3-5-4.曇る気持ちも輝く笑顔へ
それから数日の間、ルミアの助言通り、メルストはゼロから考え直した。工房に籠るばかりでなく、ルマーノの町中で人と話したり、町の外へと冒険気分で散歩したりと、素材採収と情報収集を目的に出回った日々を送る。その際に狩った魔物や採収物をギルドや武器屋に渡したことも、彼にしては良い思い出である。
そして、とうとう見つけた自然の中で得た手がかりと、思い出した知識をもとに編み出したもの。しかしそれは、メルストにとってなじみ深いものでもある。
(……結局は前世にも存在してる物質頼りか)
界面活性剤を一切使わない、しかしその薬剤以上に洗浄力がある自然物を、メルストは見つけたのだ。
("クエン酸"と"過炭酸ソーダ"が普通に自然界にありふれてたなんてな……気づかなかった)
酸味の高い果実の中と、川底の中に潜んでいたそれを"組成鑑定"で成分を解析。そして創成構築を経て作り上げた、二種類の粉末洗剤。それらをビン詰めにしてバルクの酒場にプレゼントしたのだ。
渡してから3日ほど経っただろう。そう思ったところで、メルストは酒場に足を運んでみた。
「いらっしゃいませー! ――あっ、めめ、メルストさん! おぁ、おかえりなさいませ!」
いつも賑やかなはずの酒場は不思議なほど静かで、客が一人もいない。いるのは、モップで掃除をしていたセレナひとりだけだった。
「本物のメイドになりかけてるよ? この時間帯は空いてるんだな」
「はい、でも珍しいことではないです。パパもお客さんがいない時間はお昼寝なされてますし……あっ、起こしにいってきます」
「いや、申し訳ないし、いつもみたいにメニュー頼むわけじゃないから。前に渡した洗剤の調子はどうかなって気になったんだ」
「あっ、あれですか! あれはもう本当に汚れも臭いも取れて大助かりですよ! えっと、くえ、クエ……さん? でしたっけ」
飛び上がる程嬉しかったのだろう。しかし、教えたはずの洗剤の名前を思い出せないまま、曖昧になって口から出てきていた。
「クエン酸ね。油や垢の汚れが多い酒場にはぴったりだし、もともといろんな生き物の栄養として入ってるものでもあるし。もうひとつの"過炭酸ソーダ"は……いや、青いラベルを張ったビンの方は効果ある?」
「はい! それもばっちりです! まさか擦らずにつけて置いておくだけで取れるとは思いもしませんでした! 水と混ぜてここまで効果あるなんて、大賢者様の魔法みたいに不思議です!」
ここでは科学も魔法扱いか、とメルストは思う。それに特別、何も思わなかったが。
「ふつうの石鹸は外側から汚れを削ろうとするんだけど、それはお湯に溶かしたり汚れにくっつけたりすると"酸素"が発生して、それが汚れを包み込んではぎ取ってくれるんだよね」
「……って言っても分かるかな?」と訊くが、「大丈夫です! 水と不思議な粉を合わせることで強い石鹸が錬成するんですよね!」と自信もって言う。間違ってはないな、と笑ったメルストはこれ以上何も言わなかった。体に害なく効果があることに変わりはない。
「本当にありがとうございます! こんな小さな悩みに何日もメルストさんの時間と労力を費やしてしまって、なんとお礼をすればいいか……っ」
ぺこっ、と深く頭を下げる彼女に健気さを感じる。そんなことはないよ以外の言葉を出そうものならバルクに食材にされてしまうだろう。
「いや、大丈夫。こっちも好きでやってたことだし、逆に待たせてしまって申し訳ないというか」
「いえいえっ、そのようなことは決して! な、なななにかやってほしいことはありませんか? 私、こっ、これでもお客様を満足させるメイドを務めていますので! なんでも申してっ、構いません!」
おどおどした動きだが、紅潮しながら迫るように頼み込む姿勢に、メルストは断りづらくなっていた。何気にどきりとし、少しばかり期待してしまう彼も心の内にいた。
「えーと……そこまで言うなら、ひとつ頼もうかな」
「は、はい! どんと来い、です!」
ぴこぴこと動く耳に、ゆさゆさ振るう尻尾。それに目がとどまったメルストは、言葉にすることをとうに決めている。
「それじゃあ、セレナをもふ――」
「あら、変態。こんな真昼間にセレナを口説くなんて穢れてるわね」
ピシッ、とふたりは固まる。いつからそこにいたのか、店の柱で背中を預けているエレナがじっとこちらを見ていた。
「――!? だっ、だからお姉ちゃん!」
さらに真っ赤になったセレナは トマトといい勝負だ。今のはあながち否定はできないな、と思う一方で残念に感じていたメルストだった。
(いいときに来たなぁお姉ちゃん)
「もうエレナの毒舌越えた悪口は慣れてきたな」
エレナは腕を組んだまま、ふんと鼻を鳴らす。同じ顔だというのに、この性格の差は詐欺だろう。そう今までの男性客は述べていたはずだ。
「あんたの不抜けた顔見て思い出したけど、この前に渡してくれた粉の鹸剤、すごい効果ね。気になっていたところも綺麗になって、おとうさんも喜んでいたわ。ありがとう」
またも固まる一同。特にセレナが驚き呆れていた。
「……おねえちゃんが、褒めた……」
一世一代の発言とも言わんばかりのリアクションに、彼女の称賛は相当レアなものなのだろう。
「失礼ね、私だって感謝の気持ちぐらいはあるわよ。こんな男に言うのは不服だけど、すごいのは事実だし――あっ、今の違う! 鹸剤の方がすごいって意味! あんたじゃないから! あんたなんかウジ虫以下だから!」
わかりやすい反応に、流石のメルストもバルクの言っていたことの意味を理解する。はいはい、と流してカウンターの席に座った。
「じゃあ、せっかく来たし、セレナとエレナになんか作ってもらおうかな。バルク店長からふたりの作る晩飯は絶品だっていつも聞いてるし、おねがいしていい?」
それが報酬ってことで、とメルストは笑う。ひとりは意気揚々と、もうひとりはしぶしぶと振る舞ってくれた。
さて、あとの始末はどうするか。
実験で余った失敗作を分解能力で元に還すこともメルストは考えた。だが、少しは活用したいと思い、十字団のみで肌に優しい洗濯用の洗剤を使うようにしてみた。使った排水はすべて分解能力で自然に還すことを念頭に置く。
ルミアの洗濯機に近い"手動回転機"も脱水処理という改良を加えたようだが、大量の水が必要な上に排水の行き場もないため、エリシアの水魔法かメルストの創成・分解能力がなければ使えない代物となった。バルクの酒場に売りつけようとしていたルミアは落胆していたが、結果として十字団の洗濯機として利用されることとなった。
「メル君の作った洗剤すごいね! いい匂いだしふわふわしてる!」
晴れ渡った昼下がり、十字団5人全員で綺麗になった洗濯物を取り込んでいた。風に揺らぐそれらからただよう花の香りに、ルミアをはじめエリシアも心地よさそうな顔をしている。
「ルミアの開発したやつのおかげもあるよ。まだ排水処理の方が不十分だから、それなんとかするまでここでしか使い続けられないけど、上手くいってよかった。けど、最近はこうやって一気に洗濯するようになったんだな」
「よっぽど汚れているのを除いてですが、人数が多くなってきましたので。毎回洗濯するよりも定期的に一斉にやったほうが効率的だとルミアも仰っていましたし」
「へぇー……」と納得しつつ、手にした洗濯物を広げる。
「先生毎日やろうとするもん。服足りないわけでもないのにマメだよねーホント」
「みなさんがめんどくさがりなだけですよ」
そんな会話の中、リアクションしないよう数秒無表情で固まっていたメルストは、その手に持っていた誰かの純白な下着を取り込もうとしつつ、
「うん、やっぱり干したてふかふかの洗濯物はいいね」と何気ない会話に参加した。前世では妹もいた故に、仮に好意の対象の衣類であろうと変な気が起きるはずもなく。
「ひゃっ!? それ私の! 見ちゃダメです!」
しかし顔を真っ赤にしたエリシアに素早く下着を取られる。コンマ一秒でごめんと返した。
「エリちゃん先生のって意外と普通だったでしょ」とルミア。
「返事に困ること言わないで」
「き、期待を裏切れなくてごめんなさいね!」となぜかメルストに言う大賢者。
「いや何も言ってませんから」
謝りつつ、ふと目に入ったジェイクの姿。時々帰ってくることがあるも朝や夜中ぐらいでしか接したことがないので、この時間帯で見かけるのは新鮮だった。メルストは意外な目でジェイクのはたらきぶりを見る。
(家事の手伝いなんてしなさそうなキャラなのにテキパキと……あれ、なんであいつ全部取り込まずに小分けしてるんだ?)
その上、手練れの万引き犯みたいな捌きでポケットに何かを入れている。
「おいゲス。なーにしてんのかな?」と黒い笑みを向けたルミアも気づいた模様。
「心配すんなよ。俺ぁ下着に興味ねぇが、こういうのが好きな連中が知り合いにいんだよ。そいつらに高く売れば結構な額がもらえるってものごぉ!」
「最っ低すぎて今の天気みたいに清々しいわ」
安定の金槌制裁。フェミルも怒り越えて何もしない――かと思われたが、余った物干し竿でべしべし叩いている。時間差制裁だったようだ。
(性に合わずやけに乗り気だと思ったらそういうことか)
「おまえも懲りねぇな」
そう渇いた笑いを向けたところで、無表情で叩き続けているフェミルの方へと目を向けた。
「……なぁ、フェミル」
「……?」
ジェイクを叩く手を止め、目を合わせる。真っ直ぐすぎる視線に、メルストが逸らしそうになってしまう。
「フェミルのおかげで、あのとき俺は気づけたんだ。なんというか、ありがとな」
「……なんの、こと?」
「いや、なんでも」
明るい誤魔化し。首を傾げるフェミルは心当たりがないといわんばかりだ。それでもいたずらに微笑んだ一方で、ルミアの上半身を脱いだツナギの腰部に見覚えのある布がちらりと見えた。
「おまえも俺のパンツ盗んでんじゃねぇよ!」
手を伸ばして取り返そうとするも素早い反射神経で避けられる。
「こっ、これは違うんだメル君! これは洗濯する前のものだから! 関係ないから! セーフセーフ!」
「セーフじゃねぇよ余計罪が深いわ! ていうかなんで洗う前のやつ服の中にしまってるの!? ジェイクより怖いんだけど!」
「くっ、誰が何と言おうと、仮にそれが持ち主に言われようと――このパンツはあたしのものよ!」
「いや普通に返せよ! 人のパンツを用途外使用すんな!」
もはや下着を握りしめた変態に何を言っても無駄だった。一回落ち着こうと深呼吸の代わりにため息。その一方で、はたとエリシアの取り込む手が止まった。漂泊されたような真っ白な服をじっと見つめている。
それに気づいたメルストは、すすぎ残りでもあったのだろうかと声をかけた。
「先生どうした?」
「ななな何でもないです!」
バッ、と持っていた白衣を抱え、縮こまるように退いだ。おろおろと焦っている表情は、明らか何もないと言っている人の言うセリフではなかった。
「あ、それメル君の服だ。まさかのまさか~? 嗅ごうとしてた?」
「ちちちっ、違います! 断じてそんなハッ、ハレンチなこと!」
ましてや、ルミアとのやりとりを見ていた後である。メルストに幻滅されないべく、必死に抵抗しているエリシアであった。
が、いとも簡単にルミアの一言に打ち破れる。
「でも顔ポーッと赤くしながらさ、服に顔近づけようとしてたの見ちゃったよ」
「はぅあああぁああぁ! ルミアシャーラァァップ!」
叫ぶエリシアは燃えるように顔を赤くし、目がぐるぐる巻きになる。まさに正気を失ったそれだ。
彼女の感情がそのまま体外へ噴き出るように、全方位にサファイア色の魔法陣が展開され、円の中心から歯止めがかからないスプリンクラーのごとく水を大量に放出し始めた。
「ちょっ、エリシアさん! ここで水魔法使わないで! 干したてが濡れちゃう!」
「キターー! 2ヶ月ぶりのエリちゃん名物! スーパーパニパニタイムだー!」
「おまえはちょっと黙ってろ!」
水飛沫が舞い、小さな虹が映える。
雨のち快晴。今日の十字団は一段と賑やかだ。
次回
メルスト「たまにしかジェイクと話してないから、逆に話しかけづらい」
フェミル「わかる」
メルスト「実際直接見てないからなんともいえないけど、あいつの悪評はかなり耳にしてるんだよな。盗賊殺して行商人助けたと思ったら暴力でその売り物奪ったし、誘拐された町の娘も助けついでに手を出したらしいし、近くの町で金を巻き上げていた貴族に拷問して最後は殺したらしいし」
フェミル「そうなんだ」
メルスト「勝手というか、普通に怖いんだよなぁ」
フェミル「でも、なんだかんだ・・・誰かを助けてる、気がする」
メルスト「あ、確かに」
フェミル「でも、どうかしてる」
メルスト「うん、どうかしてる。結局はエグい奴ってことに変わりはないな」




