4-1-5.「魅せてやんよ」
「メルストさん……っ」
だが、ここは踏み堪える。黒い爆炎が晴れるのを見届けるしかない。
獄炎の唸り音とは別に、エリシアの隣からも、悔しそうなルミアの唸り声が聞こえる。
「いきなりとか手段選ばなさすぎィ!」
「別に剣で勝負って話じゃなかっただろ。最初のルール説明きいてなかったのか」
「うっさいわね! 剣士っぽく振舞ってたくせに突然魔導師キャラに変更したのがなんかムカつくー!」
「ああそうかよ」とジェイクは呆れ、相手にしなくなった。
「……竜王殺し、かなり手練れ」
「フェミルん褒めてる場合じゃないよ! メルくーんっ! ふつうに無事だよね、おねがいだから絶対勝って! ていうか瞬殺できるでしょ! 塵残さずやっちゃってよ!」
獄炎の中へ叫ぶルミア。もろ顔面に直撃したであろう高強度の火力で、その身体が残っているのかすらわからない中、
「無理言うなよ」
呆れたような声が聞こえてきた。闇夜の如き黒い爆炎は突如として消え失せ、息を切らしたメルストが佇んでいた。
「メルストさん! よかった……」
安堵の声がエリシアからこぼれ落ちる。
「ほがっ」と間抜けな咳き込み。顔をしかめたメルストは鼻腔に詰まった刺激臭のあるガスを吐き出す。
(鼻いってぇ、もろに浴びたからなチクショー……若干硫黄くせぇのはあいつの魔法の副産物からできたものか。効かないからいいけど)
少しばかり服が焦げ落ちているが、彼自身、致命傷を負っていない様子。
魔法を受ける直前、袖に隠し持っていたボトル型の応急薬を彼は盾代わりにしていたのを、アレックスは見逃さなかった。
その一瞬を捉えたものは彼以外にはおらず、これには観衆も目を開いた。
「いや、無事だぞ! あの錬金術師も相当やるんじゃねぇか?」
「まさか。アレックス様の本気はまだまだこんなものじゃない」
町人のいう通り、まだ全力を出してはいない。だが、ランクAの竜を屠った一撃と同等の技を放ったこともまた事実。加減したとはいえ、生身の人間が半殺しにすら至らず戦う意志を向けていることは想定外だった。
「やっと錬金術師らしい戦い方になってきたな。あの一瞬、なんの道具を使った」
「ただの"応急薬"ですよ。一般に知られる回復薬とはまったくの別物ですが……爆発する消火剤といえばいいですかね。ちょっとばかし魔力抑制の薬剤も加えてます」
アレックスの魔法には、魔力によって燃える炎に加え、爆発の如き破壊力も有していた。その衝撃でボトルが壊れ、中身のリン酸アンモニウムや重炭酸アンモニウムをはじめ、複数種の消火剤と対魔力剤によって、発生するアンモニアガス及び炭酸ガス等が消火剤と共に炸裂したようだ。
爆風によってそれはメルストの全身に浴びてしまうことになったが、結果として獄炎の被害を抑える防火具となった。
本当ならば、使うつもりはなかったとメルストは口にする。「あくまでこれは決闘ですから」
「フン、小癪な奴とはまさにこのこと」
だが、と話を続ける。少しだけの間が流れ、感心の声を届けた。
「……少しはやるようだな。本気を出していないとはいえ、私についていける人間はなかなかいない。錬金術師とはとても思えな――」
眼前、メルストの振りかぶった黒剣がアレックスの胸部を斬り裂こうとしていた。"時空転移"したのか、アレックスもメルストの出現を察知できず、不意を突かれた。それでも間一髪で防ぎ、メルストを弾き飛ばす。
「おぅえ……やっぱ二回目の転移は酔う……」
「いや待て貴様ァ! せっかくこの私が賞賛の言葉を送ろうとしているのだぞ、光栄に思わないのか!」
「手抜きで殺意向けている人に光栄も何もある訳ないじゃないですか。自分勝手もいい加減にしてください」
「自分勝手はどっちだ!」
激昂するアレックスに対し、口をとがらせつつも冷静に対処する。容赦ない魔法を喰らっているメルストも仏であるはずがなく、何も感じなかったはずがない。
(あっちに疲れている様子はないか……10分って意外と長いな)
このまま長引かせれば、メルストの勝利となる。当の本人はそれでもかまわなかったのだが、そんなつもりのない観客やアレックスは納得しないだろう。はっきりと勝敗を分けなくてはならない。
焼け焦げた地面に燃え上がる紅蓮の炎。ズタズタの結界の内側はまるで戦火が飛び交った焦土地帯。魔力で燃える炎は酸素を喰らい、乾燥した空気は目も肌も肺も焼く勢いだ。熱気籠る決闘場は火山の中のよう。まさに地獄絵図だ。
「これだけ燃えていると、反応も捗りますね」
「また小癪なマネをする気か?」
「もう小道具は使いません。次こそは錬金術師の真骨頂で、あなたに勝ってみせます」
「それが小癪というものよ。強かろうと特別だろうと、所詮は錬金術師。やれるものならやってみるが良い!」
鎧炎を纏い、紅蓮色の焔聖剣もついには眩い白光を放つようになる。最低でもセ氏1500度は越えている、とメルストは炎の色で判別する。凄まじい熱波を放ち、周囲の石煉瓦が溶け始めていた。
これにはさすがに本気で叩き潰す気なのだろうと観衆も察したはずだ。数センチメートルの結界の先で、超大国の頂点をついに目にすることができる。いくら金を積んでも、一生をかけても見れないであろう英雄の全力を捧げた戦闘。それだけでも興奮が止まらない。
再び剣戟が響き、大地を揺るがした。噴火のような轟音に、誰しもが耳を塞ぐ。
「っ、なんていう力……!」
エリシアはさらに結界を固め、多重構造へと組み直した。たった半径8メートルの中で、連なる山々を壊しかねない天災が起きている。この結界を解除した瞬間、ルマーノの町どころではない。周囲の平野や山脈もろとも、火の海と化すといっても過言ではなかった。
「"火神の聖蹄――解放せし力を全うせよ"」
火炎が凄まじい速度で伝播し、ますます灼熱の地へとサークル内は侵されていく。
むき出しの牙を向け始めた焔聖剣から放たれる炎。それは先程までのような爆燃の範囲ではない。炎そのものに音速を超える衝撃波が生じ、半径8メートルの小さな空間の中で被害数百メートル……否、段々と威力が増していき、数キロメートルにも及ぶ爆轟の嵐が巻き起こっていた。
これでも死なないか、とアレックスは冷静を振舞いつつも思うように錬金術師がくたばらないことに、感情が地面から並々と溢れてくる溶岩の如くエスカレートしていく。
ろくに攻めることもできず、斬撃の数々を受け止め続けるメルストも無事ではない。服の下に纏う黒色鎧でさえも、竜王殺しの猛攻では衝撃を完全に逃がすことはできなかった。
剣の腕も、戦闘経験も、到底かなわない。
「やっぱり、あんたは"俺たち"を舐めすぎています」
だからこそ、そんな言葉が出てきたのだろう。
「それがどうしたと……?」
「俺よりも遥かに広い世界を見ているのに、どうしてそんなに狭いんですか」
「っ、……さっきから何が言いたい」
本当に癪に障る奴だと、アレックスは歯を噛み締める。怒らせるという算段ならば、とうに成功している。
「いえ、気になったこと言っただけです。あと、アレックスさんは爆弾とか、爆発とかお好きですか」
「そんなものに好きも嫌いもあるか。貴様……随分と無駄口を叩く余裕があるようだな!」
「お好きではないのなら……ルミアはあきらめてください」
話は終わったと。そう言わんばかりにメルストは数多の剣撃を受け止めるのをやめる。おりからその姿が忽然と消え去り、アレックスはすぐに全体へと視界を広げた。
三度目の時空転移。周りに立ちのめ、揺らめく炎のように意識がもうろうと身が屈みそうになるが、両手から錬成される設計分子の創成と構築をやめてはならない。
「ッ、何をする気だ――」
ただならぬ危機を感じたのか。業火で生み出された炎剣を無詠唱で13本、矢を放つように射出した。
だが、それらはメルストの前で燃え尽きる。
「なんだと……っ」
彼の手の内を除き、周囲はすでに大量に発生させた不燃気体によって可燃性気体が除去されていた故だろう。
物質創成、物質構築、そして物質分解を司る能力。
完璧に思い描いた化合物ならば、どれだけその合成過程が複雑だろうと、収率が低いと言われていようとあまり関係がない。物質構築能力の難易を分ける条件はエネルギー状態の安定性などいくつかあるが、簡潔に述べるならば、考えた物質の構造が緻密かどうか、そして元素の種類が少ないか。
「血迷ってでもあの爆弾魔を射抜きたいなら、これぐらいはしないと」
設計いた分子は、炭素6個と窒素6個の5角柱と似た歪な骨格に、6つのニトロ基がついている結晶。偉人たちが何十年も研究の試行錯誤を繰り返し、命をかけて開発された、天然では存在し得ない産物。
HNIW――メルストの思う、理想の爆薬である。
「竜王殺し……最高の爆発ってもんを魅せてやんよ」
瞬時に目の前に到達したメルストの突き出した手には、スケール十数キログラムもの結晶をまとった腕。
とっさに対抗しようとアレックスは風を斬る。白銀の業火を滾らせる焔聖剣。鋼の鱗を持つ数々の竜や竜王を討った腕は確かで、剣は火花を散らしてはメルストの左腕を刻み込んだ――瞬間。
察した。
「ッ、"流焔剣魂歌"――!」
ほんの一瞬。すべてが漂泊と化す。
張り裂けんばかりの爆轟音は火神の悲鳴か、はたまた憤る怒号か。大賢者の結界が歪み、衝撃波の余波と化した突風が観衆をのけぞらせる。
町を一度だけ光に覆わせた破壊力は、すべて円柱状の結界の中に抑え込まれ、凝縮される。真っ赤になった爆炎はサークル内を満たし、空へと黒煙が昇っていく。
だが、アレックスは間一髪を免れた。
爆炎を斬り、視界を晴らしたアレックスの目に移ったのは、メルストの金属色の腕と、己の首を狙う漆黒の剣。
(なるほど)
大技に見せかけた目くらましか。
残念だったなと含み笑ったアレックスは焔聖剣から激しく白色光を放ち、黒白の一閃を交差させる。
「"鬼焔――ッ、一刀竜断"!」
摂氏2000度では溶けなかった金属らしき煌黒鎧。それを上回る――最大火力を発動させ、剣の炎熱で手甲具ごとメルストの腕を斬り落とした。
巨竜をも断ち切る斬撃は音速を越えて飛び交い、ピシッ、と地面が一線刻まれた。それは決闘場どころではない、結界から衝撃が伝播し、ルマーノの町を横断した。
腕を纏っていた金属はたちまちに融け、炎剣にまとわりつこうがかまわない。刃を引きずり、そこにいるであろう片腕の錬金術師を斬り飛ばし立ち昇る爆炎よりも高く打ち上げよう。
しかしここで、違和感に気づく。
血の焼ける臭いがしない。
「――ッ!?」
あの腕はまさか――。
振り上げ、爆炎を天高くまで斬ったも、やはり手ごたえはない。
金属腕と漆黒の剣が地面に音を響かせたとき、
「歯ぁ食いしばってください」
爆炎の中、鮮明に聞こえた声。微かに聞こえた電撃が走るような音を最後に、炎の海の中を突き破ってきたのはメルストの黒い瞳と、全身全霊を込めた一撃。
アレックスの眼前に飛び込んだ弱者の拳。いわば、武術の片鱗すらも感じられない、力任せのただのパンチ。
だが、それを前に思考が真っ白になった。殺意も何もなく、単純な『死』――否、『消滅』が脳裏を焼き付け、恐怖を越えた無を感じた。
素人如きの殴打になぜ自分が凍り付くのか。それを疑う間もなく、一寸先の死が迫り来ていた。
だが、アレックスの顔面が打ち抜かれることはない。目の前で止まった拳はアレックスを殴らず、火山地帯のような灼熱まみれの空間をぶち壊したのだ。
「…………ッ?」
霧が晴れるように、すべての爆炎がかき消される。境界線である結界もとうとうひび割れた。
虚無と思えるほどまでに清々しい景色が見え、誰しもがふたりの姿を捉えることができたとき。
右拳を一気に後ろへと引き、空いた腹部に左拳を撃ち込んだ。
発した無色の爆風。結界中で膨張する爆圧。目に見えぬ速度で吹き飛んだアレックスの身体は、びりびりと振動していた大賢者の結界をも突き破る。5回ほど地面をバウンドしながら大広場の端へと転がり、建物にめり込まんばかりに激突していった。




