5-2-1.眠る男
*
"またも国を救う! アーシャ十字団快挙!"
そんな記事に目を通したメルストは新聞を折り畳み、照れくさそうに微笑を浮かべた。
「メル君めっちゃにやついてるじゃん」とルミアはメルストの横を並んで歩いている。
その両腕にはいかにも重厚そうな黒い現金輸送用ケース鞄を抱えていた。彼女の横をついていくフェミルも口を開くことなくひとつのケースを右手に提げている。その中には意識が飛びそうなほどの価値あるものが入っている。
新聞とルミアの持っていたケースを交換し、ズシリと感じるそれを大事そうに手にもつ。
「仕方ないだろ、新聞に自分らのことが載れば嬉しくない人なんていないさ」
「悪いニュースでも?」
「揚げ足を取るのはやめてくれ」
空の魔窟ことクフェリス・バーデスの母体は、メルストの力加減によって半分以上は残っていた。そのためレア度の高い素材を回収でき、冒険者ギルドでの一日にわたる査定の結果、非常に高い売値で売却することができた。無論、母体のワーカーの死骸もそこそこの金額で売れたのもあり、十字団の資金は当分先まで困ることはなくなった。
当然一同――特にルミアとジェイク――は大喜び。王都復興活動で忙しくも平和な生活が続き、資金提供もあって節制生活が続いていたため、ようやく財布が潤うというものだ。
「いやーさすがギルドはわかってますな。大量にいただいちゃったねーフェミルん!」
満面のルミアに対し、こくり、とうなずく。その表情は無に等しいが、挙動からして心なしか嬉しそうだ。
「これだけあれば、いろいろ食糧とか買えるし、王都の料理店とかちょっとした贅沢もできそうだしな」
「うん……たのしみ」
「いうてあたしらの立場上、敷居が高いけどねー」
「いまは歓迎される側になってるといいけどな」とメルスト。うん、と元気そうに返すルミアとなんとなく視線を向けているフェミルを一瞥する。
「ジェイクは賭場でとっくに溶かしてそうだけど」とここにいない団員を思い浮かべて呆れるメルスト。事実そのとおりなのだが。
「まぁなんでもいいっしょ。これでしばらくは資金にも困らないし。さーって、次の兵器はなに造ろっかなー」
ウキウキしているメルストとルミアの会話を傍で聞いていたフェミルは、ふたりをただ見つめていた。
「……」
穏やかな目。ふわりと心地の良い風が流れる。
ふと視線を前へと向けたとき、
『神は視ています』
彼女の足が止まる。
右の耳元でそう呟かれたような。
冷たい女性の声、いや男性? ただの気のせい……?
しかしそうであるならば、なぜ今になってこの香りを感じる。それは徐々に血の気を引かせた。感情をあまり見せない彼女の瞳は、絶句という言葉が表れていた。
思わず振り返る。今すれ違った人はどんな姿だった。
服は。髪は。顔は! これほどまでに人の顔を見ずに外を歩いていたことを恨んだことはない。
人混みが多いわけでもないのに、彼女の探す気配はとうに通りから消えていた。
自然と荒れる息。締め付けられる胸に声が漏れそうになったとき。
「フェミルーん、どしたのー?」
「先行っちゃうぞー」
ルミアとメルストの声が耳に入り、我に返る。
踵を返せば、いつもの小柄な少女の笑顔と優しげな青年の顔。早く早くとせかすように先へと進んでいた金髪の少女に、フェミルは息を静かに、深く吐いた。
「なんでも、ない」
それだけを述べ、たたた、と翡翠の髪を揺らし、メルストと歩くルミアの隣へと追いついた。
*
北区と十字団の家へ続く道を繋ぐ石橋を渡る。ようやくついたな、とメルストは小さく息を吐く一方で、ルミアはルンルンと笑顔を絶やさない。
「ねーねー今日は豪快に酒場で宴でもやっちゃう?」
「初日で大金はたくのは貧乏のはじまりだぞ。せめて家の中でパーティだろ」
「えーいいじゃん別に。いつ死ぬかわからないんだから使える時に使おうよ」
「狩猟民族かおまえは。フェミルはどうしたい?」と覗き込むように伺う。
ちら、と目だけを向けてはすぐに前へと戻しつつ、
「……家が、いい」とだけつぶやいた。
「ほらフェミルもそう言ってんだから――」
「メル君メル君」
「ん?」
「あれ」
立ち止まってはそう指をさした先――小さな丘の上に家があるのは変わりない。だが一点、正面玄関口に見慣れないものがあった。
扉の右隣。そこの壁に腰を下ろしては背を預けて――そのまましずかにいびきをかいている男がいた。
「……っ」
その服装にはどことなく、メルストにとって見覚えがあった。粗雑な着こなし方ではあるも、それは確かに和服を想起させた。黒墨色の羽織に孔雀石の色を帯びる色紋付、袴、そして紅蓮に染まる帯。記憶のそれとは多少齟齬があるも、似てはいる。
かきあげた重いブロンズのウェーブがかった長髪に、日ごろ整えているであろう口元と顎の無精髭。渋さ匂わす壮年だろうが、その無防備な姿は胡散臭い浮浪者とそう変わりない。だが、その肉体は騎士に匹敵するほど鍛え上げられていると、だらしなくはだけた胸板でわかる。
「やだ、不審者じゃん。通報しなきゃ。フェミルん」
「わかった」と踵を返す。
「いやわからないで。依頼客かもしんないだろ」
「メル君それ本気で言ってるならバチクソ頭おかしいにゃ」
「ひでぇ言われようだな」
「だって人ん家の前で寝る? 普通寝る?」
「普通じゃないお前の中の非常識さの線引きがまるで分からねぇ」
「あら失敬ね。わたくしは至って常識人ですわよ」
「ハッ」
「おいなんで笑った。なんで鼻で笑ったおいてめぇ」
「ルミア、このまえ……エントランス前に、地雷……設置してたよね」
「乙女だってやんちゃしたいもん☆」
「おまえ人の血ちゃんと流れてる?」
そうしゃべりながら玄関にたどり着く一同。その話し声か足音に気付いたのか、男はいびきを止め、ぱちりと細い目を覚ます。
「あ、起きた。おじさん、もうひと眠りする?」と拳銃を向ける。
「どこのマフィアだよ。いいからしまえバカ」とルミアの腕を下ろさせる。幸いにもそのやり取りには気付かず、男は三人を見上げる。
「……ん? どちらさまで?」
「いやこっちのセリフ! というか人ん家の前でなんで寝てるんですか!」
どことなく寝起きの様子。一切動じないまま、男は頭をかきながらメルストのツッコミを流した。
「あー……まぁいいじゃねぇか。寝心地良かったんだから」
「それあなたの感想ですよね!?」
「まぁーそうかっかすんな兄ちゃん。ここに用があるんだから別にいいだろ」
といっては膝を立てる。ロダンまでいかなくとも男性としてしっかりした体つき。背丈は軽くメルストを越え、視線は自然と上を向く。
「よっこらせ。あー……おまえさんらここの人か。ここに、えー名前何だったか。エリ……まぁいいや、蒼炎のあれ住んでるか?」
(どこまでいい加減なんだこの人)
「なぁーんだ、エリちゃん先生に会いたいの? 少ししたらここに帰ってくるから、用があるならゆっくりしてって! ほらほら!」
「ルミア……強引」
(いや本当にこいつのスキンシップ力えげつねぇな)
先ほどまで不審がっていた言動はいずこへ。事情が分かった否や、がっしりした右手を華奢な右手が掴み、家の中へと引っ張ろうとする。
「おー親切にどうも。でも悪いな、俺は外で待っている方が好きなんでね。それに」
気怠そうな声のまま、視線を落とした男は淡々と言った。
「罠を仕掛けている中に入るのも億劫なんでな」
ドカン、と。
爆ぜたような音が2つ。
そしてガキン、と――金属が弾ける音がほぼ同時に生じた。
ひとつはルミアの右上手首、いわば袖の中から射出された高粘着性捕縛ネット弾が男の右手を壁へと強く打ち付けた音。
ひとつは、左手で抜いた拳銃を、男の顔面めがけて撃った音。
ひとつは、捕縛弾の射出の反動で後ろへ沿った右腕の袖からカッターソードを展開し、拳銃の発砲の反動に任せ思い切り腰を捻り、正面を向いたことで男の首元めがけて薙いだ――はずが手甲で受け止められた音。
「……挨拶にしては乱暴だな」
「やっぱ、ただものじゃなさそうだね」
右腕を封じられても尚、弾丸を避け、刃を裏拳で受け止めた男は、一切の驚きを見せることなく、しかし不満そうにそう呟いた。
対して狂人は笑みを浮かべる。そのカッターソードに一筋の罅が刻まれているが、退く兆しは微塵にも感じられない。
「別に争いに来たわけじゃないんだ。今日はオフなんだよ」
(っ!? いまの不意打ちを見切ったのか……っ?)
それだけではない。この程度で死なない相手だということを見越した上での不意打ちか。とはいえ、ヘタすれば喧嘩を売ったことになる。超近距離の銃弾を避ける動体視力と反射神経、素手で刃物を受け止める強靭さ、否、狂人ぶりは敵に回してはいけないと本能的に訴えてくる。
「ちょ、ルミア。いきなりはさすがに――」
「あたしの勘が言ってんの。"あんたはヤバい"って」
「そぉかい。それならひとつ付け足してくれ。"上司に暴力を振るうのはヤバい"ってな」
くるりと手のひらを反すように刃を受け止めていた左手は掴みにかかった。力の振動とも言い難い"流れ"の逆らい。それがルミアの腕に伝わった瞬間、咄嗟に剣を手放す。次の一手を繰り出そうと彼女が身を引いたとき。
パキン、と軽い金属音は男の腕から聞こえたかと思いきや、男は一歩先へ――ルミアの眼前に迫っていた。だが壁に粘着固定されたはずの右腕は残ったまま。
否、腕が体から外れたのだ。捕えられた甲殻類が自身の手足を自切するかのように。
刃を捨てた左腕が、ルミアの小さい頭を覆うように掴んだとき。
ドグン、と。
何かが彼女の頭に流れ込んだかのような単振動を最後に、解放されたその華奢な体は後ずさり、糸が切れたようにそのまま背中から倒れた。
「ルミアッ!」
傍へ駆け寄り、膝をつくメルスト。フェミルもその後についた。
外傷はない。幸い、意識もあると表情を見れば――その表情に問題があった。
「あー……なぁんかどーでもよくなっちゃったぁ」
「いやどうした急に!?」
先ほどまでの凛々しさ溢れる臨戦態勢の顔はすっかり腑抜けてしまっている。一生分のモチベーションを抜き取られたかのようなやる気のなさが、誰の目から見てもわかるほどまでにうかがえる。
大の字で倒れているというより、寝ているに等しい。
「あ~……息をするのもめんど」
「社会に疲れきった人か!」
「わかる」
「同調すな!」
そうフェミルにツッコんだとき、
「おまえさんも落ち着いたらどうだ」
ハッとし、すぐさまルミアの前に出る。
「ちゃんと落ち着いてますよ。正当防衛だろうけど、正直いまのであなたに対して警戒せざるを得なくなりましたので。それに上司ってどういうことですか」
「上司は……その、あれだ。あー、なんだ? まぁなんでもいいじゃねぇか」
「急にめんどくさくなるなよ!」
頭をぼりぼりかく男は、最早口を開くのさえ億劫そうだ。
(ますます怪しくなってきた。いったい誰なんだこの人は。フェミルも警戒して距離を置いているけど槍を出していないあたり、敵意はない可能性は高い……でもこの得体の知れなさは何だ)
自身の本能を信じるべきか否か。だが相手は左腕を共衿の中に入れては眠たげに長いあくびをするだけで、こちらに気にもとどめていないように見える。こちらが真剣になっているのが馬鹿らしく思えてくるほどだ。
「なにをしているのですか?」
背後の声に、思わず振り返った。思ったよりもギルド長との話は早く済んだのか、という余計な考えは隅に置き、この状況を伝えようとした。
「エリシアさん、これは――」
「っ、オーランドさん! お久しぶりです!」
「え?」
ぱぁっと明るくなったエリシアの表情に、ぽかんとする。対する中年男も、知り合いだとでも言わんばかりの反応を向けた。
「おーう、アンタんとこの部下は元気でなによりだ。いつもこんな感じか?」
近づいたエリシアがぺこりと頭を下げる。
「すごい親しい感じだけど……」
「ん? ああ、悪い。あまり丁寧な口調は慣れてねぇもんで」とうなじをかく。
「いやそういうことじゃなくて」
「もしかして説明されていないのですか?」
「しようと思ったが、襲われちゃってね」
そう苦笑する。横たわった機工師の少女を見、なるほどとエリシアは肩を落とした。
「ルミア……でも無理もありませんね。とりあえず、中に入りましょう。おまたせしてしまいすみません」
読んでいただきありがとうございます。




