3-5-2.錬金術師は清掃員じゃないので
(おかしい。いや明らかルミアも一因だけど、そもそもおかしい。酒場じゃ上裸の人もいたはずなのに、まさか男の裸でキャーキャー叫ぶ人がマジでいたとは。……どっちかていうと悲鳴ギャーギャーだったな……傷つく)
いまだに解せぬ彼は、汚れを落としてすっきりしていたが、心の内はもやもやだ。ソファの対面で顔を合わせるセレナは恥じらったまま、エレナは侮蔑の視線を送っている。
「ふーん……露出狂のあんたが、妹を盗賊から助けたのね」
「あれは風呂に入ろうとしてただけだから」
「見るからに頼りなさそうで変態っぽいけど」
「お、お姉ちゃん! さっきから失礼すぎるよ!」
姉の暴言っぷりに声を上げるセレナ。顔を赤くしたり青ざめたり、いろいろと表情が忙しい。だが、エレナの口は止まらない。
「童顔のくせに無駄にマッチョで胸にえげつない傷もあったし、それ完全にヤバい系だし」
「ご、ごめんなさいメルストさん! エレナお姉ちゃん、誰に対しても素直なことを何故か毒盛にして口にしちゃうので、本当にすみません!」
「はは、正直なのはいいことだよ。セレナも大変だな」
内心びっくりしていたメルストだが、ここは大人の対応を取った。少しレベルの高い悪口を振りまく女児だと捉えていたことだろう。
「っ、気軽に下の名前を呼び合うだなんて! セレナ、あんたこんな不甲斐ない男と付き合ってるんじゃ――」
「そういうのじゃないから!」
(めんどくせぇの来たな)
会話が始まってから一分もしないうちに、メルストの目は死んでいた。
外からエリシアの声が聞こえるが、ルミアに説教を講じているのだろう。あっちもあっちで大変だ、と彼が思ったところで本題に入る。
「それで、双子そろって用件は何だ?」
ぴこっ、とエレナの大きな狐耳が跳ねる。セレナは困惑するぐらい撫でまわしたい印象に対し、エレナは撫でようとした瞬間に小さい八重歯で噛みつかれそうなイメージだ。
「そうね、まず私から。あのときセレナを助けてくれてありがとう。あのとき私がいなかったから、自分でも情けないなって思って……そのことに関しては、本当にありがとう」
スカートの裾をぎゅっと掴み、ほんの少しうつむく。その目からは、悔しさが滲み出てきていた。
「おねえちゃん……」
「――って言いたかったのよ。どんな強いおじさまかと思ったら乳臭いガキで幻滅したけど」
「……」
「だからお姉ちゃん!」
「なによ、そのギャップも悪くはないって言おうとしてたのに」
「そういうことじゃなくて!」
今までにない強烈な個性に、彼は対応に困っていた。このままじゃ双子でヒートアップしそうだと察し、話を終えようとした。
「もうその辺でいいか? お礼を言いに来てくれたのは嬉しいけど――」
「わわっ、それだけじゃないんです! お願いがあって伺いに来たんですーっ!」
ふたりは酒場で働き、酒場で暮らす。ギルド付属の大きなそれほどではないが、それでも数多くの力強い男たちと接してきている。接客トラブルの解決かと、メルストは盗賊の一件を思い出しつつ聞いていたが、話の筋が予想とは大きく外れていたことに段々と気づかされる。
「んーと、店の臭いや汚れを何とかしてほしいか」
「あと、服の汚れ。こういうことって男は鈍感だけど、女の人は気にしてるものよ」
「まぁ、酒場だしな。いろいろ汚れてるとこありそう」
最初に訪れたときに、臭いも気になっていたことは否定できない。ずっと住んでいたとしても、気づいてしまうぐらいまでに深刻化しているのだろう。
大学生だった頃、飲食店や温泉のバイトで行っていた清掃を彼は思い返す。あれは酷かったな、と転生していても独特で吐き気を催す臭いが、嗅覚で再現された。
「ただでさえあんな高い石鹸を使ってるのに、汚れは頑固なのよ」
「十字団ならなんでも悩みを聴いてくれますし、えっと、素材のことに強い錬金術師のメルストさんなら、何とかなるかなと思って相談してみたんですけど……ど、どうでしょうか」
「そうだな、まぁなんとかできるけど……んー、誰か炎魔法は使える?」
「酒場の人の中ではいないわね。火はいつも火薬草か発熱石使ってるわ」
「それがどうしたのですか?」
意味を考えようとも首を傾げるまま。調理場ならではの方法をメルストは述べた。
「いや、鍋に石鹸と水混ぜて10分程グツグツするぐらい煮洗いすれば綺麗になるし、試してみて」
「え、ですけど熱湯だと服の生地が傷んじゃうってパパが……」
「綿だろ、その作業服の生地。シルクやウールじゃない限りは大丈夫だよ。あ、火傷と色移りには気を付けてね」
「わ、わかりました……っ」
「それで、酒場の汚れの方は……」と話をすらすらと続ける。
「そうだなー、お酢って店に置いてある?」
「ビネガーのことですか?」
「そうそう、黄色くてすっぱい液体の調味料。薬にも使われてたはず」
「えーと、でも、あの、ビネガーは……」
「あるにはあるけど、それを貸してほしいってのならお断り。あれ結構高いもの」
酢の洗浄力と殺菌力は洗剤として非常に優れてはいるが、ここの世界の人々にとって酢は食材として使える万能薬や美容液として用いられていると、エリシアの話より知っていた。
(王都だったら多孔鉱石と魔法生物使った滴下方式が発明されてるって聞いたけど、地方じゃまだオルレアン製法なんだっけ。まぁ時間かかる分いい値段だろうし、節約したいよな)
「んーそうか……ちょっと酒場に行っていいか?」
うなずくも、ふたり揃って首を同じ角度で傾ける。
まだ外で続いているエリシアの説教を聞き流しながら、白衣に袖を通し、双子を後ろに連れて出かける準備を整えた。
*
「えっ、なんで? 何をしたんですか今!?」
セレナの驚きが、酒場の調理場兼倉庫で響き渡る。
客をもてなす賑やかなホールは勿論だが、それ以上に調理場の汚れ具合は凄まじいものだった。まず飛び込んできたのは、内装よりも先に臭いが鼻にきた。
食材のこぼれた跡や水垢もだが、油汚れや焦げなどの黒みが目立つ。また年季があるのか壁に浸透しきったシミもメルストの目に留まった。彼は特別きれい好きでもないが、それでも気になるぐらいの汚れだったのだろう。
表面上に付着しているものなら、彼の物質分解能力で瞬く間に臭いごと除去することはできた。壁や石床にキズがついても取れなかった汚れが、その部分だけ新築のように消えていた。
「んーと……魔法みたいなもの。錬金パワー、みたいな」
「すごい……!」とセレナは尊敬のまなざしを向ける。対してエレナは、
「錬金パワーとか、バカみたい」
「……だよな、ははは」
さすがに幼稚な表現だったか、とメルストは苦笑する。
「へー! たまげたなぁこりゃ。最近の錬金術師は掃除屋もやってんのか」
食材の入った木箱や酒樽を運び終わったのだろう、手をパンパンとはたきながら調理場にバルクが入ってくる。少しだけ様子を見ていたバルクも疑問抱くことなく、感心の表情だ。
「パパ、メルストさんすごいよ! あんなに取れなかったのがこんなに綺麗に取れたんだよ!」
感動の表情のまま、セレナはバルクの懐へ寄る。ぴょんぴょん飛び跳ねてる姿が愛らしい。バルクの強面が緩み、大木のような腕でセレナの頭をやさしく撫でた。
「そりゃあそうだろうさ。こんなにセレナを喜ばせて、エレナをここまで辛辣なこと言わせるやつはめちゃくちゃすごい奴だ! だっはっはっは!」
「セレナはともかく、エレナの方はそれでいいのか……?」
「嫌いこそ好きの裏返しだ。エレナの口悪さは好意だと気づかなきゃ、メルストもまだまだ子供だぜ?」
そうなのか? とエレナの方へ目を向けるが、ふいと逸らされた。
「おとうさん、黙って。出てって。あと口から言ってることは本音だし。勘違いにしても程度があるし」
「ほらな! だっはははは!」
「いや、完全に嫌ってますよこれ。反抗期迎えてますよこれ」
と言っても、笑う巨漢の獣耳には届かない。知らぬが仏とは言うが、ちゃんと伝えても馬の耳に念仏だろう。
「メルストさんがいれば、掃除要らずですね!」とセレナ。満面の笑みにおされかけた。
「いや、掃除はしなきゃ駄目だよ……。俺がやったのもまだ一部だし」
「じゃあさっさと全部やりなさいよ」
「はわわわ、そんなこと言っちゃダメぇっ!」
(すげー、上目遣いなのにここまで上から目線できる人もなかなかいないよ)
逆に感心させられた一方で、一度周囲を見渡す。
(これを毎回俺がやるのもな……暇なのは確かだけど)
「ま、ぜんぶやってくれたら大助かりだが、娘のお願いだとしても、さすがにそういうわけにはいかんだろうな。そうだろ、メルスト」
親バカでも礼儀は通っている。豪快で強引なバルクの意外な言葉に安心したメルストは心置きなくうなずいた。
「ええ、まぁ、そうですね。何してもとれなさそうなやつは一通り取りましたけど、まだまだ汚れてるとこはありますし……ちょっと何日か時間をくれませんか。臭いと汚れが簡単に取れる洗剤作るんで」
「もっとすげぇこと言いやがった! おまえ何者だよ!」
「メルストです」
さて、何を作ろうか。彼の表情は自然と嬉しそうなものとなっていた。