3-10-2.スプラッシュ・サマータイム
海での依頼という名の海水浴回その2
「メ・ル・君っ♡」
語尾にハートマークを付け、ずいっと密着してくるルミア。さっきあっちで写真撮ってたよな、と相変わらずの神出鬼没に毎度驚きあきれる。
「どした、変な声で呼んで」
「大事なこと忘れてたの」
「ろくでもなさそうなことだな」という一言は無視される。ルミアの手からは手品のようにひとつの瓶が出てくる。発達した商店街で見るような品物。中身は油らしきものだが、ラベルをみてすぐにメルストは理解した。
「あたしも暑さでバテそうだから、オイルお願い☆」
(出たー、ライトなフィクションでよくあるサンオイル塗り。憧れてたけど実際直面すると反応に困る……というか、やっちゃっていいんですか)
そう思っている隙に、水着を何一つのためらいなく脱いではシートの上に寝っ転がる。はやくはやく、と身体を横にしつつ催促しているが、そちらにあえて目を向けることなく、瓶の中のオイルにメルストは集中した。確定されたチャンスを前に、慌てる必要はない。
当然、日焼け止めの強さを示す紫外線防御指数や皮膚が黒くなるのを防ぐ強さを示す肌黒化防止持続時間の数値は記載されていない。それらの数値次第で個人の肌に合う合わないが左右されるので、最悪肌荒れを避けるためにも使わない方がいいかもしれない。
「そっちよりも、ルミアの場合はこっちの油の方がいいだろ? 機械好きだし」
と、どす黒くて粘性のある液体を両手からドクドク湧き出させる。
「重油はダメに決まってんでしょ! あたしのことどう見えてるの!?」
「あ、グリセリンの方が良かった?」
「水溶性の問題じゃないから!」
冗談だよ、と重油を分解消去し、サンオイルを手に付ける。
「そういや、人にオイル塗るの初めてだった」
上手くできなかったらごめんな、とこの場を誤魔化すように苦笑する。
「あたしも初めてだから……やさしくしてね」
意味ありげに、吐息を混ぜる。やりづらいな、とメルストは思う。
「まぁ爪を立てないように気を付けるよ」
とっぷり手につけたオイルを、ルミアの小さくも綺麗な背中に塗りたくる。
「んぁっ」
嬌声を漏らす。反射的にメルストは手を止め、柔肌から離した。
「え、沁みた?」
「ちょっとくすぐったくて」
「かゆみとかあったらすぐに言えよ」
「うん、わかった……あぁんっ」
肩甲骨周りを塗っただけで、またも耳をくすぐるような声を上げた。
「……それわざと言ってんだろ絶対」
「ふふ、わざとじゃないんだなぁこれが」
にやにやしているが、心地よいのか、顔はとろけている。
ぬるぬるし、光で潤いが反射して見える。肩、首、背中、横腹、太腿……上から下へと塗っていく。
「はぁ~、メル君の手ぇすごくテクニシャンだね」
「まぁ、マッサージは得意な方だから」
「正直これでも声抑えてる方。ちょっとヤバい」
言われてみれば、何度かびくびく体が反応している。おっとこれはまずいぞ、と思ったメルストは感情を半殺しにし、冷静にふるまう。
「くすぐったいならそう言えばいいのに」
「……手つき変態なのに解釈は鈍感ってのがねー、もったいないよねー」
「そういう解釈をする方がどうかと思うけどな」
隙あらばすぐに誘惑してくるな、と高揚する気持ちを落ち着かせるようにあきれる。
「メル君ってちゃんとオトコの子ついてるの?」と下品に揶揄されるが、状況が状況だ。なんとでもいえとメルストは心の中で言う。
(しかしなんだかんだ、こいつも女の子の体してんな。……やべ、抑えてたのに急にドキドキしてきた)
考えれば考える程、触れている指の神経ひとつひとつが敏感になる。まるで皮膚や筋肉というフィルターを除去して直に神経で感じているようだ。
(別のこと考えよう。素数は……単純だから意味ない。そういや人の身体を組成鑑定したことなかったな)
ひとりの女性ではなくヒトという名の、生体分子の巨大要塞へと変換して感知する、この世界では独特の分析能力。触れている指は高度極まりない分析装置へと変わり、エネルギー照射してはルミアの皮膚から肉体、内臓へと透過するように鑑定されていく。
分子サイズで一つの化合物を視れる精度。その精密度合いの強弱を変えることはできるにしろ、その精度で皮膚一枚を解析するなら、頭がパンクし軽く意識が飛びそうになるだろう。だが、邪念を消し飛ばすにはちょうどいいと思ったときだ。
「……っ!?」
あまりの情報量を前に、若干後悔した自分がいた。しかし驚いたのはそこだけではないようにもうかがえる。
「どしたのー?」
首だけを動かし、ルミアは伺う。濁すようにメルストは返すが、その言葉が口から出るのはやけに遅かった。
「…………え? ああ、いや、見た目の割にしっかりした身体だなーって」
「むー、まぁ褒め言葉として受け取っておくよ」
一瞬だけむすっとするも、さほど気にはしていない様子。ほっと心の中で胸をなでおろしたときだ。
「メル君、次は前お願いねっ」と、くるり仰向けになった。背中を塗っていた手がそのままぬるりと横腹、胸へと移ってしまう。
「そこは自分でやって!」飛びあがるように、とっさに手を小さなふくらみから離した。
「あれれー? あたしのカラダにはもう慣れたんじゃなかったっけー?」
「このっ、足元すくいやがって」
「にっひひー、メル君の困った顔も見れたことだし、ありがとー!」
「どういたしま……いや仕事しろーっ!」
呼び止めるもその声は届かず(というよりは受け流されて)、ルミアは水着を付けながら海へと飛び込んでいった。
どうしようもないと呆れたメルストは立ち上がり、波際に立っているエリシアのもとへと歩む。潮風になびく青銀の髪に、思わず魅了されるも、その表情は一瞬しか出さない。
「エリシアさんごめん、ひとりだけでやらせてしまって」
「いえいえ、私だけでも大丈夫ですよ。せっかくの海なんですし、どうぞ羽を伸ばしてください」
半分あきらめきったようにも聞こえるが、口にしたことはエリシアの本心だろう。平野や山に囲まれたルマーノの町に住めば、海に行くこと自体珍しいこと。メルストも今回訪れたのが初めてだった。
「いやそういうわけにもいかないでしょ。他のみんなは毎日羽を伸ばしてるようなもんだし、遠慮せず手伝わせればいいのに」
「ふふ、そうかもしれませんね」
けど、そのお気持ちだけでも十分です、と言わんばかりにエリシアが嬉しそうにくすくすと微笑んだ時。
「メルくーん! 海入らないのー?」
水飛沫を上げ、日に照らされながら気持ちよさそうに浴びるルミアがこちらに声をかけてくる。噂をすれば、とメルストは溜息。しかし、呆れつつも笑って大きな声で返した。
「まったく……。あとで入るよー!」
「早く来てねー!」
「良いのですか?」とエリシア。
「俺まで遊んだらエリシアさんだけになるだろ。ちゃんと依頼達成してから……っていっても、実際海に入るの苦手なだけなんだけどな。しょっぱいし、漂ってる海藻が身体に触れたときの感触嫌だし、上がった後に砂が足にこびりついてめんどくさいし」
「あ、なんとなくですがわかります」
「やった! 仲間いた! 光栄です!」
共感できる意外な部分にガッツポーズした。そこまで喜ばれるとは。不思議そうな顔をエリシアは浮かべた。
「そんで、依頼の駆逐目標はここの浜辺にいつ現れるかはわかってないんだっけ」
水平線まで広がる大海原を見眺める。ザザァ……と爽やかな景色とは裏腹に、静かな波が耳をくすぐる。こんなきれいな海に、沖合の船や海水浴または物資を採収しに訪れた人々を海の底へ引き込む怪物がいるとは、とてもじゃないが考えられない。
「ええ、気まぐれに出てくるらしくて。ですが人や動物が多く来ているときにタイミングよく襲いにかかってくるらしいです」
「それって鳥も含めて?」
「いえ、飛んでいる鳥が襲われた話はなかったですが、それがどうかなさいました?」
「……なんかおびき出せる条件がありそうだな」
顎をさすり、そう推測する。
そのとき、波の音に混じって水平線付近から何かが出てくる。静かに広大な海から頭を出してきたのは、淡桃色の光沢に包まれた竜岩クジラ。遠くにいるにもかかわらず巨大と感じるその規格外さはもちろん、サンゴ礁と一体化したように着飾るその神聖な生物は、立ち尽くすように雲を突き破り、天から地を見下ろした。
固まっていたメルストがなにかを口にしようとしたときには、何事もなかったように、溶け込むように海の底へと静かに沈んでいった。
「今すごいの出てきた気がするんだけど」
「あれは"フォス・シーアン"という"神秘型"の魔物かと思われます。ロダンさんに教わったのですが、蛹になる途中の姿らしいです」
その口ぶりからだと、見慣れてはいるのだろう。神聖な生き物として崇められていてもおかしくはなさそうだ。
「いろんな生き物いるんだな……」
こぼすようにつぶやいた。この太陽で煌めく海水の下には、どんな世界が広がっているのか。
感動に浸っていたが、騒々しい声によってあっさりとかき消されてしまう。
「ぶっぱぁ!? テメッ、道具使うとか卑怯だぞ!」
「アンタだって魔法で海水の塊投げてくるんじゃないわよ! 溺れ死ぬところだったよ今!」
「知るかよ、おぼれんのはテメェがカナヅチだからだろーが。チビのくせに沈むとか、そこらの石ころかって」
「カッチーン、今のは許されないね。爆炎と後悔にまみれて海の底に沈むがよいわ!」
「ふぃー……」
空間魔法に対し、小型タンクが搭載されたインパルス銃らしきキャノンで水の戦争をしているルミアとジェイクの傍ら、浮き輪にぷかぷかと流されるままに漂っているフェミル。
「あいつら楽しそうだな」
「あああそんな、みなさんが蟲塗れに……」
「大丈夫だから! それ嘘だから!」とあえて嘘にしておくも、エリシアは頭を抱えたままだ。
「子どものころは家族を食べられたお魚の涙だとカーターさんに言われてショック受けていましたのに……メルストさんの方がえげつないです」
(親子揃っていじられてんじゃねぇよ……しかも近侍に)
「なんかごめんな、トラウマ重ねるようなことし――おいなんかフェミル死んでないか?」
視線を向けた先、なにやら碧色の髪が散らばったように海面に漂っている。浮き輪はあっちの方へと波が攫ってしまい、そこにフェミルの姿はない。
ワンテンポ遅く察したメルスト等は砂浜を蹴った。
「うぉぉおぉぉい!? なんで死んだ魚みたいに浮かんでんだよアイツ!」
「ダッ、ダダダダイジョブですか! まままままま、まずは土を掘ってお花を用意して――」
「いや死んでねーから! ちょ、杖で墓穴掘るな! せめて魔法使え! ていうか引き上げろ!」
大魔法を放つ魔晄結晶の付いた大杖の先端で、なんとも原始的にさらさらの砂浜を掘っていく。
「おい助けたぞ! 俺が!」
ザバァッ、と打ちひしがれたマグロの如きフェミルを救出したのはジェイク。抱きかかえ、パラソルの下へと運んだ。
「ナイスだジェイク! フェミルは無事か!」
「まずい、気を失っている!」
その報告に、ますます青ざめるエリシア。そちらも失神されてしまっては手が付けられない。
「マジか! ちょっと呼吸とか確認――」
「脱がすぞ。俺が人工呼吸する」
「いや今どき人工呼吸は非効率的だし、むしろ感染のリスクが――」
「わけわかんねぇ御託はいいんだよ屁理屈野郎! とにかく俺はこの唇を奪う!」
「真剣な顔でクソみたいなこと言うんじゃねぇ!」
という間に、高速でジェイクはまっしぐらにフェミルの薄桃色のやわらかそうな唇へと重ねようとした。
「やめろキモス!」
「はべらッ!」
明らか目的が異なる変態の側頭部に、ルミアは全体重かけて飛び蹴りした。
「あんたはダメよ犯罪臭」
「ゲス野郎からとうとう臭いそのものに例えられたぞ……いやそういう場合じゃねぇ」
砂浜に埋まったジェイクをよそに、フェミルの身体を跨ぎ、覆いかぶさるように身体と顔ををくっつけようとする。
「ここはあたしが……ハァ、ハァ、女の子の初めてを奪っちゃうなんて、あたしったらいけない女――」
「オメーも危ねぇよバイセクシャル女ァ!」
「ほぎゅ!」
がばっと起き上がったジェイクの仕返しが炸裂する。細い横腹に裏拳が見事に入り、華奢な身体が砂浜を転がった。
「変態共落ち着け。息してるから大丈夫だ」
そう諭したメルスト。とりあえず詰まってそうなので、ふっくらとした胸の谷間を分けては両手を当て、海水を吐き出させる。ぐったりした、とろんとしている顔に心臓が跳ね上がりそうなのを抑え、抱えたメルストは木陰で横向きに安静にさせた。
「め、メル……ありが、とう……こほっ」
「大丈夫か。なんか殺人現場の水死体みたいになってたけど」
「ケホッ、この水……只者じゃない」
「今どきのハイエルフって淡水生物なんだな」
新たな発見をしたところで、フェミルの肌が渇いていることに気が付く。砂漠のど真ん中に放り込まれて汗水を出し切ったような乾き具合だ。
「か、枯れる……干からびる」
「フェミルって環境順応というより、過剰に周りに影響されやすいだけな気がする」
「それでもわたしは……く、屈し……あ、だめ」
起き上がろうと手を伸ばしたが、叶わずにパタリと落ちてしまった。
「秒速で屈しちゃったよ。ちょっと待ってろ」
パラソルの下の大きな荷物から出してきたのは、蒸気装置が搭載された樽サイズのステンレスタンクと金属パイプ、そして携帯できる細長い水筒のようなもの。水筒の内部は複数もの膜、複層にもわたる筒が木目のように敷き詰められている。底部が取り外せるようになっており、コップとして機能するようだ。
(ルミアと共同開発したおかげで、持ち運びできるようになった水処理装置第一号。せっかくの海だし機能を試すチャンスのはずが、こんな緊急用として使うことになるとは)
限外濾過膜として機能する"マッドフィッシュ"のエラと、"ポウロマングローブ"の根を加工した逆浸透膜の代用部品が搭載されているそれは、いわば海水を淡水化するための簡易的な道具だった。海水を汲み入れるステンレスタンクには付属部位が接続されており、メルストがあらかじめ能力で生成、及び実験で合成した「次亜塩素酸ナトリウム」をはじめ「塩化第二鉄」や「硫酸」、「重亜塩素酸ナトリウム」が充填されている。
ルミア製作の蒸気装置は、高圧ポンプの役割を果たすようだが、あのルミアのことだ、真剣という名の悪ふざけで火薬が搭載されていてもおかしくはないと、いまいちプロ(レベルで狂っている)技術者を信用できていないメルストであった。
「メルストさんの水の方が純度は高そうですが」
以前脱水症状になったときにメルストに助けられたエリシアは疑問を口にする。
「そうなんだけど、フェミルは俺の創成能力に対してあんまり好ましく思ってないみたいだからな。魔力が含まれてないからだろうけど、もしそうなら体に入れるものはなおさらだし」
ぴくぴくと震えながら、フェミルは顔を向ける。まるで酸欠した魚が力尽きる寸前のようだ。
「はやめに……おねがい……」
なんでもいいから早くしてくれと、目が弱弱しく訴えている。
すぐに海水の塊を、分子運動を司る能力で持ち上げては樽の中に汲む。水筒をパイプ先に接続し、レバーひとつで小型の蒸気機関は動き出す。汲んだ海水の一部と魔石を燃料に動かしているようだ。
数十リットルあった海水も、真水として水筒から出てきたのはコップ一杯……もあるかどうか。さすがにメルストの知る現代技術には敵わないにしろ、ちょろちょろと真水が出てきただけでも成功と言えただろう。持ってきていたハンカチをそれで湿らせて、フェミルの口に当てる。意識は朦朧とはしてないが、念のため飲ませるようなことはしなかった。
「どう? 真水?」
回復してきたのか、起き上がり、コップで飲むようになる。とはいえ一杯だけだが、それでメルストは安心した。しかし感想を尋ねてみるも、顔色一つ変えない――かと思いきや。
「ん…………あ、だめ」
パタリと倒れ、気を失った。ハイエルフだからなのか濾過しきれていなかったのか、そんな原因を考える余裕もなく、メルストは青ざめた。
「うわぁあああっ、フェミルしっかりしろー!」
やはり試作品は人に試すものではないと、このときメルストは肝に銘じたのであった。
次回で10話は終わります。




