3-6-3.迷子と獣と錬金術師
グロテスクとは別の不快な表現が含まれています。お読みの際、十分にご注意ください。
「うわぁああああっ!」
岩の裏から飛び出てきた、小さな子ども。びっくりしたのか、逃げながらも腰が抜け、ぺちんと崩れるように転んでしまった。
「あ? なんでガキがいんだよ。死ぬぞバカ」
茶色のくせっ毛だが、女の子のように可愛げのある顔。心当たりがあるのはともかく、ダンジョンで見つかった時点ですぐに察していた。
「まさか……やっぱり探してほしいって言われてる迷子の子どもだ」
「奇遇にもってやつか。わざわざここまで来るたぁ、けっこうな悪運をもってやがるか、ただの死にたがりか」
その首にかけられたガラス玉のアクセサリが目に留まる。中にはリチウムとマンガンを含んだことで形成される、紫色を帯びた雲母に酷似した鉱物と、少量の湿った土が入っており、鉱物から極小の草花が根を表面に張っている。命を芽吹かせ、継続させるほどの強い魔力が鉱物に含まれているのだろう。
("紫魂石の魔除け"……そうか、魔力が吸い込まれたってことか。だから魔物にも襲われにくいどころか、エリシアさんの感知魔法でも見つからなかったんだな)
メルストは周囲に魔物がいないことを確認すると、小柄な少年と同じ目線になるようにしゃがみ、うつむいた顔を上げさせる。
「ホルム君、だったよね。お母さん心配してたよ。どうしてこんなところに?」
「ご、ごめんなさい……おかあさんには言わないで……」
目の前にいても聞き取りづらいほどの小さな声。男とは思えないような気弱さに、ジェイクは苛立ちを示す。
「あ? なんつった今」
「ひっ、ご、ごめんなさいぃ」
「ジェイク、怖がらせるなよ」
あまり意味のない釘を刺し、今にもぼろぼろ泣き出しそうなホルムをなだめる。
「……よし、わかった。約束する――けど、ちゃんと訳は言ってほしいかな。きっとホルム君にとって大切な理由があったから、こんな危険な場所に踏み込んだと思うんだ」
「りゆう……?」
「あ、俺のこと知ってるかな。メルスト・ヘルメス。こう見えて十字団の錬金術師やってる」
すると、ホルムは潤んだ目を丸くした。思わず出そうになった声を抑える。
「十字団って、大賢者様とロダン団長がいる……!?」
町の人々にとって、本来大賢者は崇拝するべき対象。ロダンというかつての英雄にして王国トップクラスの戦士は尊敬と憧れの的。この町を救ってくれた二人の所属する十字団のことは、子どもたちでもよく知っており、特にロダンは男の子の間で目指すべき頂にいた。
それだけの厚い信頼と深い尊敬、そしてそれ相応の権力を持っているからこそ、ルミアやジェイク、フェミルが自由に動けるのだろう。
「ま、ホルム君がここに来た原因もなんとか解決しようかなってことだ。話してもらっても、いいかな?」
考え躊躇った後に、こくりとうなずいた。
「ゆ……勇気が、ほしかったから」
「勇気?」
まさか、と考える。メルストのそれはほぼ的中した。ホルムはもじもじと手をいじりながら、ぶつぶつとか弱い声で答えていく。
「ぼ、ぼく、弱虫ってみんなにバカにされてて……で、でも、こわいものなんてないんだって、みんなに知って……ほしくて……」
「それで、こんなとこに? 入り口は監視兵が見張ってたはずだけど」
「えっと、別の入り口があるんだ。ぼくたちだけしか知らない小さな穴だけど、そこに入って、なにかすごいものを持って帰ってきたら、みんなの仲間になれるし、シャロルちゃんだって、きっと僕のこと……」
「ハーン、じゃあアレか、いじめっ子にそそのかされて度胸試しにってやつか?」
ジェイクはつまらなさそうに結論をまとめる。
その目線は一切ホルムに向けることはなく、葉巻を吸い始めていた。人差し指に絡みつかせた竜の発炎器官の臓液と、親指と中指に採取していたフェロセリウムを付着させ、指を強く鳴らしては火をつけたようだ。吐き出される煙は上らずに地面へと流れ沈んでいく。
「い、えっと……ぼくはただ、みんなよりも強くなりたいって――ひぃっ!?」
少年の眼前に向けられたのは、銀閃よぎる剣先。壁際まで追い詰めるジェイクの行為に、唖然としたメルストもすぐに止めることはできなかった。
「『強くなりたい』だぁ? 甘えんじゃねぇぞ」
そう言いながら、小さな頭を靴底でぐりぐりと踏みつける。しかし、ホルムはそれに抵抗できずにいた。
「ちょ、おい! 何やってんだよ!」
「虫一匹も殺せねぇような顔のくせによぉ、テメェみてぇな見栄張りたいだけの弱虫が――」
割れるような轟音。それもそのはず、ホルムの顔面の真横にジェイクの蹴りが入っていた。埋まった靴底と、それを中心に刻まれた、蜘蛛の巣型の無数の罅。強い衝撃に、降りかかる砂礫。
ホルムの目には人間ではなく、人の皮を被った怪物の姿しか映っていない。すっかり腰を抜かし、失禁するほど震えるあまり、声すら出なかった。
「『強くなりたい』だなんて口にすんな。それがどういうことかも知らねぇで軽々しく言いやがって」
やけに重い口調。足を退け、太い両手剣を鞘にしまう。ホルムは未だガタガタと震えたままだ。
メルストはすぐに駆け寄った。
「ごめん、大丈夫か!? ……おまえいくらなんでもやりすぎだろ!」
「テメェもテメェで腹立つんだよ。こどもをかばっていい子ちゃん気取りか? ここに入れば大人もガキも関係ねェ、ぜんぶ自己責任だっての分かってんのか」
「だからといって、こんな小さな子どもに――」
人の瞳だとは分かってはいた。だが、ただの人間がここまで――目だけで死を悟らせることができるだろうか。
人を殺した者の目は違うと聞く。それが本当だとすれば、この男は今までどれだけの命を奪ってきたのか。あるいは、この生涯でどれだけの死線を越えてきたのか。
生き様も価値観も、違いすぎたのだ。
数多の魔物や竜を一撃で屠る錬金術師であれ、彼は人を殺めたことがない。口が強張り、思わず噤んでしまった。
「……っ」
「テメェもわかってねぇんだよなー。そいつから強くなりたいって言ってんだからよ、同情してやる方が可哀想ってもんだぜ? 『ボク君は守ってあげないといけないぐらい弱っちいでちゅからねー』って言ってるよぉなもんだ」
「……ぅう」
散々言われ、悔しさが込み上がってきたのか、それとも傷ついたのか。ホルムの目から大粒の涙がこぼれ始めた。しかし追い打ちをかけるように、ジェイクはそれを鼻で笑う。
「ほら泣いた。性根からへなちょこなんだよ。まずはママに怒られても言い返せるぐらいになってからだぜ、甘ちゃんよぉ」
半分自分のせいでもあるが、いくらなんでもやりすぎだ、と睨んだメルストだが、言い返すよりも先にホルムを連れて帰ることを選んだ。大泣きせずに涙をこらえているだけでも十分に偉いと思っていたときだ。
――きゃああぁああぁっ!!
近くか遠くかわからないほど、反響した甲高い少女の悲鳴。ゾッとするようなそれに、焦燥感を煽らせる。
「……っ、あっちからか!?」
「この声……シャロル、ちゃん……?」
ホルムの青ざめた顔に、「うそだろ」とメルストも呟いた。どうして、と出そうになった声をジェイクの呆れた声で遮られた。
「ったく、テメェが悪ガキの戯言ごときに感高まって余計なことすっから、心配してきた女まで巻き込まれたぞ」
「ど、どうしよう……」
「どうしようじゃねェよバーカ。テメェの問題だ。自分で考えて何とかしろ」
「そんな……」
とうとう手をついてしまう。それにジェイクは目もくれず、飽きたような目つきをしてその場を去ろうとした。
「ジェイク、行くぞ」
「ハァ? 俺はカンケーねーだろーが!」
怒鳴り返すジェイクの声がダンジョンに響き渡る。それでも冷静にメルストは言い返した。
「関係あるとかないとかそういう問題じゃないだろ! おまえだって、ロダン団長のおかげで今があるんだろ」
「別に俺はあんとき助けてもらおうだなんて――」
「でも、感謝はしてるんだろ? それと一緒だ。いつか助けた恩が返ってくるってのも考えた方が、ジェイクとしては悪くない。だろ?」
なんとかしてジェイクと同行させようとしているのも、メルストにはさまざまな理由があった。このダンジョンを進むには彼が必要だということ、このまま悪い関係を築き続けるのもよくないと思っていたこと。
ジェイクとは正反対のメルストのやさしさを、ジェイクは侮蔑して嘲笑った。
「ハッ、感謝だぁ? テメェも偽善ぶった馬鹿賢者と同じようなこと言いやがって、むしろ笑えてくるぜ。どうせ助けたってこいつと同じぐらいのヤり甲斐ねぇメスガキだろ。テメェだけヒーロー気取りで助けりゃいい話じゃねーか」
もはや足を止める気もなく、ジェイクは闇の中へと消えていく。
「ちょ、おい!」
「勝手にやってろ、俺の手を借りるまでもねェ」
「ちっくしょう、あんのゲス野郎め……。時間食っただけじゃねーか」
無意味だった、とは思いたくはないが、今こうしている場合ではない。涙でぼろぼろになったホルムに声をかけ、我に帰させる。
「ごめんホルム君、急ごう! ほら、しっかり! まだ間に合うから!」
ストレスを感じさせる回でしたが、ここまで読んでいただき誠に感謝申し上げます。
※本来、現実でのフェロセリウムは自然界に存在しない、人工で作られる合金です。主にライターの着火部分に入ってます。加わる圧力や温度の変動など、ダンジョンならではの環境によって形成されたものだと捉えてくれると助かります(汗)




