3-4-2.トラントの大樹の病原体と発生原因
レジスライムの発生地を調べに、第8区の名所の一つでもある"トラントの大樹"へ向かう。ひとつの山域と差し支えない規模の大樹は、遠くから見ればまさに緑燃える巨山。
一歩中に入れば、戻ってこられないという噂があるだけに、その規格は一本の樹にして普通の森より広く、深く生い茂っている。
「センセー、あたし行きたくないって言ったよね」
暑いために肌を露出させた普段の服とは打って変わり、きっちりとツナギの作業服に軽装的な部位鎧を着こなし、顔面には彼女自作の防塵マスクを装着している。緑囲う温かい環境だが、気怠そうなルミアの服の中はかなりの熱気が籠っているだろう。
「いえ、その、ルミアの爆破技術が必要となるかもしれませんので」
嘘偽りないエリシアの言葉に、ルミアは「えっ」と反応する。フル装備のままもじもじとし、腕を組んでそっぽを向くポーズはツンデレのそれだった。
「じゃ、じゃー仕方ないわね。あたしの素晴らしき爆発テクニックが世界一だからって、なんでも頼っちゃって。まったく、あたしがいないと何もできないんだから……とでも言うと思ったかちくしょうめ! こっちはマスクしてなきゃやってらんないのよ! つけても蒸せるわ外したら目もかゆいわ咳止まらないわで大変なんだからね!」
「おまえも苦労してんだな」
ものすごい他人事で呟いたメルストは構うことなく、目の前の大樹に圧倒される。古代の息吹を直に受け止めているような、壮大さと静寂さを強く感じた。
以前訪れた、巨人の森ともいえる『グリーン・ヘリスの庭園』が劣っているわけではない。この大樹が規格外だった、それだけのことである。
「ここまで大きいと探すだけでも骨が折れますね。念のためその周辺やこの樹も調査していきましょうか」
「でっかい樹だな……いやデカすぎるだろ」
何日調査する気だよ、と肩を落とす。後ろでとっくに肩どころか腰も下ろしている機工師もいる。
「幹も太けりゃ根も相当だな」
視界に収まりきらない、崖ともいえる大壁の幹。登るには傾斜のある凸凹した場所を探さないとならない。
「メルストさん、ここ葉の上ですよ?」
「え、でもここ一面苔が」
「葉毛ですよ。葉の一器官です」
今まで根だと思っていたものが枝の一部。さらに巨大な樹だと知った彼は、ただでさえ語彙力がないのに言葉も見つからなくなっていた。
「何がきっかけか、トラントの大樹は底の見えない巨大な『天落の杭(隕石孔)』の中央から、小さな芽が生えたことからはじまったんです。奈落の谷と環状の山脈だったそこは、何千年もの時が流れていくにつれて、どこまでも育ち続ける大樹の一部として連なった結果、ひとつの巨大な山の様に形成されました」
「宇宙から来た植物ってことか? こいつだけデカいのもなんとなくわかってきた」
「あ、ムリ。アツい。脱ぐ」
話を割るルミアの連発された単語。その言動からの行動は凄まじく早く、メルストが振り返ったときには、ルミアは上下の下着を取ろうとしていた寸前だった。
「はいストップぅ! 人として必要な衣類まで脱ごうとしたよな今!」
「る、ルミア……いくらなんでも、メルストさんがいますので」
「え、だってあたしたちしかいないじゃん。メル君は裸の仲だし。ノープロブレム」
なんの恥じらいもなく、脱ぐ行為を再開する。
「ビッグプロブレム! せめて一枚は着てろ!」
「め、メルストさん……!? 裸のってどういうことですか?」
なにを想像しているのか、顔を真っ赤にして混乱を来している大賢者1人。慌てて訂正しようとする。
「いやっ、これはアレだ、風呂の話! さっきしてたじゃん!」
「ていうかさ、この下着ぴっちりしてるもん。風通し悪くてイヤだもん」
「それでも顔面は保護するんだな」
ほぼ裸に等しい姿にガチガチのマスク装備。シュールという言葉がメルストの頭に浮かぶ。
「生命にかかわるからね」
「はははー、大袈裟だな」
花粉症になったことないが故の暴言である。ルミアが武器を取り出す前に瞬息で謝ったメルストであった。
「えっと、"零凛の燥風・ブリーズ=ドラコルド"」
冷たさが含まれるそよ風が吹いてくる。熱をもっていき、撫でるようなやさしい風に、ルミアだけでなくメルストも心地が良くなる。
「あっ、涼すぃー……エリちゃん先生ありがとー」
「いえ、このぐらいしかお役に立てないので」
申し訳なさそうに笑うエリシア。
(謙虚すぎるよエリちゃん。女神かよエリちゃん)
口にはせず、メルストは和む。きらり、と屈折した光がちらつき、上を見た。
「なぁ、池が浮いてるぞ。ほらあそこ」
枝葉とは思えないほど大きい枝葉の間に、池に匹敵する水の溜まりが引っかかっている。ああ、と知っているエリシアは教える。
「あれ大きいですけど水滴です。この樹の呼吸で出てきた樹蜜と水が、"メヤングモ"の薄い膜状の巣に引っかかっているんです」
(いやいやいや、撥水性と強靭性が高いにも程があるだろ)
「それに、この大樹にはいくつも集落があるんだよね。もちろん人間も住んでるよ」
「逆にそれ以外の種族もいるんだな」
そのような他愛もない会話をしながら、3人は徒歩ときどき大賢者の転移魔法を繰り返しつつ、大樹の異常をチェックし、それをもとに掃討目標を探す。しかし、目的の魔物は一向に見つからない。
「樹なんだか岩なんだかわからねぇな、この山みたいな大樹」
(……そう思うのも仕方ねぇか、"ケイ酸塩"組み込まれてるし)
分析能力"組成鑑定"で樹皮を読み取る。地盤と同じ成分がそのまま含まれているようだ。
「それにこの幹に沿って流れている水ってどこから――あれ? これ内側に流れてるの?」
小さな川や滝かと思って触れると、流動感はあるものの水はすくえず、冷たく感じるだけ。露骨な血管みたいなものか、と見眺めているところで、大きな葉に手を当ててはエリシアは何かを感じ取っていた。
「この樹、少しだけですが弱っていますね。おそらくレジスライムに影響されて……早く根源を辿っていきましょう」
「てことは根のあたりが怪しいな。こんな頑丈な幹や葉が外部からの影響でやられるのは考えにくいし」
「根っこは栄養とか吸収する場所だもんね。そこなら樹粉の霧もなさそ――ぶぇっぐしょを゛ンくしゃみィ!」
「ホントに変わったくしゃみするよな」
どれだけ下に降りたか、というよりは落下したに近い。下へ下へと奈落へ落ちていくうちに、光は届きにくくなり、夜のようにうす暗くなる。それだけではない、じめりと湿った場所に降り立つ。
「なーんか嫌なニオイというか、きたない感じだなここ」
歩くたび、ねちゃねちゃと粘り気のある音が聞こえてくる。不快を催す異臭に、メルストもルミアのマスクが欲しくなってきたところだ。エリシアの光魔法で周りが仄かに明るく照らされる。
「あっ、あれです。あれがレジスライムです」
エリシアの見た先。それは、ゲームに出てくるような形状の、自律で動くスライム体。大の大人ひとりがすっぽり入りそうな体積だが、そのスライム体の濁り具合はとても呑み込まれたくはない度合だ。
ドブの色そのものの塊に、メルストはツッコまざるを得なかった。
「スライムって……そっちのスライムかよ! バイオフィルムじゃねーか!」
生きた汚れとはまさにこのこと。敵意はないようだが、ぬちぬちと活発に身を動かしている。
その数は目では数え難い。手前から奥まで、大量にぶにぶにと散在していた。
「絶対に触れないでください。病を引き起こす特殊な毒をもっています」
(病原体持ってるってことね)
流石のメルストでも感染症には携わりたくはない。触って試してみようとは到底思わなかった。
「てゆーか、根っこにめっさへばり付いてない? 普通にキショいんですけど」とルミア。
「このスライムによって川も土も腐ってしまっているようですね。病にかかる人が増えたのも、これが原因かと」
「とりあえず、一掃すればいいんだな」と剣を抜く。彼自身、一度でいいから剣で魔物を斬りたい気持ちが強くあった。
「あ、剣は効きません! アメーバタイプは効きますけど、それは小さな個体が集結したクラスタータイプですよ」
「ホントだ! 悲しくなるぐらい動じてねぇ」
断てど手ごたえはなく、水の塊を斬ったような感覚。剣がねっとり汚れただけだった。
「ここであたしの爆発テクが炸裂するんですねわかります!」
準備運動するように、肩甲骨を寄せた後、両腕をぐっと伸ばす。するとルミアの背部に仕込まれていた機械が、変形と連動を繰り返してして両腕に装着した。
手の甲の小さな銃口ふたつから漏れる加圧沸騰した液体燃料と、針状の電極。また爆発の類かと想定したメルストはルミアから離れた。
「炎や爆発には弱いですが、気化して毒ガスとなりますので有効な策ではないです」
「じゃあなんであたし連れてきたの!?」
「念のためです。必要となる予感が……するのです」
「目を逸らしながら言うもんじゃない」
はぁ、と落胆したような声。それはすぐにルミアの手の先から発した爆轟でかき消された。
「って言いながら撃つなよ! 何ため息交じりでちゃっかりやっちゃってんの!」
鼓膜が破けそうな痛い音。たちまちにレジスライムは爆炎で飛び散り、燃え尽きる。だが、一層臭気が増し、毒々しい白い煙が立ち込めた。エリシアも呆然である。
「大体は爆発で何とかなるもん。毒ガスなんて爆破すればぜんぶぜーんぶ吹っ飛ぶもん」
「こういうときだけ口も頭も子どものふりか!」
頬を膨らませ、口を尖らした様子は見た目通りわがままなこどもである。
畜生、と舌打ち代わりに呟いたメルストは駆け、袖を捲る。両腕からプラズマが飛び出る程のエネルギーを放出し、触れた爆炎や毒ガスを物質分解能力で単純な物質へと解離させた。
「煙があっという間に……」
「残りのスライムも俺が消毒するから、一カ所に集めてくれるとすごい助かる」
晴れゆく景色にはメルストひとり。「は、はい!」とエリシアはすぐに魔法陣を空に展開しようとした。
「じゃああたしも手伝うね」
「あ、ルミアは――」
「ルミアはマスクつけたまま休んでていいよ。ここまで来たのも疲れただろ」
「うにゃ!? このやさしくされる感じが逆につらい!」
(だってそう言わないと逆にやらかしたくなる思考だろ)
しかし、メルストに言われたルミアは意外と素直であり、そばの樹の根にしょぼんとした様子でちょこんと座った。
エリシアの魔力供給と十八番の浄化魔法により、トラントの大樹に活力が戻りつつあった。レジスライムの大体は根に集密しており、ことごとくメルストの物質分解能力で消滅。日が暮れる頃には、ほとんどのレジスライムを掃討していた。
「はぁー……っ、めちゃくちゃ広すぎる……。でもこんだけ消せば、あとは自然浄化してくれるだろ」
地面から突き出た、周りの太い根が点々と発光し始める。昼よりも明るくなったそこは、蛍に囲まれる情景を彷彿とさせた。やさしく光るそれらは、メルスト達にお礼を言っているかのようだった。
「おつかれさまです。トラントの大樹が元気になれば、ここに住まわれる多くの人々も良くなると思います。太古からこの樹と一心同体で過ごしてきたのもありますし」
「シンクロってやつ? すげぇな」
「自然が健康なら人も健康。あたりまえのことなのよさ」
「あと、薬草もここは豊富なんですよ。帰りにいくつか摘んでいきませんか?」
それが目的なのでは、と思うぐらいの嬉しそうな顔。ギルドからの依頼仕事とは別に楽しみにしていたようだ。
「でも噂じゃ、部外者に対して気難しいっていうけどにゃ。見つかったら厄介だし、エリちゃん先生も注意しないとね。……にしてもその消滅させる能力、ホントに便利というかセコイというか」
「分解する力だけどな。あとは再発の予防線張っておくか。エリシアさん、ルミア、危ないからガスを防ぐ対処をして」
エリシアに防護魔法を促す。ふたりが地面より上に移動し、マスク代わりとなるものを付けていることを確認した彼は、両の手を合わせる。各々の手から大量に生み出した二種の元素を、ひとつの物質へと構築錬成していた。
「メルストさん、その黄色い霧のようなものは……?」
「"塩素"の酸化物。生き物系の汚れとかによく効く物質で、ニオイも毒もこれで消せる」
濃いと逆に毒にもなるけど、と付け足す。
たちまちに薄めた"二酸化塩素"であたりは充満していく。この大樹全域を覆うのは厳しいだろうが、土に染み込めばレジスライムのような汚濁生物の出現は防げるだろう。
(前世でやったら報道ものだろうなー。濃度は考慮してるけど、一歩間違えたら良い菌も悪い菌も変質してほぼ死んじゃうし)
異世界の、それも宇宙から訪れた植物の底力に頼るしかない。強い菌が根に生き残っていることを願った。
「それにしても、変ですね……」
不審げに思うエリシアは蒼炎を纏い、ふわりと宙へ浮かぶ。紅い目の見る先は遠く、闇の奥だ。
「変って、なにが?」
「レジスライムは魔物が密集している巣窟や濁流の多い水域に現れやすいので、少なくとも綺麗な環境や森の中で発生しないんです。それに、本で見るよりやけに大きくて活発的だったような――」
「ふたりともー! こっち来てー!」
闇の奥からルミアの声。エリシアとメルストは顔を合わせ、いつの間にか行動していた彼女の元へと向かう。