」
「申し訳ない。怖がらせるのはこちらとしても本意ではありません。ふむぅ……、お父上とお見受けしますが、この方に決まった方はおられますかな?」
何を言っているのだ、この男は。 アインに決まった人などおらん。周りから愛されてはいるが。
「いませんが何か?」
「そうですか……。これも何かの縁です。もしよろしければ、お嬢様の婚約者として名を上げてもよろしいでしょうか?」
「はいっ!?」
婚約者とな!? いや、そもそも娘ではない。確かにアインは可愛いし、美しいと言われても間違いではない。
だが、息子だ。男の子なのだ。まずは誤解をとかないと。
「あの、勘違いされているようですが」
「まさか候補者が他にも!?」
「違います。アインは男の子なんですよ」
「んっ!?」
男が目を見開いた。どうやら信じられないようだ。だが、これで変なやり取りから解放されるだろう。
「むぅ……、それもまた良し!」
「へっ!? ……いやいやいや、男の子ですよ? 何を考えているんですか!?」
「何をと申されましても……。妻ではありませんが、傍に置くことはできますよ?」
傍に置くだと? 一体、どういうことを指した言葉なのか。
嫌な想像をしていると、ジーンが困り顔をしているのが見えた。
「あなたぁ、貴族や位の高い人ではないことではないのよぉ?」
「何ですと!? 男と一緒に暮らすと言うの!?」
「私も元は男じゃな~い」
「それとは違う!」
そうだ、ジーンとは違うのだ。まあ、もしジーンが男に戻ったら、そうなるのか。
ただこのまま、はい、そうですか。と言う気はない。
「ジーンは女性だから良いの。アインをどこぞの馬の骨とも分からん人にやるなんて、絶対に嫌だよ」
「おお! 失礼いたしました。私の名前はグロウス・ストライブスです。以後、お見知りおきを」
正直見たくないし、記憶したくない。
もう付き合ってられない。さっさとこの場から去ろう。そう思っていると、ジーンの顔が明るくなった。
「ストライブスさんの所の息子さんだったのねぇ。もう、十年以上会ってなかったから分からなかったわん」
「ん? あなたは?」
「ジーン・ボレルよん。忘れちゃった~?」
「ジーンさん!? ん? ですが、ジーンさんはもう中年だったと憶えておりますが……」
「薬で若返ったのよん。ついでに女になったの~」
ジーンの知り合い? いや、あり得ないことではない。男の時は王都で人気だったらしい。
女性になった以降は怪しげな薬を作ったことにより王都での職を失い、小さい町や村を中心に回るようになったとの事だ。
多分だが追い出す方便だろう。ジーンを本当に信じてくれる人がいなかった。誰とも知れない人がジーンを語っているととられても仕方がない。
このグロウスと言う輩も同じ類だろう。あごに手を当てて目を瞑っている。
「ほお、そうでしたか。お久しぶりです」
「素直だな、おいっ!」
「急に何ですか、お父様?」
「勝手にお父様って呼ぶな!」
何か疲れてきた。だが、これが相手の戦法かもしれない。逃げ出したくなる環境を作って、無理な要求を飲ませようとしているのではないのだろうか。
そうであれば逃げる訳にはいかない。アインを守るのは俺だ。
「グロウスさん、アインはダメよん」
先に言われちゃったぁ!
「むぅ……、致し方がない」
「引くの早いな!」
「お父様はお認め下さるのですか?」
「認めないし、勝手に呼ぶな!」
思わずツッコミを入れてしまった。こいつの変なペースに乗せられてしまったのか?
とりあえず諦めそうなので、冷静に次の言葉を待とう。
「アインちゃんが成人する時にまた伺います」
「そう来たか! ダメに決まっているだろ!」
「それでは、いつならば良いのですか、お父様?」
「何度も言わせんな!」
何なんだこいつは。全く引く気が無いとしか思えない。
ただ、ここで引き下がればアインの将来に暗雲が立ち込めることになる。
例え、大人になったとしてもこんなヤツの所には送り出したくない。関係をここで断つのだ。
「まあ~、成人したら本人の意思よねぇ~」
「言っちゃったっ!」
「あらん? ダメかしら~?」
「ダメ! アインには女の子と結婚してもらおうよ。俺たち夫婦みたいにさ」
「私は元男よぉ?」
「それとこれとは別っ!」
時々、ジーンが男だった事を失念してしまう。
下手くそな漫才をしているようで頭が痛くなっていると、大きな声が響いてきた。
「大変だ~! 熊猫! 熊猫が出たぞぉ~!」
熊猫との言葉を聞き、目が大きくなった。
この近辺の食物連鎖の頂点に立つ存在である、灰色大熊猫。
それが二メートル以上ある巨体を大きく揺らしながら猛進して来ていた。
まさか人里に下りて来るとは。しかし、何故だ? 食料不足になるような災害は起きてはいないはずだ。それならば食料以外の何かがあるのか。
「お父様、あれは私たちが! 行くぞ、皆の者!」
グロウスの呼びかけに軍人が応じると、一直線に駆けて行った。
「あなた、変なことは考えないで! 私たちは宿屋に避難させてもらいましょ?」
ジーンの言葉に間違いはない。軍人が戦いに行ったのだ。下手に加勢しても邪魔になるかもしれない。
しかし、頭の中で引っ掛かるのだ。灰色大熊猫は頭が良い。そうそう人を襲うとは思えないし、こんな所まで来るとは。
心配していると、グロウスたちが灰色大熊猫に立ち塞がったのが見えた。
「ゴアァァァァ!」
灰色大熊猫の咆哮がこちらまで届いてきた。
その声から怒り狂っていることが分かる。では、何に怒っているのだ。
軍人が剣を抜いた。灰色大熊猫はそれを見ても動じない。そこまでヤツを突き動かすものがあるというのか。
「あなた!」
ジーンの声で我に戻った。振り返るとアインを抱いたジーンの姿があった。
「……そうか! ジーン、お願いがある。俺を行かせてくれないか?」
「あなたに何ができるっていうのぉ? グロウスさんたちに任せましょお?」
「いや、このまま戦わせたら死人が出るかもしれない。それに……あいつの思いは俺たちと同じかもしれないんだ」
「……その目、卑怯よん。約束して、何かあったら全力で逃げてね?」
「任せて。逃げ足だけは村で一番だからさ」
笑って言うとジーンも笑った。笑顔で見送ってもらい駆け出す。ヤツが向かっていた家へと。
「グオォォォウ!」
横目で見るとグロウスが剣を顔の前に上げていた。次の瞬間、口から炎を吹いた。大道芸人かと思ったが違った。
剣に炎がまとわりついている。あれは魔法なのか。初めて見るものに目を奪われそうになったが、今はその時ではない。
「グロウス! 傷を付けるなよ! そいつの目的が分かった!」
「お父様、下がっていてください!」
「違うわっ!」
またツッコまされた。ヤツは天然なのか? グロウスの生態を考えている場合ではない。
一つの家に到着すると、すぐにドアに手を掛け開けようとした。だが、鍵が掛かっている。逸る気持ちを抑えられずドアを力強く叩いた。
「ジョー! ジョー、いるんだろ!? 灰色大熊猫の子供を返しなさい! そこにいるんだろ!?」
何度も声を掛けていると、鍵が開いた音が聞こえた。
ドアから顔を覗かせたのはジョーであった。
その腕の中に灰色大熊猫の子供が不安そうに、震えた鳴き声を上げている。
「せ、せんせぇ。おれ、おれ……」
「大丈夫、大丈夫だから。先生に渡して、ね?」
ジョーの頭を優しく撫でながら言う。ジョーが震える手で灰色大熊猫の子供を差し出した。
優しく受け取ると、すぐにグロウスたちの元へ駆け出す。
遠目から見ると、グロウスの火炎の剣のお陰か灰色大熊猫は動きを抑えられているようだ。
剣を振るう度に炎が巻き起こり、空を焦がし、地を焼いている。
「グロウス! 下がれ!」
「お父様!?」
「うっせぇ!」
俺の言葉を聞いてか、グロウスは後ろに飛び退いた。
灰色大熊猫が軍人たちを威嚇するように低いうなり声を上げている。
その声が止まった。
「キュー! キュー!」
灰色大熊猫の子供が鳴いた。それが親に聞こえたのだろう。
ゆっくりと地面に下ろすと、たどたどしい歩き方で親の元へ向かって行く。
親と子が一緒になると愛おしそうに互いの体を舐めている。
それが終わるとゆっくりと森に体を向けて歩いて行った。
その姿を見て思う、親が子のために死に物狂いで助けに来たのだということを。
人間に恐怖しただろう、諦めたくもなったかもしれない。それでも立ち向かった姿は親の鏡のように思えた。