3-2-2.勇者の名を冠する国王と、英雄と謳われた軍王
大国アコードの王都は、メルストにとって壮絶の一言に尽きる。
それは歴史的だったか。先進的だったか。文明的だったか。それとも自然的だったか。
それらを問われるならば、すべて是と言えよう。すべてが目の前に広がる都市に調和を為して敷き詰められていた。
雲を突くほどに聳える大きな山と、その麓。まるでひとつの巨城が居座って根を伸ばした様にも見え、その根の隙間から青々とした木々や草花が活気を与えている。都市と森、そして水源が混じれば独特の生態系が息を吹く。
魚類から爬虫類、鳥類に至る"魔法生物"は交通機関として、空に舞う形様々な"妖精霊"は自然の調和を律し、光源や人々の魔法の手助けをしている。
蒼空には幾つかの浮遊する小さな陸地と、その上や横側に建てられた町や森が雲のように漂い、湖とも思える河にも人工的な島が形作られている。
従来の法則とは異なる、別種の形で生まれ、育み続けた新しい"科学"は、ここまで世界を幻想的にさせるものなのか。メルストはこれまで以上に感動を覚える。
石か金属か、見た目では識別できない材質の建築群。それを見守る山岳の王城は、それこそ山の上にひとつの連結都市があるようだ。
頂上にて群を抜く中枢塔。天を穿ち風に吹かれはためく、鷺の銀翼を生やした一角馬の描かれた青い国旗。これこそが、アコード王国の誇りであった。
国王の手紙からはじまり、メルストとフェミル、そしてエリシアは今、アコード王国の王城にいる。
大転移魔法で入口まで一気に向かう。大勢の防衛騎士と使用人に出迎えられ、王の近待であるカーター・レイズの案内の元、来賓客室へと足を踏み込んだ。
王もひとりの人間。いつも玉座に座っているわけではないと、メルストはこのとき初めて気づく。
「王を呼ぶ間、ここで待っていてください」
黒髪をオールバックにしたカーターという、若く見えるも30を越えた細身の男。四角い眼鏡越しのきりっとした目つきで告げ、部屋を後にした。
「思ったんだけど、あいつらでも普通に王城には入れるの?」
ルミアやジェイクは王族ではない。それどころか、一般市民としてまとめ難い端くれ者。いくら王家直下の十字団であろうと、王族の居住するところに入れないだろうと彼は思っていた。
だが、その予想は当たらずとも遠からず、といった結果になる。
「はい、私同伴であればみなさん入ることができます。いつもお菓子やおもてなしの料理を目的に来るのですが、伝書で指名されていなくても行きたがるんですよね。今回は気分じゃなかったみたいですが」
ルミアの考えることはわからないからな。そうメルストは言いつつ、ふと異様な気配を漂わせているフェミルを見る。
「フェミル大丈夫か。入ったときからめっちゃ震えてるけど。汗やべぇぞ」
「わ、わたし……知らない人に会うの、むり……帰りたい……」
「コミュ障か」
正装として戦乙女の鎧を着ている彼女は、ヘルムを無理矢理に深くかぶり、縮こまっている。出かける時からずっとこの調子だ。トラウマもあるが、家に長いこと居過ぎたのもあるだろう。
「とりあえず落ち着きましょうか。ほら喘息せずに、ゆっくり深呼吸。はい、ひっひっふー」
「ひっひっふー……ひっひっふー……」
「先生、それ深呼吸ちゃう。ラマーズ法や」
もてなされたワッフルに近い焼き菓子を食べつつ、「せっかくだしな」とメルストは話題を振る。エリシアの父親――国王についてだ。
ラザード・オル・クレイシス王。64歳。
大体の国は家系で王族が決まるが、ラザードは異例であり、かつては田舎に住んでいた貧相な村人だったという。しかし幼いころから武勇の才に優れ、一国の軍隊として入隊後、さまざまな戦歴を残し名を上げ始めた。
そのときに先代国王より魔王を討伐する特例の精鋭こと"三雄"のひとり――"勇者"として選ばれたらしい。
二度目の"世界大戦"より当時魔王だった"ヘルゼウス"を見事討伐した。その後、先代国王は原因不明の病により死亡したが、国民と大臣らの選定により国王に即位し在位46年。僻地開拓や未発達国の援助など、王として政情を安定させており、民の声に不満はないという。
だが年老いても実力は衰えず、40代のとき次代魔王の企みを暴いては処刑まで追い込んだという。
(名ばかりの君主とは違って、実力と人間性を兼ねて王に値する英雄だとは)
父のことを話すエリシアはひとりの娘として誇らしい表情をしていた。
また、エリシアの母カミーラのことも彼女は口にしたが、物心ついたときにはこの世を去っており、自分と面影が似ている心優しい女性だったと寂しそうに語る。触れあい、愛された思い出もわずかしか覚えていない。曰く、元々体が弱かったようで、いつ命を落としてもおかしくはなかったようだ。
「にしても魔王を二人も倒すって、エリシアさんのお父さん相当強いんだな」
「けど……ひとりは"ヴェノス"、だったはず」
大分落ち着いていたフェミルの補足。メルストはその名をオウム返しをする。
「ヴェノス?」
「64代目魔王"ヴェノス・メルクリウス"のことですね。歴代魔王の中で最弱だと揶揄されていた、魔王ヘルゼウスの息子です。その親子を、お父様は討ちました」
「へー。けど最弱って……魔王なのに?」
「魔法が使えなかったらしいのです。魔力に長けた種族でそれは異例中の異例でした」
少し可哀想だな、とその魔王の立場になって同情する。周囲がどう思っていたかはわからないが、きっと劣等感で押し潰されそうだったに違いない。
それでも王として国を支えるだけの力はあったのか、とその者の器量がどれほどかうかがえる。人望が厚かったのだろうかと思ったとき。
「……性格も、力同様に、底辺。王のくせに、今の魔王に、責任押し付けて……国を捨てた。ある意味……有名な、人」
ぽつりぽつりと小さな声で、棘のある言葉をフェミルは吐く。それを聞いたメルストは、さすがに同情する気も失せた。
亡命中に捕まったのだとしたら、救いようのない話だ。ラザード王とはまるで正反対だとメルストは思う。
「その方は逮捕されて然るべき場所で処刑されました。支配を求めたヘルゼウス魔王と異なり、この世界の崩壊を望んでいたとお父様より聞いております。なぜそのようなことをされたのか理解に苦しみますが」とエリシアもフォローしにくそうな表情。
うなずいたところで、ふとメルストは気付く。
「国王が60代ってことは、エリシアさん生まれたときは――」
このとき、メルストは口を噤んだ。エリシアの唇に自身の人差し指を当てたためだ。
「大賢者になりますと、女神様より不老の体質を授かるのです。他の大賢者様と比べれば、まだ月日は浅いですけれど」
秘密ですよ、といたずらした子どものように小さく笑う。その挙動が可愛らしい。
ノックの音。メルストとフェミルがシンクロしてびくりと身体を震わす。同時に「失礼します」の声と共にドアを見た。
入室した、夜のような藍髪の初老。冠を戴き、天鵞絨と目される豪奢なマントを羽織る。その威厳ある立ち振る舞いは、まさに王の名を冠する者にしか有さない品格を纏っていた。
席からすぐに立ち、跪くフェミル。それに倣い、メルストも見様見真似するが、「あぁ、何もそこまで畏まることはない」とすぐに立たされる。
「おかえり、エリシア。今回もご苦労だった」
「いえ、私たちは……その、散らかしたようなことをしてしまっただけです」
苦い顔をする娘に、王は緩んだ表情をしたままだ。
「はは、後の処理ぐらいどうってことはない。もっと誇らしくしていなさい、エリシアよ」
(……すげぇ)
さすが、魔王を討ち倒し、英雄と謳われた勇者。彼はそう感心してしまう。老境の域でありながらも、その姿は力強く、覇王の風格を纏っている。
英雄として世界を救っただけの語らぬ気迫が、素人のメルストでも感じ取れた。
(いや、それ以上に……なんだ、この戦慄は)
「君が、ヴィスペル大陸にいた少年か」
彼の視線に気がついたのか、ラザード王は目を向ける。先程のエリシアに向けていたやさしい眼差しのそれとは異なっていた。
「メルスト・ヘルメスと申します」
深く頭を下げる。緊張してこれ以上何言えばいいかわからない。王族と話すことなど、彼は経験したはずもなく、せいぜいぎこちない敬語を話せる程度だった。
「その顔を見せてくれるか」
カタカタとカラクリ人形のように、歯切れ悪くゆっくり頭を上げる。
その顔を見るたび、気のせいじゃないと思えてくる。王の威厳を過剰に察知しているだけで、怖気づいてるだけなのか。原因は定かではない。
「……不思議だ」
心臓が突き刺さったようにびくりとする。ラザード王へゆっくりと目を向けた。
「君とは以前、どこかで会ったような懐かしさが、いや、身に覚えがあると言った方がしっくりくる。前に関わったことあったかね?」
「い、いえ……私の記憶の中では覚えがございません」
全く身に覚えのないことだった。ふと、この身体が自分そのものでなかったことに気が付く。
(収容所で死んでいたこの囚人の身体と、関係があったりとか……?)
だとしたら、少しまずい。他人事だが自分のことだ。
嫌な汗を一筋。
次にくる言葉がなんなのか。心臓が張り裂けそうだった。
「そうか……はっはっは、どうやら私の勘違いだったようだ。すまないな」
ふたりの間の強張った空気がなくなる。王の笑いと同時、メルストの締まり切った筋肉が一気に緩む。
「国王様もとうとうボケてしまいましたか。まぁ60も過ぎれば頭のネジのひとつやふたつ緩んでも仕方ないですよ」
「君の正直さをぶち抜いた露骨さには毎度驚かされてばかりだよカーター君」
「よかったじゃないですか、老いた脳に刺激を与えることはいいことです」
唐突な近侍の王いじりに、大丈夫かと彼の冒涜罪疑惑言動を見届ける。絶対王政かと思っていた彼にとっては信じがたい光景だ。真顔で言っているのもなかなかに図太い。
ともあれ、免れられたようだ。疑い深い人でなくて助かった、と肩の荷を下ろす。
「カーターさん、もうその辺に」苦笑しながら、エリシアは話を割く。周りの慣れた対応に、日常茶飯事なのだろうとメルストは察する。元々友好関係だったとしか考えられない。
「失礼いたしました」とカーターは閉口する。エリシアに対しては素直に従った。
ごほん、と改めてラザード王は口を開く。
「ともあれ、収容所の調査で娘を救ってくれたことと、奴隷救出の件。君には深く感謝している。ありがとう」
「い、いえ、大変恐縮です」と緊張のあまり敬語もままならずしどろもどろ。「君への礼は後で渡そう」と告げ、フェミルを見た。
「それで、その者が精霊族の……?」
ビクゥ! とフェミルが震えたようにも見えたが、それを誤魔化すように再び跪いた。
「シェイミン国女王護衛、風の師団に務める、フェミル・ネフィアと申します。お、お初に、お目にかかります、ラザード国王陛下。わた、わたしのような異人種をお救いくださった、ご寛大なエリシア大賢者さま、には、たっ、たいへん、感謝を……」
「顔を上げるが良い。そちらの礼儀は十分に伝わった。……無理に来させてしまったようで申し訳ない」
こちらにまで伝わってくる緊張。逆に王が気遣う始末だ。
「いぅ、いえ、そのようなことは……」
言動以上に震えている体。女王護衛騎士だったんだよな? とメルストは彼女のこれまでを知りたくなる。
「本音を言っても一向に構いません。王は寛大なお方であられます故、そのメンタルは鉄壁を誇ります」とまたもカーターの発言。
「それ君が言うことではない気がするが」
「じゃあ、俺から言おうか?」
会話の外から飛び込んできた、微かに枯れた壮年の太い声。
「おお、ロダンか。丁度良いところに」
メルスト達に歩み寄ってきた、模様が刺繍されたマントを羽織る重装歩兵。ラザードも年齢にしては相当だが、そのロダンと呼ばれた初老の筋骨隆々な肉体は、重装の威圧感放つ重たげな白銀の鎧を軽々と着こなす。老躯とはいえぬ、歴戦の戦士を思わせた。
「アーシャ十字団がここに来ていると使用人から聞いてな、すれ違いにならなくて良かった」
「ロダンさん……っ、お久しぶりです!」
より明るみを増したエリシアの表情。ラザードの視線から外れたと見たフェミルはメルストの後ろに下がり始める。
「エリシア王女、こちらこそこうして久しく会えたことを光栄に存ずる。こちらのふたりを十字団に住まわせているようだな」
(あの人が"三雄"のロダン団長……)
以前、その名を聞いていたメルストは、その顔をしかと目に焼き付けた。銀に等しい褪せた金色の口髭と顎鬚をたくわえ、友人のラザードと同じ三雄として、風格も未だ衰えていない。
「ロダン・ハイルディンだ。会うのが遅くなってすまなかった」
※R2.4.13修正:またの手違いでかなりの年齢変更となります。
・ラザード・O・クレイシス…55歳⇒64歳
・ロダン・ハイルディン…56歳⇒65歳
・シーザー・F・ベルトルト…57歳⇒66歳
【追記】補足程度ですので読まなくてもさほど支障ありません。
・魔物=魔法生物=ファーディ:この世界の一般的な動植物の総称。尚、微生物(真菌、細菌、ウイルス等)は明確に確認されていないが、「妖蟲」・「精蟲」という名前で、一部の錬金術師・学者の間で小さな生き物の存在を提唱している声もある。が、それらは一般市民的にはマイナーな用語。
・妖精霊=エレミン:自然の力や地脈エネルギー、魔法現象を引き起こす不思議な「力」そのもの。形はいろとりどりであり、様々な形で万物に宿るものから、独立して何かしらの形を成すものもいる。フェアリー種やエルフ種などの精霊族の先祖だと云われる。
どこかの話で妖精霊と上記の妖蟲・精蟲と混同している箇所があった気がします。混乱させてしまいましたら申し訳ありません。
・三雄:数十年前、魔王ヘルゼウスを討ち取ったアコード王国3英雄のこと。元勇者の国王「ラザード・オル・クレイシス」、軍王兼アーシャ十字団団長「ロダン・ハイルディン」、法皇「シーザー・フラシス・ベルトルト」が該当する。




