2-3-3.竜殺しの錬金術師
全身が蒼い色の鋼鱗で覆われた2翼4足の西洋竜。巨体にして引き締まった筋肉は、人間の腕力を凌駕するだろう。鋼鉄の鞭の如き鋭利な尾を床に打ち付ける。
「あいつらが自慢げに言うには、対騎士団用に飼い馴らしたんだとよ。完全に勝った気でいやがる」と舌打ちしたジェイクだが、その腕には4本の爪痕が刻まれていた。あのドラゴンのものだろう。
「皆さん落ち着いて! ルミア、ジェイク、なんとかできますか?」
魔法でジェイクの傷を癒しつつ、ふたりに問う。
「報酬次第だな。イイ女用意しておけ」
「天才に不可能はないね。どっちの火力が強いか、勝負しようじゃないの!」
(おまえらマジか……)
移動し、スプリングの付いた筒の中のグリップを引いては、ガドリングガンの腕を紅魔竜に向けた。先程の火力なら少なくとも対等に渡り合えるかもしれない。そう思ったメルストだった。
――が。
「……にゃっ!? 不発?」
ガキン、と金属がつっかえた音にバチンと放電音。そしてバキンと金属の接続部が壊れた音。ルミアの歩行兵器がガタガタとバランスを崩し始める。その音に気づいた紅魔竜は炎気を漏らす大口をそちらへ向けた。
(そりゃあ、あれだけ暴れるように撃ちまくったら弾詰まりだって起きるだろうよ)
「やっば、弾詰まった! そそそ操作がオワタ!」
お手上げのポーズをし、まさにオワタの顔文字を体現した一方、ジェイクは紅魔竜の方へと駆けだした。
「おいキチ猫、そのガラクタ壊れたんならよこせ」
「ガラクタ呼ばわりしないでよ。これはね――きゃああっ!?」
横に片手を伸ばし、何もない空を握ったジェイク。片手でロープを引っ張る動作と同時に、ルミアの搭乗していた歩行兵器が軋みを上げながら地を離れ、強い海流に巻き込まれるように宙へ飛ぶ。それが偶然にも放たれた炎を躱していた。
その浮く様はまるで、空気分子が高密度化し、目に見えない固体と化した巨大な手に掴まれているような。
「あれって、テレキネシス……!?」と思わずメルストは言葉を零す。
「"四空掌握・一本投げ"――!」
投擲。歩行兵器はジェイクが引っ張り投げた虚無と間接的に連動し、豪速で紅魔竜へ激突する。ぐわしゃんと潰れた蒸気兵器は衝撃で派手に爆発を巻き起こした。
投げられる途中で弾かれたのか、床に転がったルミアはその爆発を見て頭を抱え込む。
「あぁああぁああ何やってんのよ! あれ力作なのに新作なのに修理できたのに! 完っ全オシャカじゃん!」
「あ? 助けておいて礼の一つもねぇのか」
「明らか道連れさせる気だったよね!? って効いてないみたいだけど……そんなに紅魔竜ってゴツかったっけ」
今のでも軽傷程度。唸り声をあげ、仰け反ったはいいも、それ以上はなかった。
しかし怒りを買ってしまった。藍色だった体色は業火のように紅く染まり、発散している熱気は後方の景色を揺るがす。
これが紅魔と呼ばれる所以か、とメルストは一歩身を退いた。
「"降り注ぐ天地の重ね・アトラクションプレス"!」
ズドン、と紅魔竜が見えない何かに押し潰されるように地面に穿たれる。地面は罅割れ、めり込む紅魔竜はもがくがそれもつかの間。全身の筋肉を隆起させ、無理矢理に超重力エリアから這い出てきた。
「重力を押し切った――!?」
怒りの矛先はジェイクとルミアのふたり。追い打ちを仕掛けようとしていたジェイクを尾で打ち払い、ルミアの方へと口を開けた。
「あ、ヤバくねこれ」
迫りくる、ガス器官と肺器官の空気が混ざった高温の青い炎。紅い光を発する固体の微粒子がほとんどない故の澄んだ青が彼女を喰らう。
「――ッ」
危ない、という暇もなく。口よりも身体が動いた。
ルミアの身体を抱きかかえ、青淡の火炎を間一髪で避ける。共に床に倒れ込んだ。
「危なかった……」
「め、メル君……っ?」
なんでといわんばかりに。それもそのはず、ふたりの間には数十mの距離があった。にもかかわらず、一瞬でその距離を消滅させたのだ。
(脚力だけで――? いや、一歩だけしか動いてないぞ)
気づけば彼の身体には見覚えのあるプラズマがまとっていた。何かの能力を発動したのか。そのぐらいしか今の彼には理解できない。
「あ、いや……っ、急にごめん。とにかく、無事ならそれでよかった」
口下手な彼はただ思ったことを口にして、唖然としていたルミアから咄嗟に離れる。ルミアも考えるのをやめ、紅魔竜に集中する。
「……なんとかしないとな」
「こりゃ一筋縄じゃいかないだろうねー。竜なんて狩るの久々だし骨が折れるにゃ」
参ったなと言わんばかりのルミア。その一方でメルストは今の行為に、未だに驚愕していた。
砂漠のときといい、酒場のときといい、ただの人間とはかけ離れた能力を持っていることは明らか。
もしかしたらと、忘れかけていた中二心が躍り出す。
たとえ様々な神話や創作系で最強と謳われた竜だとしても、この手で倒せるのではないか。
百の兵や要塞すら蹂躙するような竜に対し、剣一つしか携えてないメルストに愚勇ともいえる勝機を抱いていたのは、普通の人にはない特別な能力への過信をしていたためだろう。
「ごめん、少し験させてほしい」
「えっ、ちょっとメル君?」
「メルストさん! 危ないです!」
そんなことはわかりきっている。メルストは怖気づく心を抑え、勝てるイメージを集中して一歩一歩前へ進んでいた。その姿は、悠々と竜に接しようとする勇士に見えたことだろう。
「痛ってぇ畜生……あ? あいつなんかする気か?」
壊れた檻や資材の中から這い出てきた重傷のジェイクも、メルストの行動に首を傾げる。
「馬鹿め、内臓ごと焼かれても知らんぞ。――やれ!」
余裕の笑みを見せる作業員たちの指示に従い、咆哮を上げてはメルストの眼前に炎を吐き出す。
鋼鉄をも溶かす混合火炎。しかし突然、その青淡の炎は消え去る。
「よし……成功」
誰にも聞こえない声で、そうメルストは口にした。
「嘘だろ……!? どうして消えた――!」
「やっぱり、メルストさん只者じゃない……。何もしてないのに紅魔竜が苦しんでる」
彼のイメージに浮き出てきたものは『二酸化窒素』。大気中の酸素と窒素を物質構築能力で結合させたのである。香気と甘味がメルストの鼻腔を通る。収容所にいたときは窒息しかけたが、いまは物質分解能力によって体内の影響を極限まで低減している。
全身麻酔作用がある化合物だが、この巨体な竜の周囲すべての酸素を二酸化窒素へと化合したところで麻痺することはおろか、低酸素状態による失神などは期待できない。だが、窒息で苦しんではいるようだ。
苦しみの根源――目の前のメルストを八つ当たり気味に剛腕で叩きつける。その俊敏さにメルストはびっくりして足の力が抜け、思わず左腕で防いだ。
……叩き潰されることもなく、左腕で受け止めたのだ。
「――ッ、腕熱っつ!」
すると、手に触れた紅魔竜の熱い右腕が、紙に染み込む水のように瞬く間に氷結し始める。自分の腕も凍ると思ったのか、パッと手を離した。
(いや――俺の腕から氷結してんのかこれ)
薄く氷結していた腕を見つめては一瞬唖然し、正面へと視点を変える。竜の右半身と地面は既に凍り付いており、動こうにも動けない状態にあった。
分子運動を小さくさせ、触れた温度を極度に下げたのだろう。メルストは分子運動が激しくなる様をイメージし、表面が氷結した左腕を溶かす。
「氷魔法――? 馬鹿な、紅魔竜にそれは効かないはず」
次々と常識が通用しない未知の力を前に混乱する一方で、ジェイクやルミアは驚きつつも感心していた。
「へぇ、おもしれーモン持ってんじゃねぇかあいつ」
「メル君超やるじゃん。魔力とか聖騎士団並じゃない?」
「いえ、それが……彼から一切魔力が感じられません」
「へ? じゃあ何の力で発動してんのよさ」
敵味方問わず、メルストの能力に驚きを隠せない様子。一部聴こえていた本人は、特別悪い気はしなかったとはいえ、この力が特別であることを改めて把握する。まさに神の恩恵だと彼は受け止めた。
(ここからどうするか)
これだけ簡単に分子を組み替えたり分子運動を操作できるなら、それだけの莫大なエネルギーがこの身体の中で生み出されているということだろう。原子を作ることでさえ想像を絶するほどのエネルギーが必要だ。それをメルストは自在に生み出している。
この無限に等しい出力エネルギー。これを直接パワーに変えることはできないだろうか。
爆発的な衝撃として、この腕に集中させることは……。
推定構築。竜を一撃で吹き飛ばせるほどの強力な爆弾をこの拳で作ろうと試みる。
人並み越えたパンチ速度とその重さも考慮せねばと思ったメルストだが、細かい計算ができない彼はこの際なんでもいいと投げ出した。
(あいつだけに与えられるほどのエネルギー……TNT1キロトン分はデカすぎる。100kg――大体9千6百万キロカロリーのエネルギーなら、俺を除く周囲にそこまでの被害は出ないはず)
右腕にて弾けるプラズマは四方八方へと空を走る。溶岩よりも熱い滾りは拳へと集中する。
「全員伏せろ!」
叫んだメルストは一歩、地を踏み出した。
凍った胸部を、エネルギー纏う爆弾と化した拳が突き破り、心臓に達する。エネルギーの放爆はここで起きた。
そこに紅い爆炎や黒い煤の煙は見られない。不可視の爆発。音速で押し寄せる爆風の波紋。熱として変換された波と衝撃波による大気の歪み。そして吹き飛んだ檻と人々が、その爆発の規模を示していた。
目の前を塞いでいた紅魔竜の姿は忽然となく、一直線に拳の先――倉庫を横切ってはオークション会場の裏舞台へと吹き飛んでいた。壁が崩れ、オークション中の舞台に風穴の空いた紅魔竜の巨体が瓦礫と共に崩れ出てくる。
『おおっと!? これは一体何事だァ!?』
司会の音響がメルストの方まで聞こえてくる。そこから連鎖的に巻き起こる貴族たちのの阿鼻叫喚。会場は瞬く間にパニックに陥った。
「きゃぁあああっ! ドラゴンよ!」
「死んでるぞ!」
「うわぁあああ逃げろォ!」
「私が先よ! いくらでも払うから私を先に逃がしなさいよ!」
「おいどくんだ貴様! 私を誰だと思ってる! リーデット男爵だぞ!」
混乱が混乱を引き起こす争いの一方で、メルストは唖然としていた。
「……うっそだろ」
想像以上。焦げた煙を纏った高熱の拳を払い、振り返る。そこにいたルミアとジェイクは感心の笑みを浮かべており、またエリシアはじめ、まだ魔法陣の中へ入っていない奴隷は唖然としていた。
そして、職員の残党も。
「紅魔竜が……え?」
「強化魔法……いや、なんだ今の魔法……!」
「あいつは何者だ! なぜ無詠唱でそれだけのことができる!」
そういえば自分だけ呪文のような言葉を発さずに力を発揮していることに気がつく。
なぜだろう、と思い出てきた言葉が、
「言うのが恥ずかしいから、かな」
我だと言わんばかりに逃げようと混乱の渦を巻く貴族たち。もはや醜い争いがそこで起きていたとき、芯の通ったひとつの声が、魔弾が炸裂する音の後に響き渡る。
「第九騎士団だ! ここはすべて包囲した! 職員と貴族全員は今すぐ降伏しろ!」
紋様が刻まれたブルーサファイア色の鎧甲集団。国の印が織られた外套をはためかせ、その場の騒動を制圧させる。
騎士団のひとりが剣を掲げ、魔光を天井へ打ち上げる。騎士団登場の知らせだろう、それをエリシアたちは視認し、安堵のため息をついた。
「え、なんだ?」とメルストは突然の事態に戸惑う。
「やっと騎士団がきたみたいだな。来るの遅ぇよ」
「それじゃー撤退! メル君のおもしろい技も見れたことだし、さっさと帰ろー!」
「え、帰るの?」
この残骸に等しい戦地の後のような巨大倉庫を見渡す。相手の戦力もほぼ削り、幸いここの奴隷も全員救えたが、このまま帰っていいのかと何かと複雑な気持ちになるメルストだった。
「いや、あたしらはあくまでサポート側で裏方だし。メインは騎士団だし」
「後始末が面倒なだけでしょう」とエリシアは呆れる。
「当たり前だ。報酬以上のことはしねーよ。仕事に文句言わねぇだけありがたいと思え」
「ここまで好き放題できる仕事も他じゃ無いしねー」
というかここに残ったところで何かできるわけでもないでしょ、とルミアは蒸気兵器の残骸を集め始める。
(まぁ、終わったんだよな。なんとかなった……んだよな)
ふぅ、と一息つく。奴隷たちの歓喜と感謝の声を背に、ペタンと力が抜けたように腰を下ろす。
「おつかれさまです」とエリシアの一言に、返事しては小さく笑った。