1-2-1.天然大賢者に悪意はない
いつも通りの目覚め。しかし、目の前に映る白い布団と枕の香りはなじみのものではない。
うつ伏せで眠っていたメルストは体をよじらせて仰向けになる。キギキ、と柔らかいベッドから木材の軋む音を耳に挟み、ぼーっとしながら小さな部屋を見渡す。
骨組みが露骨になっている木製の天井。
塗装されている木組みの壁。火のついていない石造りの暖炉がひとつと、ぎっしりと古そうな本が詰まった本棚が壁のほとんどを囲っている。どこかの西欧の田舎にあるような、ログハウス風の内装。
大きめの開いた窓からは涼しい風と暖かそうな日光が差し込んでいる。部屋より外の方が明るい。
その先に見えた景色は、緑豊かな木々や丘、そう遠くでもないその奥にはどこかの外国――というよりは、彼が前世で住んでいた町や、ネットで見た海外の観光画像のそれとは似て非なる文化の町が広がっていた。さまざまな時代様式の良質そうな古典建築が多くみられる。
(……よかった、生きてて)
倒れた記憶はあるも、生きている自覚はある。澄んだ空気を大きく吸って、深く吐いた。気持ちが良い。
彼が寝ているベッドにはシーツが敷かれており、肌触りがあまり良くないも、ふんわりと暖かい。日干しした布団に近い匂いがした。寝心地もいい。
(……あの女性は?)
うっかり名前すら聞き逃してしまった、蒼髪のふしぎな少女。気を失い自分は助かったが、彼女はどうなったのか。急に不安になり、がばっ、と起き上がったとき。
「――目が覚めたのですね!」
聞いたことのある、愛おしくも感じる透き通るような声で、メルストは一気に安心した。部屋の奥の本棚にいた蒼髪の淑女は涙を浮かべ、しかし嬉しそうな顔で、彼に駆け寄ってきた。
「よかったですーっ! どこも悪くありませんか?」
「え、ああ、まぁ」
「もう三日も眠ったままだったんですよ……! 魔法薬も効いているのかわからなくて、本当にどうしようかと」
「そちらも無事で何よりです。あの、俺達はどうやって」
「大陸を脱出して、私の"大転移魔法"で貴方様をここまで運んできました。私の身体も回復し、魔法の制限もなくなりましたので、どうにか帰ることができました」
感高まっているのか、その白く細い手でぎゅっと両手を握られている。あっ、と握っていたことに今気づいたようで、「すみません!」と恥ずかしがってはパッと手を離した。別によかったのにと寂しそうな目を向けたメルストは何も言わない。
「そういえば、まだお名前を聞いていませんでしたが」
そうメルストが言うと、「申し遅れてすみません」と彼女は突如、床の上で正座をしては深く平伏せた。それにはぎょっとし、言葉に詰まった。
「私は"六大賢者"の一柱、"蒼炎の大賢者"を務めさせております、エリシア・クレイシスと申します。この命をお救いくださり、心から感謝致します」
メルストの想像以上にすごい役職を担っているようだ。だがそれよりも、少女に平伏せさせてしまうことに焦りを覚えた。
「へっ? いや、あの、そこまでしなくても……!」
背徳感を感じた彼は、地面についた頭を上げさせようとするが、
「命を助けてくれたのです。ご迷惑をおかけした謝罪も、感謝もしきれません。こんな見ず知らずの私を見捨てずに――」
「倒れてたら放って置けるわけないですよ。あ、そうそう! 俺は……ああ、メルスト・ヘルメス。こちらこそ、助けてくれてありがとうございます。これでおあいこ、ですね」
あはは、と笑うメルストにやっとエリシアも頭をゆっくり上げる。
「……ヘルメス」と刻みつけるように小さくつぶやいた。それは自然と口に出たようで、メルストには自身に問うているようにも聞こえた。それもつかの間、エリシアは何もなかったようにしゃなりと立ち上がる。
「お礼をさせていただきたいのですが、メルスト様は何をお望みいたしますか? なんでも申しつけてください」
なんでも、というワードが頭に引っ掛かる。しかし、そう言われるとすぐには思いつかないのが悲しいところ。何にしようか頭をひねる。そのときぽつりと、「そういやなにも食べてないな」と呟いた。
「あっ、おなか空いていますか?」
特別、空腹感はないが、何かを口にしたい気分ではあった。うなずくと嬉しそうに笑い、
「貴方様の為にご飯を用意いたします。少々お待ちを!」と、せかせか部屋を出て行ってしまった。「え? いやそんな気遣わなくても」という声も届かない。
今度こそしん、とした空気になり、メルストはやけに本棚が多い部屋を見渡す。
(それにしても、ここってあの人の家なのかな)
大賢者の家だとは予想できても、自分の知る地球上ではないのならば、外に出たとしても未知の世界が広がっていることだろう。とりあえず、彼女に身をゆだねた方が賢明な判断だ。
きゃあ、という悲鳴に続き、どんがらがっしゃん、と忙しない物音が壁の向こうから聞こえてくる。
(大丈夫かな……)
賢明な判断、その考えが一瞬だけ揺らぐメルストであった。
*
「料理はあまり得意ではないですが、どうぞ召し上がってください」
と謙遜したエリシアだが、それにしては品数が多めだ。即席麵やジャンクフード、単品の健康補助食品ぐらいしか摂取していなかったメルストにとって、ちゃんとした料理を食べるのは高校以来かもしれない。
アマランサスのおかゆに、少々焦げが目立つ、クランベリーが添えられた冬かぼちゃサラダのオーブン焼き。そして煮溶かした芋や野菜ペーストが混ぜられた、赤レンズ豆のスープ。そしてコップに入った牛乳。
ここまで見れば、ひとつ懸念していたメルストも歓喜に浸っていた。できることなら、涙を流して彼女を抱擁したい。
(こんな絶世の美少女が、俺の為にっ、俺だけの為に! 心を込めて手料理を! しかも音からして何度かドジってるし、なんかお約束のごとく指も怪我してるし、必死に作ってるの丸わかりで、もうこれ……結婚してください)
「ありがとうございます。いただきます」
語り切れない本音を包み隠し、その二言だけを告げてはがっつり食べた。
美味い! やっぱり誰かのために真心こめて、真摯に作った料理は最高の逸品だ! 女の子の手料理ならなおさらだ!
最初はそんなメルストの思い込みで美味いと感じていた。だが、それが錯覚だったと気づいてしまう。食べるスピードが段々と落ちていった。
(あれ……? なんだろ、この、後からじわる微妙な味は……。なんか炭っぽい味も混ざってるような。味付けもやけに濃いし、舌にまとわりつくし。そういやノベルに出てくるヒロインの一部で、料理がヘタクソな場合、謎に生物兵器レベルのゲテモノになるとか暗黒物質という名の炭素の塊になるとか、どうしてこうなったって感じで極端に壊滅的になるけど、なんかこれは……新しいな。いや、まずいわけじゃない、俺の口に合わないってだけで、一般的には絶賛されるべき味なのかもしれない。海外でもそういうのよくあったろ。そうだよ、食べてるのがどういう料理なのかも知らないし。もっと噛みしめて食べなきゃ本当の旨さが出てこないだけ――あダメだわ純粋にまずいわこれ)
脳内で葛藤しているとき、エリシアが気遣わしそうな目でメルストに伺う。
「あの、お口に合いますでしょうか?」
「はい! おいしいです!」
反射的な建前返事。本当ですか!? と一層明るくなった彼女の様は、まるで太陽の恵みを浴びた一輪花だ。その笑顔で、口の中に含めた味気なさが途端に美味になった気がした。なんとも単純な男である。
「よかったぁ」と豊満な胸をなでおろし、同様にメルストも安堵する。
(よし、第一関門突破だ。ふふ、俺だって女の子に気遣えるんだ)
「それでは、お薬をどうぞ」
(やばーい!!)
一体今までの料理は何だったのか。お猪口より二回りほど大きい陶器に、ドロドロした赤黒い液体と粒状の青紫が混じっていた。一部固形化しており、それがなんとも血濡れた肉塊に見えてしまう。漂う異臭に、思わず咳き込んだ。
(ええ、ちょ、んんん゛っ、やばーい!! あんな女神スマイルからこんな死霊のはらわたをミキサーでかけたようなもの出されるとは不意を突かれたよ、完全に油断してたよ! どうしよう俺毒殺されちゃう!)
「少々苦いかもしれませんが、お体にはよく効きますよ」
(どう効くんですかね! 苦いで済めばいいんですけどねぇ!)
「あの、少しずつ飲むより、一気に飲み干した方がいいかと」
(さらなる無茶ぶり! 殺しにかかってる!)
訴えるように一度エリシアを見る。頭に「?」を浮かべているような表情に、さらなる質の悪さを痛感した。
だが、メルストのためを思って魔法薬を調合したのだろう。拒否するわけにも、嫌そうな顔をするわけにもいかなかった。
震える手を鎮め、お猪口をふるふると持った。
「い、いただきます…………おぼろっ」
くいっと一気飲み。即失神。
魂が抜けたように、メルストはベッドの上で倒れ、白目を剥いたまま動かなくなった。
「えっ!? メルスト様!? しっかりしてください! メルスト様ぁ!」
気を失う直前、この家を出た方が身のためかもしれないと、本能からメルストは悟っていた。彼が再び目を覚ますのは翌日のことであった。