5-3-2.恩師
「ちなみにパーティは毎日あるのー?」
「あるぞ。さすがは世界最大級の学会といったとこか」
「……うっ」
黙々と食べていたフェミルが喉を詰まらせたように手を止める。皿5枚分、ルミアの背ほどあった山盛りの料理が、さきほどの半分になっていた。
「まぁフェミルには酷だろうが」と付け足した。
「それでも、お食事は楽しんでいただけたらいいですね。おいしいのはもちろん、バイキング形式だと王立学会のお知り合いからお聞きしましたし」
ぴく、とエルフ特有の鋭い耳が動く。咀嚼し飲み込んだ彼女は、小さくも鈴のように清涼な声で呟く。
「行けば精神の試練、行かなければ飢餓の試練……究極の、選択」
「そこまで身構えなくても。誰も襲ったりしないから大丈夫だと思うけどな」
「イベントは……戦場、だから」
黄金色の瞳が鋭くメルストを捉える。妙に熱い気持ちが伝わった。
(コミケ行ってる友達もそんなこと言ってたな)
前世のしょうもない記憶が想起される。そいつは今頃なにしてるんだろうな、と然程関心なさそうに思いに至った。
「それで、メルスト殿は発表できそうなのか?」
「まぁ、準備はしてきたからな。練習もしたし、できることはやったはず」
「なんとか間に合ったようでよかったです」
「エリシアさんのおかげだよ。アドバイスや添削どころかデータのまとめまでしてくれて本当に助かった」
そう笑顔でエリシアに告げる。彼女も立派な研究者だ。研究発表や査読論文、講演の経験が豊富でもあり、ある意味教授のような立場としてコメントをいただいたことを想い出す。
いえ、と謙遜しつつも、わかりやすいほどまでに嬉しそうな彼女の一方、隣に座っていたルミアがぶーぶーと頬を膨らませ、テーブルに身を乗り出す。
「ねーねーあたしはー? あたしも手伝ったんですけど」
「ああそうだな、仕事増やしてくれたことには感謝してもしきれないよ。お礼に拳骨の一発でもあげたいとこだ」
「我も手伝ってやったが」
「んー、まぁ、声援ありがとうございます。おかげで夜も眠れることなくずっと起きていられました。体力底なしなんですか?」
「メル、わたしは……?」
「え、あ、うん、見守ってくれてありがとう。あと紅茶おいしかったです」
「……サボらないか、見張ってた、だけ」
「おい、俺様には礼の一つもねーのか童貞」
「おまえなんかやったっけ?」
使用人方に皿を下げさせ、紅茶か珈琲を振る舞われる。円卓の中央にはクッキーと花束の雲こと生けられた浮遊植物。談笑する一同は満たされた気持ちのまま、時を過ごしていく。
「ねぇねぇ、シンナっちはどうしたの?」
「ああ、バルク店長のとこにあずけたよ。さすがに連れてはいけないし。セレナとエレナが前から気になってたみたいだったし、これを機にすっごい可愛いがるだろうな」
「あの子も大きくなってきてますし、そのうち騎乗竜のように乗せてくださるかもしれませんね」
我が子のように微笑ましく思うエリシア。大きくなったら頭の上に乗ることをやめてくれたらいいなとメルストが言った一方、ジェイクが口を出した。
「あれ結局飼ってたのかよ。しれっと棲みついていやがると思ってたら」
「おまえもしれっとどっかに売ったりするなよ」とメルストも冗談半分で一言。
「俺に指図すんな童貞。つーかさっきからちらちら馬鹿賢者の方見やがって、なんか言いたいことあんならサッサと言えや」
勘の鋭い男である。図星を突かれた彼は思わず声を上げてしまった。
「バッ、おま、別にそんなことはっ!」
「いやわかりやすっ」とルミアが珍しくツッコむ。
「どうかなさいましたか?」と無垢な彼女は首をかしげる。
「え、ええっと。そうっすねー……」
「話しにくいことでしたら無理して今申さなくても――」
「ああいやそういうことじゃなくて、ほんっとに大したことじゃないんだけどね」
座り直し、背を伸ばす。改めてメルストは呼吸を整えた。妙な沈黙が流れた。せいぜい微かに聞こえる風の音と、船の駆動音くらいか。
「ッスゥー……あの、エリシアさん。そそその、前に言ってた、あっ、あの、あー、アウレオール、先生とは……ど、どどどういったぎょ関係だったんでしゅか……?」
「落ち着け童貞」
「誰が童貞や!」
ジェイクの一言に反発し、ガタッと思わず席を立つ。
「先生と生徒の関係だにゃ」
「おまえに聞いてねぇ! そんでなんでお前が知っとんねん」
「アウレオール先生ですか? 専属の宮廷教師として、学生の間お世話になった恩師です。10歳の頃から5年ほど、さまざまな学問や魔術、社会のことを教えてくださいました」
メルストの下心満載な挙動に対し、エリシアは気にすることなく丁寧に答えてくれた。
なるほど、と探る体勢になったメルストはごまかすように口を尖らしては鼻の下を伸ばす。
「へ、へぇ~、教師だったの? へーふぅーん」
「キモいぞ童貞」
「うっせ!」
しかし正論ではある。先ほどから気になっていたような様子で、テリシェはふと質問する。
「む? メルスト殿は童貞なのか?」
「そうなんだにゃ。そろそろいい歳なのに信じられないっしょ。近所の子どもたちでさえラブラブカップル作っているというのにメル君ときたら」とルミアはやれやれ口調。
「まぁそう言ってやるなルミア殿。どんな男にも語れぬ事情はある。きっと深刻な理由でもあるのだろう」
「……意気地、ないだけ」
「フェミルんストレートだにゃ。そこは情けかけても陰キャってくらいの控えめな言い方にしないと」
「そこ黙ってくれます!?」
朝から散々な彼である。あはは、と反応に困ったエリシアは苦笑するしかなかった。
「先生はそのときは二十歳程度でしたが、そのときから業績を残している錬金術師でして、なによりいろんな世界を知っている方でした。あの方が教える話は、冒険しているかのようにわくわくしまして、まだ幼かった私も、そこから学問で新しい何かを築いていきたいと思えるようになったんです」
「その影響で二階に錬金工房があるんだよねー」とルミア。照れくさそうにエリシアは微笑む。
「それでいて、兄のように親しく接してくださったのも嬉しかったんです」
(そういえばエリシアさんにも実の兄がいたんだったな。リゼルさん、だったか。小さい頃はあまり一緒にいられなかったのかな)
いま勇者として天界にいるそうだが、連絡も行方もくらましている以上、いまどうしているかは誰にも分らない。
「関わってくださった方の多くは、王族としての私を見ていたような気がしていましたから。でも、先生は違いました。リゼルお兄様が一番ですが、アウレオール先生はもう一人のお兄様ですね。あとちょっとお茶目で、カフスボタンを留めたり、靴ひもを結ぶのが苦手な一面もあれば、かわいらしいいたずらをするユニークな一面もありました。どれも楽しく、本当に大切な思い出です」
懐かしむような目を向け、語る彼女。その姿も一枚の絵になりそうだ。
「それが今では錬丹術といった医療や生命に関連した学問で新たな領域を拓きつつある、まさに錬金術の先駆者になっているのですから、本当に素晴らしい恩師だと思います」
それを悔しいなと思いつつも、感心した錬金術師は、エリシアの恩師に対し尊敬の念を抱く。彼女がこれだけ称賛するのだから、本当に素晴らしい人なんだなと認めざるを得なかった。
「尊敬、してるんだね」
「はい! アウレオール先生の教えもあって、今の私がいますから」
満面の笑み。その純粋無垢な輝きに、すっかり毒気が抜かれてしまった。
「だから好きになるのも仕方ないってことで」
「ファッ!?」
不意にくる横やりがメルストの我慢していた感情を揺るがした。エリシアにも効果は抜群のようで、途端に耳と頬を真っ赤にした。
「ちょっ、ルミア! 一言余計です!」
「三日三晩考え抜いたラブレターさえ渡せないまま終わったんだっけ。好きなあまり毎晩想いながらベッドの上一人で――」
「ダメ! それ以上ダメぇっ!」
「まずなんでそれをこいつに話した」
分かってる。同等の立場で話し相手になってくれる友達がそいつしかいなかったんだろう。――そうジェイクは憐みの目を向ける。
ふとテリシェがメルストの死んだ顔に気付く。心なしか色彩が抜けているように生気が感じられない。
「メルスト殿、顔色が悪そうだが」
「大丈夫。大丈夫。うん、大丈夫。大丈夫」
「全然大丈夫じゃなさそうだが!?」
「めっ、メルストさん! あのっ、ちがいますから! い、いまは大賢者として振舞いを改めておりますから! だからそのっ」
幻滅したと思ったのだろう、ますます顔を赤くしながらも必死の抗議を立てる。だが彼の耳に届いているのか。「うん……うん……そっか」としか返ってこない。
「で、今はぶっちゃけどうなの?」
懲りない女である。女子会のノリでルミアは訊くも、当然ながらエリシアは否定する。
「い、今は違いますよ! アウレオール先生は尊敬の対象ですし、むしろ好きなのは――」
思わずエリシアは誤解のないようにと全員を見渡し、そして死にかけてる彼に一瞥する――途端さらに紅潮しだす。ぼふん、と頭上で湯気が出てきそうな勢い。両手を組んではくねらせるように身を縮め、逃げるように視線を俯かせ、子犬のような悶え声を喉から鳴らしてしまう。
「~~っ、な、なんでもありません! 訊かないでくださいっ!」
「何も言ってないけど」
「メルスト殿、いまにも失神しそうな顔色だが」
「嘘だろ……エリシアさん好きな人いるの……? 嘘だろ……?」
テリシェが童貞の肩をゆするもすっかり自分の世界に入ってしまっている。
そんな彼に対し、ジェイクとルミアはあきれ果てるばかり。
「こいつも絶望的にわかりやすいよな」
「そんで絶望的に鈍感」
「む? どういうことだ?」
「触れなくて……いいと、思う」
さほど興味のないフェミルの呟きを最後に、一同の騒がしい朝は終わりを迎えようとしていた。
到着は夕刻前。まだ長いなとフェミルは船の外の窓――雲が流れる景色に感情を示さない目を向けていた。
次回(仮)「首都ミステム」
【補足】※重要でもないので読まなくても問題ありません。
・錬金術について
物質の在り方、自然科学の理、変化の原理原則等を実験的手法で解明するための学問。古典錬金術では比較的哲学や神話に基づいた物質操作の例が多かった。しかし最近は森羅万象の物質を理解することで意のままに操る手段を得、ないし人の手で新たに物質を作り上げることが錬金術の前線となっている。魔法学との複合化により、メルストの前世とは別の方向へと発展し、両分野の相乗効果が認められている。
錬金術の起源についてはいくつかの説があり、明確には判明していないが、黒い砂漠が大半を占めるヴィスペル大陸にある万国から伝わったという説が比較的有効らしい。
・錬金術の種類(本編の進行に従い、随時加筆予定)
様々な流派があったが、現在は大きく7種類の錬金学的手法に区分されている。しかしどの錬金術も以下の通りに明確に分かれているとは限らず、例外も多数存在する。
・ポーカス法
単系調合法・加熱調合法・古典合成法ともいう。大きな錬金釜に世界樹から抽出できるエイテール(加熱することで万溶性を有する)と複数種の母剤を入れ、それらをベースに原料から調製された開始剤・反応剤・希釈剤・ブレンド剤・停止剤・その他添加剤等を組み合わせては添加し、加熱攪拌することで多種多様の物質の錬成を可能とする(一般的に思い浮かべる錬金術や某アトリエの調合法のようなイメージに近い、のかな)。
ポーカスは偉大なる豚の意味をもつ。偉大なる豚は清濁併せ吞む言い伝えがあり、ポーカス法も同様にどんな物質も溶け込み、混ざり合う性質を持つ。しかし、その錬成条件の開発は至難の業であり、大抵は失敗に終わる。いまだに物質同士の溶解性や反応性等に関する複相互作用の決定的な解明が為されていない以上、開発されたレシピのおおよそは経験則や一子相伝に基づくものである。
・ウッドワード法
多段合成法・模擬的作図法・戦略的調合法ともいう。起源はロアルド・A・ウッドワードによって最小物質モデル(分子)の不確実性静電的素子(現世でいう電子のこと)の軌道的波動理論(端的に言えば分子軌道のこと)を立証し、それに基づく物質の反応性の制御を実験的に可能とした合成戦略法。そこからピーター・ホワイトサイズはじめとする偉大な錬金術師らによって新たな錬金術へと発展した。これまでにも万物の元となる"エレメント"なる物質の存在の仮定をした上での記号は発表されていたが、これらの記号を一新。作図に基づいたモデル物質設計を行う。単純に言えば有機合成化学の反応スキームに近い。その作図の幾何学的な様と独特な形状のチャート式に反応経路が導かれていることから樹状記号法という意味合いも含まれている。
・クリップ法:複合変成法
・ブリギッド法:超臨界力場・刺激応答法
・エピソード法:自然構築・自己組織法
・ロゴミメシス法 模擬設計法
・サムエル法 術式修飾法




