3-11-4.錬金術師の涙
その日、メルストは集落から少し離れた墓地にいた。この村にも人を埋葬するという風習はあるが、そこは墓地というよりも……。
「……うっぷ」
療養所もすさまじいものだったが、墓地の光景は筆舌に尽くしがたかった。100や200、否それ以上の遺体が、あらゆる腐敗段階で敷地の至る所に横たわったまま、葬られるのを待っていた。何百というノスリが彼らの頭上に集まっている。
今日ここに、新しい終わりがひとつ、積み重なる。数多の死を前に、大地は受け入れることを拒んでいる。
失ったのだ。太陽が覗きこみ人々が目を覚ました時に、永遠に目を覚まさない人間がひとり、いたのだ。
どうして……。
いや、そんなことを問いかけても、当然のことだった。より具体的に想定しておくべきだった。運命に抗っていることを常識化してはならない。その思い込みの結果――信じられないという思い込みが生まれるのだ。
「……最初に言ったよな。誰も死なせないって。あの言葉は嘘だったのかよ……おい!」
メルストの傍にいた村人たちの内、ひとりの青年が掴みかかってくる。故人の親しき友だったのだろう。
「なんとか言ったらどうだ! 俺達はおまえらの言葉を信じてたんだ! それがどれだけ重い責任かわかってんのか!」
自分の発した決意が、刃となって突き刺さってくる。謝ろうとした口は、うろたえるように動かない。
殴りかかろうとしていた彼を、他の村人たちは止める。それだけの信頼はこれまでの接しで築けていたが、彼らの優しさが、より自分を責め立てる。
「落ち着け! 気持ちはわかるが、大賢者様も、ヘルメス先生も必死だったんだ! 神様でさえどうにもできない病気を前に唯一立ち向かっているんだぞ! 今までの医者たちとは違って、ここまで命かけて接してくれる人たちなんかいなかっただろ!」
「んなことぐらいわかってんだよ! けど……それでも、あいつは――レフラーは死んじまったじゃねぇか……っ」
親友の名を告げ、青年は崩れる。うつむき、堪えても流れ落ちる涙は腐った地面を湿らせる。メルストの裾を掴むやせ細った手は弱くとも強い力で握りしめられていた。
「本当に、申し訳ありません」
かすれたような声で、メルストは目を静かに伏せる。掴まれた感覚は離されても尚、ずっと残っていた。
「メルストさん……あの、その……」
自分も十分に胸を痛め、弔ったときは涙も流した。だが、それ以上に村人が、そしてメルストが辛いはずだ。しかし、どう話しかければいいか、エリシアはわからない。
それを汲み取ったルミアは、代わりに声をかける。
「気に病むことはないよ、メル君。仕方のなかったことだし」
珍しくルミアが気遣ってくれたのも、メルストの沈んだ表情あってのことだろう。だが、メルストは力なく「ありがとう」と返事をするだけで、ルミアやエリシアとすれ違った。
村から一度拠点に戻ろうとしたとき、彼を呼びかける声が聞こえた。
「ヘルメス先生。よければ、これを……」
振り返る。数人の村人たちが渡してきた藁のカゴを、受け取った。
中には、土の付着した黄土色の根菜類が4本入っている。ごぼうのようなものだが、何の農作物か、長いことここに住みこんでいるメルストは知らないわけではなかった。スペルディアで副食にして滋養強壮・薬としても親しまれてきたこの土地特有の作物だ。
「これって……」
「少しでもヘルメス先生に元気になってもらおうと思いましてね。日に日に顔に出る疲れがひどくなっておりますので、なにかお役に立てることはないかと……ご迷惑でしたか?」
病で立っているのもやっとな壮年の男性が微かな笑顔を向ける。その作物も、"組成鑑定"と野ネズミを使った感染実験で大方は解析済みだ。主食である穀物とは異なり、無害だということは解っていたが、懸念が一つ。
「いえ、そんなことは。でも、これは皆さんが食べるべきものじゃあ――」
「大丈夫じゃよ。むしろ、先生が元気でなくちゃあこの村は今度こそ……いや、こんな若い者に苦労をかけさせてしまっているのが、心苦しくてのぅ」
男の横にいた老人がそう言った後、痛そうな咳を三つする。物資では賄えない、この地でしか食べれない貴重な、そして彼等にとって馴染み深い食糧だ。今は唯一それしか食べれず、数も限られているにもかかわらず、分け与えてくれたことに、目が染みていく。
「ありがとう、ございます……」
だが、そのささやかな安らぎも、浸ることなくすぐに流されていく。
「死にてぇよ……死なせてくれぇ! 散々だ! もう一思いに死なせてくれよ……!」
ここのところ、このような悲鳴がよく聞こえるようになった。これでもまだいい方だ。発狂して狂暴と化したり憑りつかれたように笑い続けたりされでもしたら、こちらまでおかしくなってしまう。
「生きることをあきらめちゃダメだ! あんたにも家族はいるだろう! もう少し頑張るんだよ……!」
「今は大賢者様が来てくださっている。もうすぐで、救われるんだよ、この村は。だから……だから、もう少しだけ耐えるんだ……っ」
「……」
民家から聞こえてくる叫びが、胸の中に溜まり込む。今は優先するべき危篤者がいる。研究がメインだが、人の命の危機には代えられない。
横切る民家に構うことなく聞き流すのも吐き気がするほど痛かった。もう治癒魔法を行っても、回復は見込めないだろう。それだけ皆の生命力が削れていた。
調査が進むほど、死者は一人、二人と増えていく。その事実が、頭を締め付けていた。
畑の道を歩き、ある古びた民家に入る。奥の窓際に、女性が寝込んでいる。
「ルーニーさん。具合はいかがですか?」
メルストの声に反応し、返事ができる程の気力はあった。だが、身体は腫れ上がり、手足や顔はやせ細っている。腫瘍は壊死の段階にまで侵攻していた。
彼女は嫁入り前だった。さぞ美しい女性だったというが、その面影はほとんど失われていた。
「腫れたところがまた一段と……強く痛み始めました。身体も動こうとすれば、あっという間に意識が飛んでいきそうな……そんな気がします。気分は……良くないです」
ゆっくりと、ささやくように答える。丁寧だが、ところどころの声がかすれていた。
「おつかれですか?」
メルストはハッとし、すぐに取り繕う。患者に気を遣われては、立場がない。
「ああ、すいません」
「いえ、私は全然。こちらこそ、ヘルメス先生や大賢者様、それに十字団の皆様に無理をさせてしまって……他の人たちはどうでしたか」
「あれから病の進行は遅くなりましたが、少しずつ蝕んでいるのは確かです。現に僕らが来てから6人、先立たれました。全員、農夫や畑に携わっていた方です」
これまでに分かったことは、病の始まりは、すべて農作物を扱う農夫からだった。最もこの地の水や土に触れているためで、感染経路はそこからだと目星をつけている。農作業の後に肌がかぶれたという報告を聞いていたので、そこに原因があるのだろう。
「そうですか……」と力なく返す。「そこにレフラーという方はいますか?」
墓地での出来事を思い返す。うなずくと、彼女の目に感情の変化がみられた。
「大切な方、だったのですか?」
「恋人だったんです。お互い、どんなに苦しくても、二人で乗り越えようって、約束したんです。でも……先にいってしまったんですね」
「……はい」
すぅ、と息を吸う。嘆くこともなく、悟り切ったような表情をルーニーはする。腫れた首を動かし、メルストに改まったように声をかけた。若い人とは思えないほどの弱い目を、メルストは真摯に見る。
「私が死んだら、遺体を彼の隣に置いてくださいませんか? 私もさびしいのは正直ですが、彼もまた、寂しいと思いますので――」
「馬鹿言わないでください! あなたを死なせはしません、必ず助けてみせます……!」
思わず声を上げてしまったメルストだが、それをルーニーはやさしく受け返した。
「ヘルメス先生……もう、いいんです。これまで、何度もこうして死んでいった人を見てきました。父や母、妹の死も、この目で受け止めました。自分の命の終わりがどこなのか、わかっています」
「……」
「もう、治らないんですよね」
まだ可能性はある。まったくもって無理ということはないかもしれない。あくまで自分は医者じゃないから、もっと優秀な医者ならば、どうにかなるかもしれない。
頭の中で渦巻く甘えに、メルストは頼りたかった。躊躇った口を、重々しく開く。
「……この段階になると、もう手の打ちようは……」
「……ありがとうございます。これで、すっきりしました」
彼の予想とは反し、安心しきった声。このまま本当に眠りについてしまうのかと頭をよぎったメルストは、ルーニーの名前を呼びかけようとした。しかしそれよりも先に、ルーニーが尋ねる。
「先生。私や村の人たちに住み着く病魔は、一体何なのでしょうか」
「水辺か付近の土に棲む、なにかの小さな生物だと思われます」
「生き物、ですか……?」
「ですが、はっきりとは分かりません。肝臓に原因があることは間違いないのですが、詳しいことは開腹して肝臓を直接確かめるしか……」
それに対する返事はなかった。しばらくの沈黙が続く。鳥の鳴き声さえせず、風に吹かれて軋む音だけが、やけに鼓膜にまとわりつく。
次に開いた彼女の口から思いがけない言葉が出てくるとは、このときのメルストは予想だにしなかった。
「ヘルメス先生。最期のお願い、聞いてくれますか?」
「……?」
「私が死んだら、この身体を解剖してください」
耳を疑った。解剖できるという例は、禁忌である故に、メルストは除外していたのだ。
「ッ、ですが、スペルディアでそんなことをすれば……成仏できないですし、なによりこの村では神の冒涜だと――」
「それでも、みんなが助かるなら、私はどうなっても構いません。ヘルメス先生や十字団の皆様には、本当に良くしていただきましたから」
「ルーニーさん……」
相当な決心だっただろう。彼女の口がほんのわずかに震えているが、その目は確固たるものだった。
あまりのことに、メルストも思わず目頭が熱くなる。
「その代わり、約束してください。私たちの愛したこの村を――スペルディアを……救ってください」
「……わかりました。命を懸けて、この村を救ってみせます」
最も強く感じる声。それに応じたことで安心しきったのか、それとも力尽きたのか、使命を託すように、静かにルーニーの瞳は閉じられた。息をしていないと気づくのに時間がかかった。
「……」
両手を合わせ、出てきそうになる涙を、歯を食いしばることで踏みとどまらせた。
気が付くと、日が落ちかけている。もうすぐで鈍色の空の色は変わり、一瞬の炎が燈される如く、静かに燃え上がるだろう。
ひとつひとつの民家は軒続きではなく、畑や太い道を通して離れている。そこに転がっている岩に腰を落とし、働きすぎた頭を休める。否、それは満身創痍ともいえただろう。目の前で人を死なせてしまった重さは、彼の想像を絶していた。気持ちを静めるだけでも精一杯だった。
「おにいちゃん、どうしたの?」
自分のことだろうか。憮然とした表情のまま振り向くと、子どもが何の警戒もすることなく、こちらに近づいていた。
齢10歳ほどかと思われる、栗色の長い髪の少女。だが、症状は進行しており、土に汚れた白いワンピースから出ているぼろ雑巾のような細い手足が痛々しく見える。成長も平均よりかは遅れているように視られ、血色もよくはない。
草むらをかき分けて出てきたのだろうか。ぼーっとしていたために、草の音すら聞こえなかったようだ。
「ああ、いや……夜空、ながめてただけ」
精一杯の笑顔を向けたが、その疲れ切った顔は微笑すらできていたのか。だが、あたたかさは通じたのか、幼い少女は警戒することはなかった。それどころか、好奇心をもって接してくる。
くりゅるる、とかわいらしくも、儚げな音が、少女のおなかの中から聞こえてくる。
「おなかすいたの」と無邪気に少女は言う。
「おうちに何もないのか?」
物資はまだ残っているはずだ。氷冷魔法によって衛生状態も良好だが。
こくり、とうなずく少女に、メルストはひとつ、尋ねる。
「でも、エリシアさ……大賢者様から食べ物はもらってるはずじゃ……」
「うん。でもね、たべると吐いちゃうの。みんなおなかすいちゃうの」
(病気で物が喉に通らない……栄養を摂取すると病状が進行するから、身体が拒絶しているのか……?)
「おにいちゃんって、あるけみすとなの?」
突然の話題の切り替えに、少し戸惑う。村人全員と接しているので、顔は覚えてくれているのだろう。
「うん……そうだけど」
すると、にぱっと笑い、ワンピースのポケットから拳サイズの何かを取り出した。
「じゃあこの石、あげる!」
石灰石のような、白灰色の小さな岩石。手に触れてみると、それなりに硬質はあり、"組成鑑定"によって複数の元素とそれらが構築するいくつかの結晶構造が頭にねじ込まれる。アルミノケイ酸塩、いや、アルニコだろうか。炭素骨格も含まれているので、一見複数の成分が混じっているかと感じたが、どうもひとつの成分として成り立っているようだ。
多少ノイズも混じったことから、魔石のようなこの世界独自の成分も組み込まれているのだろう。今の心境も手伝って、あまり考えることはしなかった。そして、気づいたことが一つ。
「多孔石、か……?」
肉眼では見えないほどの小さく細かい孔を無数と言えるほど多数もつ石。木炭や沸石、溶岩石でよく見られるが、このような盆地で目にするとは。
金属や物質を扱う錬金術師だから、これをくれたのだろう。お礼を一つ言いかけたときに、どうしてか言葉がのどに詰まった。
ぽたぽた、と突然涙があふれ始めた。止まらない。一滴一滴流れるごとに、この村の人々ひとりひとりの顔、最期を迎えた人たちの顔、関わった一瞬一瞬が頭の中でめまぐるしく廻り始める。湧き上がってくるなんともいえない感情が、悲しみと不甲斐なさとして吐き出されていく。
がくがくと、総身が震えた。
物質の根源を創れる力があっても、ひとりの子どもの腹を満たすことができないなんて。人ひとりすら救うことができず、死なせるなんて。
(こんなの意味がないじゃないか……!)
何のためにこの世界に生まれ変わってきたのかわからない。すべてが偶然かもしれない。それでも、この世界に来た意味は必ずあるはず。
自分にしか持っていないこの特別な力は、誰かの為にあるはずだと信じてきた。なにかを成し遂げるために、誰かの役に立つために、この世界に来たのだろうと信じてきた。今ここで、そのときを迎えているはずなのに。
膝を崩したメルストは少女をやさしく抱き寄せる。彼の背中は震えており、なにも分かっていない少女は首をかしげていた。
「ごめん……本当に……、ごめん……っ」
「どうしておにいちゃんがないてるの……?」
彼は嗚咽が漏れそうになるも少女に気付かれないように堪える。だが、燃え上がる夕闇を迎えるまで、彼の涙は止まらなかった。




