幕間.5人の変わり者と流星群の夜
2章11、12の間の話。番外編です。
前世の単語がでてきますが、今回は目を瞑ってくださると幸いです
「エリシアさん、やべぇ」
キッチン前のダイニングテーブルに顎をぐりぐり乗せる黒髪の少年は、対面に座っている"蒼炎の大賢者"に話を持ち掛けた。
その大賢者は薄いフレームの読書用眼鏡を着けたまま、無数の文字から少年の目へと視線を移す。
「話は結論から言った方がわかりやすいと聞きますが、これはこれで逆にわかりづらいですね。ちゃんと、いつ・どこで・誰が――」
「いや説明の評価が欲しいんじゃなくて。相談。フェミルが全然話してくれない」
「あー……まぁ、それは仕方ないことかと」
奴隷解放で特別に引き取った、精霊族のハイエルフ種。日に重ねるセラピーにおいてだいぶ回復しているのは確かだが、やはり自分を奴隷として嬲られた故だろう。
人間にトラウマを抱いているか、はたまた彼女の人間性に問題があるのか。あるいは両方かもしれない。何を話してもほとんど言葉を発してくれないことに、メルストは頭を抱えていた。
「トラウマもあるんだろうけど、どうも人が苦手みたいなんだよなー。こっちも気まずくなるっていうか。ルミアの積極性がうらやましいよ」
「ルミアのコミュニケーション力の高さはチョベリグ山脈級ですからね」
「……そんな名前の山あんの?」
「ええ、アコード王国で最も高いとされている山脈です。頂上にたどり着けた人は史上で一人だけという伝説がありますよ」
冗談かと笑おうとしたメルストの表情が、時が止まったように固まる。彼女のいうことは嘘偽りのない純白そのものと言ってもいい。
異世界はやはり前世の地球とは違う。しかし偶然にも変なところで繋がっているなと彼は思う。
「それはまぁ、うん、超ベリーグッドな偉人だね」
「はい! すごいですよね、山を一つ越えられる方は本当に尊敬します!」
(あ、自然にスルーされた。気づいてないなコレ)
一人勝手に穴に入りたい気分に浸る。しかしそこがエリシアらしいと、メルストはまたも魅力を感じるのであった。
「エリシアさんって体力ないもんね。あそこの砂漠でもそうだったけど……ってそんな話じゃなかった。どうすればフェミルと仲良くなれるかな」
「んー、やっぱりルミアやジェイクみたいに進んでお話することぐらいしか……」
「エリシアさんに関しては、仲がいい以上に尊敬だもんね。まぁ大賢者という称号があるのが大きいんだろうけど。んー……」
テーブルに頭を押し付け考え込む。メガネを取ったエリシアは微笑み、優しい声で呼びかけた。
「メルストさん、そんな無理に考えなくても大丈夫ですよ。あの娘は私たちの心をちゃんと汲み取ってくれています。仲良くなりたい気持ちは伝わってますよ」
動植物や自然の声を聴けると云われる精霊族は、人の感情を読み取ることにも敏感だ。不器用でも、メルストらの友好的な"声"には、とうに気が付いているだろう。
頭を上げたメルストは、
「……そうか。それもそうだよな」
と小さく呟き、椅子から立ち上がった。
「ありがとう。気持ちがすっきりした」
「それならよかったです」
「まぁ、俺は俺なりに接してみるよ。気長にね」
あ、メルストさん、とエリシアは呼び止める。
「ちなみにですが、フェミルは森や花が好きらしいです。あと、食べることも」
「ああ……意外とたくさん食べるよね。でも自然物が好きなのかー。ありがとう、話題が増えた」
フェミルが療養されている、エリシアの個室前。
なんだかデジャヴを感じていたメルストだったが、今回は中から声が聞こえてきた。ルミアの程よい甲高い声ではない。ハスキーだが不良と思わせる男の低い声だ。
ドアが開いてなくとも、耳を近づけたメルストは察した。ジェイクだ。
(こいついつ帰ってきてたの!? あっ、窓からか! ロミオとジュリエットっぽい感じで窓から入るロマンチスト的なノリでやったんだろうけど、おまえがやると強盗になるから! 警察沙汰になるから! ここ自宅だけど!)
そういうメルストもその悲劇ともいえる某名作についてあまり展開を知らない。
ドアに指を突き立て、音が鳴らないように物質分解能力を指先に集中。ごめん後で直すから、とエリシアに対し心の中で謝った上、小さな穴を木のドアに空けたメルストはそこから覗いてみた。
ベッドの傍の丸椅子にジェイクが座り、談笑……否、ジェイクから一方的に話し続けている。対するフェミルは無表情で彼の話を聞いていただけ。黒一色に光が点々と散りばめられていた窓はやはり空いていた。
(やっぱりアプローチか。……いや、世間話か? なんだよ、案外普通の話――)
だと思っていた。
「プレーリードッグってやつはキスしてコミュニケーションを取るんだってよ。俺はフェミルちゃんといろいろ話してぇし、いろんなことを聞きてぇ。だからよ、俺達もキスしてコミュニケーションをはぺ!」
「立派なセクハラじゃ変態野郎! ゲスは地面とキスしてな!」
何の音沙汰もなく天井からルミアが直下で落ちてきた。パワードスーツの骨組みと思わせる機械の腕でジェイクの頭部を床に叩き付けた瞬間を、メルストは見逃さなかった。
(なんで天井から出てきたの!? おまえも同類か!)
しかし特にリアクションをしないフェミル。こいつは大物だとメルストは悟った一方、埋まった頭を抜いたジェイクは、いつものようにルミアに牙を向ける。
「てんめぇ毎度毎度ジャマしやがって! フェミルちゃんの意見は無視かよ!」
「訊かずもがな予想できることよ! フェミルん、こんなゲスのこと嫌なら嫌ってはっきり言っちゃっていいからね!」
「あ……ええと……」
布団にもぐりかけたフェミルに、さらに迫り寄るふたり。気に入るにも程があるだろ、とメルストはフェミルに同情した。
「そんなわけねェだろ! この俺がこんだけ気にかけてんだ、気に入るに決まってんだろ! そぉだろ、フェミルちゃん!」
「いやそれは絶対ない! むしろ私の方が好かれてるし! ね、フェミルん!」
(そろそろ止めた方がいいな)
覗くのをやめ、ドアノブを回したときだった。
「……わたし……メルのほうが、いい」
「「――ファッ!?」」
(……ふぁっ!?)
キィ、と僅かにドアの開く音。その微音にいち早くルミアは気づく。
「――ッ、何奴!」
木の板一枚、裏でカツン、と何か硬いものが当たる音――途端、ドアが散り散りに引き裂かれる。巻き起こった爆風に、メルストは軽々と吹き飛んだ。すぐ後ろの壁に背中を叩きつけられるが、竜の一撃でさえものともしなかった彼の剛体があったからだろう、特別ケガなどはなかった。
「家の中で爆弾投げつけるか普通!? 殺す気か!」
バラバラに散った可燃物と酸素供給源を消去に等しいほどまでに能力で分解、別の気体へと構築させる。瞬く間に爆炎と黒煙が消え去るところに、煤で汚れたメルストが仰天の表情で現れる。
「ふん、噂をすればご本人の登場、か……こいつぁ傑作だな、そうだろジョニー」
「ああ、まったくおめでたい野郎だぜ。こんな修羅場にノコノコ顔を出すなんざ、キルシュトルテよりも甘ぇ野郎だ」
「おまえら仲良いだろ」
「というか、今の話聞いてた?」とルミアは切り替える。
「ああ、まぁ……なんでだろって気持ちでいっぱいだけど。俺なんか全然話せてねぇし」
フェミルを見る。ずっと見つめていたフェミルは目を逸らし、口元を布団で隠しながら、
「……ダメ、かな」
と呟く。「ごっふ!」とショックに加え悶えたあまり吐血するジェイク。190センチもの長躯がビダーンと音を立て倒れた。
「ジェイクが吐血したにゃ!」
(おまえのキャラが分かんなくなってきたよ。……にしても、なぁ)
と、フェミルを改めて見る。そのアーバンクイーンの瞳にたじろいつつ、
「あー……いや、気持ちは、その、嬉しいよ。すごく」
どう反応すればいいかわからない彼は、なるべく都合のいい解釈をしないように浮き立つ心を落ち着けつつ、曖昧に返事をする。よろよろと起き上がったジェイクの顔はやつれていた。
「な、なんでフェミルちゃん……!? そんな地味童貞のことを……」
「いまのふたり……怖かった」
「うぐぅ! 心が痛い!」
ズゴゴン、と挫け、屈服するふたり。四つん這いのポーズはシンクロしている。
「フェミルすげぇ、あのふたりに膝をつかせたぞ」
だが、身体をふるふると震わし、怒る顔で飛び上がったルミアはまるで噴火する火山のようだった。
作業着のツナギの中から火炎放射器と機関銃らしき小さな砲身を腕から展開し、弾丸のチェーンをジャラリと服の外へ垂らした。
「ふんがー! 今日だけメル君を灰にさせちゃる!」
「おい待て何故そうなる。さっきの言葉で胸を痛めてたんじゃなかったのかよ」
「今夜のフェミルんはあたしのもんじゃきー!」
「待て待て待て! 今日お前どうした! 嫉妬か! 大人げなく嫉妬か!」
鉄の壁を創成し、火を纏う無数の弾丸を受け止めている一方で、ジェイクはフェミルの前に身を近づける。その目はなんとも猟奇的で、妖艶だった。
「邪魔が入ったが……まぁいい。どう思っていようが俺には関係ねェ。これからの行動で俺に夢中にさせてやりゃあいいだけだ」
「――"畜神シャンバルの首輪・シルバルス――伏せ"」
「のぼっ!」
「へべっ!」
ふたつの大きな音は、ルミアとジェイクが倒れる音。見えない力で床に押さえつけられているふたりの前にエリシアが立つ。
「テメッ、馬鹿賢者! 何しやがる!」
「う゛に゛ゃーっ! 先生のバカー! なにするだぁー!」
起き上がろうにも、口以外動かすことができないようだ。鉄の大盾を一片残さず分解したメルストは一息つく。
「はぁ、ふたりとも落ち着いてください。少々強引ですよ。フェミルの気持ちも考えてください」
「た、助かった……ありがとうエリシアさん」
「すいません。少し外で取り込んでいまして、遅れてしまいました。フェミルも大丈夫ですか?」
「だ……だいじょうぶ、です。あの、お騒がせ、しました……」
大して怖がってはない様子で、むしろこのような状況にさせてしまったことに申し訳なさを感じていた。その寛容ぶりに、ルミアは感動を覚える。
「こんなときでも自分のせいにするだなんて! 純粋の極み! あたしっ、もう自分が恥ずかしいっ!」
「ホントかよ」
「いいから解放しろ馬鹿賢者! 王女だからって調子乗んなゴラァ! ○○○ぶっこむぞ!」
「パリピでもまだ品があるよ。てか今解き放ったらマジでヤバいだろうな。涙目だけどエリシアさん大丈夫?」
「な、慣れていますので大丈夫です。久々に怒鳴られてびっくりしただけです……」
(かわいいなおい)
潤んだ目を袖で拭い、エリシアは凛とした顔で言い渡す。
「とにかく、しばらくふたりはフェミルと接することを禁止――」
絶望の表情。ルミアは涙目どころか盛大に涙を流し、ジェイクはなにをどうしたらそうできるのか、血の涙をぼたぼた流していた。さすがの大賢者も、これには押されてしまう。
「……にしようかと思いましたが、お話するときは必ず私と同伴で。いいですね、ふたりとも」
「はーい……」
「チッ、クソッタレが」
かけ続けていた鎮静魔法が効いてきたのだろう。冷静になったふたりを見ては、束縛魔法を解除する。
(先生も大変だなぁ……)
二匹の獣を飼っているようだと、メルストはこれまでの生活の壮絶さを想像していた。きっと毎日が戦争だったに違いない。
高等技術の巻き戻し魔法で部屋を修復している最中、メルストは窓から見える夜空を覗く。
「おお、流星群」
七色の星々が真っ黒な空を横切る。無数のそれは煌めく川の如く流星の軌跡を残し、闇夜を照らしていた。
「あっ、そうでした! せっかく星占いしたのに忘れてました!」
「忘れてたって、流星群のこと?」とルミア。占星術にも優れた才をもつエリシアは今日この日、流星群が来ることを予測し、ルマーノの町や王都に伝えていた。両手の指先をそっと添えてはハッとするエリシアはそのまま首をルミアらへ向ける。
「ええ、それで先程バルクさんから十字団にお誘いが来たんです。定期的な星降り祭です」
「流星群だぁ?」とジェイクも窓の外を見眺める。遮蔽物など一切ない夜空は、深海の底でも覗いているかのようだ。
「じゃあ今すぐ酒場に行かないと! お酒が! 食べ物が!」
「……っ、食べ物……!」
見た目に反し、食欲旺盛なフェミル。だが、人嫌いの彼女を町に連れていくことに、エリシアは躊躇う。
「あ、でもフェミルは……」
「だいぶ回復してんだからいいだろ。人ぐらい関わらねぇ限り慣れるもんでもねェ」
「精神の疾患に最も縁がないジェイクにはわかんないだろうね。また悪化するよ」
「ですが、せっかくの流星群ですし……」
「それなら、俺達5人で宴をしようよ。家の裏の庭からでも星は見えるし、フェミルも外の空気を吸いたいだろうし。ねっ」
ニッとメルストは笑う。安心させる表情に、フェミルは戸惑うも、こくりと応じた。これまでよりも元気がある、そう感じたうなずきだった。
この世界の夜空は、メルストの知っている、濁った雲がかき混ぜられたような黒ではない。メルストの馴染み深いもので例えるなら、プラネタリウム。否、それ以上のものだろう。
宝石が埋められた深淵の中の鉱脈でもなければ、月夜に照らされる海でもない。無に広がる蒼白な光と、総てを呑み込む闇が調和を為すそれは、どの芸術にも喩えようのない、終着の無い原始の世界。
きれいだとは思う。壮大にして無限の世界は、一瞬だけ自分が消えてしまうほど。
それでも、空を見上げる度にメルストは前世の記憶がよみがえる。この夜空が、唯一自分自身を――魂を前世と繋ぎ止めてくれている。彼はそんな気がしていた。
「いつものことすぎて気づかなかったけど、意外と綺麗なもんだね」
そう異世界人は満天の星空を見上げる。庭に集まった彼らは、双眸に映る煌めきと闇を、それぞれの価値観で受け止めている。
「そうですね……慣れてしまうと、色褪せてしまうものなんですね」
「俺は毎日きれいだと思ってた」
「あ、そういう口説き? んー、29点」
「思ったよりあった」
「そのほっとした顔にびっくりしたよ。そこはショック受けるとこでしょ」
意外な反応に、ルミアは驚きあきれる。
「メルストさんって、ちょっぴり変わってますものね」
くすりとエリシアは微笑む。涼しげな夜風に蒼い髪が揺らいだ。きっと褒め言葉だろうとメルストは照れるように微笑んだ。
「馬鹿賢者も似たようなもんだぞ」とジェイク。
「そういうアンタもね」とルミア。
「いやテメェが一番おかしい」
「人間辞めてるゲスに言われても説得力ないわよ」
「……みんな、変ってこと?」
首を傾げたフェミルは、メルストに訊いた。
「まぁ……あっはは、そういうことだな」
「それじゃ……私も、変になる」
それがどういうことだったのか、呆気にとられたメルスト達。しかしその意味がわかったのはすぐ後のことで、メルストは笑った。
「大丈夫。フェミルはもう、俺たちの仲間だから」
「それ新米が言うセリフじゃないよねってあたしは思ったり」
肩を組まれ、顔の横でルミアが茶化す。確かに、とメルストは思ったが「別にいいだろ」と口を尖らした。
「ロダンさんもここにいればよかったのですけれど」
「つーか誰か酒の用意してこいよ。なに全員で外に出てんだよ」とジェイクは不満を垂れつつ、いつのまにか大量の酒瓶を持ち込んでいる。
「あ、そうでした。お食事の用意をしないと」と両手を合わせるエリシア。
「先生先生、酒場からある程度くすねる?」
「いやダメだろそれは」とメルストは制止。「あ、エリシアさんの魔法なら一瞬でここにディナーとか……」
「あの、魔法にも限度がありますので」
「じゃあ料理や食器の運搬ぐらいはふわふわと――」
「メルストさん。魔法は怠惰を促すものではありません」と言ったエリシアに対し、自分の思う魔法となんか違うよなと、メルストは首を傾げつつ頭を掻いた。
「あの、わたしは、なにを……?」
「よかったら手伝う? すこししんどいなら料理ができるまでちょっと待ってて」
「ううん……みんなの、役に……立ちたい」
積極的な彼女に、メルストは嬉しい気持ちで胸を満たす。「それじゃあ」とさっそくフェミルに簡単なことをお願いした。
静の夜空に流れる"動"の幽玄。
魔法の仄かな光を纏い、漂う妖精。
幻想美に囲まれる中に熱く照らす炎。静かに、しかし騒がしく。楽し気に奏でる小さな宴は、周りに小さな客を招く。
いつの間にか、さまざまな魔法生物や妖精が5人の周りへと集まる。受け入れた5人は、さらに宴を盛り上げていった。
闇に降る星々の下。精霊族の少女の闇夜の心に、小さく輝く星が生まれた。




