1-1-2.転生者のマテリアルクラフト
「あ、暑い……!」
ここに時計などあるはずもなく、時間の経過が太陽の位置でしか分からない。
高度な文明を感じさせる岩の廃墟を探索していたメルストは、足跡を残してとぼとぼと歩く。じりじりと肌が焼け、吸い込む空気は熱気そのもの。汗が噴き出すばかりだった。
コケやツタに混じる茶緑がへばり付いた、灰色の大きな岩々がそこらに転がっている。叩けばすぐに壊れてしまいそうなほど風化し、ひび割れていた。
次々と飛び込む規格外の景色に息を飲む。ただの街並みではない。その見上げんばかりの廃墟の大きさもさることながらまるで巨人の廃国の中にでもいるようだ。
登れるところまで遺跡を登り、遠くを見渡しても地平線まで一面砂漠。「なんだありゃ」と二時の方角に突き刺さった、山のように大きい円盤型の歯車。六時を見れば逆さまに生えた塔の群衆。森の緑のように天へと向ける無骨な岩盤が、塔を足代わりに支えられている。空にでも浮いていた都市が地面へひっくり返ったようにも見えた。
それ以外はないのか、せめてオアシスの一つ二つは、と彼は再びぐるりと一周。
(……清々しいほどまでに、不毛だ)
焦げたような黒っぽい砂地に気分が沈み、さらに鬱陶しく太陽が熱線に等しいストレスを叩き付けてくる。日光が弱い吸血鬼のように、太陽の光が当たらない影を踏み、広大な遺跡の中を半ば呆けながら歩き続けていた。
「マジでどこなんだよここ……砂漠に遺跡じゃサバイバル以前の問題だろ……」
先程の僅かな植物や苔はさすがに食べられないだろう。せめて森や海なら希望はあったと、生命の恵みの一滴すら感じられない一帯を見眺める。
燦々とした太陽の光を遮るだけの大きな遺跡のおかげもあり、日射病はなくとも、熱中症か脱水症状を起こすのは時間の問題。いつ崩れてくるかわからない廃墟を不安げに見上げる。
「つーか、生き残れるだけの能力ってなんなの。早速死にそうなんですけど。世界救う前に俺が救われないまま終わりそうなんですけどぉ」
独り言など普段するはずもないのだが、ここまで孤独だと口にしたくもなる。元気ですかと言わんばかりに遺跡の隙間から顔を覗く太陽を恨めし気に睨み、彼は褐色に近い砂地に足跡を付け続けた。風すら吹かず、熱気は籠るばかり。
「水……みず……」
かさかさの喉が潤いを求める。汗で濡れた肌も熱ですぐに乾ききる。なんならいっそ、排出する水分をすべて口内に回してほしいとメルストは願うばかり。
水。水。水……!
水を求めるあまり、水分子やその化合物の性状、分子軌道まで走馬灯のように思い浮かべてしまう。これが理系の悲しき定めと嘆いていると、手に妙な湿り気を感じる。
「……汗やば」
今欲しいのは手汗などではない。汗でも飲んで自給自足しろってか。
力ない怒りに反し、ダラダラと手から汗が出てくる。脱水症状待ったなしだ、と身体の異常を呑気に眺めていたが、それにしては大量だと気づく。
「ちょ、出過ぎ出過ぎ! 止まんねぇ! なんで!?」
さすがに汗ではないとメルストでもわかった。人の体温ほどの透明な液体がバシャバシャと流れ落ち、砂を湿らせる。零れないように手のひらに溜め、まさかと思いつつも喉が渇き切っていた彼は、躊躇わずそれを飲んでみた。
ぬるいとはいえ、しょっぱくはない。紛れもない真水だ。同時に彼の頭の中に無意識に浮かび出てきた水の化学式。Hの記号ふたつに、Oの記号がひとつ結びついたそれが、目に直接書き込まれたような。
(なんだ今の……?)
そう思ったとき、やっと水が出なくなった。唖然とした彼はびしょびしょに濡れた両腕を見つめる。現実味のない突然の出来事に、戸惑いと動悸が治まらない。落ち着こうとしているのか、息切れもしていた。
(脱水どころじゃない。明らかに異常だ。やっぱりこれは現実じゃ――いや、受け入れろ。両手から大量の水が出る原因はなんだ。幻覚、にしては確かに水を飲んだ実感はある。あるいはこの体がただの人間じゃない……だからなんだ。全く分からねぇ)
先ほどの現象の起因は確か水を念じたから。そう考えたが、もう一度念じてみるのは気が引ける。どこから水が出てきたのかわからない以上、無暗に試してみるものではない。
そのとき、妙な腕の熱さを感じる。環境による暑さではない。骨の髄から沁みわたるような熱と痺れ。それ以上に滾るように熱くなっている心臓部に違和感を抱き、黒いぼろ服から覗き込むように胸を見る。
「うわっ」
異物でも見たように首を遠ざけ、襟元をつまんでいた手を放した。
「なんっ、なんだよこれ!」
細くとも発達した、筋肉質の身体。その時点で自分の肉体ではないのは明らかであったが、それ以上におぞましいものを見た、そんな顔を浮かべている。熱いと感じていた胸部がわずかだが内側から発光しているように見えた。
もう一度、おそるおそると覗き込む。大砲の弾でも直撃したかような古傷は、まるで太陽のシンボルの型を焼き印されたような。火傷とも感電傷とも言い難い、生々しさがある。その部分にデバイスでも埋め込まれているのか、しかし不自然さも異物感も一切ない。フィクションでいう、体の内から力がみなぎってくるような。みなぎるのは力ではなく熱なのだが。
赤光に染まり、異様な高熱を帯びる理由は分からない。
(でも、特にこれといった異常はない。熱が手まで伝わってくる感じ……もしかして、これを原動力として手から水が出てきたのか? いやどうやってだよ)
直感的だが、自らの体から何らかの力が作用し、媒体を経て水という形で出力されたのだろうと考え付く。それでもこの説明できない事象に対し、もしかして、と物語を好んで読んできていた彼が自然とこぼすように出てきた言葉は、
「これ、魔法ってやつ……?」
生き残れる能力。これのことか。
自分の身に起こった荒唐無稽さをいまは深く考えない。体の異常もなく、ひとまず水はこれで確保できたことに、救われたようにほっと溜息をつく。
同時、期待を胸に年甲斐もなく心を躍らせた。幻想だと信じてやまなかった魔法がこの手で使えるのならば。そう思ったとき、暑さなど忘れていた。
「じゃあ……肉出ろ!」
希望と嬉し半ば手を伸ばし、力一杯に声を出す。しかし虚しくなるほどまでに何も起きない。返す言葉がないと言わんばかりに木霊すら返ってこない。
「……流石にレベル高すぎか」
腕を組み、もう少し簡単で魔法らしいものを考える。そして実践。
「炎!」
何も起きない。
「じゃあ氷!」
「雷!」
「ああもう風!」
「ポマード! ……間違えた、ポショーン! あれっ、ポーションだっけ?」
「いやどっちでもいいからマテリアル的ななんか出てきて!」
「何か出ろ!」
出ない。
思いつく言葉の限り口にするも、出てくるのは流れる汗だけ。手の形も手のひらをかざすのみならずグッドサインや某有名な蜘蛛男が中指と人差し指を曲げて糸を出すポーズ、そしてグワシでも同様、何も起きなかった。
「くっそーなんにも出ねぇ!」
ガクッと膝をつき、四つん這いになる。むだに息を切らし、何もできないことに落胆を覚えた。
(やっぱりイメージ固まってなかったり、原理とかプロセス分かってないとできない感じか? それとも長ったらしい呪文唱えなきゃいけないとか……いやムリムリムリ。恥ずかしくて言えるかよ)
猛暑のあまり大量発汗し、蒸発していく。水分も塩分もなくなり、彼の頭はふらふらしてきていた。もはや恥ずかしいと言っている場合ではない。