1-1-4.出逢い
傍に転がっている、大人ひとり分の丈はある装飾された大杖。その先端の幽玄的な結晶が青く光っており、にわかに信じがたいが閃光弾を打ち上げたのはこれによるものだろう。神聖さを感じさせる青と白銀のローブ姿から、神官を彷彿させる。
「だ、大丈夫ですか!? しっかりしてください!」
すぐにそばへと駆けたが、返事をするだけの余裕がないようにもみえる。瞳は苦しそうに閉じており、意識も朦朧としていた。
蒼さを帯びた白銀の髪は背中あたりまで伸びており、まるで青天に映る空色の川でも見ているかのよう。綺麗に生え揃ったまつ毛。すっとした鼻に潤んだ唇。きめ細やかな白い肌。服越しでもわかる、魅力的な女性らしい曲線美。
苦しそうな表情であれ、少女を構成する顔立ちと全身のパーツは、どれをとっても文句のつけようのないほどまでに整っていた。その身すべてが美そのものであり、また可憐さを体現するために配置されているかのようだった。
あまりの美しさに、内心見惚れてしまっていた。が、すぐに色を正し、容態を確認する。
(まだ意識はある……)
熱い肌に、発汗と時折みられる僅かな痙攣。この状況的に脱水症状かもしれないと判断した。
「ど、どうすれば……っ、えっと、水分補給、だよな」
(そうだ、さっきの物質を創成した能力で)
確か……、とあたふたしつつも頭を絞って経口補水液の作製に試みる。
両手をこすり、生み出した水素と炭素で炭化水素を"創成"し、無触媒でポリエチレンへの重合を促す。分子配列をミクロからマクロスケールで組み換えたり並べ替えたりする"物質構築能力"で物質の転移点と配向性を制御することで、手から白濁した膜状の固体が形成され、そして厚めのコップ容器へと形作った。イメージが精密でなかったのもあって少々歪だ。
そこに先程の要領で水1リットル、塩化ナトリウム3グラム、ブドウ糖40グラム、カリウム2ミリグラムを入れては、鉄のスプーンで撹拌し、調製した。
「よし、これでいいか……?」
味見をしてもメルストの舌では違和感はない。スプーンで口を潤すように能力で作った経口補水液を入れると、ぴくっ、と彼女の身体が動いた。しばらくスプーンを使って味に慣れさせた後、指で容器に注ぎ口を構築し、少しずつ飲ませていった。
2,3時間ほど経ったか。つきっきりで彼女を看護していたメルストの周囲には数本の氷柱が刺さっており、地面も氷結ほどではないが冷たくなっている。物質の温度変化も操れると途中で分かり、本人なりの涼しい環境を作ったようだ。
水分を排出しては摂取の繰り返し。じっくりと時間をかけて、彼女の症状も軽減していき、体を起こせるほどまでに回復していった。
「ほんとうに……ありがとうございます。貴方様は命の恩人です……」
本能をくすぐらせるような、やすらぎある透き通った声。これで何度目の感謝の言葉を添えられたか。看病中もずっと「ありがとうございます」と呟くように言い続けていたのだ。そのたび、がんばってください、とメルストも懸命に励ましていた。
「気分は悪くないですか?」
「貴方様のおかげで、だいぶ回復してきました。その、いろいろと……お世話になりましたし」
「え? あ、あ~、気にしなくていいですよ。脱水症状にはよくある症状ですし」
口では言いづらい処理や下の世話を行ったことに関しては、メルストも必死でそれどころではなかったが、された本人にとっては相当の羞恥を受けたことだろう。あまりにも恥ずかしそうに顔を赤らめるので、メルストも申し訳ない気分だ。
「あ、あの、私ばかりご迷惑を――ッ、なにかできることを……んぅっ」
「あああっと! まだ横になっていてください。体調はまだ整ってはないですし」
無理に起き上り、眩暈を起こしたようだ。気怠そうな彼女の身体をメルストは静かに寝かす。
「す、すみません……またもご迷惑を」
「大丈夫ですよ。今はゆっくり体を休めてください」
なるべくやさしい声でメルストはなだめた。「はいぃ……」と情けない声で返事した彼女の額に手を添え、物質構築能力で物理変化を促し、熱を取っていく。彼のひんやりとした手が、彼女の頭痛を抑えてくれた。
「いろいろな魔法をお使いになられるのですね」
「え、魔法? やっぱり魔法って存在するんですか」
「え……?」
耳を疑ったような返し。おそらく魔法を知らないのか、という言い草だろうと捉えたメルストは魔法の存在を改めて確認しつつ、言葉を濁した。
「あ、いや、こっちの話です。とりあえず、なんというか……ここから出る方法考えないとな。あの、あなたはどうやってここに」
彼女の視線に、メルストは口を止める。目線に沿って、上を見上げた。
パラパラ……と砂や礫が頭上から落ちてくる。嫌な予感――否、確信した。
「あ……え?」
(ちょちょちょ……風化は分かるよ。遺跡レベルの廃墟だし、こっちもいろいろ動いてたから振動かなんかでそりゃあ崩れることだってあるし。でもなんでジャストポジでこっちに落ちてくるんだよ!)
ひとつだけではない。次から次へと影が形成され、それが大きくなる。ドゴン、と人ひとり分ほどある一個の岩が落ちてきた。
「あ、あなただけでも逃げてください! 今から走ればまだ――ひゃっ」
とっくに大杖を拾っていたメルストにひょいと前に抱えられる。彼女の意図と外れたメルストの行動に、
「ど、どうして!」
「いやどうしてって言われても、ここで置いていく方がどうかしてるでしょ!」
一度崩れると、連鎖的に崩壊が生じる。瓦礫の雨に必死で逃げ惑うばかり。少女を抱え、崩れる廃墟群の外へと向かい続けた。
「冗談じゃねぇぞ……っ、そうだ、なんか魔法使えませんか! 杖もあるし、大抵のことは魔法で――」
「あ、あの、申し訳ありません! ここの環境は過去の調査上、特殊どころか異常のあまり、一定以上の魔法を展開すると"魔力引火"が起きてここら一帯が吹き飛びます! 前例もあります! そもそも『魔法で何でもできる』は誤解です!」
「都合悪すぎでしょその設定!」
ついには家一軒分の巨大な岩が地響きを招き起こす。それは運悪くも二人の逃げる先に落ちた。
「やっべ、塞がれた!」
空を覆う影。見上げると、巨大な遺跡の一部がメルスト達を押し潰さんとばかりに鉄槌を下す。周囲はすでに瓦礫と遺跡の壁。退路はなかった。
「あ、これはもう……終わりましたね」
「なんで祈ってんの!? 受け入れ早すぎない!?」
「嗚呼、双神アコーディアよ、生を貫く使命と生まれ持った罪の償いを果たせず、迎えてしまった私たちの死をお赦しください」
「いや死んでないですから! 祈るなら必死に逃げてる俺らの無事を祈ってくださいよ!」
メルストの腕の中で神に祈る聖女の姿は無駄に神々しい。また女神のような美しさを放っていたが、その悟りはすでに生きることをあきらめた様子ともいえる。むしろ死神が群がりそうだ。
「くっそ! どうすりゃいいんだ!」
自分にできることは、物質の創造と構築と合成。もっとほかにできることはないかと考えたときには、もう巨大な瓦礫は目の前にまで迫ってきていた。焦るばかりで頭がろくに回らない。
もうなんでもいい。この岩を何とかしてくれと強く願い、彼女を庇うように身を屈めたのを最後に。ガラガラと滝のように二人の居場所を巨大な瓦礫と無数の砂礫が飲み込む。
崩壊の波は収まった。
積もった瓦礫の山。しかし、その中央は滝壷のようにぽっかりと穴が空いている。淵は溶けたように紅く融けていた。
「え……?」
その状況に気が付いたのか、目を瞑っていたメルストは円柱状の空間内にいることを把握する。彼を中心に直径5メートル程度の範囲の瓦礫が消え去っていた。
そして、
「あの、せ、背中が……」
少女の驚愕に、やっと自分の異常に気が付く。
背中がはだけ、雷の翼を生やしたように、バチバチとプラズマが放たれていたのだ。それが、大量の岩を塵へと変えた。
(まさか……消えたのも俺の能力……?)
"物質分解能力"。物質最小単位である原子まで分子結合を解くことができる能力だと、自然と頭が理解した。
一瞬だけだが、岩が彼の背中に触れたとき、複数の物質の構造式が彼の視界いっぱいに広がったのだ。まるで、脳の視覚直接に映し出しているように。見るに、"ネソケイ酸塩"や"サイクロケイ酸塩"の類だと脳が判別していた。花崗岩の一種だ。
物質の設計図ともいえる化学構造式。それが一気に崩れたイメージが、メルストの中で自然とされていた。
プラズマが収まる。ふしぎと思いつつも、メルストは少女を降ろす。
「怪我はないですか?」
「はい、少し体調は優れませんが……また命を救われました。その、ありがとう、ございます……」
大杖を抱くように身を縮こませ、声が段々か細くなる。顔が赤いことに気が付くが、それを砂漠の熱さのせいだとメルストはとらえた。彼も彼で美人に弱く、胸の高鳴りを走ったせいだと捉える。
「いやいや、無事ならそれでよかったです。でもなんというか……すごいな! 俺たち生き残りましたよ! あんな岩雪崩から走って逃げて、間一髪で助かったんですよ。ははは、あっははははは」
一気に気が抜けたのか、メルストは安心して笑い続けた。それにポカンとしていた彼女も緊張の糸がほどけ、くすりと笑った。
だが、神様はいじわるのようで、彼の身に異常が起きたのはすぐだった。
「――っ!!!」
(な……んだ、これ……!?)
全身を駆けめぐる痛みと、麻痺している感覚。
目眩が生じ、筋肉痛以上の痛みは骨にまで通じている。
関節や筋肉の筋一本一本が焼け焦げるような熱さ。
皮膚と肉がはがれそうな痺れと乖離感。
脳と全神経がむず痒い。
内臓にただならぬ異物感。
グワングワンと酔ったように重くなった頭がふらつく。割れるような激痛が走る。
(痛い……っ、気持ちわりぃ……!)
「うぉえ……っ」
「――ッ、大丈夫ですか!?」
嘔吐し、このまま死ぬんじゃないかという思いを前に、うずくまるしかなかった。言葉すら出ないほどの痛み。息苦しさ。発作のようにせき込み、その反動でさらに痛みが増す。
(まさか、能力の反動ってやつか――)
身体が躊躇なく落ちたような感覚。
固い地面に肩から強く当たる。砂のザラリとした触感が鼻腔と口腔を侵す。何とも言えない、気持ちの悪い異臭がより気分を悪化させる。呼吸がままならない。焼けるように痛い口を、訴えるように動かしても息を吸うことは叶わなかった。
「げほっ、うぅ……」
「治癒魔法が通じない……! 外傷や内臓の損傷によるものではないってこと? やっぱりここの毒素が……――」
思い出した。
ほんの少しだけ、一瞬だけの光景が彼の中でフラッシュバックされる。
そうだ……俺が死んだ瞬間。
巻き込まれたんだ。
あの光の後、俺のいた場所が吹き飛んで――。
いや、このときはまだ死んでなかった。まだなにかが起きたはずだ。
確か……誰かと話したんだ。はじめて会ったような、でも……そう、でも……ないような……。
掘り起こされる記憶の断片。しかし、まだ引っかかる。
身体が硬直し、そのまま意識を手放しそうにさえなった。呼びかけられるも、遠ざかるように小さくなっていく声。
完全に気を失うその直前、視界には精一杯の声で呼びかける少女の綺麗な顔が見えた。
ゆったりとおだやかそうで、しかしぱっちりとした、炎のように煌びやかで凛々しい真紅の瞳。潤む少女の紅い瞳は、宝石のようにどこまでも清く澄んでいた。
改稿しました。