5-3-7.あなたにとっての錬金術とは
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豪奢までいかなくとも雅なドレスはアマリリスの如く。情熱や闘志の色にそぐわない、シャープな輪郭や切れ長の釣り目、筋の通った高い鼻……まさしく美女だといえよう。真紅の口紅で潤った口唇と新雪のようなきめ細かな白い肌、強調された胸とくびれた腰は男の視線を奪うには十分だった。ミルキーブロンドの髪を三つ編みにして頭に巻き付けた髪型は、一部の国の貴族では流行しているそれだ。
ふんわりとした、かつ奥行きがあるローズマリーの甘い香りを、メルストは能力"組成鑑定"によってゲラニオール等アルコール類を筆頭に、ローズオキシドやβダマセノンはじめとする数多の微量成分として認識してしまう。
「カテリーナ先生。先日はどうも」
快く迎え入れたラーゼスはじめ、お互い挨拶を交わしたところで、カテリーナと呼ばれた女性はドレスの裾を持った。
「ブバルディア国・メディチ大学府のティアロ・カテリーナですわ。専門はクオリア活性や生体療養あたりかしら。今はウッドワード法での生体物質錬成の研究と、それを通じた美容健康関連成分の開発に熱を入れていますの」
(またも有名な先生……っ、爵位持ちの貴婦人にして不老の女傑と呼ばれてるんだっけか)
「あとはそうね、そちらのスクラピア嬢とはちょっとした知り合いなの」
一瞥したその目はにたりと意味ありげに笑みを含ませていた。大人のドレスコードをしようとも、メディの姿は女児と同等であるため、その鋭い視線は見下されているようにも感じたことだろう。
だが臆する素振りは一切見せず、白髪を耳にさらっとかき上げ、メディも見上げては飄々と返した。
「元気そうで何よりだわ、カテリーナ婦人。いつにも増してより若々しく見えることだし、研究が進んでいるようで喜ばしい事ね」
「そちらこそ、以前より背が伸びたのではなくて?」
おしとやかだがどこか棘がある会話に、ラーゼスでさえも介入する余地がなさそうに見えた。
「仲良くないのか?」とメルストは耳打ちしてエリシアに尋ねる。
「昔、カテリーナ先生が開発した"若返りの水"の効果に不備があるとメディが指摘したのが事の発端でして」と苦々しく話す。「そこから犬猿の仲に発展したわけか」
因縁の関係というわけか。科学的な指摘は重要で、間違いが通ったまま知られ渡ることは防ぐべきだが、された方は確かにいい思いはしないだろうと両者の立場をメルストは考える。
カテリーナの視線が彼の方へと向けられる。カツン、と自身の存在を誇示するようにヒールの音を鳴らし、
「それより、そちらが噂のヘルメス博士かしら。お若い方とは耳にしていたけれど……確か、二十歳ほどだったかしら」
「ええ、今年で21になります」
(という体にしてるけど)
後ろめたさは感じるが、その意図が読み取られるはずもなく、彼女は朗らかにくすりと笑った。
「その若さで素晴らしいですわ。わたくしのラボの学生達にも見習ってほしいくらい」
「恐れ入ります」
(中身が30代とは恐れ多く言えないよな。だとしてもこの中では一番年下だろうけど)
深く頭を垂れたメルスト。それを境に、おしゃべりなペルチェが口を開いた。
「いやはや、これだけの参加となれば今回のパラケルスス会議は盛況でございましょう! あの蒼炎の大賢者様に加え、今話題のヘルメス博士がいらしているのですから」
「白熱した議論ができよう」とかみしめるようにラーゼスも頷く。
「そんな、恐縮でございます。皆様のご期待に添えた意見を述べさせていただきたいのは山々ですが、専門が異なりますので」
「異なるからこそよエリシア。ラーゼス先生も仰っていたじゃない、この先は学問の複合化が時代を進化させるって」とメディ。
「六大賢者様は偉大なる方々ばかりですが、こうして人の世に降り立って直接耳を傾けてくださることはないので、エリシア様のように親身に寄り添ってくださることはまさに幸甚の極みでございましょう」
カテリーナの言葉に、エリシアも相応の対応を見せる。それを見、メルストは喉が詰まる思いだ。
(息苦しいなぁ……俺もそれ相応の振る舞いをしなきゃいけないのはわかってるんだけど、それだと調子に乗ってるとも思われそうだしな)
クリスはラーゼスの助教兼秘書らしく、そばで会話に耳を傾けつつ、意見を求められればひとりの錬金術師として口を開いている。なんだか置いてけぼりになるような、否、委縮して自分から離れようとしている。しっかりしろ自分、と心の中で鼓舞しては彼らの話にしっかりと耳を傾けた。
「ここにヘルメス博士がいらしてるなら、アウレオール先生もいらしてくださればよろしいのに」とカテリーナはメルストを見る。肉食獣の目の如き力強さを心なしか感じ、狙われているようなと思いつつも尋ねた。
「なにかあるのですか?」
幾度か話題に出ている、ミステム大学府所属の錬丹術の権威。彼の著書や論文には目を通している上、ひとりの錬金術師として深く尊敬はしている。しかしエリシアの初恋の相手として大人気なくわずかに警戒している相手でもある。
ラーゼスがその意味をこたえようと口を開きかけたとき、
「教授、お時間も限られてますので、そろそろ」とクリスが時計を一瞥し、淡々と声をかけた。
「そうだな。皆々、遥々アコードからお越し頂いてさぞお疲れだろう、こちらも早いところご案内せねばな。紅茶のひとつももてなせれば良いのだが、それは今宵の懇親会までとっておくとしよう」
別れを告げ、ある程度の実験講演ホールを見た後、ジャンパーによってその場を後にする。のぞき込めば一階の庭園が小さく見える、最上階の回廊にて、5人は赤い絨毯の上を歩く。
「まだ始まってもないのに多くの錬金術師の方々とご歓談できましたね」
「ある意味、いまは気楽なひと時やもしれんな」
エリシアの満足そうな一言に、ラーゼスも笑って返す。そういや口にしたかもわからんがとメルストに対しつぶやき、
「既にご存知かとは思うが、この国際錬金術会議は約5千の講演者と、その1.5倍に値するショートトークのプレゼンターや紙面発表者、コンパニー所属の錬金術師。そして、ここに来れなかった方々の間接鏡面魔法による遠隔発表。一般聴講者含め、総じて約2万人の若手や優秀な錬金術師が今回の会議に参加している」
「「えっ!」」とメルストとエリシアの声が重なる。「多すぎません!?」
(前世に参加したことのある国際学会の倍は軽く超えてるぞ! ていうか遠隔ってマジかよ! 異世界でもそんなオンライン発表とかできる技術が存在してるのかよ)
「毎回の準備は大変だが、それだけの錬金術師が集まるのは非常に喜ばしいことだよ。それにしても、ヘルメス博士もその若さで王立学会の特別招待講演とは、改めて思えば私やホワイトサイズ会長の若き時を思い出す」
「そ、そうおっしゃってくださり大変光栄極まりないです……」
言葉がおかしくなるくらいにぎくしゃくして返す。無理もない、論文のエディターや論文のラストオーサー、専門書の書籍に出てくるような雲の上の存在が自分の横を歩いていて、尚且つ好印象をもたれているのだから恐れ多いの度を超えている。右手に並ぶ大きな絵画の数々にも目が入らないほど、彼の心にそこまでの余裕はなさそうに見える。
濃い緑の葉が茂るグリーンカーテンが左手で陰りを作る。漏れるやわらかい光が木漏れ日のように見えた。そのときに見た若者の顔色を窺っては、無理もないと言わんばかりに、ラーゼスは一段階明るい声色で、しかし悟らせるような落ち着く声で述べる。
「メルスト君にとって錬金術は何だと思うかね」
え、とメルストは声をこぼす。
「そんなに難しく考えなくてよい。思ったことを言ってくれれば十分だよ」
とはいえ、著名な大先生にそう問われれば答えは慎重になる。全速力で頭をフル回転させ、面接官の質問に角まで追いつめられるような記憶を片鱗に、メルストは「そうですね」と一呼吸おいては、
「人類が生み出した偉大なる技術だと考えております。これまでにないものを物質的に生み出し、文化の根底を支えて、未来の可能性を築き上げていく進化の木だと捉えていますし……魔法や自然の力だけでは限界でも、その天井をちょっとだけ上げる力を錬金術はもっていると、私は信じています」
かつて自分の口から言った、否、信念として心に秘めていることをそのまま述べた。少し綺麗事すぎたかと自身の器の小ささにわずかばかりの後悔と恥を覚えながら、恐る恐るラーゼスの方へと目を向ける。彼の眼は前へ向いたまま、だがどこかしみじみとしていなくもない。
「未来に輝く若者の純粋さは初心を思い出させてくれる。その信じる気持ちをこれからも大切にしていただきたい」
「……っ、ありがとうございます」とかしこまる。
「とりあえず肩の力を抜こうか。気持ちはわかるが堅苦しいぞヘルメス博士。発表もそんなコチコチでは聴衆も緊張してしまうだろう、もっとマイルドに」
「は、はい! 留意いたします」
グリーンカーテンを抜ける。右の角を曲がり、続く豪奢な廊下へと歩を進めた。
「君の考えには私も賛同だ。君の優しさと、故にしなりやすく折れやすい、しかし何度でも上へと伸びようとするしぶとさと芯の強さ。今の言葉からそれらが感じられたよ。あくまで私の直感で悪いが、君の錬金術は不器用であるが、実に挑戦的で、希望にあふれている。そう思うね」
聞いたメルストは頬のゆるみが収まらなかった。ここまで言葉を並べてくれるありがたさと恐れ多さに頭が上がらない。まさか自分がここまでの思いをしてよいのかと疑ってしまうほど。だが、自信を持ってほしいという思い故にこうしてわざわざ力強い言葉を言ってくれたのならば、しっかりと前を向かなければならない。そうメルストは感じた。
「だが、私は錬金術を――」
その一言が、一瞬だけ舞い上がったメルストの心を引き留めたことだろう。
「悪魔が生み出した産物だと思う」
一段と重く感じる声。気のせいだったと思いたいほど、教授の呟くようなそれは、エリシアやメディも思わず一瞥したほどだ。
それにどういう意味を含ませているのか。また先ほどのような理解に苦しむ比喩の例なのか。そう聞こうとしたとき、
「さて、着いたぞ」
正面には両扉。まるでコンサート会場の入り口ような重々しさと華やかさを前に先ほどの疑問は片隅に追いやられた。
くすんだ金色を帯びた正方形のドアノブに手を当て、ゆっくりと押す。開かれた先は見据えるほどのホール会場。まるでオーケストラの公演でもするかのような広さは開放感と同時、重々しい高貴さが顔面からぶつかってくる。思わず立ち止まってしまったが、すぐにラーゼスの後に続き、階段を下る。
上がった幕の先――光照らされる最奥の壇上と、その背後の壁に大きく掲げられた十字架。神聖な場所なのだとメルストでもわかった。
「特別講演会場。ここで、君の研究が公に発表される」
「ここが……」
登壇の許可を得、ラーゼスに続き一段ずつかみしめるように階段を上り、振り返る。
薄暗くも感じる、扇状に広がる数多の席、コンサート会場とはやや異なるにしろ、偉大な功績を残した人が講演する場だと直感的に思う。それをまさか自分がするなんて……。
登壇せず、下で見守るエリシアらと目が合う。大丈夫。そう言わんばかりにエリシアは微笑んだ。
「楽しみにしているよ。私も、君を招待講演に推薦したアウレオール先生もね」
右にいるラーゼスへと顔を向け、その力強さを確かに受け取った。再び正面に広がるホールへと目を向ける。もう圧倒されることはない。
瞳を閉じ、大きく息を吸った。
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近いうちに次回も投稿する予定です。それが済みましたら10月まで休止いたします。
次回(仮)「世界の中心にスポットライトを」




