4-2-8.タクティクス・トリプルO
区切りをよくするため、少し長めです。また多少のグロテスク表現が後半にあります。ご了承ください。
注意
・主人公であるメルストは深い事情で現在、完成度の高い女装をしております。一部の人物(敵サイド)はメルスト(男)とは別人だと思い込んでいますので、ご了承ください。決して、本人の性癖ではありません。
・現在、"竜王殺し"こと英雄アレックスは魔霊種に憑りつかれています。
笑いが止まらない。
人、あるいは人に近い高度な知能を持つ存在は、自分が自分でなくなる――強いて言えば自分よりも優れた存在と段階を踏まずに飛躍すると、快楽ともいえる高揚感に包まれる。
魔霊種の男は今、これまでにない最高の気分を味わっていた。竜王殺しという、世界に名を馳せる英雄のひとりを餌として喰らい、己の血肉として憑りつくことに成功した。自分の一部として手を動かすと、さらに笑いが込み上がってくる。
「ッ、"蛇焔縛"」
蒼炎を地面より燃え上がらせ、蛇竜の姿を成す。この時すでにアレックスの手足を光鎖が巻き付き、縛り付けていたが、それを肉体から発した紅玉色の炎が焼き尽くす。振り上げた剣は蛇竜の炎を消し飛ばした。
その斬撃は留まることを知らず虚空を斬り裂き民家へ――だが、町に仕掛けられた大賢者の結界が衝撃を完璧に防ぐ。突風ともいえる余波がそれぞれの身をよろめかせる。
「無駄ですよぉ。この焔は魔法を魔力へ分解させる。この英雄に勝ちたいなら"聖騎士団"でも連れてくるんですね」
「嘘だろ、大賢者様の魔法が……」
唖然とするミノの呟きを魔霊種は耳にすることはなく、手にした力にただ酔いしれていた。
「いやぁこれほどまでにワタシの力を、いやそれ以上を引き出せる器があったとは、さすがは英雄クラスの肉体です。能力数値もバランスが取れている……なにより顔がいい! 理想の肉体だ!」
エリシアはぎゅっと、大杖を握りしめる。
事実、魔霊種は自分の実力と近い相手に憑りつくほど、憑依抵抗率は高くなる半面、憑依が成功すればそのシンクロ率も比例する。それは紙一重の不安定な状態だが、相乗効果を発揮するメリットが、魔霊種にはある。退魔魔法等の対策はあるが、それをアレックスの技が妨害する。
魔霊種は、眼球を剥くようにリーアを見つめ、
「リーアちゃあん……ワタシたちは心が繋がっているからぁ関係ないけどぉ、やっぱりこういう男が好きなんでしょう? ああわかってるさ。キミの好みは全部わかりますよ」
蛇に睨みつかれた蛙のように、リーアの身体は動かない。ミノも同様、動こうにも動けない。守ってやりたくても、足がすくんでいる。
「め、メルスト……っ」
だから、友人の助けを求めた。絞り取ったような声だったが、通じたようにメルストは見向きもしないままうなずく。
「エリシアさん、あいつと町にもっと強い結界を張れる? 何重にもかけてほしい」
でないと、この町が滅びかねない。そうメルストは強く言った。
「はいっ」とすぐに返事をし、大杖で簡易的な魔法陣を描いては地面に柄を叩く。地面に広がった青蛍光の魔法陣は町や魔霊種の周囲の空間に波紋を描き、透明の結界が張り巡らされる。
それだけ、竜王殺しと魔霊種の影響力は強い。いつでもこの町どころか、この地方含む王都区域外が一瞬で消滅しかねない。そう大賢者は捉えた。
それでも、どうとでもない魔霊種は鼻で笑う。
「これでも貴女は町を守ることを優先しますか。ああそういえば、ここらの炎系魔法、人除けと町の隔離を施しているようですが、まぁそうですよねぇ、あの竜王殺しがあなた方を襲う光景なんて見られでもすれば、ぁはははァ……せっかくの輝かしい名誉に泥では済まない汚点を被ることになるんですからねぇ」
すりすりと自身の顎をさすり、おもしろおかしく話す。その間にメルストはエリシアに何かを伝えたようで、しかし語ることに夢中な魔霊種はそれに気づかなかった。
手始めにと、自分の周囲に貼ってあった蒼炎の結界を身から湧き出した業火で火の粉へと散らせた。それを愉快そうに見上げては、両手を広げて哄笑する。
「さぁどうしますぅ! 最強の肉体に最強の魔力! 誰もワタシを止められない! 否ァ! 止められるはずが――」
瞳孔が開く。それは興奮ではなく、視界が暗くなった故だった。
魔霊種が感じたことはふたつ。
一瞬の余裕と、唖然。
ひとつは、再度自分の周囲に幾重もの結界が張られたこと。
もうひとつは、どこからともなく、眼前に黒髪と黒い双眸を輝かせる少女が拳を握り締めていたこと。その拳は雷にも似た稲妻を発し、眩い白を発しながら業火を優に越える熱を帯びていた。
「ほがばァ!」
腹に打ち込んだ拳が爆ぜる。
破裂の残響、それは結界の崩壊つまり、この町が消し飛びかねないと思わせる威力が、爆風という余波の形で地面ごと建造物を揺らした。
漂泊。
一瞬だけ町一帯が光に包まれたかと思えば、アレックスの姿は消え失せた――そう思わせる程の速度で、彼は街道を滑空し、やがて空へと吹き飛んでいた。
それを、エリシアの"蒼焔"が撃ち落とす。
殴り飛ばされているアレックスの方向に対抗して魔法陣より繰り出された蒼い光線は、その運動エネルギーを徐々に削り落とした。
「すいませんアレックスさん。けど、あなたならこう言うはずですよね。『乗っ取られる方が悪い』って」
地面に打ち付けられ、腹部から煙を上げる。人体を消し飛ばさない程度まで加減はした方だ。アレックスが起き上がったのも、メルストの中では想定内だった。
「ぐ……かはっ、貴女には血も涙もないのか……! だが、その通りだ。油断した私の失態だ」
何が起きたかと言わんばかりに腹部を抑えるが、目に滾るような光が戻る。さきほどまでの鈍い光とは打って変わっていた。
「あ、もどってきた」
「えっ、君、その軽い反応はちょっと――うぅぐっ」
ふたたび身を屈める。腹部の痛みとは別のようで、痛みで震えていた身体はやがて治まっていく。その様子に、メルストは歯を噛み締める。
「……なーんて。ワタシの許可なく勝手に出てくるなんて、さすが英雄の魂は質が異なる。ふふ、ですけどねぇ、そんじょそこらの放浪空気と一緒にしないでくださいね。ワタシはこれでも……おっと、これ以上は情報の漏洩でした」
しかし……。
魔霊種は黒髪の少女――に扮したメルスト――に目をやる。
この違和感は、この少女とアレックスと接触した時からだ。金属をその腕の皮膚から生み出していた。よく見る召喚や錬成ではない、根本――エネルギーから創造している、とでも表現すればよいのか。それはこれまでの歴史や予言された未来にて成し得るはずのない術式だ。
珍しい、というよりは異様。先程から注視してはいたが、とうとうその一角を現したのは直に喰らった宿主への一撃。
英雄級の肉体がいとも簡単に吹き飛び、あろうことか自身の霊体まで引きはがされかけた。ただの力を逸した驚異的な何かを持っている。
やはりこいつが……。
「ッ!? な、動か……っ」
手をかすと、メルストとエリシア、リーアは凍ったように身動きが取れない。魔法による作用は、メルストも十分な対策はできていない。太刀打ちできず、魔霊種を睨むことしかできない。
「なぁに、ワタシの持つ最大限の魔力であなた方を拘束したまで。解けたとしても、すぐに術式は再発動ますので、延々と連動するだけですよ」
「く、そ……っ、なんとか、なんねぇっ、のかよ……!」
必死にもがくメルストに対し、「とてもいい様をしてらっしゃいますよ、お嬢さん」と不気味に笑い、そしてリーアのもとへと歩み始めた。
「ぃ……や……こ、こない、で……」
「恥ずかしがらなくても結構ですよぉ。これでやっと、ワタシたちは愛し合える。その温もりを感じることもできる。その繊細な指に、肌に、頬に触れられる。あなたがワタシを意識して見つめ合えることも、ワタシに向けて声をかけることもできる。嗚呼そうだ、これが真に愛し合うということ……!」
「ま、まって……くだ、さ……」
エリシアの声も虚しく、魔霊種は目にもくれず素通りする。
「こ、んの……ッ」
メルストも分解能力を発動させるが、分子レベルでの魔法作用は未だ理解しきれていない。仕組みがわからなければ、あらゆる物質を分解する能力も魔法に対しては発動しない。それができないことに、メルストは唸り、歯を食いしばる。
「ひとつになる前に、存分に愛してあげましょう……リーアちゃあああぁん」
「や……やめっ」
首を横に振ることすらままならなず、やめてと伝えたい口もまともに動かず、リーアは目の前に伸びる手を見ることしかできない。
迫りくる恐怖に、涙が止まらない。
「っ? おっと」
体に弱い衝撃と重みが走る。なにかぶつかったか。アレックスの首を動かし腰あたりをみるが、そこにミノがしがみついていたのが見えた。
これ以上はいかせないと体を踏ん張り、引き止めている。脚の震えは、踏ん張り続けているからか、それとも恐怖か。
見下した魔霊種は意外そうな顔をしていた。
「おや、あまりにも凡人だからあなたの存在を忘れてましたね。ですが……誰の足にしがみついているかわかっているのか、人間族」
だが、声色から豹変し、憎たらしいそれをミノに向ける。ただでさえ、魔力がろくに使えない上に、メルストの一撃がかなり効いている。すぐに消し飛ばせないことに、苛立ちを隠せない。
「う、うるせぇ……っ」
ミノの抵抗は、とうとう魔霊種の堪忍袋の緒を切った。
「っ、気安くワタシに触れるなァ!」
感情をぶつけるように、ミノを引きはがし、横から頭を蹴る。痛々しい音を立て、地面に転ぶ。
「あ……ぎ……、ぃっ、ぅうぉおおおおっ!」
だが、すぐに起き上り、アレックスの足に突進した。またも引き止められ、癪に障る魔霊種は再び足で払い、蹴り落とす。
「ぁぐっ、はぁ……はぁ、ぁああああ゛ッ」
またもすぐに起き上り、立ち向かう。だが、触れる前に顔面を蹴られ、体が一瞬だけ浮く。上体から地面に落ち、勢いを殺せないまま続いて頭部に地面を打ち付けた。
「ミノ……!」
衝撃で呼吸が思うようにできない。内臓が、心臓の脈動が狂う。もがき苦しむ様子を蔑みの目で一瞥し、魔霊種はリーアへと体を向けた。
だが、また足の動きを抑えられた。
「はぁ……ぜぇ……は、ぁ……ぁあ」
鼻や頭から血が流れ、口も切っている。骨身に染みる程の痛みが、ミノの恐怖心をさらにかき立たせる。だが、それでもアレックスの身体を身を呈して食い止める。腫れた顔は赤と青紫が混ざり、這いずっててもしがみつく腕には、ほぼ力は残されていない。
「しつこい……ッ、貴様はどこまで、ワタシたちの愛を邪魔をする! 義兄だろうと思って殺さねぇとでも思ってんのですかぁ?」
「魔族だろうが英雄だろうが……っ、どこの馬の骨かも知らねぇ手で兄の許可なく――俺の大好きなリーアにッ、指一本触れさせねぇぞ!!」
腫れた目元の奥に、強い光が宿る。必死に叫ぶそれは、この場だけではなく、妹の心をも響かせた。
「お、にぃ……っ」
こぼれた涙はそのまま頬を伝う。動かない身体ではそれを拭えない。
呆れに尽きた魔霊種は、怒ることすら疲れたようだ。
「そちらこそ、その馬以下の手でワタシにべたべたと触らないでほしい。……やっぱり世の常、相手の家族が一番の壁だ」
焔聖剣を抜剣し、紅蓮の刃に炎を燈す。煩わしい人間をそれで貫き、原形をとどめないほどまでに焼き尽くす。
そうするはずだった。
速度なんてものは関係ない。
突然消えた気配と、突然生じた気配。振り向いてその姿を視界に僅かだけ映したときには、アレックスの身体はメルストの蹴りによって再び吹き飛ばされた。
「ぬぐぉあ!」
街道の地面を抉り、結界の張られた民家の壁に衝突する。
黒い髪をなびかせ、メルストは傍で倒れていたミノの安否を確かめる。
「メルスト……へっ、もっとはやく助けてくれよ」
「ごめんな。けど、おかげでミノのいいところがわかった。気がする」
「おまっ、今までなかったみたいな言い方するなよ」
冗談紛れに笑うミノのもとに、リーアが駆け寄る。妹の姿にミノ安堵のため息を吐く。
「おにぃっ!」
「リーア……怖かったよな。だいじょうぶか?」
かろうじて持ち上がった手で、リーアに触れようとする。それをリーアは握り返した。
「こっちの台詞だよ……おにぃのバカ……っ、ここまでやる人じゃなかったでしょ、おにぃはいつも無気力でやる気なくて、ビビりでチキンなのに」
「言いすぎだろおまえ……」
「なんでこういうときだけ、らしくないことをするの……」
「バッカだなぁリーアは。痛っつ……そんなの、あったり前だろ。たったひとりの妹なんだから……こういうときぐらいさ、いい兄ちゃんでいたいんだよ」
ぐっ、と涙をこらえるように口を結び、リーアは倒れているミノに抱き着く。痛いと訴える兄に、「ホントにバカなんだから……!」と呟いていた。それをメルストはやさしく見守る。
一方で、瓦礫を撒き散らし、蹴られた頬を抑えた魔霊種は、目を疑った。
「ごが、ふ……ッ、は、え……? 貴様……何故動ける。なぜ動けるんだ! ――っ」
まさか、と魔霊種は青髪の魔導師――エリシアを見た。
「ミノさん。命を張って彼を止めてくださり、誠に感謝申し上げます。これで……祓えます」
気が付くと、アレックスの足元と頭上に直径10m弱の魔法陣が展開されていた。
エリシアは拘束されている間、ふたつの術式を仕掛けていた。
ひとつは――。
「まさか、あれを"正しい方法で"解いたのか?」
魔霊種が発動した連動式拘束術式。それをただ解除するだけでは、再拘束され、延々とその術式を解き続けなければならない。魔力が尽きるまで解除する方法もあるが、それにしては早すぎる。だとすれば、根本的に解除できる方法を――連動運転回路を断絶したことになる。
しかしその解除方法を知る者は限られている上、知っていたとしてもかなりの精神的技量が要る。それを容易に可能とするのは大魔導師か、あるいは――。
「"蒼炎・魔祓"」
思考を遮るように、アレックスの肉体に蒼炎が包み込む。天地の魔法陣から噴き出す蒼い業火は魔を閉じ込める。アレックスの断末魔が響き、エリシアの心を痛ませるが、それでも発動を続けた。
「ポーラー様、お苦しいですが、もう少しの辛抱です……!」
言わずもがな、もうひとつの仕掛けた術式は最上級退魔魔法。アレックスの肉体から魔霊種を乖離させ、浄化させる魔法を、時間を要して構築し続けていた。
やがて叫び声は消え、かろうじて何かが地面に倒れる音がする。すぐに蒼炎魔法を解除し、エリシアは、魔力が見えるその目ですぐに魔霊種の本体を捕えた。案の定、器用に魔法陣から抜け出しているとこだった。
「逃がしません! "質体固化"!」
大杖を振るい、放たれた光の波動が霊体に炸裂する。実体化・可視化された魔力は重力に逆らえず、人の姿を成しながら落ちていく。
魔力から発するエネルギーが変換されたことで生じる蛍光なのか、その人型のシルエットは不気味な緑色光を放っている。
「観念してください。まだ暴れるのであれば浄化させます」
杖を向け、魔霊種を追い詰める。なびく服や髪の末端が蒼炎で燃えている。それにどこか既視感を覚えたのか、
「思えばこの青い炎、ただの火じゃ……まさか」
その青い炎の如く、彼の表情が青ざめる。
「申し遅れました。私は六大賢者の一介を担う蒼炎の大賢者、エリシアと云う者です」
「なるほど。嗚呼、思えばそうでしたね、あの家をおたずねした時もリーアちゃんが救いを求めていましたね、"大賢者様"と。あのときは耳を疑いましたが……こればかりは、ワタシの推測も外れてほしかった」
紛れもない本物。とはいえなぜ、あの大賢者がこんなちんけな町にいる。王国神殿府にいる情報は嘘だったのか。
魔力も阻害されていて魔法へと構築できない。既に大賢者によって封じられていることに舌打ちともいえる挙動をする。
(やはり大賢者相手じゃ分が悪すぎる! ――"分散")
「っ、消えだ?」
突如、魔霊種の具現化した体が霧散し、その姿を大気中へと溶けていった。
しかし、これで逃げられるほど甘くはない。魔霊種の周囲にはボックス型結界の壁で阻まれていた。
(念には念を、ですか。"希釈")
分散した姿をさらに細かく――魔力よりも希薄な存在と化しては結界の網をすり抜けていった。
希釈された魔霊種の姿は大賢者でも感知するには至難を極める。しかし結界の中にいないことにすぐ気が付き、途端におろおろしはじめる。
「あらっ? どちらにいかれて……まさか結界を抜け――ッ!? どっ、どどどどうしましょうメルストさん! し、しまっ、逃げられちゃいました! あわわわ!」
「お、落ち着こうエリシアさん! なんか見てるこっちも焦るから!」
「え、ええと、とりあえず町中に結界を、ああでも抜け出させるのでしたら得策ではない気がしてきました!」
「いや魔力感知とかいろいろ調査用の魔法があったじゃん! あぁでも今はエリシアさんでも見えないんだっけ」
お互いあわあわしていたところに、一つの声が響く。やけに落ち着いたそれは、慌てふためく二人の耳にしっかりと入った。
「もう、結構寝てた気分だけど、まだ解決してない感じ?」
4人はその声の主に目を向ける。パサリと落ちたマントの音。軽く咳き込んだ金髪の少女はかたまった肩をほぐす。
「ルミア、おまえ生きてたのか」
「なんで死んだ設定になってんのよ!」
「お身体の方は……」
「ヘーキヘーキ! それより、現状どんな感じ?」
魔霊種の魔法が解けたのだろう、特別後遺症などなく、意識を取り戻したルミアはケロッとしている。
「あの、すみません。追い詰めるとこまではできたのですが、姿を消されてしまいまして……結界を抜け出されてしまっては、町から逃げてしまったかもしれません」
申し訳なさそうにエリシアはうつむく。しかしルミアはかえって明るい顔を見せた。
「だいじょーぶ! ルミアおねえちゃんに任せんしゃい!」
「ルミアはむしろ……いや、なんでもない。なんかいい案でも?」
ふふん、と親指を自分に向けていたルミアは胸を張る。
「あたしらがやっていたのはプランαの方さね! これで済めば問題ないだろうし、メル君やエリちゃん先生にはそれだけしか伝えてなかったけど、万一仕留められず外に逃げ出した場合のためにプランβを考えていたのよさ」
「てことは、そっちのプランには……」
その通り、と言わんばかりにルミアはうなずく。
「タクティクス・トリプルOはまだ終わっていない。むしろ、これでやっと作戦に落とし込めたって感じ。これであいつは自ら囮に引っかかること間違いないし。そうすれば、あとは叩きのめすだけにゃ!」
*
今宵の空は星が見えない。
流れる鈍色の疎らな雲と共に、魔霊種も風に身を任せて逃げていた。
ルマーノの町から離れ、多少身が削れたものの、結界から抜け出すことには成功した。だが、これでは負け試合のままだ、と彼の中のプライドが許せない。しかし無駄な戦闘は避けたいのが本音だ。
(畜生が! 畜生が畜生が畜生がァ! こんなんじゃ魔王軍に――スレイバル様に会わせる顔がない! せっかく条件を呑んで外の世界に釈放してくれたというのに、浮かれてしまったワタシがバカだったか。せめて他の分裂体と集結していればあんな少数相手、一瞬で片が付いたはずだ!)
第一区から第九区、そして王都区。あらゆる場所に、魔王軍に雇われた魔霊種の囚人――名をBn.レッキーという――は自らの身体を細分化し、分担させていた。ある目的を果たすため、アコード王国中の探索および視察を行っていた。
しかし、核である自分が消されては、残りの分裂体はただの魔力と化して残留する。大賢者に浄化されてしまう前に集結しやすい――魔力が色濃く流れる"龍脈"へとたどり着かなければならない。
(くそっ、こんなゆるい風ではいつまでたっても王都区から抜け出せないではないか……いや、いいのを見つけた)
頭上から感じ取れた、大きな翼で滑空する猛禽型の鳥竜"ファルカヌス"。不定形であるがゆえに、目も口もない霊体だが、生物が必ず所持している魔力の種類と濃さで認識していた。
(こんなとこに放浪竜とは運がいい。これなら夜明けには"龍脈"にたどり着ける!)
レッキーはその霊体を煙が流れるように動かし、吸い込まれるように鳥竜の肉体へと憑依した。
一瞬だけその巨体が落下しかけたが、剥いた竜眼はすぐに光を取り戻す。すぐに翼を羽ばたかせ、雲の上へと翔けた。
余裕を取り戻し、冷静になる。
(油断したばかりにバカなことはしたが、そのおかげで任務は全うした。ヴィスペルから回収された"高エネルギー生命体"はあの町にいる! だとすればあの女が有力だが、結論付けるにはまだ早い。竜王殺しどころか蒼炎の大賢者もいたのは驚いたが、これはつまり……ビンゴというわけだ)
憑りついた竜に笑う機能は備わっていない。だが、レッキーは心の中で笑いが込み上がっていた。この先の希望に、期待を膨らませている。
(いいねぇ、それだけでもかなりの収穫。早く国境から出て、この情報を送信すれば……自由の身だ。今度こそ邪魔されることなく、リーアちゃんと永遠の愛を築こうじゃ――)
「おい」
男の声。最初は聞き違いだっただろうと考えた。だが、感知した魔力よりも強く脳に警鐘を呼び起こす殺気で、気のせいではないと確信させる。
己の背におぞましい何かがいる。
「こんな遅くにどこに行くんだァ? 夜は危ねぇっての母ちゃんに教わらんかったか」
胡坐をかいて座るジェイク。その腕に持つ両手剣を肩の上に置かせている。
(こいつッ――!? いつから竜の背に!)
いや、違う。こいつは最初から竜に乗ってここまで来たんだ。
しかしなぜ憑依しているとわかった。
それが伝わったのか、なにも応じない竜にジェイクは話を切り出す。
「手紙が来たんだよ。"敵は魔霊種。何でも憑依する魔力の塊みたいなヘンタイ野郎に一泡吹かせろ"ってな」
憎たらしそうにそう言い、取り出したのは小さな紙きれと弾丸。ルミアが薬莢に手紙を詰めて、飛竜に乗っていたジェイクを狙撃したのだろう。見事に撃たれたジェイクだが、彼にとって弾一発程度の被弾はかすり傷に等しい。
憑依すると、対象は一瞬だけ気を失い、途端に別人のような行動を取る。そこにジェイクは気付いたのだろう。
「わざわざそちらから来てくれてご苦労ぉさん。手間が省けて良かったぜ」
ニィィ、と狂ったように笑みを浮かべる。
このあとどうなるかぐらい、すぐに察した。殺されると。
男を振り下ろすべく、レッキーは急降下を試す。
一刻も早く、この男から逃げ――。
「"一刀竜断"!」
抜剣し、繰り出されたひと振りは、この世界の最強種"竜"を一撃で屠る修飾魔法型剣技。ジェイクの乗っていた、レッキーが憑依していたファルカヌスは真っ二つに切り裂かれた。
「"竜王殺し"の技も悪くはねぇな」
メルストとアレックスの決闘で見た、大技の一つ。見よう見まねでやってみたが、それなりに再現はできているようだ。
上空へと放り出されるように、そのまま雲を突き抜け、大地へと墜ちていく。地面に着くまでに何十秒かかるか。当然、ジェイクはそのことまで考慮していない。
「あ、やっちまったな」という顔を、見下すように、レッキーは上空に浮遊していた。
(へっ、お馬鹿さんめ。見えなければこっちのもんですよ)
ただの人間に自分の姿は見えない。それに勝手に落ちていく。
だが、ジェイクの眼の色はまだ変わっていない。まだ狩りは終わっていない――そういわんばかりに、ジェイクは身体をひねり、"空を蹴った"。
「"四空掌握・空盤の脚抗"」
空を飛ばず、その脚から発した空間操作魔法で駆けあがっている。
(は? うそ?)
だがレッキーが驚いたのはそこではない。その場から離れているにもかかわらず、殺気がこちらに向かってきていることだ。
(待て、おい。来るな来るな来るな――)
「"鬼気・霊断剖"ォ!」
魔力をまとった冷気纏う斬撃。だが、その速度は大気を、斬った対象との摩擦で一瞬にして炎を発火させる。だがこの焔は、斬られたレッキーの魔力霊体が火炎魔法の反応へと変換されたためだろう。
(冷たい……のに熱、ぁあがっ、なぜだ、なぜ……? ワタシの姿が見えないんじゃ)
「おーいい燃えっぷりだ。たぶん斬ったな」
その一言が音波としてレッキーに認知された時。
ぷつん、と感情のどこかが切れた。
(勘だと……冗談じゃない。そんなんでワタシが殺されかけたなど――ッ、図に……乗るんじゃねェ人間族がァ!)
ズン、とジェイクの身体が大地に引っ張られるように、目にもとまらぬ速度で急降下した。
「あぁ!? ンだこのっ、クソがァ!」
ジェイクは全身に空気の鎧をまとう。タダの落下なら衝撃を緩和できるものの、それは魔法による過重力効果。結果は変わらず、緑覆う地面は粉砕し、土が捲れ岩石が巻き上がる。
「――ごふァっ!」
盛大に血を吐き、内臓や筋肉が悲鳴を上げる。着地した両足もただでは済まないはずだが……。
死んでもおかしくない。その狭間を越えることが当たり前の彼にとっては、落下の衝撃で怯むどころか、痛みを紛らわすために過敏な動きを示した。すぐにその場から離れたジェイクは敵の気配を探す。
ザシュ。
血の気が引くような感覚。右腕がやけに熱い。喪失感。ジェイクの右腕は、剣ごと空へと舞っていた。
「ぉご……あぁ……?」
(くぁっはははは! 所詮はニンゲンンンッ! 下等らしくもがき苦しむがいい――ッ)
だが、魔族は違和感に気づく。
こいつは、確かに人間だ。血も流れるし、斬れば容易に腕が吹き飛ぶ。
しかし、これまで見てきたような絶叫や悲痛に歪んだ気持ち悪い顔は? 無いところを抑えて身を崩す間抜け姿は?
なぜこいつは顔色一つ変えない。
鈍いだけか? いや……そんな単純なもんじゃないことは、不可視の魔族も分かっている。
そう確定づけたのは、その翡翠の眼光から覗く得体のしれない何かに睨まれたからだ。
「やっぱそこにいたかよストーカー。そうとうのご立腹みてぇで清々しいぜおれはよぉ」
そう軽口を叩く。口の無いレッキーは、言い返すこともできない。
(こいつ、普通の人間族でしょう。なぜ普通に話せる)
「そんなテメェにひとつ、忠告しといてやる」
左腕を挙げ、何もない空間に指をさす。だが、その挙動は本当にレッキーが見えているようだ。
「好きな女に媚びてほしいなら回りくどいことすんじゃねぇぞ。正面から堂々と襲って夢中にさせりゃまんざらでもねぇ態度になるってもんだ」
(何を当たり前のように。それができないから苦労していたん――)
「ああ、あとよ」
なにかつぶやいたか。すると、何を思ったのかジェイクは肘より先がない腕を空へ伸ばした。それでも血が噴き出続ける様は、まるで赤い旗を掲げているようだ。
「女の勘の方が当たるし、スゲェ怖ぇぞ」
自分が手を下すまでもないと言わんばかりに、ジェイクは告げた。なんともないような顔が、現実味を失わせたその時だろう。
ジェイクの血飛沫を貫き、矢の如く飛来する長槍がレッキーの霊体を撃ち抜いた。赤い布に猛進する闘牛のように向かってきた金銀の複雑な装飾は、聖槍、いわば退魔の力がある特殊な槍だろう。
何が起きたかわからないレッキー。地平線に小さく見えるルマーノの町が視界に入るが、まさかそこから飛んできたのかと疑う。
「おー命中ー。フェミルさんもやりますね~」
ジェイクの場所からおよそ6㎞先、物見砦の屋根の上。
双眼鏡でジェイクの姿を捉えている駅逓局のユウはのんきにフェミルに話しかける。隣に立っていた騎士姿のフェミルはヘルムをより深く被り、表情を隠す。
「……誇り高きハイエルフの騎士として……当然のことを、したまで」
「ハッ、やっぱいい腕してるぜ、フェミルちゃん」
ドパァン、と霊体に風穴が空き、ふたつに裂けるレッキー。襲い掛かってくる気配も直感で感じ取れないと判断したジェイクは、落ちた腕を拾った拍子に仰向けに倒れた。
「ぐ……あ゛ークッッソ!! めっちゃ痛ぇ゛! はやく馬鹿賢者のとこにいかねぇと……あぁやべ、今日キャシーと一杯付き合う約束だった。死んだなこりゃ」
女の怒りを買うことを何より恐れるジェイクは、自暴自棄めいた遠い目を夜空へ向ける。
サァァ……ッ、とやわらかい草原が夜風に流れる。そこに混じるレッキーの残骸。だが、そこにまだ意志は宿っていた。幸い、核は聖槍に射抜かれていなかった。
(こんな程度で死んでは……オルク帝國の恥!)
裂けたふたつの霊体は独立し、片腕が硬質化・肥大化した人狼の如き姿へと変貌する。魔力の塊か、毛皮のあちこちから結晶が突き破っている。
「「"凝固・固体化"!」」
寝転がっていたジェイクに大きな影が覆いかぶさる。起き上がったが、どこか気だるそうだ。
「おーおー、まだくたばってねぇのか」
剣をかまえるどころか、鞘にしまうジェイクに、おぞましい獣の唸りが降りかかる。野太く、骨身から震えあがりそうな低い声だ、
「このワタシをここまで追い詰めたことは評価しよう」
「だが所詮は人間族。我らが魔人族、それも祖先種にあたる魔霊種には――」
煩わしそうに二頭の怪物を見上げるジェイクは、左手を前に出し、話を遮った。
「あーはいはい、わかってるわかってる。やっと顔出したようで悪いが、テメェに構ってやれるほどおれは暇じゃねぇんだよ」
「テメッ」「少しは話を」
「つーことで、後処理は任せたぞ――キチ猫」
ボゥ、とどこからともなく発生した蒼炎に、躊躇なくジェイクは身を入れる。それと入れ替わるように蒼炎から突き出てきたのは一対の155㎜無反動砲。重火器めいたそれは重々しい錆色を放ち、腕の機能を果たしていた。
ちらつく炎から覗かせた紫焔の瞳。機工師が生み出すふたつの芸術は咆哮す。
竜の息吹。爆ぜた二頭の人狼と化したレッキーは身を焦がし、魔力で構築された疑似血肉を爛れさせ、骨ごとぼろぼろに砕かれる。
噴火の如く爆炎が沸き立ち、ルミアの感情の如く収まる様子を見せない。
「まず右腕の一発目はリーアを苦しませた分、左腕の一発は十字団を手こずらせた分」
「このっ、クソガキがァ――」
爆炎から出てきた火だるまは最早、人狼の姿を成しておらず、巨大な龍の咢のようにも見えた。
ガゥン! と草原に爆轟が響き、三度目の噴火が大地を唸らす。リッキーの最後の抵抗は灰燼となって闇夜の空へと焚き上がる。
「そしてこれは……そのきたない手であたしに触れた分よ」
銃口から爆薬の煙がゆらりと立ち昇る。
やがて静かに燃え上がっていく炎は、星空が見えない今宵を明るく、強く照らした。




