4-2-9.薄氷下の海の底、どこまでも深く
「おいおい本当かそれは! ここに魔人族が来てたってのか!?」
「えっ、あ、わたし、気づきませんでした。そ、そんなおそろしいのが、きっ、来てたなんて」
「それにしては昨日の夜は静かだったわよ。あんたホラ吹かせる暇があったらお好きな研究でもして役立つもの造りなさいよ」
「ちょ、おねえちゃん! 度がすごい過ぎてるからメルストさんに失礼だよ!」
翌日、エリシアの結界のおかげもあり、ルマーノの町は何事もなかったかのようにいつも通りの一日を過ごしている。
外出用の白衣に似た術服を羽織るメルストは、バルクの酒場で店長のバルクと、その双子姉妹の妹セレナと姉エレナと談笑をしていた。今日は週に一度の仕込みの日。客一人いない休憩中のところ、昨夜の出来事を話した。
損壊した街道はエリシアの(体力を代償に)修復魔法で元通りになった。ジェイクの切断された右腕もエリシアの治癒魔法で元の腕へと繋がり、メルストの破滅的威力を放つ一撃を3発も食らったアレックスも徹底的な魔法療法を施したおかげで大事には至らなかったが、それでも重傷だ。ミノと共にメディの診察所で療養してもらっている。それでエリシアも疲れたのだろう、今日一日はゆっくりしている。
エリシアの応急魔法処置が功を奏したようで、被害を受けたロジェ・ディヴァンは一命をとりとめ、ギルドの療院にて療養中だ。すぐに回復するだろう。
気絶した人も、短期的な憑依だったために、魂の侵食はなかった。昨晩の出来事は覚えていないようで、誰もが気が付いたら道端で寝ていたという。それもひとつの事件といて小さく出回ったが、三日たたずして忘れ去られる出来事となった。
ちなみにミノはエリシアの治療を断ったようで、なんでも、滅多に話す機会がないメディと同じ屋根の下で過ごしたいという願望が理由のようだ。そして、店を休める。
いつもどおりの様子に、呆れつつもメルストは笑ってバルクらに話した。
「だっはっはっは! あの怠け者のミノにそんな一面があるとはなぁ! 見直したぜ!」
「裏を返せば重度のシスコンだけど」とエレナ。しかしその重度さが、リーアを救う一筋の突破口となったのは紛れもない事実だ。
「でも、みなさんも、リーアさんも無事でよかったぁ……これで、リーアさんのお悩みも解決したんですよね」
「まぁ、ストーカーの一件はこれにて落着。したんだけど」
「えっ、あ、まさか、リーアさん、昨夜の出来事がショックで」
あたふたするセレナに、「まだ何も言ってないでしょ」と呆れるエレナの一言。
「ああいや、そういうのじゃなくて。ふつうに元気、だと思うんだけど」
「はっきり言いなさいよ」とエレナ。
「今朝だいじょうぶか顔出してみたんだけど、どうも様子が変というか、他人行儀? なんかかしこまっていてさ」
「そりゃおまえ、目の前でアレックスに3発もドデカいの喰らわせたらビビるに決まってるだろ! だっはっはっは!!」
大きく笑うバルクの言葉をまともに受け止め、「やっぱり人間離れのことしてて怖がられたかなぁ」とカウンター席にうなだれる。それを嫉妬深そうに睨むエレナ。
「……エレナ? なんでそんなに険しい顔してんだよ」
「あんたって、心の底から隅に置けないタラシよね」
「たらし? ええとその意味って……いや俺はそんなチャラくないぞ」
「そういう意味じゃないわよバーカ。セレナ、残りの仕込みさっさとやっちゃうわよ」
「え、でも私、もう少しメルストさんと……」
「あーもうあんたまで! いつでも会えるからいいじゃない! ほら行くわよ」
セレナの手を引き、エレナは店の奥へと消えた。「やぁぁ」とさびしそうに声を漏らしながらも引きずられるセレナの目を最後に、今日もあの茶色いもふもふした耳と尻尾を触れなかったなと残念そうに見届けたメルスト。
一度しんとした空気に、バルクが切り出す。
「"魔族"……それも"魔霊種"、だったな。本当にそいつが偶然、この国にふらふらと来れるもんか?」
いつになく真剣な表情に、メルストの表情も引き締まる。
「……? どういうことですか」
「この国は手続きをパスすりゃあらゆる人種の入国を許しているが、唯一魔族だけは厳重態勢だ。原則入国禁止と言ってもいいだろうよ」
「そういうことしてるからいつまでも国の関係が悪化し続けるんじゃないかと思いますけどね」
「それだけ、過去に魔国がアコードにしでかしたことは罪深かったってことだ。とにかくだ、不法入国についてこの国ははかなり厳しい。近年じゃあ陸地は勿論、海も空も特別な結界が張られている……にも関わらず、どうやってそいつは侵入することができた」
黙り込むメルスト。リーアのストーキングを続けていたということは、ここ数日の話ではないだろう。
「そういや、アレックスがこの町に来た少し前に、おまえらベリアルトの境界に行って魔獣共を駆逐しただろ」
報告では、魔国との境界線である巨大山脈を渡ってくることも、麓に隔たる巨大な壁を壊されることもなく、どこからともなく魔物の群が現れたという。一千頭は越える大群をアーシャ十字団だけで殲滅させたことは、最近話題になっている話だ。
なぜ今になってその話を、と眉をひそめたとき、すぐにバルクの言いたいことを理解した。
そんなまさか。話が繋がったメルストは、しかし疑ってしまう。
「王国の境界の抜け道を魔国は見つけたってことですか?」
「それか、切り抜ける方法を見つけたか。おそらくその日、魔獣の群だけじゃなくて、今回のストーカー魔族も入ってきたんだろうよ。そう考えると、他にもこの国に侵入している魔族がどこかにいるかもしれねぇな」
淹れてもらったカファノキの煮汁を熱そうにすする。温まる琥珀色に苦みを覚え、ふぅ、と息を一つはく。
「オルクから送られてきた刺客……スパイみたいなものか。あっちの国の政府と関係してることは」
「間違いねぇだろうよ」と即答。政府がそんなことするとは考えたくないが、一概には言えない。返す言葉が見つからなかった。
「おそらくだろうが、その刺客のほとんどは"魔王軍"に雇われた犯罪者だろう。捨て駒として使うにはうってつけだからな。そのうえ戦闘や殺しにはひどく長けている。盗賊みたく暴れまわって目立つようなマネはしないだろうが、なにもしないほどおとなしいわけでもない。こそこそやる分、質が悪いもんだぜ」
「放っておけば、被害が拡大しますよね。なんとかしないと」
「ったく、せっかく平和が続いて国の復興も順調だったってのによぉ」
頭をガシガシと掻くバルクは深いため息をつく。
「いいかメルスト。おまえが思っている以上に、魔族は他の種族に対して攻撃的、いや、残虐的だ。あっちはどの国よりも閉鎖的で、同族以外の入国の一切を禁じている"檻国"だからその実態はまるでつかめねぇが、妙な噂ばかり聞く。近い内、何かを仕掛けるかもしれねぇ」
思ったよりも事態は深刻だろう。既に今も、どこかで誰かが苦しみ、助けを求めているかもしれない。
「マスター、あまりメルスト君に負荷をかけちゃあダメだぞ。この子は真面目だからな」
追い詰めかけていたメルストに、一つの声が割り込む。振り返れば、いつからいたのか、ロダンが店の中に入ってきていた。重装鎧の姿ではなく、農民のような随分とラフな格好だ。
「団長……」
「らっしゃい、ロダンの旦那。今日はこっちにいるんで?」
「なんだかんだ、ルマーノの町は落ち着く。我が家みたいなものだ」
微笑ましい表情を向け、気さくにメルストの隣に座った。
「彼と同じものを」
「まだ開店してねぇってのに」とぼやきながら淹れ始める。
「感謝するよ、メルスト君」
ロダンの口から、突然そう放たれた。思わず視線を彼に向ける。老兵ならではの強面だが、その目はいつもとは異なり、威圧的には感じられなかった。
「エリシアから聞いたよ。魔霊種がアレックスに憑りついたと耳にしたときは背筋が凍った」
言えば、それは最悪の想定だという。英雄の力を悪用されてしまえば、王国の損壊は甚大なものとなっていた。国が一個分入るであろう地方区どころか、一軒の建物すら壊されることなく被害を最小限に抑えることができたのは、まさに奇跡だった。
「英雄ほどの力を食い止められる実力者はそういない。特に、一撃で鎮められるような存在はさらに稀だ」
それはメルスト自身、いちばん異様だと実感していることだ。アレックスが最高峰と言われる人種であるが、それを優に超える桁違いの力を得ている以上、この世界から浮いているとすら思える。
「私がいない間、町を危険から救ってくれてありがとう」
軍王は深々と頭を下げる。メルストはすぐに起こさせ、謙遜した。
「エリシアさんたちがいなかったら、解決できなかった話です。トドメはルミアが刺しましたし、そこまで追い込んでくれたジェイクやフェミルだって……」
「それでも、君がいなかったら無事じゃすまなかった。結果だけがすべてじゃない。そこに至るまでの過程があってこその結果だ」
「……それもそう、ですね」
自分を納得させるように視線を下げては小さくうなずき続けた。神妙な表情に、ロダンはパッと目を明るくした。
「それよか、メルスト君。ルミア君が君に頼みごとがあるそうだ。それを伝えに来たのもある」
「どうせろくでもないことですよ。でもわかりました。ありがとうございます」と、そう言っては琥珀色を飲み干し、「では、バルクさん、お忙しい中お時間を頂きありがとうございます」
「いーんだよ、相変わらずかたっ苦しいとこだけは抜けねぇな」
そう笑い、メルストの白い背中をふたりは見届ける。ちょうどカファノキの抽出飲料がカウンターの上に置かれる。この酒場には不釣り合いとはいえ古臭い陶器のカップに入っているそれを、ロダンは髭を濡らして口付ける。
「聞いたぞ、先程の話」
「ならすぐに出てきてくだせぇよ旦那。盗み聞きは良くないですぜ」
片手を頭に当てるバルクに構わず、ロダンは話を続ける。
「妙な噂と言っていたな。魔国に動きがあったのか?」
「いんや、根も葉もない噂ばかりでさぁ。公になったのはベリアルトの一件ぐらいで。最近取り入れた情報も、占星術師から聞いたぐらいのもんだ」
「その話を聞かせてくれ」
「魔王軍とは関係ねぇ話ですぜ。ここのところアコードで流星を多く見るんだが、どうも観測者の計算した予測とは外れているらしいっつぅことで、要因は様々だから特別珍しいことでもないと俺は思いやしたがね」
どうでもよさそうに話すバルクに、ただロダンは黙って眉をひそめる。どういう顔であろうと、強面であることに変わりはないのだが。
「なにか思うところがあるんですかい」
「その流星の落下点は知っているか?」
「途中で散り散りになって燃え尽きるのが流星ってもんでさぁ。隕石みてぇに地面に落ちてはねぇらしいですぜ」
落ちたとすれば、それなりの衝撃と轟音が伴うはずだ。その上、燃え続けることが隕石の条件でもある。
「ふむ」と顎鬚をさすり、「それで思い出したんだが、随分と前に十字団で墜落した黒い飛翔物を確認した」
「それは魔国のものだったんで?」とバルク。ロダンは思い出すようにうなずく。
「場所はトラントの大樹だったか。ルミア君がその部品を回収したようだが、騎竜のように、人か何かが搭乗して操縦する飛行物体だとか言っていたな」
「おいおいそりゃホントですかい。あいつはどこまでいっても恐怖や警戒ってもんを知らねぇな」
しかしその物体がなにを示すのかはわからない。搭乗物とはいうが、十字団が見たものには人が乗れるスペースが確保されていなかった。魔族が乗っていたのかさえ不明だ。
「部品しか回収しなかったんで?」
「いや、第8区のギルドに残りの回収を依頼した。あれから数か月経つが連絡がないな」
「まぁトラントの大樹は一度入れば帰れないと言われる秘境にして魔境だからな、手こずるのも無理はねぇですぜ」
「あいつらもプロだ。多少の問題はあっちで片付けるのは分かっているが……」
「俺から駅逓局に掛け合ってみやすかい?」
「ああ、頼む」
心配になったロダンは、残りを飲み干し、一息を吐く。天井を軽く見上げ、
「あれから46年……魔王の時代が終わったことで平和は続いたが」
これで終わりではない。音沙汰なくとも、その水面下で彼等は準備を続けているのかもしれない。
もう一度、魔族の時代にするために。
「あの国境山脈の向こうで牙を研いでいるでしょうぜ、あいつら」
そうだな、とロダンは手に持ったカップをほんの少しだけ、強く握った。
このとき神妙な顔をしたのはバルクの方だ。
「……また、行くんですかい。あんたはもう十分に償っただろう」
沈黙が続く。
店主の顔を見ることすらなく、軍王は自分に言い聞かせるように、言う。
「償いに終わりがあるとすれば、この命が国の為に尽きるか、"俺たちの時代"が終わったときだ」
もし国中の誰もが許しても、自身を許すつもりなどない。うつむくも真っ直ぐな目つきに、バルクはこれ以上何も言えなかった。
明日、あと一話続きます。長引いて申し訳ありません。




