4-12-20.信じた先にあるもの
いつも読んでくださりありがとうございます。
記念すべき、なのかわかりませんが第180部突破しました。
*
魔力の流れを察知した大賢者は、声を上げる。
「再び安定状態に入りました!」
ゆっくりと徐々に王城を中心に周囲の気流がかき混ぜられていく様子にほっとする錬金術師は、彼らの踏ん張りにひどく感謝した。
「よし、最終フェーズに入るよ」
コイル状の岩盤と続いている足元への踏ん張りをやめ、物質の添加を止める。ブラシ状に形成された粒子に、複合金属粒子が吸着し、外殻を成した。焼結等の高熱条件がなくともそれを可能にしたのは、メルストの知り得ない魔法的な条件という不安定要素が整っていたからだろう。
「核―外殻間の層を除去する。エリシアさんは浄化魔法の魔素を」
かざした手のひらの先。自分たちを中心に回る渦。煮えたぎるほどの熱い環境下、霧と陽光に照らされた金粉の靄。
そして魔法的超臨界流体がその正体だが、先ほどより撹拌速度が高いためか、砂塵も舞い上がっており先行きは見えない。それは、目の前の錬金術の結末を意味するようにメルストは受け止めた。
エリシアの魔素の修飾によって、不純物との副反応は極力避けられている。"組成鑑定"でも生成物の構造決定を確認しては段階の完了も確認した。手中合成で評価した以上、生成物の中和効果は認められている。
だが、それでも。
「……っ」
その手が震える。伝う汗は外気の熱もあるだろう、しかしそれだけではない。
吐く息もとうとう震えてしまったとき。
「大丈夫です」
寄り添うように、その手にエリシアの手が重なる。ハッとした彼は、隣の少女を見た。
「ここまでうまくいったんです。皆さんもメルストさんを信じて、全力で戦っています。国の民も、希望を抱いて私たちに助けを求めています。それは決して重荷なんかじゃありません。それが、メルストさんの"力"になるのですから」
やさしくも、力強い声は風の轟音の中でも透き通る。手の甲に触れた温もりが、震えを治める。
大洋を映す空のように青い髪が風で流れる。真紅の瞳は何の迷いもなく、彼を見つめていた。
「私もメルストさんを信じます。だから、ご自分を信じてください」
そうだ。
これは自分だけの戦いじゃない。みんなが戦っている。だからこそ、力が湧くのだろう。迷いを消せたのだろう。
希望を、見つけられたのだろう。
「……ありがとう」
合図は要らない。ふたりは通じ合っていたから。その手に力を込める。
その手から創成・構築され放出されたものは、"壊素"と"種素"により構成された気体。前世ではフッ化水素と称されていたものに、浄化魔法を構成する魔素が含まれることで、時間で徐々にその構造は形を保たなくなる効果を示す。
「これで、終わらせる」
*
民の目には異様としか言いようのない光景が、避難地である王城の外に広がっていたことだろう。嵐でも起こすのか、何か召喚しようとしているのか。彼らなりの戦い方だとしても意図が読めず、滅茶苦茶が過ぎる。
なにをやっているんだ、と呆然する目もあった。何をしているのか意図が読めない彼らに対し、不信感が全くなかったと言えばうそになる。
ラザード王も、最初はそう感じていた。
結界が王城を包み込むように張られてはいるが、その外側は生身で息をすることも許されない過酷な環境になっているだろう。なぜ天に弧を描いて泳ぐ竜のように魔力の塊が渦を巻いているか。なぜ、王都一帯を爆破させ、灼熱の大気へと変えたのか。
「……っ」
体が動く。
「国王様! 外に行かれてはなりませぬ!」
危険を顧みず、護衛兵らの呼び止める声にも構わず、ひび割れたバルコニーへとふらつく足を運ぶ。深手を負っているとはいえ思い通りに動かない自身の老体を恨むが、目の前の天変地異――巨大な魔力の動きに目が釘付けになっていた。
だが、発動しているのは精密な魔法でもない。魔力そのものがなにかと反応しているかのようだった。
切れる息を堪え、ラザードは天を仰ぐ。その目は驚愕を示していた。
「まさか……。王都そのものを錬成炉にしているのか――!?」
※
「おいちったぁわかりやすく説明できねぇのかボケ。いちいち情報多いんだよテメェの話はよ」
"カロスの副次領域"内。少し前の刻、エリシアの緊急避難空間にて、メルストから打ち明けられた情報と、ある提案。対し、最初は信じられない顔を一同はした。さすがに無理があるとエリシアさえも述べたほどだ。
だが、これまでの彼の功績や実力もあるのだろう、結論として、頭ごなしに否定する者はいなかった。それこそ、時間の無駄だと言わんばかりに。
「まぁバカは放っておいて、それ本当なんだねメル君。ここに魔王軍の大量破壊兵器が落ちてくることも、今言ったことの通りにすれば、毒ガスを中和する物質を創れるってことも」
「みんなを救う、解毒剤も……」
「そして、コーマを倒せる方法も」
うなずく。ただ、話した本人は快い反応ではなかった。
彼が述べたことは、錬金術。創るものは魔法抑制作用付きの毒ガスに侵された王都を救うための中和剤――金属ナノ粒子を核として内蔵された多孔性中空粒子の合成を行うことを提案した。
解毒剤においては毒素の核でもある重金属イオンと親和・配位させ、活性阻害されている酵素からそれを引きはがせば良いので、キレート剤が有効だろうとメルストは言った。人体に入れば、毒性を発揮するために修飾された魔法的な因子は解離するだろうとみた上での意見だ。
問題は、大気中にある毒ガスの中和だ。耐魔法効果解消も含む中和剤の錬成方法は、無溶媒条件どころか固相法ですらない極大開放条件――王都をフラスコにしてワンポットかつ超大量合成すること。
うまくいくわけがなかった。ビーカーやフラスコという限定された系の中で行うはずのことを、外気に触れ、無数の不純物に触れながら行うのだ。世の錬金術師にとってそれは愚の骨頂に等しい。
「ただ、これは一か八かどころじゃない。リスクしかないし、成功は奇跡に等しいくらいだ。失敗すれば――痛っ」
バシン、と背中に強い痛み。水面の地から足が一瞬離れたほどだ。思わず左を見ると、ジェイクが不機嫌そうな目を向けている。
「人に提案しておいてテメェから引き下がるバカがいるか。それがテメェにとっての最善なんだろ? だったら絶対うまくいくって胸張って言いやがれ」
「そうだよメル君。いまさらリスクがあったところで躊躇するわけないにゃ。勝率皆無でもそこにすべて懸けて、意地でも確定事項にする。それが十字団っしょ」
ルミアの底なしの自信は、こちらまでその気にさせるほど。だが、それでも決心の目が彼には見えない。万一を一通り考えてしまっているときの内側に籠る目だ。
「メルが、フラフラしてたら……誰も、ついていかない」
ぽつりと、正面にいるフェミルは言う。我に返るように、メルストは彼女を見た。
感情が読めなくも、その黄金色の瞳は、槍のように真摯に彼の黒い双眸を射抜いていた。
「その話……決して屈しないと、約束して」
信じさせてほしい。そう訴えているようでもあった。誰も顔には出さないが、わらにすがる思いもないわけではない。勝算があるなら、それに賭ける。
その黒い瞳に、光を灯す。
「約束する。俺たちなら、絶対に成功する」
迷いのない声に、瞳がうつむく。小さく息をついた。
「……わかった。全力で、応える」
一致団結。視線を向けた先にいたエリシアは、ただうなずく。機工師が腕いっぱいに上へ伸ばし、気合を入れるための声を張り上げた。
「よーっし! 燃えてきたにゃ! 世界の命運をかけた一発勝負! 歴史の一ページにあたしらが乗るチャンスだよ!」
「"選んだ先を正解にする"ってのがテメェのやり方だ。賭けとなりゃ上がるしかねェ」
バン、とメルストの肩を強く叩いたジェイク。
「絶対勝つぞ、この勝負」
「っ、ああ……!」
「時間もありません。皆様、ご武運を」
エリシアが杖を立て、水面の天地の間に蒼炎が生じる。周囲は歪み、この隔絶世界の崩壊を示した。その蒼炎の先は終焉に差し迫る現実が、絶望が待っている。
勝算はある。その根拠はない。だが、それでいい。
彼らは武器を構え、炎の先へと踏み出した。
「今世紀初、王国最大の錬金術ってやつを――魅せつけてやろうぜ」
※
霧がかった空が明瞭になる。
日の光が瓦礫の山と化した王都に差し込む。暴風は河川敷の流れのように緩やかになり、肺が焼けるような熱気も常温へと戻っていった。
「おい、外みてみろよ」
「霧が……晴れている?」
「てことは、毒ガスはもうなくなったってこと?」
体を蝕む脅威は消え去った。代わりに、空からは陽光に照らされキラキラと輝く粒子が粉雪のように降り注いでいた。
「メルストさん、これって……!」
涙を見せそうな様子に、錬金術師はうなずいた。
「あぁ。この実験、俺たちの勝ちだ!」
*
黒鋼の兵器が崩れ落ちる。まるで落ち葉の山に突風が吹き、散らばっていったような。
ジェイクの後ろから生じた風は、要塞と化したコーマを地面から根こそぎ起こした。
彼の前に出たハイエルフの騎士は、槍の切っ先を右後ろへ向け、薙ぐような構えでコーマに立ち向かった。いつ折れてもおかしくない細い脚はわずかにふらついており、ヘルムも砕け、赤い血が頭部から頬へと伝う。だが、もう倒れるような華奢さは見られない。
「これで、魔法……存分に、使える」
畳むように形状が元に戻った怪物は、めんどくさそうにのっそりと起き上がる。だが、その眼球は相反し、ぬらりと光を反射していた。裂いた口が心なしか嬉しそうにも見える。まだ余裕はありそうだ。
しかし、これで弾幕は来ない。空間魔法の盾を解除したジェイクは振り返ることなく、フェミルの無事と復活に安堵し、そして有言実行を叶えた錬金術師に対し、鼻で笑った。
「へっ、さすが俺様の部下だ。なぁ怪物」
『ヘハハハ、毒ガスどぉにかしたとこで状況が良くなるわけでもねぇのによ。ただの無駄だったな』
「アホか、それを決めるのは俺たちだ。関係ねぇテメェがグチグチ言う資格はねぇだろォが」
『俺ちゃんがいる限り、終わりは終わらねぇよ』
「だったら解答を創ればいいだけのことだ。あのアルケミストのよォにな」
ズガァン! とコーマを斬り飛ばした空間魔法と剣術、そして腕力を合わせた一撃。これまでの戦いの中で最もな威力を、一直線に割れた地面とコーマの胸部にできた縦一線の斬撃痕が示していた。
口角を上げたまま、怪物の眼球が正面の獣へと剥く。
『……』
「全力で来い。今の俺様はさっきの10倍強ェぞ」
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十数キロ離れた先、差し込む日照りを手で隠しつつ、煤のついたゴーグル越しで王城のてっぺんを見上げるルミアはニッと笑った。
「さっすが、あたしのメル君。やるときはやる男だにゃ」
そう称賛し、くるっと振り返る。瓦礫の山の中、爆破された残骸の上を心地よさそうにルンルンと歩く。
「都市も爆発できて、そんで英雄扱いされるなんて、やっぱり十字団やっててよかったってね」
パチン、と鳴らした指は茶褐色のレザーグローブが付けられている。転送魔法機能が搭載されたその魔道具から響いた音は、共鳴するように足跡を付けた残骸の地面を揺るがせる。
「さぁーって! 天気も快晴、爆発日和! 見晴らし最高なこの景色! メインディッシュ後のデザートこそ、有終の美を飾る至福の花よ!」
演じるように高らかな声を上げ、ルミアがくるりと軽やかな脚で踵を返したとき。瓦礫を押しのけ、10メートルを超える塔の如きブロンズの主砲が顔を出す。
「名付けて――"超テンションMAXキャノン"!!」
巨砲を支えるは根を張るような金属パイプと樹脂チューブ。大きな家一軒は入るそれらの土台に取り付けられた幾多のメーターが針を揺らし、排気弁からスチームが噴き出す。
「照準おっけー装填おっけー文句なしのオールオッケー! タイミングも完璧でーす!☆」
仰々しく両腕を空へ上げ、くるくると回る。そのアメジストの瞳の先は空のはるか先。
ゴーグルに内蔵してある多重レンズ。つまみを回しては空の彼方を拡大すると、夜と間違えて姿を見せてしまった星のような、小さな黒い点がわずかに動いているのを見つける。
そのとき、後ろから足音が聞こえる。戦闘の意志はない。だが、足音を聞くに大柄な人間か。
「ん? 誰だい、こんな場所で散歩するキチガイは――」
我こそはと無謀にも出てきた勇敢な兵士かと思い、振り返ったルミアの挙動は固まった。驚愕とまではいかなくとも、自分の想定とは外れたことに、思わず疑問の声が漏れる。
「……えっ?」
*
同時刻、空を気にしていたエリシアが、ついに見つけたと言わんばかりに、ある一点に目を焼き付け、指をさした。
「メルストさん、あれを……!」
空に穴でも空いたかのような黒い点、否。それは徐々に大きくなっているように見え、白い軌道をうっすら描いている気さえする。
コーマの言うことが正しければ、魔王軍の放った大量破壊兵器"終戦宣言"だろう。
この王都を焼き尽くし、結界の中のすべてを無に還す、まさに戦争の強制終了。しかし、それをメルストは絶望の目でとらえることはなかった。
「"核弾頭"が降ってきた。"仕上げ"にかかろう!」
「"皆さん、各自態勢を"!」
そうエリシアは声を転移させ、各々の耳に蒼炎の焔音と共に指示を届ける。
城下町を見渡し、不毛地帯に聳え立つ塔、否、巨砲を確認する。ルミアの召喚した切り札。そこから東の方角へ聞こえた衝撃音。おそらくジェイクが戦っているのだろう。
これで全員、全力で戦える。あとはタイミングと、自分のこの右腕次第。そう意を決するように、見ていた右手に拳を作る。
進むべき前方はもう、一切の妨げはない。彼の目は真摯に、そして希望に満ち溢れている。晴れ渡った王国の空へと、声を上げた。
「後は、あいつを倒すだけだ!」
次回(最終話予定)「空へ掲げ英雄よ」