3-10-3.ハプニング・オブ・オーシャン
R-17(かもしれない)表現注意。不快に思われる方がいましたら、大変申し訳ありません。
海水浴回最終話です。
「ポーションなら私に申せばすぐ生成できましたのに」
落ち着きを取り戻したエリシアが精製した魔法水により、なんとかフェミルの一命は取り留めた。肌も若々しく艶やかに潤いを取り戻し、フェミルはさっぱりしている。が、機嫌は良くないと、さすがのメルストもそのあたりの空気は読めていた。
「ごめん、フェミル。試作品を人に使うべきじゃなかった」
「……別に」ふい、とそっぽを向く。表情はいつも通りなのだが、
(これ怒ってるよなー絶対)
内心後悔する。「失敗は、誰だって……するから」とさりげない一言がなければ、メルストは全力で自分を責めていたかもしれない。
「そうだよメル君! あたしも失敗の数ならだれにも負けないし!」
「なんの自慢すか。それ自慢すか先輩」
両腕でなぜか戦隊ヒーローの決めポーズをとるルミア。特に何のフォローにもなってはいない。
「ともあれ、フェミルが元気になって安心しました」とエリシアは安心して豊満な胸を撫でおろす。揺れるそれを支える水着の細い紐が、なんとも心もとない。
「ともあれ返しでエリシアさん、その穴は……」
先程、パニックのあまり大杖で掘っていた穴は奥まで続き、数人が入れる程度のスペースを保っている。
「緊急医務室です。この暑さにやられたり溺れてぐったりしたときも、この中で安静にできます!」
「墓穴じゃないんだ」
いろんな意味で、そう返す。
「ち、違いますよ! こう見えて立派な避難場所でも……あ、暑さで頭が」
「まさか自分用じゃないよな」
くらりとしたエリシアに呆れる一方で、砂地をボスボス地団太して緊急地下医務室を上から崩している鬼畜がひとり。大した力は入れてないも、それは呆気なくただの窪みとなってしまった。
「儚いものよ」と機工師の悟ったような目。エリシアは青ざめて叫ぶ。
「ああそんな! ひどいです!」
「なるほど、そうやって生き埋めにさせる算段か」
「違いますから!」
メルストの冗談にも本気で返した。
「こ、こほん、そんなことよりです」とわざとらしい仕草で話を切り替える。
「さきほど、条件でおびき出せるとおっしゃってましたが、どういうことですか?」
「ああ、温度の上昇と波の揺れ、海水に含まれる塩分と油の濃度変動が条件かもしれないなって考えてたんだ。それでターゲットにたくさん人が海にいるって思わせたら――」
「なるほど、そうだったのですね! でも、エサもないのに、そもそもどうやってその条件を満たせるのですか?」
「まぁみていればわかるさ。そういう条件を揃えてみる」
膝が浸かるまでの深さまでメルストは歩く。チャプ、と波揺らぐ海に手を付け、そこからエネルギーを放っては海水の温度を、わずかだが広範囲に上げた。加えて、物質創成能力で炭素を産み出し、物質構築能力で皮脂成分の大半を占める「トリグリセライド」を記憶を基に大量に作り上げた。創造の手からそれを海に流し込む。
まずはその条件で試してみるも、
「こないなー……」
「来ない……ですね」
数分待ってみるが、何も起きる様子もなければ、そんな予兆すら感じられない。しかし想定はしていた。
「まぁそんなすぐに結果がついてくるとは考えてないけど」
気長に待つか、とメルストは波の届かない砂浜にまで下がり、腰を下ろす。それを尻目に、エリシアは何か言いたげな顔をしていた。恥ずかしいことなのか、はっきりと言えないような表情だ。
「……? エリシアさん、ここは俺が見張ってるから、催したいなら行ってきても――」
「そ、そっちじゃないですよ!」
メルストの察しはあっさり外れ、「え、そっちじゃないならどっちなんだ」と言おうとしたときだ。
「あ、あの、メルストさん。私もこれ……いいですか?」
切り出され、差し出されたのはルミアが先程使っていたサンオイルの瓶。ルミアに塗っていたところを見ていたようだ。ああーそれかー、と心の中で冷静に振る舞おうとしたが、
(……いや今回ばかりは。エリシアさんはダメだ。俺のいけない何かが爆発する。確実に!)
様々な意味で華奢なルミアでさえも危うかったがそれの比にならないのは言うまでもなく、すべての男を虜にしかねない抜群のスタイルを持ち合わせた大賢者の女体。それの素肌を拝むことすら恐れ多いと言われている中、この手で触れようものなら大罪に匹敵するだろう。
そんな世間の言い伝えが仮になくとも、メルストにとってエリシアという存在は特別で、理想的でもあった。正気を保てるはずがない。
「い、今さらで申し訳ありませんが、なかなか言い出せなくて……」
「逆によく今まで塗らずに済んだね。日差し強いし、肌痛めたと思うけど」
しかし彼も、前世は立派な紳士という名の独身社会人として振舞ってきていた。出来心でやらかすほど愚かではないが、逆に言えばチキンと言われるほどの奥手だ。現実主義であるが故に、冷静に返せたのだろう。
「防護魔法があるんです」
「ああー、じゃあ塗る必要はあまりないってことか」
とはいえ男である。エリシアの性格を掴み、期待している流れに持ってこさせようとしているのは事実だ。
「っ、あ、い、いえ! 必要なんです! えっとですね、その、当たり続けると浸透しちゃうんです! ですので長時間ここに滞在するとなると、やっぱりオイルを塗ってもらう必要がありまして、あと、手が背中に回らないんです! う、うそじゃないですよ!」
なんとも分かりやすい。逆に申し訳なくなるほどに。
「そ、そう? ……そっか」
ここまで必死にお願いされたら断る方がどうかしている。「ええい、ままよ!」とよくある薄い本の定型文を脳内で使用したメルストは、吹っ切れたように許諾する。
「じゃあ、あそこでうつ伏せに――」
ドパァン! と水飛沫が高く昇る。水面で爆発が起きたのかとふたりは海へ目を向けると、そこには無数の吸盤がついた8本の触手触腕とが突き挙げていた。
「デカッ!」
「グラークオクトパス! これが元凶でしたか!」
頭部が異様に発達し、捕食した餌をそこにため込んでいるのか、その形は柔い質感にして歪だ。その巨大な軟体類の腕は、いとも簡単に大型の鮫を捕まえられるだろう。
その巨体には不似合いなほど、触手の一本が目にもとどまらぬ速さでエリシアの身体に巻き付いた。
「へっ? ちょ――ひゃああ!」
「ッ、エリシアさん!」
頭部の方へと持ち運ばれ、彼女の身体は海上に留まる。
「案の定エリちゃん先生が捕まったにゃー!」
「いや案の定って何!? てか早く助けねぇと――」
「――ッ、待て!!」
剣幕な表情でジェイクが叫ぶ。その声でメルストの足は反射的に止まった。
「っ、なんだよ、なんかあんのかアレに」
「様子を見ろ。……アホか、タコじゃねぇ、馬鹿賢者の方だ」
焦っているメルストに対し、ジェイクは至って冷静だ。その声も据わっている。
「あれを見てどう思う」
視線の先――エリシアが触手に巻き付けられている様子を改めてみる。そこでようやく、メルストは事態を察した。彼の言いたいことがわかったのだ。
「なんか……艶めかしいな。あとなんだろ、この見ているだけの罪悪感」
粘性のある液体がまとわれたぬるぬるの腕は、エリシアの足から腹部、胸にまで及んでいる。粘液が彼女の四肢に滴り、艶めかしいテカりを見せている。身を悶えている様も、妖艶というほかない。
「……ある書屋の官能画本にああいうタコみてぇな手足を題材にしたものがある。それを生で見れる日が来るとは……夢にも思わなかったぜ」
「カッコいい声で何言ってんのおまえ」
「あのタコは、捕まえたアレが消化できる餌かどうかを認識するために触覚代わりの触手を駆使してるのよさ。それはそれはもう官能的で、一種の伝説となってるほど」
ルミアも達観した顔でうんうん頷く。逆に焦っている自分がどうかしているのかと思わせるほど、ふたりは異常に冷静だ。
「今さりげなくエリシアさんをアレ呼ばわりしたよね」
「とかいいながらメル君もガン見じゃん」
「いや、これはもう天恵としかいいようがないというか。やっべ、鼻血……」
「おら、これで拭け」
「悪いな、ありがとう」
鼻から出た興奮を拭い取る。そしてパンパン、と三人で合掌した。
「ちょっと!? なんで皆さん両手合わせて拝んでるんですか! そんな場合じゃないで――ひゃあんっ」
巻き付いていた触手がにゅるりと動き、彼女の身体を舐めるように滑らせた。その力加減が絶妙だったのだろう、くすぐったさか否か、彼女は不可抗力で声を上げてしまった。
「おい馬鹿賢者!」ジェイクが真剣味に声を上げる。
「なっ、なんです――ひぅん!」
「グッジョブだ」
「だから何がですかぁ!」
力強いグッドサインである。
「はいエリちゃん先生こっち向いて! ナイスショット! いいよぉそこ! お、いいねいいねいいですねぇそのポーズ! はい、はい、ハァイ、いい写真だねこりゃあ。はいここでダブルピース!」
手持ちの自家製パンク風のカメラで激写するルミア。まるでやけにテンション高くグラビアアイドルを褒めちぎるカメラマンのようだ。
「ヤバい、これもう……眼福すぎて、もう目の保養以上に刺激的すぎて目に悪いんじゃないかと思うほどだ」
数十秒前の危機感は既になくなったのか、メルストもエリシアの肉体にすっかり見惚れてしまっていた。罪悪感が心を揺らすも、その光景から目を離せない。
「お! おい黒髪、見ろ! 水着の中に入ったぞ! うぉおおおお動き激しすぎだろ! あのタコも分かってるぜ!」
言葉で表現すれば規制されてしまう。そんな事態が目の前で起きようとしていた。がんばって堪え続けているも、エリシアの嬌声はより一層大きくなっている。
「その度に身体を震わせてはくねらせるエリシアさんの身体も、漏れ出る声もやばすぎる。思わず実況してしまった。鼻血止まんねぇよこれ」
たらりと流し続けるメルストと、失血死しかねないほどの鼻血をぼたぼた流しているルミアは、もう釘付けだ。
そのとき。
「ほぶずっ!」
突然ジェイクが豪速球の如く吹き飛び、大蛸の頭部に激突した。背中からバットで撃たれたようにみえたのも事実、そこには槍を薙いだフェミルの姿があった。
「……早く助けないの?」
「すいません、二秒で駆逐してきます」
静かに口にした一言。我に返った二人は背筋を凍らせる。
言葉の通り、ジェイクが頭部に刺さった巨大な蛸はふたつの爆発的一撃で、二秒で海に沈められた。
*
「あ、ありあとう……ごしゃいまひゅ……ぁハァ……はぁ……」
軟体型魔物の白っぽい粘液に塗れ、濡れた顔も体も、ついには声もとろけきっている。少し潮臭さが混じって、生臭い。情欲をそそらせるが、触ろうとは思えなかった。
「先生、大丈夫?」とフェミル。
「すごい火照ってるねー、だいぶデキ上がっちゃってる。……ふふっ」
「笑うんじゃねぇよ」
心底おもしろがっているルミアに、メルストは呆れる。スパァンッ、と軽快に頭を叩いた。
「も、もうあちこちおかしくなって……ぽかぽかしてへんな感じで……なんですぐ助けてくれなかったんですかぁ」
「いや、それは本当にごめんなさい。申し訳ありませんでした」
艶美な上目遣いで訴えられ、メルストは頭が上がらない。
「ねぇ目覚めた? 先生目覚めちゃった?」
「目ならとっくに覚めてましゅよぉ」
「通じないとこがエリシアさんらしいよ」
「メル君にしてもらうつもりが、タコにオイルぬりぬりされちゃったね~」
その冗談が、エリシアの心に深く刺さった。ショックでぽろぽろと涙をこぼし始める。
「っ!! うっ……ひぐっ、ぐすっ」
「エ、エリシアさん! 大丈夫だから! 相手動物だから! どこぞの知らない人にやられたわけじゃじゃないから! ノーカンだから!」
「メル君それ逆効果だよ! 無意識で傷口抉るほど質が悪いことこの上ないよ!」
「おまえの悪意ありすぎる言動も質が悪いことこの上ないだろ!」
ツッコミし合ってもどうもならない。今はエリシアの状態異常をなんとかするべきだろう。
「ちょっと失礼」
「あっ、んんぅ……っ」
組成鑑定をするために、体に付着したぬめりをすくいとる。しかし敏感になっているのか、エリシアは堪えたような嬌声を上げた。
「……腕触っただけでこれはすごいな」
「いい声出たねぇ先生。これに乗じてぇ、メル君は襲っちゃうのかい?」
後ろから身を寄せ、両肩に手を置くルミア。うっとりとした目つきで、いたずらな笑みを浮かべている。
「フェミル。腹パン」
「ていっ」
「ほぶずっ!」
気持ちは一緒だったのか、メルストの指示通りに、フェミルはルミアの横腹に拳を埋めた。ごろんと砂地に倒れ、蹲る。
ねとねとした粘液を指でいじりながら、視界に広がる無数の構造式を眺める。
「えーと、なんだこの構造。あ、でもフェネチルアミン誘導体が含まれてるな。身体が火照って肌が過敏になってるのはこれによるものか?」
過敏状態、興奮状態を引き起こす物質。なんで捕食するためにこんな成分が含まれてるんだよ、と首を傾げたところ、起き上がったルミアが、
「単に先生が敏感じゃなくて?」
「んーいや、元から敏感肌なのは確かでしょ。事実じゃなくてもそういう設定じゃなきゃヤダ」
「好き嫌いの問題なんだそこ……あれ、あいつ沈んでなかったんだ」
バシャバシャと慌ただしい水飛沫の音が聞こえてくる。化物蛸と共に沈んだはずのジェイクが、必死の形相でこちらに向かってきていた。後ろの大きな波を連れて。
しかしそれは大きな津波ではない。波を裂き、海とこの海岸をを飲み込まんばかりの巨大な口が出てきた。
「うぉおおお島鮫! やべぇぞメルスト何とかしろ!」
「え、ヤバいの!? おまえがヤバいって言うのガチでヤバい奴だから本気で焦るんですけど!」
「バカやろっ、あのデカさでヤバくねぇはずがねぇだろ! マウンテンホエールどころか島すら丸かじりする"陸喰らい"だぞ!」
「なーんでそういうのおびき出しちゃうかなーホント!」
トラブルメーカーはひとりで十分だ。あの戦闘狂であるジェイクが全力で逃げざるを得ないほどの相手なのか、単にデカすぎて太刀打ちしようもないのか。
「こういうときのジェイクは役立たずだから、あたしと先生の出番――なんだけどメル君頼んだ!」
「マスター、いつもの」
後ろに下がり、前にいるのはメルストのみ。えっ、と一瞬呆気にとられる。
「ルミアやフェミルまで俺頼りかよ! エリシアさん、サポートぐらいは……」
(ああ駄目だ、あの人もう骨抜きで国王になんて説明すればいいか怖くて寧ろ言わぬが仏レベルになってる)
若干の後悔に苛まれるが、今はそんなことを考えている場合ではない。目の前の大惨事を引き起こす災害からなんとかせねば。
「しゅ、しゅいましぇん……力が入りゃなくて」
フェミルに水で粘液を取ってもらっているエリシアは、申し訳なく謝る。申し訳ないのはこっちだ、とメルストは思う。
「いやちょっとあのデカさは怖いって! 常識的に立ちすくむってこれ!」
「いっちょ前にドラゴン殴り飛ばしたやつの言う事か! いいからブッ飛ばして来いバーカ! 黒髪で童貞のくせに怖気づいてんじゃねぇ!」とジェイクは怒鳴る。
「くっそ、ツッコみ切れない暴言吐きやがって。フェミル、防御魔法はできるか?」
「風の盾ぐらいは」
「ナイス。それでみんな守ってくれ。それとあの窪みのところに避難した方がいい。……ホントならそこに隠れてもらいたかったけど誰かさんが『虚しいものよ』って悟りながら壊すから」
「『儚いものよ』だよメル君」
「何でもいいよそんなの! いいからフェミルの後ろに下がってて」
横入りしたルミアはすんなりと下がり、すっかり他人任せだ。無理もないとは思うが、少しはいっしょに立ち向かってほしい。
とうとう海岸全域に大きな影が覆いかぶさる。それは暗雲のようで、海の飛沫が雨のように降りかかる。
サメにしては丸めの体型。だが、規模が大きすぎればそんなことは関係ない。呆然の目を向けた。
「マジでいってんのこれ。ああもう……サメには悪いけど、喰われるわけにはいかないんだよ」
右の拳の熱を高める。蒸発、赤熱、そしてプラズマを放ち始め、その片腕を横に広げると風圧が生じた。
一歩踏み込み、その姿は忽然と消える。フッ、と再び現れたときには、島鮫の目先へと拳を撃ち込んでいた。
その威力は210テラジュール――50キロトンのTNTが爆発したときとに等しい。丸い頭部から半分以上の胴体が溶けたように一気に潰れる。容器に詰まった空気が膨張し、耐えきれなくなってはじけたかのように、その巨体はソニックブームを生じながら水平線の彼方へと消えていった。一度の瞬きの間に起きたことだ。
槍を高速で回転させ、それを魔法陣に発動していたフェミルの風の盾が解除される。未だに類を見ないその圧倒的な破壊力は、口を開けるばかりだ。
「鮫とはいえ島殴り飛ばしやがった」
ジェイクの呟きも、さざ波に消える。
「すごいねー、巨人族でもこうはいかないよ」
黒いTシャツを羽ばたかせ、砂浜に着地する。ズン、と衝撃が両ひざに来たようで、プルプルと震えながら堪えるも、それ以上に島鮫を殴った右腕に電撃が走っていた。
「ハァ……実際エネルギーを破壊力に変えるとビリビリ来るな。腕が痛すぎる」
「お、おちゅかれ、しゃまでしゅ……」
力ないエリシアの声。こちらもこちらで何とかしないとな、と振り返った。
「ま、そんなわけでミッション完了! 先生はメル君担いでね!」
「え?」
「指で触っただけであれだけ感じちゃったんだから、まぁ抱きかかえたら相当なことになりそうだよね。チャンスだよメル君」
親指を立てるルミア。おもしろければ何でもいいのだろう。しかしメルストは割と真剣な声でツッコんだ。
「いやチャンスじゃねーよ、エリシアさん正気に戻さないと俺ら転送魔法で帰れないじゃん」
「あっ」
事の大きさに気づいたようだ。追い打ちをかけるように、メルストは加え、
「ここからだと馬車でも一カ月はかかるぞ。竜車はここらじゃ通ってないって話だし、転移魔法がないと今日どころか明日も明後日もルミアの好きな開発だってできない」
「せんせぇー! しっかりして! 触手なんかに絶対負けないってあのとき言ってたじゃない!」
エリシアの両肩を掴んでぶんぶん振るが、それで彼女の状態異常が回復するはずもなく。むしろ肌を触れられ全身に電流を走らせている。
「いやそんなセリフ聞いたことないし、それ完全堕ちるフラグだから」
「……どうするの?」
「襲うか」と当然のことの様に放つゲスの一言。
「馬鹿言ってんじゃねーよこれ以上罪重ねる気か!」
「ンだとテメェだってさっきまで鼻血ダラダラ流して変態みたいに拝んでたじゃねぇか!」
「お前が言うか! そもそもあんなん見惚れるに決まってるだろ!」
「ったく、これだから童貞は」
「おまえから始まったことだからな!?」
「ふたりとも! あたしのために不毛な争いは」
「いやそれ言うのルミアじゃないやつ!」
「……けど、不毛は事実」
フェミルの正論で、一同は静まる。それを強調するように、空から鳥のような鳴声が虚しく聞こえてきた。
否、それは鳥の聲ではなく、飛竜のそれだった。意外と近くから聞こえ、メルストは真っ青な空を見上げた。
「……竜?」
それに乗じ、ルミアも空を仰ぐ。
「んー……? あれって騎士団が乗る騎竜だね。それにしたって大きいなー」
こちらに気づいたかのように、その赤褐色の飛竜はメルスト等に向かってくる。しかし誰も武器を構えることはなかった。鞍にまたがって手を振る人物が誰なのか分かったためだ。白銀鋼の重装を纏う者など、ひとりしかいないのだから。
「ご苦労さん。任務は順調に終わったか?」
「だ、団長ォ――ッ!!」
翼を広げ、ゆっくりと着地した竜から降り、そう笑ったロダンは、たまたま近くを通りかかった故に寄ったらしい。数人は乗れるようで、一向は無事に帰宅することができた。
エリシアは薬師のメディに薬治療を受け、一晩で完治したが、彼女があられもないことになってしまった件については、本人は許しているも、誰も口外することはなかったという。
ともあれ、ビラキール沖の海の魔物がいなくなったという話が流れたのか、足を運ぶ人が増え、再び海水浴場として賑やかになった。一部で持ちきりになった話題だが、近傍の石町からも島鮫の姿は確認されており、同時にその巨体が捻り潰れて吹き飛んだところも目撃された。
ギルドで解決してくれなかった案件を処理してくれる程度でしかあまり知られていなかった十字団だが、その実力は相当だと、その名は町で知れ渡るにとどまらず、興奮を覚えたものもいるという。やがてそれは風の噂として、広がっていく。
そのことをつゆ知らず、十字団は今日も王国各地の問題を解決すべく、東へ西へと足を運んでいく。時に馬鹿騒ぎし、時に誰かを救いながら。
《次回》
メルスト「蜂蜜の歴史は人類の歴史っていうだけに、錬金術でもハチミツの素材は不可欠だな」
エリシア「けどメルストさん、錬金術でハチミツを作ろうと試みている方もおられますよ」
メル「てことは、加熱法使って、ハチの唾液と……いや、代わりに酒石酸でもできるか。酒石酸と水で砂糖を分解して作ったりとか? ほら、ハチミツってブドウ糖と果糖の混合物みたいなもんだから」
エリ「えっ、それでもできるのですか!? 文献ではハチの蜜嚢と薬品で溶かした花粉を混ぜたりとか、フラスコをミツバチの蜜を作る器官とおなじ環境にして……」
メル「へぇ、結構ユニークな方法だこと。でもまぁ、なんだかんだ天然のやつがいちばんってね」
エリ「生命の神秘には敵いません。……えーと、あのー、ミツバチってかわいいですよね?」
メル「いや話のオチ! 思いつかないのもわかるけど!」
《登場した魔法生物》
・扇弦虫
扇形に羽を広げ、張った弦翅(別の羽)を細かく震動するように羽ばたかせてエレキギターのように音を奏でる昆虫型魔物・・・と知られているが、実際はセミと同じように体内の発音筋、共鳴室、腹弁で音を発している。体内から発する音はメスを呼び続けるため以外にも、鳥などに食べられないようにする威嚇の役割がある。セミと同じサイズ。
・風鈴虫
鈴虫と同じ要領で、しかし風鈴のように鳴く昆虫型魔物。音色を奏でる虫は数多くいるが、その大半はバッタ目に近い姿をしている。しかしこの風鈴虫に限ってはテントウムシのような丸っこい形をしている。どのようにして鳴いているのかは不明。
・石鳥
石像の如く全く動かないコウノトリ系の鳥型魔物。トーテムポールに近い大きさで、湿地に住むタイプと砂漠に棲むタイプがいる。砂漠にいるタイプは最長で1年動かない個体が確認されている。それを観測し続けた学者も相当なもの好きだが。
・エイ
普通の板鰓亜綱に属する軟骨魚類のエイである。しかし島サイズもいれば湿地や雲海にて近侍種が確認されている。あまり見られないが、その顔は間抜けでかわいらしく、愛着がわくという声も一部の漁師や冒険者の記録書に書かれている。
・泡豆
水源地に生えるマメ科植物の一種。大部分が空気であり、水地に落ちたとき、遠くへ子孫を残せるように浮いたまま水へ流されるようになっている。それを利用して浮き輪や釣り用の浮き、溺れ防止のジャケットなどが開発されている。
・水除革の原料
撥水性が高い天然物。植物の繊維、樹皮もあれば、とある生物の腸を薬品で錬成加工したものまで存在する。服の生地にねり込むあるいは散らばせれば水をはじく繊維ができたり、浮き輪としても応用できる。
・マッドフィッシュ
泥沼に棲む肺魚。粘度の高い泥水から酸素を含んだ水だけを取り込むエラを有し、それは高性能の限外ろ過膜として利用できる。また、泥の中を移動できるだけの強い筋力があり、触れると(ぬるぬるしていることに加えて)相当硬いが、処理が適していると肉質は脂の塊のように柔くなる。
・ポウロマングローブ
砂漠にオアシスがあるように、海に浮かぶ森と呼ばれる、大海原のオアシスが点在している。土はなく、海底の岩あるいはその樹体だけで生き抜いている種の中に、このマングローブがいる。海水からミネラル豊富な水を吸収するために、その根は逆浸透膜ともいえる機能を備えている。
また、波にさらわれて海岸に転がっていることが多く、薬の原料として市場で売られていることがある(蠕動促進、瀉下作用の効能があるという)。メルストはそれを購入した。
・フォス・シーアン
稀少かつ神聖の具現化として扱われる神秘型の魔物の一種。出生はクラゲとほぼ同じで、幼体は数十mほどのクラゲ体、蛹化すると殻をもち、肉質を含み始め、巨大な甲殻クジラ型へと、珍しい状態になる。
その活動的蛹の状態から長年にわたり、熟すに伴い活動を停止すると、浮島火山として海を漂う(エネルギーと排熱によって死んだ細胞の体液と排液が熱され、溶岩のように熱くなることから)。羽化し成体になると、雲仙竜という国の神話にも出てくる伝説級の魔物へと変態する。しかし竜とはいえ、脚の数や複眼で虫だと判断できなくもない。
・グラークオクトパス
巨大蛸の魔物の一種。普段は海の魚を捕食するが、本作に登場した個体は成熟期に海に溺れた人間を餌と間違えて食べ、その味を覚えてしまったことをきっかけに、頻繁に人間を襲い始めるようになった。しかし人間を食べる際、裂いて食べるよりもゆっくりと臓腑の中で溶かして食べるのが満腹感があるのか、触手で捕まえたエサをこねくり回して人間と感知したとき、脱力する粘液を分泌するという。エサをため込む器官が存在する。危機を感じると岩のように硬質化し、防御に回る。普段は海岸にいるような魔物ではない。
・スラク
島鮫とも呼ばれる、小島サイズの鮫型の魔物。消化器官の中に大量のメタバクテリアあるいは鉱物を分解する酵素があるのだろう、土を好み、海底や陸を好んで食べる。食事は数年に一度で、普段は眠り、浮島のように海を漂っている。ロダンは過去に一度食べたことあるらしいが、土っぽくてあまりおいしくないらしい。
・騎士団の飛竜
飛竜の種類は主に3種に統一されているが、いずれも飛翔能力と知能、魔力に特化し、人間と意志を共通しやすい種を選んでいる。古来から人間と共に歴史を歩んできた竜。一人しか乗れないタイプがメインだが、数人の騎士をのせることができる大型タイプもいる。お互いパートナーとして一人一頭と定められているが、ロダンのようにどの竜とも同調し、乗りこなす人間もいる。しかし乗りこなすのは簡単ではない。馬よりも難しいとされる。
次回、第3章終話です。7/12投稿予定




