4-12-15.たった一つの託された小さな勇気
崩壊する都市に忽然として現れたその者は、王国中の誰もが知る"英雄"の一人。誰もが歓喜と救いの声を上げた。
「あれは……! いや、あの方は――!」
「"竜王殺し"! アコードの英雄だ!」
「よかった、もう大丈夫だ!」
「ポーラー様! 私たちを助けて!」
声援を浴びるアコードの英雄は、ガスを防ぐための対策などしていない。エリシアと同様、防護魔法あるいは"女神の加護"によって守られているからだろう。だから、魔法抑制の影響があまりなかったのか。
英雄はエリシアの咄嗟に出た一言に律儀に応えた。
「巨大な力を王都から感じた故、駆けつけたまで。不安定とはいえ、大結界を一部解除するのに時間を要したが……最悪の事態だなこれは――ッ」
話す途中で目に入った、信じがたいもの。エリシアの防護魔法で守られた、白い外套と黒い髪の少年の倒れた姿に、言葉が詰まった。
「メルスト・ヘルメス!? これは一体どういうことだ!」
すぐに駆け付け、恋路の因縁の男の上体を起こす。砂や煤、血で汚れた衣服と顔。ひどい怪我だ。揺すろうとも、一向にその瞳が開く兆しすらない。
「何がお前をそこまで傷つけた。この俺ですら傷一つつけることはできなかったというのに」
『おーい、俺ちゃんのことは無視ですかー?』
ずっと見ていた怪物がのんきな、しかし不機嫌そうな声で呼びかける。それに反応した英雄は、瞬きのないまっすぐな目で穴の空くほど睨みつけた。その瞳の奥に潜む焔が滾る。
「この有様……貴様の仕業か」
『訊かなくても分かるだろ常識的に。けどその目……何? やる気? へひゃひゃひゃ、感心しますねぇ』
「"獄炎竜牙"!」
地を伝い、湧きたつ業火の巨刃がコーマを押しのける。エリシアでさえも後ずさるほどの衝撃だ。今の竜王殺しに近づくことは賢明ではないだろう。
「疑うまでもない。おまえはこの"竜王殺し"が始末する」
『ッ、おぉ~? 少しはやるみてぇだな』
地面をえぐりながら、その足で威力を受け止めたコーマに、アレックスは燃ゆ剣に雷を纏わせる。紅い刃に浮かぶ小さな魔方陣の紋様が、歯車のように動く。
「まだか――"雷豪竜牙"!」
落雷の如き閃光と轟音に耳と目が眩む。斬撃がコーマの全身に切れ込みを入れた。一瞬の出来事に怪物は余裕の声色から一変、頓狂な声を上げる。
『んぉッ、あれ!? ちょ、タンマタンマ!』
「"破鋼竜星群"!」
隙など一切与えない。目の前の王都の惨事を見れば、情けなど無用だ。
そう訴えんばかりに、重く、熱く、鋭い無数の突きで怪物を蜂の巣状に穿つ。機関銃を受けているかのような連続した威力を前にコーマは押され、後ずさりするばかり。
『あばばばばッ』
「"今ここに蘇れ、純粋なる穢れなき炎よ。森羅万象よ、無と還れ。汝の力を我の剣に宿し、すべてを滅ぼせ"――"逆燐剣舞"!」
誰一人近づけないほど、周囲を灼熱の海へと滾らせる。ルビーに輝き燃える鎧まさに英雄の姿。
そして、一刀両断。細胞一つ一つが焼かれるように、真っ二つに斬られたコーマの姿はそのまま業火の柱に呑まれた。
『うぎゃあああぁあぁああ!!』
「効いてる! さすが竜王殺しの英雄だ!」
高台の王城の崩壊した壁や防衛前線から湧き上がる歓声。兵士らもこれには安心のため息。
だがエリシアだけは、神経が凝結したような気味の悪さを感じていた。
『――あああぁああぁ……って言えば満足かい』
突如、永劫の炎が消える。
「なっ、まったく効いてないだと……!?」
パタン、と本を閉じるようにあっさりとコーマの二つに裂けた半身同士がくっつく。
『逆に訊くけどさ、そんなので倒せると思ってたの? めでたいわー』
と言いながらパン、パン、と大きく拍手する。しかしその手は腹部付近についたヒトに近い手。発達した巨大な主腕は、アレックスの次の一手を封じるように、目にも止まらぬ一撃を繰り出していた。
「がッ!?」
辛うじて防いだが、あまりの衝撃に思わず膝を崩す。魔法も加護も関係ない防御無視の力は、全身に堪えたようだ。縛られたように体が固まって動かないのは細胞の全てが恐れ慄いているからか。その様子は民からも見え、どよめきが混じる。
『でもせっかく名前まで考えてくれてる必殺技の連発だし? なんか効いてないってのも申し訳ねーから? まぁ一応ノッてやったっつーか? あ、感想言うなら、いちいち技が暑苦しいね、君。いい歳してそーいうお年頃なのかな?』
「貴様……ッ」と眦を決する。首を傾げ、曲げながら近づいては憐れむような目を怪物は向ける。
『ごめんね~、そーいう熱い系は既に"適応"しちゃって。文句はあそこでくたばってる兄弟にいってくんない?』
『てことで』と付け足し、その拳で英雄を散らせた。
『はい終了~。おつかれさまでーす』
その威力は人体を地平線のかなたまで吹き飛ばすことはなかった、否、振り絞った力で防御を試みた故の、衝撃の吸収か。いずれにしろ、風に吹かれる木の葉のように軽々と紅き鎧の姿は滑空し、王城を張る防護魔法の壁に衝突しては弾かれ、落ちる。
ズシャリ、と。
奇しくも、エリシアの視界に入る場所へとそれは落ちる。纏う紅蓮の鎧は砕け、鮮やかな赤を流していた。うつぶせに倒れ、ただ閑静が漂う。
民の目の前で焼き付けられた、英雄の敗北。
今度こそ、その目は暗闇に呑まれた。
「そんな……」
そうつぶやいたのはエリシアだった。晴れかかった空が再び暗雲へとなったように、彼女は絶望感に打ちひしがれる。すぐに回復魔法を、と脚を動かそうにも、粘つくように感じるひとつの視線が妨げている。
――カラン……。
だが、そこに一筋の光が差したように、石の転がる軽い音がやけに耳に響いた。音がした左へと視線を移す。
うめき声を上げながらアレックスが上体だけでも起こそうとしていた。命があっただけでも幸いだが、その様子では到底戦えそうにないことは、遠くから見下ろす民の目でもわかりきったことだった。
彼の怒る眼は怪物に非ず。その赤い瞳に映っていたのは。
「ぐ……っ、なにをしている! 貴様はそんな程度の人間じゃないだろう! それでも俺のライバルか! メルスト・ヘルメス!」
喉を裂けんばかりに叫ぶ先は、先ほど彼の介抱によって瓦礫に背を預けられた、動かぬ錬金術師。その声は、どこまでも、王城の国民にも強く届いた。だが、彼らは戸惑っただろう。
構わず、アレックスは怒号に似た声を物言わぬ人の躯にかけ続ける。
「この俺が唯一認めた男が、こんな奴にやられていいはずがないだろう……! 俺が貴様を倒すよりも、先にくたばってどうする!」
己は最強だと、常に信じ続けてきた。ありとあらゆる魔物や竜を討ち、繰り広げられた紛争をも圧倒的な実力で鎮静させ、英雄の名を冠してから一度も負けることなどなかった。
だが、そこにぽっと出、英雄の無敗伝説に泥を塗った、錬金術師。
己が恋した女を賭けた決闘で、最強であるはずの自分に勝った男。
幾度の勝負を仕掛けても一度も勝てないどころか、惨敗の連続だった。汚名返上しようとも恥の上塗り。彼の恨みや怒りは募っていくばかりだった。だが、次第に心のどこかで、一人の強者として見るようになっていた。単純な強さや博識さだけではない。民を笑顔にする力と、人に心から慕われる力。自分にもあるはずなのに、何かが違う。その何かが彼にあり、自分にないものだと、自然と思い知らされた。
だからこそ、負けるわけにはいかなかった。この男を越えてこそ、自分の求める頂点がある。故に、目の前の錬金術師の姿を認めたくなかった。
「はァ……くっ、貴様の実力はっ、そんなもんじゃない! さっさと立ち上がれメル――」
何かが折れた音と共に、声が途絶える。それもそのはず、アレックスをその伸ばした触腕で上から叩きつぶした怪物がいた。
「あ、が……っ」
『そういうのいいから。黙ってくれね?』
「ッ、アレックス様!」
思わず呼びかけた名も、もう届くことはないだろう。寂寞に包まれた世界は、いつ崩れ去ってもおかしくはない。
死に瀕した際に叫んだそれは、さいごの頼み。なぜ、あの白衣の少年に託すようなことを。しかし名前だけは知っている者も少なくはなかった。だからこそ、不思議に思っただろう。王都では、錬金術師としての功績の方が広く届いているから。
なんであれ、竜王殺しの英雄が認めている。その事実が、誰かの勇気を産みだした。
「――ばって……!」
ふと聞こえた、ひとつの幼気な声。微かに耳にしたエリシアも、コーマに構わず、ゆっくりと後ろを――民の集う半壊した壁際へと振り向いた。
「がんばって! 白衣のおにいちゃん! がんばれぇっ!!」
それは、とてもちいさな勇気だっただろう。年端もいかない男の子が今にも崩れそうな足場にも恐れず、大人たちの前に出ては必死に大きな声を上げていた。
その目には、涙が浮かんでいた。
「わるいやつなんかやっつけて! 白衣のおにいちゃあん!! がんばってぇ――!」
英雄アレックスが託した唯一の希望。王国最強候補と謳われた男が上を認めた存在。それは確かに、民の心に届いただろう。
それが、大きな勇気へと広がっていく。
「そっ、そうだ! がんばれ!」
「がんばってくれ! 頼む、あんなの倒せるのあんたしかいねぇんだ!」
「アレックス様やロダン様の仇を討ってくれ!」
「黒髪の兄ちゃん! あいつをやっつけてくれ! 王都を……国を救ってくれ!」
「頑張れ!」「頑張って!」「黒髪の少年!」「お願いだ!」「私たちを助けて!」
徐々に大きくなる波のように、人々の求める声は大きくなっていく。静寂だった不毛地帯は、人の声で埋もれていった。
その時にエリシアが感じた、ひとつの熱。それに、思わず目頭が熱くなる。力が入らない、血で濡れた手で大杖を握りしめた。
「そうだ……まだ、終わっていない」
ひとつの確信が、エリシアを立ち上がらせた。英雄の声は、確かに意味があった。
『……なんでぼくには応援してくれないの?』
次回(仮)「"No One Can Take Away My Style"」




