3-6-2.その男、狂暴につき
遅れてしまい申し訳ありません。
多少のグロテスク描写や汚い言葉等、不快な表現が含まれております。
人の手が加わった木造補強の薄暗い通路をメルストは歩く。一歩一歩、確かめるようにゆっくりと、その黒雲母のような双眸で先を見つめる。
断続的に天井から漏れる水滴。ぴちゃん……ぴちゃん……、と歩む足音と共に洞の中で反響する。
段々と高くなる天井。木の壁から岩肌が晒され、壁に設置されていた発光石の光も届かなくなるほど進む。精々、光というには頼りないほどの小さな光虫や、高い天井で光る粘球のシャンデリアを垂らすツチボタルの周りしか、闇を照らすものはいない。
「どこまで続くんだよ……」
なるほど、これはカンテラや僅かな光を目に集める薬がなければ進めない。メルストは自らの発した白いプラズマと身体から浮き出る熱の光で腕をぼんやり明るくさせた。
"ケイビス・ダンジョン"は魔物市場と言われるほど、多様な魔法生物が大量に生息している、いわばひとつの生態系が成り立っていた。一本道しかないこの大蛇の通ったような洞穴も、アリの巣でいう入り口でしかないのだろう。時折闇の奥から響いてくる、神経をざらざらとした舌でねっとりと舐められるような呻きに、たびたび足を止めてしまう。
なにがどこにいるのか、足元を這うネズミやそれを追うヘビにすら背筋を凍らしてしまう。こんなところにジェイクが足を運ぶ理由がわからない。気が知れない。
そうメルストは、不気味に照らされた壁に張り付いている血痕と、それを養分にして集う粘菌や虫を見ては肩を強張らせる。外出用の白衣で大きく見える身体もすっかり縮こまっていた。
(ジェイク……)
以前、彼が酒場で聞いた話だが、ジェイクは一年前、ロダン団長に拾われたという。なんでも、処罰で聖騎士団に首を取られそうになった寸前、ロダン団長がその実力を買って十字団に入れたとか。
そのため、ジェイクにとってのロダンは恩人であると同時、剣術や武術、魔法を正しく教えた師匠でもある……はずなのだが、今の今までの生活を考えると、恩を仇で返しているようなものだ。
相当な犯罪者ということは本当のようで、数々の悪行を犯し、それを止めようとした正義ある手練れでさえも手にあまる強さだったという。
そう聴いていたものの、まさか猟奇殺人までも行ってきていたとは思いもしなかっただろう。それにしては町の人に対するジェイクの反応が恐怖や憎悪ではなく、ただのゲスいヒモ男だと卑下されているのはおかしな話だった。話の割に無名というのも矛盾している。
最も、その話を酒場で持ち掛けてきたのはまたもルミアなのだが。
「――ッ」
咄嗟に身体が動いたのは、鋭い風を感じる前だった。
メルストの頭部があった高さの壁に、こぶし大の石ころが甲高い音を立ててめり込む。爆発の威力すら致命傷に至らないメルストだが、それでも人間として反射的に避け、恐れた。普通だったら頭蓋骨が砕けるどころでは済まないだろう。
(あっぶねぇ……! 今の魔物……じゃねぇよな)
「なんだテメェか」
歩み寄ってきた音の正体は、茫洋とした闇の中から現れたジェイク。カンテラなど明るいものは一切持っていない。"集光視薬"で暗視状態になっているのだろうかとメルストは思うが、そのような薬にジェイクが頼るはずもない。
殺す気か、と言いかけた口は余計だろう。本人は誰かと確かめることすらせずに殺す気でやったのだから。
「ここランクAの"ダンジョン"だぞ。危険地帯で立入に規制が――」
「だからこそだよ。ここの魔物は売れるからな。小遣い稼ぎにはちょうどいい」
魔法生物こと"魔物"には共通して"魔石"という核が存在する。魔力の素として売れる代物であることを知っていたジェイクは、賭ける金もなくなると魔物を乱獲しては素材と魔石を売り払っていた。
「あと、俺の前で二度と"条約"だの"規則"だの口にするな。くだらねぇルールとか大っ嫌いなんだよ」
機嫌悪そうな態度にメルストは口をつぐむ。奥から響く足音。
さっそく魔物が来たようだ。
「お、おい、なんかいろいろ来てるぞ」
「どれも安いのばっかだな」
つまらなさそうに吐いたジェイクは、腰の帯の剣に触れることすらしない。
骨身を削るような声。前方の闇に浮かぶのは、銀を帯びた槍のような鋭い角。荒い吐息に、ひたりひたりと恐怖を煽るような歩み。次第に、牙をむき出しにした獣の顔が露わになる。
人の頭など丸々かみ砕けそうな、大きく獰猛な口と、それに見合った体躯を誇る2頭の"角狼"。
その背後には、ヒトの肉体を模した小さな醜悪が牙を向ける。角狼を飼い馴らす緑色の子鬼――ゴブリンだ。
見る限りでは、五体はいるだろうか。いずれも毛皮で下部を装い、岩石を加工した武器を携えている。
「ま、憂さ晴らし程度には使えそうだな」
魔物の群にゴミでも見るかのような視線を送り、ジェイクは落ちていた太めの木の棒を拾う。
折れた魔法杖の一部のようだが、魔法を発揮する動力の結晶がついていないのでただの棒に変わりはない。おそらくここで壊滅した冒険者パーティの一員の物だろう。ギルドランクAの危険度は入口付近でさえ伊達ではないと、語っているかのようだ。
「表層階は初心者レベルってとこだ。木の棒一本ありゃあ十分いける」
だが、その無言の語りも虚しく。ジェイクはここで死んだ者達に吐き捨てるように、当然の顔で豪語した。
「それはジェイクだけの話じゃ……」
その呟きを聞いてもらえることもなく、さっそく一歩踏み込んで薙ぎ払い。単純に言い表せる動作だったが、ジェイクの踏み込んだ堅い地面には足跡がある。木の棒で殴られた角狼は壁にめり込み、臓器ごと潰れていた。
「おっ、この棒は使いやすいな。まだ壊れてねぇ」
歯を見せ、笑う様はゴブリンよりも鬼のようでゾッとさせる。笑みからこぼれる殺気は、自然とゴブリンたちにも届いたようだ。
牙を向け、とびかかってきたもう一頭の角狼――の銀帯の角突起を掴み、天へ弧を描かせる。地面に叩き付けたと同時、右足で頭部を木の実のように踏みつぶす。銀の角を潰れた頭から雑に引き抜いた。
「犬のくせに大層なモン飾りやがって」と角狼の死体を踏みながら、銀の角を懐のポーチにしまった。
えげつないジェイクの一連の動作に、メルストは目を逸らしたくなる。わざわざ残虐な形で殺しているのだ。
こいつは只者じゃない。
ゴブリンの群は一匹の雄叫びとともに、武器を構えては突進した。
知能ある魔物ほど、集団かつ、洗練された連携を取る。その石質の混じった鉄の刀身にも、獲物を弱らせる毒が塗られている。
足首と首を狙った鋭い剣先を、ジェイクは嘲笑った。
ひょいと武器を跨ぎ、そのまま右足でその顔面を勢いよく踏み潰す。同時、踏み込んだ勢いに腰をのせて、首を狙ったゴブリンよりも先に、リーチの長い腕でえぐるような殴打を放った。
「きめぇ顔見せんじゃねぇよ」
残るは三体。
顔面を潰し、残るゴブリン目がけて殴り飛ばした。だが、三体とも身軽に避け、それぞれ側面、正面足元、背後へと素早く回る。
小柄であれ、子鬼の膂力は騎士団の者でも手こずるほど。その上、武器の扱い方も冴えている。
だが、ジェイクはそれを厄介とは思わない。ただ、ウザいだけ。
木の棒を振り向きざまに薙ぎ、側面から歯向かうゴブリンを、振り下ろされた鉄石の斧ごと壁に叩き付ける。
相当な力が加わったのだろう。たちまちに木の棒は粉砕されるが、振り向いた勢いを殺さぬまま、背後から飛びかかってくる奇襲を避ける。
一歩踏み出し、そのゴブリンの後頭部を爪を立てて掴み、潰す。正面から残る一体が咆哮を上げ、鉄石剣を振りかざした。
「しゃべんな汚ぇ」
掴んだゴブリンを盾に剣撃を受け止める。肉と骨に突き刺さった剣はすぐに引き抜けそうにないほど深入りする。一旦武器を手放し、ジェイクから距離を置いては速やかに体勢を立て直した。
だが、数メートルの距離は、すでに消滅していた。ゴブリンがそれがなにかを視認する間もなく、頭部のない血濡れた四肢へと散る。
「……マジかよ」
奴隷解放のときは、エリシアに命を奪うなと釘を刺されていたからだろう。今のジェイクはそのときよりも残虐で傲慢で、そして楽しそうだった。
根っからの殺人鬼の姿が、そこにはあった。かける言葉も見つからないメルストは、息をのむことしかできない。
魔物の身体から魔石を取り出そうとしているジェイクは「おい」と低い声で呼びつけた。
「ついてきたんなら手伝えよ。気の利かねぇグズだな」
偉そうな態度に、メルストは答えなかった。
(こりゃ……説得しても仕事してくれないと思ってしまうな)
そう思った矢先、ふと無数の羽音が聞こえてくる。それだけではない、何かをはいずるような地響き。生態系の危機と獲物の血臭を感知し、こちらに向かってきていた。
「なんかめちゃくちゃ来てないか? まだそんな奥まで進んでないよな」
「ふつうはな。ダンジョンは気まぐれってもんがあんだよ。今日は"表層階"も"深層階"も関係ない日ってなだけだ」
にしても多いな、とジェイクは呟く。「デケぇ蜂と八目ヘビあたりか……なんで今日に限って、めんどくせぇ」
「じゃあ帰るか」
「は? 何のためにテメェがここにいんだよ」
「いやジェイクを連れ戻すためにここまで来ただけだよ」
「ハン、真面目なこった。けどよ、少なくとも向かってくる奴等をなんとかしねぇ限り、町もやべぇと思うぜ?」
「どうしてだ?」
「ダンジョンの外に出てくることがあるからだよ。こいつらの血で食欲が増して、共食いだけってならまだいいけどよ、それに飽き足らず近くの町や森を餌場に集うことがあんだよ」
それはまずいと、メルストは息をのむ。子どもひとり探すつもりが、こんな寄り道をした上に町を脅かす危険が迫っているとは、思いもしなかっただろう。
「なんとかしないとな」と白い袖を捲る。それを確認するように一瞥したジェイクは、はぎ取った魔石を袋に入れ、闇の奥を見る。何かが来るとは分かれど、それがなにで、どのくらい来るのかは知りもしない。
その手に力を込める。それが膨大なのか、熱として皮膚が熱々と滾り、外へと放出されていた。
「加減考えろよ? 崩れてテメェと生き埋めなんざ死んでも御免だからな」
それにはメルストも同意見だった。なんでこう一言が多いんだか、とも思ってはいたが。
蠢く群の姿をはっきりと見ずに、メルストは拳を前方の闇へ放つ。
炎や爆発を越えた熱量が、ダンジョンの中を侵攻していく。光に、そして熱線に照らされた巨大蜂と多目蛇の魔物の群は灰すらも煮溶かして、小さな魔石だけを置いていった。
ただちに両腕をかざし、吸熱を始める。火山の内部に匹敵する熱さを肌で感じたのは一瞬だけ。瞬く間に生温かい洞窟の中へと戻った。
「っは! いいねいいねぇ! 一気に片付いたじゃねーか」
盛大に笑ったジェイクは、目の前に散らばる礫のような魔石にとびつく。
「やっぱテメェの能力は使い勝手がいいなぁおい。ハッハハ、取り放題だぜ。あんがとよ」
「おまえ……やっぱりダマしてた?」
「嘘は言ってねぇぜ? 確証がないだけだ」
利用された気がしてならない。メルストのため息が反響する。一帯に散らばった魔石がただの小石ごとひとりでに浮き上がり、ジェイクの手中に集まっていく。
(そういや魔法使えたんだっけか。人のこと言えねぇけど、本当になんなんだよこいつ)
「小さくても価値はあるのか?」
「案外よ、小せぇ方が余計な手間加えずに済むとかなんかで幅が効くんだよ。当然デケェのも重宝される。おっ、宝石も混じってんじゃねーか」
なにかと上機嫌なジェイクは、宝石だけ別のポーチに入れる。売るか、女に渡して手懐けるかのどちらかだろう。
「……あれっ」
突然だった。
予想以上に地盤が脆かったのか、それとも厚さがそこまでなかったのか、地面が沈み、下の階層へとなだれ込むように落ちてしまう。辛うじて立ち続けたメルストはジェイクを見るが、この程度の緩い崩れ方では、ジェイクは「なにやってんだよ」と然程動じていないようだ。
(こんなとこで道草食ってる場合じゃないのに)
ルミアやフェミルを信じるしかない。案外すぐに子どもが見つかっていてほしいと期待はしているが、エリシアの魔力感知魔法でさえも特定はできなかった。やはり人が多い町の中だろうか、それとも魔法生物が密集した巣の中か。前者であることを祈るばかりだ。
それを欠片も気にしていない、それどころか忘れているであろうジェイクは先へ進んでいく。
(……時空転移能力を使った後と似たような違和感だな。やっぱり本に書いてあった通り、空間が捻じれてるのか?)
来た道を引き返しても出口はないだろう。ダンジョンをよく知るジェイクの後をついていくしかないようだ。
「"四空掌握・首抜き遠投"――」
後を追ったところで、さっそくジェイクは魔物を狩っていた。
白い結晶がブドウ状に集合したような毒重土石の甲殻を纏う"四足獣竜"の一種と、赤ピンク色の菱マンガン鉱でできた巨人型ゴーレム――を装った"刺胞スライム"の二体。だが、威厳を放ったはずの咆哮が、ただちに命を乞う悲鳴へと変わった。
向けた拳を強く握り、引っ張り投げるような動作。途端、獣竜の首が勝手に罅を生じては甲殻と肉を裂いてちぎれ、血混じった脊髄ごと頭部が引っこ抜かれる。
そして大きく片腕で投げる動作。痛み苦しみ、大きく開いた竜の顎がゴーレムの巨躯を喰らい、壁へと押し潰した。ドロ……と血のように刺胞スライムの寒天のような流体が、潰れたゴーレムの隙間から垂れ出てきていた。
(あいつってクラス"剣士"なんだよな? 剣使ってないんですけど)
そんな脳筋は、木に実った果物のごとく脊髄に付着している魔石をもぎ取っていく。えげつない狩り方に、ふとしたことを訊いてみたくなった。
「なぁ、ルミアから聞いた話だけどさ。おまえって、犯罪者の中でもかなりえげつない罪暦あるんだよな。なんでエリシアさんのとこで?」
当時そのことを知ったとき、最初は驚いていたメルストだったが、ジェイクの性格を考えると別に信じられない話じゃないとすんなり話を飲み込めたのであった。
若干楽しそうだったジェイクの表情が強張ったのかと思うと、顔をしかめた。
「は? ンなモン聞いてどうすんだよ」
「いや、ロダン団長に引き取られたってのも変わった話だなって」
「……あいつベラベラと話しやがって」
針状結晶が連なる天井が広がる空間から、人3人が並んで通れるぐらいの狭い蛇穴へ入る。上から押し潰さんばかりにメルストに迫り、ジェイクは忠告を促す。
「まずひとつ。俺の前で二度とその話を持ち込んでくんな。もう終わったことを蒸し返す必要なんてねーだろ」
前を向き、腰の短剣を引き抜く。何をする気だと思った矢先、どこからか唸り声が聞こえてきた。
「もうひとつ。これ以上……俺の過去を詮索するな」
瞬息の間もない、肉眼で捉えきれない回避からの一刺し。先程の親玉だろう、鬼の形相をしたホフゴブリンが炎のように歪な鉄剣を持ったまま、ジェイクの短剣に頭部を勢いよく刺された。
即死だ。釘を打たれた標本のように岩肌の硬い地盤に固定されている。
彼のその行動に、「ぶっ殺したくなる」と言っているような気がした。
「……わかった」としか言えなかった。しかし、ジェイクは構わず、ある一点のみ――そこらと大差ない転がった岩を見つめていた。メルストと同じぐらいの高さだが、特に見ただけでは普通の岩石だ。
「ジェイク……?」
岩がどうかしたのか、と訊こうとしたとき、ジェイクは体勢を構えることなく岩石に重い蹴りを入れた。あまりにも脆弱に足形の穴が空くので、積んだ雪山に足を突っ込んだ時をメルストは連想した。――そのときだった。