5-2-5.他愛もない世間話には人が集う
いつも読んでくださりありがとうございます。
本作ついに100万字突破しました。だらだらと書き続けただけでしたが、ある種の達成感を抱いております。
ここまで書けたのは、読んでくださる皆様のお陰です。誠にありがとうございます…!
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錬金術師には二種類いる。
学会に所属する者と、そうでない者。
ひと口に錬金術学会といえども大小問わず複数存在し、それぞれの分野に特化した者が集結しているニッチな学会もあれば、浅く、しかし広くを目指した総合的な有名学会もある。
だが、その中でも最高峰に属し、支配権を握っている学術組織がある。
ミステム錬金術王立学会。
錬金術に携わるこの世の天才と秀才、否、知の怪物共の巣窟だと畏れられるほどの世界が、確かに存在している。
錬金術師を目指すならば誰もが憧れる理想郷だと言われている一方、並の体力と知力、そして精神力では破滅へと向かいかねない地獄だとも噂されている。
そんな王立学会は5年に一度、交流と議論、そして今後の錬金術界の発展を促すために国際錬金術研究集会こと"パラケルスス会議"を開催する。まさに、今か今かと牙や刃を研いできた世界中の叡智の猛者が議論という名の決闘をしに集結するようなもの。
その王立学会から直々に、アーシャ十字団宛に学会と懇親会の招待が、そしてメルストには招待講演の依頼が来た。
なんでも、約一年前、アコード王国第九区にあるスペルディアの村で流行った不死の病の新薬開発に感銘を受けたらしく、それについての研究内容をぜひ訊きたいとのこと。さらに、空気を肥料にする技術や金属よりも強靭な糸、人工不凍液等、多岐にわたる分野の発明と開発実績を重ねている類稀なる英才の錬金術に対する見解もこの機会に発表してほしいというのが大まかな依頼内容である。
しかし急に決まった話でもある事から、短い講演でも構わないらしい。――とはいえ学会開催まで残り2週間もない。無茶ぶりの極みだ、トップ組織のくせに非常識だ、鬼畜生め、と嘆きながらもメルストは這いつくばる勢いで資料の束を両手に抱えては部屋に籠ったという。別のショックも抱えながら。
「ってなわけ。だからいま必死になって講演の原稿書いてるんだにゃ」
十字団の拠点が建つ丘から100メートルほど離れた先に、石橋がある。ルマーノの町の北区の入り口だ。渡った先、まず目に入るバルクの酒場は北区の人はもちろん、十字団もよく足を運んでいるコミュニティともいえる。
だが、昼間の酒場はほとんど人がいない。いまは店長であるバルクと従業員を務める双子の娘の姉エレナと妹セレナ、雑貨屋の若店主ミノ、その妹の洋裁師リーア、そして雄弁に語ったルミアしかいない。
「さすがは錬金術師だな! 世界を救った英雄どころか、学術界の英雄にもなるたぁ、どこまで天に恵まれてんだかな!」
ブロンズの短髪の上に生える獣耳がぴろぴろ揺れる。はちきれそうな服から伸びる幹のような腕を組んでは、バルクは豪快に笑った。
「それでもメルストさんの実力なんだよね……! かっこいいなぁ」
「神様は公平に見ないわね、本当に」
おどおどした顔つきから、きらきらと目を輝かせるセレナに対し、まるで正反対の冷たい感想をツンと述べるエレナ。「あんな男がそんな器にふさわしいとは思えないけど」
「お、お姉ちゃん! ダメだよそんなこと言っちゃ!」
狐と思わせる長い耳と実る稲穂の色に染まる尻尾を揺らしながら、セレナはエレナの毒舌にあわあわする。
テーブル席に頬を押し付けうなだれる青年ミノは、天然パーマの黒い頭をごろりと動かし、エレナらの方へと向ける。
「けどエレナの言う通りだぜ? なーんでメルが英雄にもなって王立学会にも呼ばれているのに、俺は売れない雑貨店で細々働いているんだか。不公平だ全く」
「それはおにぃが怠けてるからでしょ」
ミノの向かいに座る妹のリーアは溜息をつく。この町一番の美少女と評されているだけに、流れる金髪も呆れる瑠璃色の目つきも、カプラ乳のチーズスティックを頬張る仕草も可憐さがある。
「だって退屈なんだもん」とテーブルに顎を乗せるミノ。気怠そうな雰囲気も姿勢も、どこいっても相変わらずだ。
「あんたが英雄になるくらいだったらメルストの方がまだマシ」とエレナは冷たい視線を向ける。
「おい俺にまでその毒舌向けてくんなよ。……いやセレナちゃんのフォローすら入らないのかよ! 『ダメだよミノ君にそんなこと言っちゃ』って言ってくれよ!」
「え、えっと」
「素で困惑せんといて!」
「ちょっと男子~」
「いや泣かせてないが!?」
お約束のような流れ。それに笑みだけを浮かべたバルク。カウンター席にいるルミアの空になった木製ジョッキに、柑橘類のドリンクを片手で注ぎながら話題を振る。
「会場はミステムか」
「そうそう、ロンディア国の首都なのよさ」と言ってはジョッキに口をつける。見た目に反し、まるで淑女とは思えない豪快な飲みっぷりだ。
アコード王国や西方の隣国ネイティスと同様、クステンティア大陸の沿岸部に属する小国。アコードの北西、いわば高緯度に位置するそこは、安定した気候で、治安も良ければ魔物の被害も少ない平和な国だと知られている。
だが、それ以上に名を轟かせているのは他でもない。それはバルクの口から開かれた。
「ミステムといやぁ世界最高峰の学術都市で有名だからな。天才という天才が集う学園もあれば、世界トップレベルの研究ができる施設も揃っている、まさに世界の頭脳そのものだ」
「アコードにもニュートン市があるじゃん。あそこも天才の巣窟っしょ」
「まぁ代表的な学術都市だし、各国の優秀な大学や企業と共同事業も組んでいるそうだが、本場のミステムには敵わねぇだろうよ」
「俺たちみたいな平々凡々じゃ夢のまた夢どころか夢にすら見ない世界だな」とミノが頬杖を突きながら興味なさそうに言う。「人間やめてるレベルだと思うぜ?」
「そんなすごいところにメルストさんが講演するなんて、なんだかどんどん遠くの存在になっちゃうね……」
「わ、わたしも最近、メルストさんにあんまり会えていないから、寂しいです」
リーアとセレナが各々で俯く。ふたりを交互に見たルミアはいたずらな笑みを浮かべ、
「ふたりとも大好きだもんねー、メル君のこと☆」
「そんなことない!」「そんなことありません!」
即答の声は大きい。
「え、そうなの!?」とミノ。外見はともかく血は繋がっているリーアの兄として、その顔は今にも絶望を迎えそうではあった。
「ひ、人として! 人として好きなだけだから!」
リーアは慌てて返すも、その顔は紅潮したままだ。それに反しシスコン兄貴の顔色は青ざめていく。
「でもさー、招待といってもあくまでメインはメル君であって、あたしらはそんな他人の研究発表や実験実演なんて見たとこでソッコー飽きるわけで」
「確かにそうだな。俺なんか一分で寝る自信あるぜ!」と言っては大きく笑う。
「学術都市以外になんかないの? ウケのいい特産品とか映える名スポットとか」
彼女らに吹っ掛けるだけ吹っ掛けといて放置したルミアはバルクにそう尋ねる。カウンターに前のめりになっては肘をつき、背を伸ばす猫の様に反らせた背中の曲線美。未だに多感な時期が終わっていないミノは思わず視界に入れたことだろう。
料理人のみならず情報屋としても務めているバルクは、短く伸びた茶のあごひげをさする。
「そうだな、グルメなアコードほど料理の選択肢は高くねぇが、品の質は高い。特にワインやオリーブ、魚介類の料理なんかは絶品だと聞く。それに、ミステムは歴史があるから、都市そのものが文化遺産、つまりどこを切り取ってもスポットってことだ」
「さっすがてんちょー! あたしの黄金色に輝く8109億個の天才脳細胞が今、冒険を求め出している! 猛る観光パトスが噴火に達しそうだにゃ!」
「言ってる意味が分かんねぇ」とミノ。両腕を大きく掲げ、今にも外へ飛び出してしまいそうなルミアに、さらに紹介を続ける。
「あと"グレードウォール"も観光名所だからな、行くならそこも観てくるといい。ま、ミステムに入ればすぐに目に付くだろうが」
「ねぇ、発明した景色を写し取る機械、ルミアちゃん作ってたよね。よかったらとってきてほしいな」
そうリーアが言う。首を傾げ、両手を合わせたお願いをする彼女の前で断った人間はいないという。
「いいよー! 土産話も添えて最高の一枚、撮ってきてやんよ」
「話は別に要らない」
「またまたぁ、エリナっちも素直じゃないんだからぁん」
つんつんとおでこを指で小突かれたエレナの顔が一気に不機嫌になる。それをなだめるセレナを横目に、バルクは息を吐いては腕を組んだ。
「でも気をつけろよ。そこらへん、最近は"墓荒し事件"があるからなぁ」
「なにそれ」
つつくのをやめたルミアは振り向く。神妙な顔でバルクは返した。
「名前の通り、墓の遺骨を掘り起こして盗むイカレ野郎がいるんだよ」
「物騒な話ね」とエレナ。「こわいなぁ」とセレナはふるふる震え、目を背けた。
「何が目的だか知らんが、神聖な場所を荒らすことはどこの国だろうと重罪だからな」
「あれじゃない? 天才秀才大喝采らの骨を集めてニーズのある闇市に高く売りつけたりとか」
「げぇ、さすがに趣味悪いぞ」
「ルミアちゃん、さすがにそれは……」と兄妹揃ってひきつった顔を浮かべる。
「ま、学会とは関係なさそうだからな。深夜に町中ふらつかなきゃ無縁だろうよ」
その場の空気をなだめるようにバルクは笑う。跡を残さないように、すぐに別の話題に入った。
「そういや十字団に新しい人員入ったらしいな。あのオーランドさんが戻ってくるたぁ思いもしなかったが」
ルミアやジェイクが加入する前の十字団のことを知っているバルクは、懐かしそうに手元へと視線を落とした。
「さっすがてんちょー、もう筒抜けですかい」
「へっ、まぁな。だが一緒に入った奴についてはあんましわかってねぇんでな。ふたりはいま家にいるのか?」
「テリちゃんはフェミルんと家で荷卸しとかしてるけど、オっさんはエリちゃん先生と王城に行ったよ。なんか王様が会いたがってたみたいだけど」
へぇ、と一言。一呼吸間を置き、ルミアの前に肉料理が置かれる。芳ばしい香りが立ち込める中、バルクの口が開く。
「ただの挨拶ってわけでもなさそうだな。これは情報屋としての勘だが、この平和になりかけている時期にだぞ? 十字団に値する人間をふたりも配属させるってことは」
ぶちっ、と。
焼き立てのステーキ肉をフォークに深く刺し、噛みちぎったルミアは、そのままニィ、と笑みを向ける。獲物を狩るような、それを愉しむような目つきは好奇心そのものだった。
「なーんかありそうだね。おもしろそうなことが」
スペルディアの村については「3-11-2.呪われた村」より参照。




