4-12-16.正義よ光を砕け ―No one can take away MY STYLE―
今にも泣きだしそうなその声は囁いたようなもの。当然、誰にも伝わるはずがない。だが、その一言で民は口をふさいだ。
言葉が届かなくとも、コーマの得体の知れない威圧が民を黙らせたのだ。本能から、こいつには絶対に敵わないと、悟りかけている。
コーマは落胆したように肩を落とす。呆然と立つそれは、この戦地から高みの見物している、王城の下層に集う人間らに失望の目を向けた。
再び訪れようとしていた静寂に、コーマは続ける。
『ねぇ、なんで? ……おい教えろよ』
深海でうねる海流のような重い声。静かに怒る怪物に誰もが背筋を凍らせる。
「ひっ……!」
「やっぱり敵うはずがないわ……あんなバケモノに勝てる人なんて」
「聖騎士団も勇者もいない。ロダン軍王も英雄アレックスもやられた……エリシア大賢者様ももう」
「終わったんだ……やっぱりもうダメなんだ。俺たちも、この国も」
「――皆様! 彼の名前を呼び続けてください!」
絶望に打ちひしがれた中、切り裂いたのはエリシアだ。再び怪物の前に立つその足は、恐怖と痛みでわずかに震えている。太ももから足元に鮮血が伝っていたが、脚をおぼつかせるような弱さは、もう見せない。
「大賢者様……!?」
「声は届いているんです! アレックス様の仰る通り、もう……私たちの希望は彼しかいないんです!」
ドッ、と。何かが肉を貫く音。
辛うじて展開されていた防護魔法は、怪物の射出された尾の軌道を逸らした程度。その結果、右肩に細い穴が開いたような鋭い痛みが走る。
『いやダルいって。いいってそういうの』
「はぐ……ぁ……!」
つい右肩を抑え、右手にもつ大杖を支えにする。力んでしまい激痛がさらに走るも、目を見開くだけで、悲鳴は出さないよう喉を締める。民にそれが届いてしまえば、それこそ恐怖心をあおらせてしまう。
心配の声を背中で受け止める。このまま痛みに悶える場合ではない。これから伝えるのは、絶望じゃないのだから。
「エリシア大賢者様ッ!」
「大賢者様、お逃げください!」
「貴女様まで失うわけには――」
「絶対にここを退きません! だって、まだ希望はありますから!」
両手を広げるそれは、背後にいる彼を前方の怪物から守るようにも見える。今にも崩れそうな膝を、懸命に立たせ、息を吸う。目に雫を浮かび上がらせ、体を折り曲げないといけないくらい、力いっぱいに呼びかける。大きな声を出すのは苦手だ。だが、精一杯の思いを、この場の全てにぶつけた。
「どんな困難でも、彼は手を差し伸べて……共に乗り越えてくれた! 誰一人あきらめた中、彼だけがあきらめなかった! 誰もが思い込んできた常識を、彼は打ち壊してくれた!」
思い出すは、彼との出会い。共に過ごした日々。笑ったり怒ったり、泣いたりした出来事の数々。短くも長く思えるほど、彼との生活はより濃密なものとなっていた。最初は得体の知れない男だった。だが、徐々に打ち解けていく内、彼ならではの魅力や強さ、そしてやさしさに気が付いた。
彼のおかげで、どれだけ自分が救われたか。彼の意志が、どれだけの人々を救ったことか。その恩は、返しても返しきれない。
「だから今度は、私たちが彼に手を差し伸べなければならないんです! これで終わらせない……彼がもう一度、目を覚ますまで私は……ッ、抗います!」
蒼炎を発し、染み渡るように空間一面に張られる魔方陣の壁。それは王城の人々を、そして想い人を守るための最後の砦だ。靡くは蒼に帯びた長髪と聖職者を思わせる神聖な術服。
貫かれた手足と肩が痛く、熱い。体が寒い。頭が回らない。一瞬でも気を抜けばすぐに倒れてしまいそうだ。
だが、エリシアはそんなことなど関係ないと言わんばかりに、息を大きく吸った。自身の体の悲鳴を払拭するように。そして、民の魂の導火線に火をつけるために。
この国には、彼が必要だ。
「私は"メルスト・ヘルメス"を信じます!!」
空に響くほどの透き通った声。それは天の神に直接、救いを求めるかのような。
聖女の叫びは、やがて虚空へと消え入る、その時。
こぽ、と水が湧き出るように。
思いは通じた。
「――メルスト・ヘルメェス!!」
「ヘルメスさん! 目を覚ましてくれェ!」
「おまえが必要なんだ! メルストォーッ!」
「お願い! 私たちを助けて! ヘルメス様ぁ!」
「メルストォー!! 目を覚ませーッ!」
再び沸き起こる民の願い、そして祈り。それは、現実的にはあまりにも脆いものだろう。それでいて、なんて都合のいいことか。
彼らの必死さを人の醜さと捉えた怪物は、不満を募らせるばかり。
『なんだなんだァ……耳障りだぜおい。頑張っても応援してもくれねぇし、まるで俺ちゃんが悪役みてぇじゃねェかよ。なァ……黙ってろテメェらァ!!』
地を叩き、その勢いのまま突進する。大賢者の蒼炎の結界――民を背に守る大賢者を眼前、ボッ、と王都の端まで射出し、伸ばした巨大な右腕。誰が見ても、それが王城のすべてを無に還す一撃だと分かった。
その隕石のような拳は、黒い甲殻を裂き白い光を纏う。包まれれば身が消え入りそうなほど、まぶしい光だった。だが、その光は天の導きではない。地獄の入り口だ。
――"砕星"。
「お願いです、目を覚ましてください……っ、メルストさぁぁぁん!!!」
影すら失いそうな白光に呑まれる。
膝を崩し、一滴の涙を流し叫んだとき。ひとつの陰りが目の前に生まれる。
それは一つの闇。光の先の虚無か、否。
ふと、背後から感じた風。そして、温もり。蒼い髪をやさしくなでるように、それは前へと通り過ぎていった。
駆け抜けた闇は、終焉を迎えるそれではない。
崩壊を示す純白を打ち砕く、希望だ。
光が晴れる。
大地が砕けたような轟音と共に、隕石の如き拳ごと、終焉の化身がねじ切れながら吹き飛んだ。抉れる崩壊の地と共に、音の壁をぶち破って転がっていく。
砂塵も、戦火も、毒の霧も。その場の絶望のすべてを打ち払った拳を下ろす。
靡くは白い衣と黎の髪。
若人の身であれ、民に、エリシアに見せるその背中は、巨人の如き雄大さを誇る。
その勇姿は、人類の救世主となる。
「うそ……」
「何が起きたの?」
「わかんない。わかんないけど……すげぇ、すげぇよ!」
「あの怪物をぶっ飛ばしたぞ!!」
潮の鳴るような歓呼の叫び。飛び上がり喜ぶ者。歓喜と安堵が混じり、涙を流した者。エリシアは後者だった。
「っ、メルストさん……!」
よかった。生きていて本当に良かった。それだけでも胸がいっぱいだった。
彼女の前に立つ黒い英雄は、辛うじてその足で満身創痍の身を支えていた。声に応え、託されたすべてを背負うその背は、切れる息で大きく動いていた。
「ハァ……ハァ……ぅごほっ、げほっ」
かすむ視界だろうと閉じるわけにはいかない。そう思わんばかりに見開く目に映るは、砕氷船の如く砂塵と瓦礫を押し分けて来る怪物。何事もなかったように再生しきったそれは、哄笑を轟かせる。
『おもしれぇなオマエ! 声援に根性、貫く正義ィ!! そんな精神論でバカみてぇに復活するたァまるで物語の主人公だ! ヘハハッ、都合が良すぎやしねぇか?』
話す余裕などない。体はとうに限界を迎えているのもあるが、それだけではない。
彼は考えていた。激痛を越える刺激が、脳から頭蓋へと突き抜けるほどまでに。起死回生の際に生じたエネルギーがプラズマの形で無意識に漏れ、周囲に焦げ跡をつける。
『どこのお伽噺から出てきたか知らねぇが、ここは絵本みてぇにやさしい世界じゃねェぜ?』
ズゥン、と両肩より外へ広げた両腕。拳を地面に打ち付けては、獣の体勢に移る。口から洩れる揮発性有機ガスと白い蒸気。全身からもあふれ出すそれは、排気音を唸らす。揺らぐ熱波は大気をぐにゃりとゆがめた。
それを正面に、メルストは深く息を吐く。パン、と胸の前で右拳を強く左掌に打ち付けた。まるで何かをつかんだ右手を、左手で包みこむような。仁王の脚で立つ彼は、怪物の起こす地鳴りと超過重力に動じない。
進化は、無数の試行錯誤の繰り返しの上で成り立っている。コーマの肉体は、それを感じさせないような速度で、ないし最短のルートでそれを成している。数億年かかるような変化を、たったの数コンマで実行する複合獣はもちろん、そのような生体機構を造り出した人物に対し、畏怖と一種の尊敬を覚える。
自分は無知で、無力だ。そこまでの領域に踏み込んでしまった彼らと同じ土俵に立てるだけの能力には遠く及ばない。
だからこそ、今できる自分のやり方を。
自分の知る、最高の錬金術を。
――"多元系錬成"。
次回「希望」




