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双黒のアルケミスト ~転生錬金術師の異世界クラフトライフ~  作者: エージ/多部 栄次
第一部三章 錬金術師のクラフトライフ ルマーノの町の日常編
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3-5-3.自我に支配されること

 エリシアの書斎しょさいで読んだ文献では、石鹸以外での合成界面活性剤(かいめんかっせいざい)は、染料を分散させる"硫酸化ロート油"ぐらいのものだ。魔法が優れている世界とはいえ、洗濯に関してはそこまで技術が進んでいないことは確かだった。否、進まない理由があった。硬水だ。

 金属イオンが含まれている硬水は、軟水よりも泡立ちにくい。その上、石鹸と言えどもその精度はあまり有用的ではなかった。まだこの時点では、石鹸のメカニズムが解明されていなかったのだ。


 メルストは生前、研究室で自作の洗剤を作ろうとしたことがあった。市販の防虫剤と大学で拝借した濃硫酸で合成したものの、洗浄力は市販の石鹸より弱いものだったが。その後もラードと濃硫酸で洗浄力のある合成洗剤を作り出すことに成功した。

 そのときの楽しさときたら、かなりのものだっただろう。この世界には魔法が存在するが、前世の彼にとって不思議そのものと言えた化学を使いこなすことは、魔法を扱うに等しいことだった。


(過去の好奇心は大事だな。洗剤の材料なんて、普通知ってる人の方が少ないだろうに)

 今は施設の許可や装置がなくても、自分の意志で無制限に物質を作り出すことができる。工業的に製造されている、あらゆる合成洗剤を作り出せるかもしれないと思うと、心がうずうずしていた。


 エリシアが魔法薬を作る際に活用している錬金工房。掃除や整頓、物品の発注のおかげで、彼なりの工房へとリフォームが施されている。

 そこで白衣を着たメルストは、ルミアの機械工房やバルクの酒場などから拝借した、大量の雑巾が入ったバケツと、汚れきった食器や調理器具を台の下に置いた。これだけあれば洗浄力の実証はできるだろう。


(とりあえず、原料から創成してみるか)


 目指せ、現代前世の洗剤へ。意気揚々と各ビーカーや褐色瓶かっしょくびんごとに手から生み出した単体の物質を入れ、構築能力でふたつをひとつに化合させる行為をくり返した。


 まず、軽く握りこぶしを作って、白い粉末を手のひらで創成。そしてもう片方の手でふたをし、空気中の酸素と水素を構築能力でつなぎ合わせる。石鹸の主成分でもあるステアリン酸ナトリウムだ。湿気で固形化した砂糖のような粉末塊が、何もなかった手のひらに出来上がる。


 それを秤量しビーカーの中へ。手から水を創成してメスシリンダーで量った後、ビーカーに入れて溶かした。身体のコンディションは整ったと、彼は粉の付いた両手を叩き、息を吐いた。


 調理場の汚れは"水酸化ナトリウム(苛性ソーダ)"や漂白剤の"次亜塩素酸ナトリウム"で事足りるだろうと彼は判断した。単純な構造で出来ているそれらは、ものの数分で作成することに成功する。


 ついでに、という考えで彼は洗濯洗剤を再現しようと試みる。いつも肌に触れていた感触と、感じていた香りを思い出したかった。そうすれば、この僅かに残っていた前世に対する寂しさを消せる。そう思いながら、混ぜた原料が入ったビーカーに手を突っ込み、物質構築能力を発動させた。


 界面活性剤はもちろん、柔軟成分ベントナイト水軟化剤(アルミノケイ酸塩)泡調整剤シリコーン炭酸塩アルカリ剤、そして香料なども、自宅で当たり前のように洗っていた香り良い洗濯物を再現させてくれる。また、それぞれを添加するにあたって硫酸塩や塩化ナトリウムといった工程剤も必要だ。


「……こんなもんか」

 記憶をたどり、一通りの原料は創成能力と構築能力で作り上げたが、問題はどういった工程と配分量で組み合わせれば完成するか、曖昧あいまいだったことだ。イメージではっきりしていない限り、工場機械の精密さには勝てない。

 この能力を前世に持って帰ることができればなと、天井を見上げてイスに背もたれる。


(基盤の界面活性剤は作ったし、硫酸スルホン化と中和の操作ははぶいて……えーと、とりあえず1パターン考えて配合すればいいか)


 だが、そう上手くいくわけがないことは本人も承知。微量に配分を変えたり、酵素など足りないと思われる材料を添加あるいは幾つかの成分を抜いてみたり、pHを能力で調整してみたりもするも、洗浄力が強すぎたり、逆に汚れにやさしくなったりと、バランスが取れない。


「ただ混ぜるだけだと思うんだけどな。んー、やっぱり量が違うのか、それとも手法が違うのか? ……てか無駄に創りすぎたな」


 あまりに余った界面活性剤はパンや化粧品に使ってみればいいかと後日の実験たのしみが増えたところで、ふとしたことに今更ながら気が付いた。


「ッ、あああーっ、そうだった! この世界に洗浄機ないんだった」

 根本的な問題に、メルストは実験台に突っ伏す。食器汚れや壁の洗剤はそこまで問題ないが、彼がいま創成していたものは洗濯機や洗浄機用の洗剤。中世から近世に近い文化層のこの世界では、とてもじゃないが使えない。


「くっそぉぉ、一からやり直しかよ」

「ふぉっふぉっふぉ、苦労しとるのぅおぬし。若い証拠じゃ」

 後ろから老婆の声――の真似をしたルミアが、メルストの肩に寄りかかる。


「誰だよ」

「セレナちゃんから聞いたよ、石鹸よりもすごいの作ろうとしてるんだってね」

 情報の速さは十字団随一なだけあるな、とメルストは視線を落とし、息を吐く。

「洗濯技術は進んでないからな、汚れを確実に落とす強力な洗剤とか、いい香りできれいになる洗剤とかを作ってみようと思って」

「なるほどなるほど。だけど、それが上手くいかないと」

「そうだな。肝心の洗剤を活用するための装置がなくてふりだしに戻ってるとこ」


「ふーん」とメルストから離れ、目の前のガラス器材とその中に入っている薬品を見つめる。水のように透明なものから、飲み物ではなさそうな粘性ある濁液まで、さまざまだ。


「発想もゼロからやり直してみればいいものが思い浮かんだりするよと先輩らしいアドバイスをしたところで! はいそんなあなたにこの一台!」

「通販は間に合ってますんで」

「まぁまぁお客さん、間に合ってるかどうかは最後まで聞いてからにしなさいな。イケてるおにーさんにお見せするこのハードック印の家庭器材、その名も"水洗回転交合機ウォッシュンロール"!」

(うわールミアらしいロックなネーミングだこと……ん?)


 腕に抱える程度で運べる大きさ。レバーの付いたボックスの中に、歯車で連動した二層ほどのステンレススチール製でできた球体があり、ふたのあるそれはのぞくと空洞になっている。

「え、それってまさか」

「この箱に服と水と液状に溶かした石鹸を入れて、このレバーをガシャガシャ上げ下げするだけで、なんと! 中の容器がタテにぐんるぐんる回転して洗濯することができるのだ!」

「おまえ……天才だろ」


 電気を使わない手動洗濯機を発明したルミアを心から称賛した。驚きを越えて薄い反応になっているほど。

 しかしメルストの気持ちは十分に伝わっているようで、歯を出して笑うルミアは得意げだ。

「にひひー、もっと言って」

「超天才」

「もっと」

「最高に天才」

「もっと!」

「ルミアの技術は世界一!」

「あぁん! だめぇ、すごいゾクゾクしちゃうの!」

 頬を染めては両腕を身体に抱き、くねくねと身震いする。

(なんだこいつ……)

 褒めると感じる体質かよ、と冷静に戻ったところで、気になったことを質問してみる。


「けど、泡だらけになった洗濯物はどうすんだ? そのまま脱水じゃ残るだろうし」

 ぴたりと静まり返る。嬉しがっているポーズのまま一時停止しているが、おそらく頭の中はフル回転して答えを探していることだろう。


「…………水の入った桶で泡を流して――」

「原始的に戻ってるぞ」

 デスクに置いた小型洗濯機を再び抱え、無言で工房から出ていく。

「いや、ちょ、なんか言えよ。なんだったんだあいつ……」


 嵐も過ぎ去ったところで、再び椅子に背もたれる。疲れ切ったため息が薬品臭い虚空へと消える。

「はぁ、せっかくこんなすげぇ能力もってんだから、なんとしてでも成功したいよな」

 そんな呟きをした時、扉からノックの音が聞こえる。


「メル、いる?」

 消え入りそうな、大人しくも風のように透き通った声。フェミルだ。

「いるよー。どうした?」

 保護眼鏡をはずし、座ったまま振り返る。

 ガチャリと入っては来るが、いつも以上に気分がすぐれなさそうな様子だ。だが、いつも無表情に等しい彼女を見ているメルストは気づくことができなかった。


「……元気?」

 突拍子もないことを訊いてくる。メルストは「いつもピンピンしてるよ」と軽く笑った。「そう……」と返ってきた返事は、何かと暗い。

「ここ、すごい嫌な感じ……」

「ああ、まぁ合成物質作ってるからね。フェミルにはキツイかな」

「なにそれ」と首をかしげる。


「ああ、自然の力じゃなくて人間の手で作ることで生まれる物かな。石鹸の代用を作ってんだ」

 ほぼ能力頼りだけど、と笑う。ふーん、と言いたげな彼女は、油と水が分離しているビーカーに目を付ける。

「なんで石鹸って……よごれてる、もの、取れるんだろ」

 純粋な疑問だったのだろう。少し考えたメルストは口を開こうとするが、

(あー……水の極性と油の非極性とかわからないよな。イオン結合もこの世界じゃどう説明されているのか未だ知らないし)


「そうだな。人にとって綺麗だと思われてる水と、汚れの代表として見られてる油って磁石みたいな関係で反発しあって、混ぜても溶けないんだよ。庭にたくさんの犬と猫を放っても、互いが仲良くならない感じで」

「……? うん」

「それを仲良くさせるのが石鹸。反発してる磁石を引き合わせるように向きを変える力を持ってる、みたいな。そんな感じで混ざり合わないはずの水と油がひとつになって、お互いに薄まる。まぁ汚れが石鹸の成分に引っ張りだこにされてバラバラにちぎれていく感じかな」


 そうなんだ、と分かったのかどうかわからないような返事をしたフェミルは、デスク上に置かれた数々の薬品を見つめた。それが石鹸を越えた何かであることは把握できたようだ。

 そのうえで、さらに問いかけてきた。


「本当にそれって、必要なもの?」

 その問いは、その時のメルストにとって理解しがたいことだった。


 必要だからこそ、作るものだろう。あたかも当然のように、彼は心の中で既に答えきっていた。

「必要って……そりゃあ衛生的に考えたら、汚いところとかきれいにしないと病気になりやすいし」

「……それが、良くないものでも?」

 どういうことだよ、と強く言いかけた彼の口は自然と閉じた。


 フェミルの黄金色の瞳がメルストの黒い瞳を覗き込んでいる。まるで深淵に太陽の光を照らされ、奈落の底まで見られているような。光を差されて、やっとフェミルの言いたいことを感じ取れた。


「今のメルの目……メル、じゃない」

 目を覚ましたような感覚だった。問い返そうと立ち上がったとき、何かを口に入れられる。話す口をふさいだのは、楕円だえん形のロールパン。口の中いっぱいに酵母の味が広がる。


「疲れてるなら、休む(たべる)ことも、大事」

 その声が聞こえたときにはフェミルの姿はなく――否、フェミルのいた時間を彼は認識していなかった。

 

(なんだ……? いや、そもそも今って――)

 彼は時間を忘れていた。腹を空くことも、眠ることさえも。自分の中の時間だけが止まっていたのだ。外と内の時間の流れが一致してはじめて、重い疲れがし掛かってくる。空腹や眠気は来ない。だが頭痛が激しく生じる。割れるような痛さだ。


「……っ、痛ってぇ……っ、マジか畜生」

 ふらつく体を支えながら、彼は外へ駆けだした。

 最後に見た空は真昼だった。だが、今の空は満天の星空。安心するような優しい空だが、彼の不安は払拭されない。


 時間がわからない不安はここまで混乱させるものなのかと、メルストは落ち着くべく、一度深呼吸をした。だが、宙は星が見えようとも、周りはみ込まれそうな闇一色。痛む頭を抑え、押し潰されるように抱え込もうとしたときだった。


「メルストさん。大丈夫ですか?」

 すとんと、心を安心させる音色のような、きれいで愛おしい声。魔法水ポーションの入ったコップを持ち出したエリシアは、彼の顔を心配そうに覗いた。

「エリシアさん……俺、どんだけこもってました?」

「えーと……そうですね、3日間です」

「は!?」


 想定外を越えた数字に、驚きを隠せなかった。だが、その反応にエリシアは戸惑い、すぐに謝る。

 

「申し訳ありません。メルストさん、あのとき全然反応してくれなかったものでしたから、お邪魔になるかなと思いまして」

「反応しなかった……?」とメルストは訊き返す。


「ええ、いくら声をかけても、全然返事をしてくれなくて。自分の世界に没頭しているかと思いましたので、一度声をかけたきりそっとしていました。お料理を扉の前に置いても一切手をつけた後がありませんでしたので……せ、せめて扉を開けてでもお渡しすればよかったですよね。すみません」


 悪いことをしてしまったと言わんばかりに、申し訳なさそうに謝る。訳の分からない現状と、不可解な異常。彼はそのことで頭がいっぱいになりかけていた。

力が抜けたように、家の壁に座り込む。頭痛はまだ収まらない。


(嘘だろ? そんな没頭しすぎるぐらいの集中力なんて、前世でもなかったぞ……いやそういう問題じゃねぇ。本気で自分を失って――じゃない、周りを失っていたのか……!?)

「いや、俺が悪いよ。ごめん、なんというか……いろいろ失ってた、というか、もう少しで失いかけてた」

 自分でもよくわからないまま、謝り続けた。体の具合を彼の表情で見ていたエリシアは、そばに寄り添う。

「私も似たような経験はよくありますのでお気になさらなくても大丈夫ですよ。それよりメルストさん、これ飲みますか? 私の作った魔法水ポーションですけど、少しは落ち着きますよ」

 エリシアから差し出されたボトル瓶の蓋を開け、ごくりと飲む。彼の舌を潤した味は水。成分も水と何かの微量元素しか感じない。それでも、ここまでおいしく感じる水を飲んだことは一度もなかった。全身のこびりついていた鬱憤よごれが内側から流れ落ちる。それを冷たさで感じ取っていた。

 ありがとう、という声は吐き出された空気と共にしぼり出る。


「エリシアさん……ひとつ訊いていい?」

「ええ、なんですか?」

「魔法を使う時、これだけは絶対にやっちゃいけないことってある?」

 それは変な質問だと、言ったメルストが思っていた。何故、そんなことを口走ったのか、わずか一秒前のことなのに理由が見つからなかった。

 彼女は一呼吸置き、前方の夜空を見つめた。


「"禁忌術式"を用いることは当然ダメですが……大きくくくって言うとすれば、自然のことわりに逆らうこと、この世を創造なされた"女神様"の意志に抗うようなことをしてはならない、でしょうか。一からすべてを生み、すべては一へと還るという、万象の輪廻を崩すこと。それが、魔法においてやってはいけないことだと私は幼いころに教わりました」

「……やっぱりそうだよな」


 模範解答のような真面目な回答に、メルストは確信し、小さく笑った。

 瞳を閉じる。

(何やってんだ俺……ここ異世界だろ。わざわざ前世の世界のあやまちをここで繰り返してどうすんだ)


 見失っていた彼はやっと気づいた。

 合成された物質は自然界では分解されにくい。いわば、この世の産物ではない。新しいものと同時に、自然にあらざるものを作ろうとしている。それは、先程まで作っていた洗剤にも同じことがいえた。

「なにか、見出せましたか?」

「ああ、みんなのおかげで目が覚めた」


 膝を立て、ゆっくりと立ち上がる。彼の激しい頭痛はもう消えていた。

前世地球おれの基準じゃない、この世界に合ったものを作ればいい。難しく考えることはないんだ)

 そして、好奇心だけで動くこともあってはならない。

 自分に支配されないように。メルストは心に刻みつけた。


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