4-12-13.一人
シリアス的な場面メインとなります。
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民は一驚を喫した。
軍王ロダン・ハイルディンの敗北。そう思わせる瀕死の老躯が王城の中へと運び込まれていった。当然目につく人々は、この状況をひどく恐れた。
彼らから感じたものは絶望。
かつての勇者も老い、加え魔王軍元帥によって深手を負っている。外部との連絡もできず、聖騎士団も英雄も未だ来ない。援軍が来ない中、頼りになるのは軍王のみ。だが、その唯一の希望さえも絶たれた今、祈りはどこへ通じるのか。
幸い、怪物の姿は見えない。あとは黒い生命体と毒ガスをどうにかすれば。しかしどうやって。
エリシアはこの状況に手の震えが止まらなかった。
打開する力がないわけではない。大賢者としての使命を果たす時だと分かってはいる。だが、真に頼れるものが何一つなくなってしまった今、仲間の存在が感知できなくなってしまった今、胸にしこりが残るかのように不安もぬぐえない。
ロダンは意識不明。パラビオスに応戦していたはずのルミア、ジェイク、フェミルもどこかに消えてしまい、挙句にメルストは怪物の攻撃を受け、結界の外へ共に飛ばされたきり、消息は分からない。
しかし、今は民の治療が先だ。抜けた空が見える王城内部にて、魔法薬調合の指示や治癒魔法の施し、そして王城の防護魔法の強化に努めた。魔法の効果が抑制されようとも、できる限りのことはと魔力を絞り出し、民のために捧げる。だが、それも限界が近い。彼女の目に疲弊が見えていた。
体力と気力が底をつきそうになったとき、
「大賢者様! 第4防衛戦南西区より、距離53先にて何かが落下しました」
飛行し、降りてきた竜騎士の報告に、息が詰まりそうになる。ここからかなり近い。
「パラビオスとは別のものですか?」
「いえ、なんだか……人だったようにも見えましたが」
エリシアの行動は早かった。
中距離間で転々と転移しながら観測された場所へと駆け付ける。
たどり着き、防護魔法で囲まれている王城から出る。防衛前線で警戒する兵士たちの止める声に構わず、瓦礫で足がおぼつかないながらも砂埃舞う場所へと息を切らして走った。
聞こえてくる、苦しみ悶えたような、かすれた嗚咽。しかしそれが誰のものかはすぐに分かった。
「メルストさん……っ!?」
今にも崩れそうな四つん這い体勢になっている姿。声をかけても聞こえていないようだ。それだけ余裕がないのか。すぐに傍に寄り、膝を落とす。
「おぅえっ、ぉぼぁ! げぁぁう……うぼぇ」
一滴の水分も出てこなくくらいに、びちゃびちゃと身なり構わず胃液混じりの血反吐を吐き続ける。
刺さるように立つ鳥肌は全身を巡る。小刻みに痙攣する筋肉とひくつく臓腑。手足がひどく冷たい。なのに頭が割れるように痛く、熱い。瞳孔が定まらない。皮膚がぜんぶ剥がされたように痛い。呼吸がうまくできない。
「っ、すぐ横になってください! 治療いたしますから!」
今までに見ない彼の苦しむ姿に胸の痛みと狼狽が顔に出る。すぐに治癒魔法を詠唱するも上手く発動しない。やはり毒ガスの中だと抑制が強いのだろう。浮遊魔法もままならない。人手が必要だ。
(もうこれ以上は使えない……体がもたない)
記憶の限り思いついた場所へ転移することには成功したが、反動が今まで以上に激しい。一日の許容量を遥かに超えた"時空転移"を発動したために、肉体が限界を迎えていた。
だがそれ以上に、刻みつけられた畏怖がメルストの心を蝕もうとしていた。
間近で起きた重力崩壊と密度増大の極致。名前だけならば前世にも存在する現象だが、この世のものとは思えなかった。奴はその口の中で天体を生み出し、そして超新星爆発を試みようとしていた。その際に融合しきった核が崩壊したのだろう。重力半径より小さいサイズに収縮した結果、黒天体生成らしき現象が起きた。
だが、光をも逃がさない強い重力を発するということは自滅行為に等しい。自分の能力に殺され、理論上ならばスパゲッティ状に体が引きちぎられ続けるだろう。
幸いにもこの惑星や衛星から離れた場所で起こしたものなので、ここまでその影響が来ることはない。コーマもおそらくは……そう信じたい一心だった。
「エリ、シ……ア、さん」
意識が外に向き、視界も定まったのだろう。認識し、元の場所に戻れた安心感から気が抜けそうになる。彼の暗くなった瞳に彼女が映ったことに、彼女自身も喜びを心の内に秘める。
「っ、メルストさん! 大丈夫です、あとは私たちに任せてください」
なにも訊かず、エリシアは療養を急ぐ。駆けつけてきた兵士らに安堵した。
「ここに、落ちてくる……っ」
だが、錬金術師は腕を、膝を立てる。
今ここで休んでも、王都崩壊のカウントダウンは止まらない。
「ここに"核爆弾"が落ちてくる……! 王都が跡形もなくなるくらいの爆弾が!」
「え……?」
突然の情報と必死の形相に、エリシアは戸惑う。そんな彼女の肩に手を置いた。強い目だ。
「だからエリシアさん、俺を王城のっ……」
突然、彼が固まる。何かが聞こえたのか、察知したのか。兵士らの目から見れば頭がおかしくなったように見えただろう。だが、エリシアはメルストの意図を読み取ろうと努めた。
ひどく静かだ。だが、メルストは次第に顔を青ざめる。そして歯を食いしばり、髪が逆立ちそうなほど、その形相は一種の怒りを浮かべた。
「――伏せろ!」
エリシアを押し、そのまま踵を返しては前へと跳んだ。何かを受け止めるように両手を広げた、途端。
"終焉"は現れた。
時空の壁を速度でぶち破って、ここに降り立ってきた。だが、その衝撃は隕石に等しい。そこを、錬金術師は身を挺して庇ったのだ。
言葉にできない音がメルストを砕く。大気を揺るがし、弾け合った両者。片方は両の踵と竜爪で地面をえぐりながら速度を殺す。もう片方はせり上がった地盤の壁を突き破り、何回も地面をバウンドし、そして王城の前の瓦礫を凹ませんほどに背中をぶつけた。
その目に光はない。
そのまま、前に倒れる。
『あ~なんですかなんですかぁ、爆弾より先に俺ちゃんがここをぶっ壊してみんな仲良くご臨終させる気宇壮大なアイデアを邪魔してくれちゃってぇ。つーかどこ行ったと思ったらここにいたのか兄弟。俺ちゃんあのあと大変だったんだぜ? って、あれれー、聞いてる?』
その視線の先に動きはない。ただ、そこに駆け付ける影が一つあったが。
「メルストさん!? メルストさぁんッ!!」
思わず肩を揺らす。声が裏返るほど、彼の名前を叫ぶ。だが、ぴくりとも動かない。その瞳は閉じたままだった。
「そんな……嫌、いや……! 起きてください、メルストさん……っ」
視界が濡れる。どれだけ揺すっても、彼女のか細い声は届かなかった。
『……んぉ? さすがに壊れちゃった感じィ? えー結構ショックなんですけど。はじめてのお友達だったのに。まいっか』
地が鳴り響く。すぐ隣だ。
大賢者は顔を上げ、終焉を見る。二度と光を見せないかのように、太陽を覆うように立つそれは、既に錬金術師どころか大賢者すら見ていなかった。次の餌か遊び道具を探す子どものような、ぬらりと煌めいた睛眸。
その視線の先には、半壊した王城があった。
次回(仮)「聖女の祈りは残酷にも届くことは」




