5-2-6.世界の叡智が孕む影
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アコード王国王都。
その中央に聳え立つ山と巨塔の如き巨城は、丘と崖の上に立つ街を彷彿とさせる。未だ怪物"フレイル・コーマ"との激闘の跡が痛々しく残っているも、修繕作業は順調だった。
深く割れた大地も塞がり、瓦礫の海もほぼ撤去され、焼け野原と化し、枯れ果てたはずの緑や水も精霊や魔法の施しによって取り戻していた。また新たな命が生えるように、王都は徐々に彩りと潤いを含み始めている。
「ええ、あれからずっと部屋にこもりきりで」
「急な話だからな。メルスト君もいろいろと大変だな」
腕を組んだロダンはなにかと嬉しそうだ。彼の功績を称えているようでもある。
「しかし王立学会か。水面下で彼なりに実績を積み上げた成果なのだろうが、これまたすごいところから声がかかったもんだ、なぁラザード」
立つはいつもの赤い絨毯ではなく緑の芝生。そうだろ国王、と言わんばかりに目を向けた先は大理石の屋根と椅子。
そこにはアコード王ラザード・O・クレイシスが腰を下ろし、その傍には近侍のカーター・レイズが屋根の陰りに潜むように立っている。
白髪は混じるも、深海の如き紺の短髪は未だ勇者時代を思い出させる。髭は剃っており、老躯ながらも端正な顔立ちはかつての勇者のたくましさを含ませていた。
その一方で、近侍は齢30手前にも見える。黒髪のオールバックと銀縁のシャープな眼鏡越しに、冷たく刺さるような細い目。長身痩躯にして整った細い顔立ちは一種の美形を醸し出している。
二人の後ろは庭師が手入れした緑の彫刻や花が彩り、視界には噴水が小さな虹を作っている。それだけにとどまらない。浮遊した島型の立体植物や球型の澄んだ水の塊が漂っており、優美な幻想を醸し出している。晴れ渡った空は、気持ちを清々しくさせた。
近侍の淹れた紅茶に口をつけては、王は話をする。
「この一件は我々にとっても好都合だ。彼が受け入れられれば、学術界との繋がりもより一層強まるだろう。エリシアだけでも強いパイプラインができていたが、魔法術式の系統以外は何かと壁が厚いままであったな。祈る神はいれど、信じるものは我々と異なる故、立ち入る隙もなかった」
権力は確かに各国の王が頂点を有している。君主の下で貢献しているのは確かだろう。だが、騎士団並みに王立学会は力を付け始めている。次の時代を切り拓かんばかりに。
「知っている通り、王立学会は学術界の総本山ともいえる。一国と並ぶ巨大勢力ともいえる故、王政の手も届かないこともあろう。企業やギルドとの締結は固いともきくがな」
「だが」と付け足す。
「最近は良くない噂を聞く」
近侍の名を呼ぶ。応じたカーターは魔道具を取り出し、全員の前に4枚の立体光を展開した。調査した資料と映像か。
「占星術、神働術、錬金術。王立学会の内、これら3機関が各々の問題を孕んでいる可能性があると情報が入った」
「問題、てのは?」
展開されたウィンドウを見ずに口をはさんだのはオーランド・ノット。彼の欠けた礼儀に対し、王は気にせず口を開く。
「ひとつは"悪魔の契約者"がいることだ」
契約者。
女神が定めた世界共通の"罪"。どのような理由であれ悪魔と魂の契約を交わしたものは極刑に値する。だが、悪魔によって得られる力は、たとえ命に代えても魅力的なものであるという。
以前十字団が接触した魔族の派遣罪人にもひとり契約者がおり、その脅威がどれほどのものか記憶に新しいだろう。下手をすれば神に匹敵する、理の域を凌駕した力だ。
エリシアは息をのむ。かつて悪魔狩りとして任務を果たしてきた十字団。結成初期の面子3人は、こわばった表情だ。
「そりゃあ、一刻も早く対処しなければな」とロダン。
「契約者の恐ろしいところは底なしの能力にとどまらず、感染性が高いことにありますからね」
「一種の洗脳か」とオーランド。エリシアはうなずいたとき、王は咳込む。話はまだ終わってない。3人は口をつぐんだ。
「もうひとつは、人体実験の疑いがある」
「錬金術学会だろうな」とその場の誰もが思っただろう。いつの時代にも、そういった輩は存在する。ウィンドウには被害者と思われる人物らの顔が表示されていた。
「主に失踪事件と怪死事件が目立つ。発見された被害者には錬金術師が多く、いずれも解剖跡や血液の薬物汚染が認められたそうだ」
「魔女狩りならぬ錬金術師狩りか。ミステムの墓荒らし事件との関連性もなくはないだろう。人体実験など、やる奴の気が知れん」とロダン。
「詳細は後に資料を渡す」という一言を聞き入れ、続いて言い渡される王の言葉を待った。
「そして……"母なる魔女"の目撃」
その場にどよめきが走ったかのような、心臓のざわつき。ロダンは瞳孔を開き、エリシアはそれにとどまらず冷や汗を流した。
「――っ、"マザー・サムエル"が王立学会にいたのですか!?」
エリシアは思わず声を上げる。そこには戸惑いも含まれていた。
「とんでもない情報だな国王よ。その話は真か」
そう言ったロダンの顔つきも打って変わり、目が鋭くなる。王の頷きも重たかった。
「しばらく姿をくらましてたってのに。忘れたころに出てくるもんだからいいご身分なことだ」
オーランドだけは、驚愕の目を向けることなく、いつも通りの様子で淡々と話した。
「"十字団"にとって10年以上も前から世話になってる相手だが……あー、どんなやつだったか本当に忘れちまったよ」
ガクッと姿勢を崩しそうになったエリシア。ぼりぼりとブロンズの頭をかくオーランドに、丁寧に教えたのはカーターだ。
「全知全能と謳われる世界最高の"契約者"にして、ヴィスペル大陸のインセル収容所に投獄されていた歴史的罪人の生き残りです。また、"三権者"の一人"賢王"を継ぐ、生きる伝説だと冒険者ギルドの間で主に知られてはいます。根も葉もないうわさの方が出回っていますが、六大賢者の脅威となっている以上、彼女の名を知らない者はあまりいないでしょう」
「あーそんなやつだったな確か。まぁ、なんだ、大した意味もねぇ肩書だけで思い出せるかといえばそうでもないが」
「結局あまり思い出せていないのですね……」とエリシアは思ったことだろう。呆れを含んだ苦笑の表情だ。
「情報は目撃だといったな。証人はなんて言っていた。奴の痕跡は掴めているのか?」
次々と質問するロダン。妙に熱くなっている気がしなくもない。それをなだめるように、ラザードは冷静に答えた。
「証人は数人。それぞれ話を伺いたい……ところだが、ロンディア国が独占したのだ」
「っ、ミステム市があるところではありませんか」
魔女の情報は無価値なものではない。欲しがるのはなにもアコードだけではないと改めて思い知らされる。
「おそらく、国ではなく王立学会が動いている。こちらが分かる情報は、魔女は占星術王立学会にいたことくらいか」
「占星術学会ねぇ……よりによってそこを選ぶたぁ、なんの"当てつけ"だろうな」とオーランドは何かを思い出したようで、鼻で笑う。ロダンとエリシアも触れはしなかったが、沈黙が二人の心情を示していた。
「占星術と神働術学会は"王国神殿府"の"大教会"と、"王国叡学府"の"最高学術機関"に引き続き調査を任せてある」
ここからが本題だ、と王は続ける。
「以上を踏まえて、今回の王立学会の監視及び調査員として、学位を所有しているエリシアとメルスト・ヘルメス、そしてオーランド・ノットを任命し、パラケルスス国際会議に手配しようとしたかった。……のだが、あのアウレオール博士の招待があるとなれば、また話は変わってくる」
何の前触れもなく送られてきた「パラケルスス会議の招待状」。いま悪いうわさが流れていることは王立学会も知らないわけではない。にもかかわらず向こうから誘うとはどういうことか。それとも、純粋にメルストの知見を共有し、学問の発展の礎にしたいだけなのか。
千載一遇の機会であることに変わりないが、逆に怪しくも思えてしまうのは考えすぎか。
「メルストさんだけ参加させて、残りは調査に集中させた方がよろしいと思うのですが……」
「そういうわけにいかないのはエリシアが一番分かってるはずだ。相手から差し伸べてくれたからこそ、慎重に動かねばならない」
ラザードはそうエリシアに返す。親の言う事に間違いはないと言わんばかりに、エリシアは反論することもなかった。
「フィリップス・アウレオール博士は錬金術、特に錬丹術の権威だ。准教授とはいえ、それは肩書に過ぎない。彼の叡智は世界有数といえよう。その才能を若き頃から発揮し、実績もあった故――」
「エリシア王女の専属講師として任命したんだったか」とロダンが割いて入る。
「無論」
「で、恋に落ちたと」
「オーランドさん!?」
王が何か付け足そうと口を開きかけたとき、今度は違ったざわつきが生じた。あくまでエリシアの中だけの話だが。
空気を読むことすらも面倒なのだろう。ぽつりとオーランドは、そんな爆弾発言を放った。
「まぁ、学園時代ろくに異性とかかわりがなかったからな。超エリートの好青年が朝から晩までやさしく誠実に教えるとなれば、好きになってもなんらおかしくはない」
「ロダンさんまで何を申されてるんですか!? いまそのような話ではなかったですよね!?」
「だから恥ずかしがることはないという話だ。はっはっは!」
重かった空気がうんうんとうなずくロダンの楽し気な声で壊される。反して真っ赤になるエリシアと真っ青になる父ラザード。
「国王様、顔色がよろしくありませんよ」
「案ずるな。所詮は過去の話。そう、なにも恐れることは……グッファ!」
「お父様!? ご容態が!」
「娘の甘酸っぱい思い出で死にかけるご老体、初めてお目にかかりました」
「あぁ……『大人になったらパパと結婚する』と言っていたあの頃が懐かしい……」
「寝言は寝て言ってくださいませ」
カーターの冷たい一言に、珍しく突き刺さる国王。手で顔を覆い、しょんぼりと悲哀に暮れている。最早威厳など何処へ。
「どうでもいいが、いまもその男が好きなのかい」
無自覚なのか、オーランドは何の恥ずかしげもなく訊く。興味ないといいながらどこか楽しげだ。いとこの子どもをからかうような目つきだったろう。
「そ、それは昔の話です。今は――」
途端さらに紅潮しだす。ぼふん、と頭上で湯気が出てきそうだ。両手を組んではくねらせるように身を縮め、逃げるように視線を俯かせ、子犬のような悶え声を喉から鳴らしてしまう。
「~~っ、な、なんでもありません! 訊かないでくださいっ!」
「何も訊いてないが」
冷静にオーランドは返す。あくまで今は誰が好きなのかまでは訊いてはいない。彼女の初心さに、ロダンはにやにやするばかり。
「国王様、顔色がよろしくありませんよ」
「案ずるな。所詮は過去の話」
「今の話です」
手に持っていたクッキーをパァン! と指で粉砕する。元気なご老体だ。
「いかん。いかんぞ。それはいかんぞぉ!」
わなわなするラザードを見たロダンは、やれやれと言わんばかりの顔だ。
「昔からの親友として先に言っておくが、水を差すような真似は父親として賢明ではないことは頭に入れた方がいい」
「だ、だが大賢者が恋など――」
「それはあくまで言い伝えや宗教的な観念に過ぎませんし、それを口実に自分の感情を押し付けるほど醜いものはないかと私は思いますが」
「ぐぬぬっ」
ここで頭ごなしに否定したところで思い通りになるほど人の感情はそう簡単には変わらない。自らそれを経験より理解していたラザードは込み上がる憤りと言葉を呑み込み、落胆する。
「と、ともかくだ! これ以上エリシアを辱めるでない! 貴様らいい歳して大人げないぞ!」
「貴方様もですよ国王様」と近侍の余計な一言。それで我に返るように、ラザードは紅茶を一気に飲みほした。
「なんであれ! 詳細は後日資料の形で送付する。今回の事件の調査を踏まえつつ、パラケルスス会議を楽しんでくるとよい。世界中から錬金学の偉大なる叡智が集結するのだ、歴史の一頁をこの目で見れるやもしれん」
切り替えは早いようで、3人に真摯な笑みを向ける。というよりかは、エリシア本人に言っていなくもないが。
「それで、オーランド・ノットよ」
「はっ」
改めて体を国王へと向ける。和を装った黒墨色の羽織と孔雀石の衣が風に揺れる。
「彼らと顔を合わせてどうだったかね」
十字団の面子のことだろう。オーランドは顎の短く薄い無精ひげをさする。
「まぁ、あんときよりは賑やかだと思いましたよ。アコード以外の国からも寄せ集めたとはいえ、腕の立つ戦士ばかりだ。それに、興味深い"感情"を抱えてそうではありましたね。あの錬金術師はその中でも格が違う。フレイル・コーマのバカを消し飛ばしただけのことはあると……肌で感じましたね」
興味なさそうに淡々と話すが、その内容は感心したそれだった。ぎこちない敬語ではあったが、彼なりに敬意を示してはいるのだろう。
ふむ、と王は背もたれ、これ以上なにも言う事はないと言わんばかりの様子。だがそれ以外に別の言葉が飛んでくる。
「幽閉者がこの場にいないのは、リスクを案じての判断か」
「左様で」
小鳥の鳴き声が聞こえる。温かさを含ませた空気がやわらかな風として草花を揺らすにもかかわらず、その場の空気が冷たくも感じる。
ただ、噴水の音が耳に残る。
「彼女自身の人間性は十字団の"暴獣"や"鉄の死神"ほど問題視する必要はないでしょう。礼儀もそれなりには弁えています。ただ、それ以外に問題がある。釈放してさっそく、迷惑をかけたことには心から詫びさせていただきたい」
「"空の魔窟"か」
ロダンが言う。続いてエリシアも付け足した。
「やはり呼び起こしたのは……」
「"共鳴"したんでしょう。彼女の制御性は感情に左右する部分があるんで」
「久しぶりの外の空気はうまかったんだろうな、それでテンションが昂ったとか」
「そういう話をするときではない。口を慎めロダン」
キッと睨みつける。普通の兵士ならばそれだけで失神しそうな威圧。だがロダンはそれを軽く流した。挙句、傍にいたエリシアにいたずらな笑みを浮かべて耳打ちした。
「また怒られちゃったな」
「ふふ、そうですね」
彼女も微笑んで返した。それには目を向けることなく、王はオーランドに問いかける。ある種の確認をするだけのようにも見えた。
「引き続き、彼女の管理と制御は可能か。無論、十字団の者がおれば負担はだいぶ減るとは思うが」
「訊くだけ野暮ってもんでしょう、国王殿。そうしなきゃ俺もおちおち眠れないんで」
数秒の間。すると、ラザードの険しい顔は破顔し、呑気な笑い声が漏れる。
「貴様は相変わらずじゃのうオーランド。まぁそれならよいが」
「前置きはこれで終わりですかい」
しかし、伝説の竜騎士はそれで済ませなかった。
「……?」
めんどくさそうに、しかし眉をひそめていなくもない。首元をぼりぼりかきながら、初めて一歩、国王へと歩み寄った。
「のけもの扱いだった俺たちをいきなり釈放させて、十字団に異動勅命たぁどーいうことですかい。確かにテリシェの"症状"はなんとかしましたぜ。だが完全じゃない。そーいう不安要素の一切を排除したいあんたが今ここに呼んでくるってことは、それだけの理由があるんで? 国王殿」
静寂。王がようやく見せ始めていた笑顔もすっかり消え失せていた。
本質だが、当然と言えば当然の疑問。むしろ無期限の幽閉のはずが突然釈放された理由を放されていない以上、怠慢なオーランドもさすがに訊かないわけにはいかなかった。
水の流れる音。木々のこすれる音。囀り。
日を遮る流れ雲。風が、やけに強まった気がした。
「……皆の者。すまないが、しばらく下がってくれ。彼とふたりで話すことがある」
ロダンとエリシアは目を合わせ、何も言わずにその場を後にする。カーターも首を垂れては静かに去った。
呻るように喉を鳴らし、重い腰をゆっくりと上げる。オーランドに背を向けては、静かに言葉を発した。
「場所を変えよう。これから話すことは機密事項ゆえ」
次回(仮):「アーシャ十字団、発つ」
契約者となった魔族の派遣罪人の話については「4-5-6.鏡操の魔女の契約」を参照




