4-12-12.この終焉の日に祝福を
あのさぁ…という声が後ろから聞こえてきますが、今回までは戦闘描写メインです。ご容赦ください。
宇宙速度。
地表の物体にある初速度を与え、惑星の重力圏から振り切り、脱出する速度でもある。
その速度は空気抵抗を考慮しなければ、時速40,300 km――秒速11.2 km。
有頂天の世を超えた先、そこは時空連続体の領域。この異世界では未だ"宇宙"と名付けられていない虚の世界。
座標高度――約42,000,000 km.
体感温度――宇宙マイクロ波背景放射を考慮した上で、現在95 K.
体感圧力――約1.33×10⁻⁵ Pa.
放射被曝――453 mSv/y.
虚空の海に浮かぶ冷たい島の名は"天陰"。
神の墓場とされる場所。
「……ッ!? ッ……ッ……!」
(あれって……まさか俺がいた星か……!?)
思わず息を止める。しかし窒息しそうな苦しさはない。起き上がり、惑星を見た。
これが夢でないとするならば、自分は数十万kmは離れているこの衛星に一瞬でぶっ飛ばされたことになる。
『あんまりボク君が壊れないものだから、ついはしゃいじゃった☆』
(……うそだろ)
小躍りする怪物に対し、信じられないような目を向ける。奴がいるならば、ここは夢ではない絶望感も、その目から出てくる血と共に浮かぶ。
(ここ……酸素がない。アルゴンとヘリウムばかりだ)
その声が耳に届く以上、真空と思われる環境にも音を伝播させるだけの大気があることに気づく。だが、ここだけ空気密度が大きい以上、とても衛星の環境によるものではないと思わせる。
胸がひどく熱い。この極低温、放射線飛び交う真空空間かつ無酸素の過酷な環境であるにもかかわらず生身のまま呼吸もせず生命を維持できているということは、やはりこの無尽蔵にエネルギーを生み出し、出力する器官を有した剛質な肉体由来のものだろう。常人ならば全身の水分が沸騰し、やがて保存のきく膨張した汚染肉の塊になる。
但しそれは、相手も同じ。
『酸生物質なくても生きられるたぁ傑作だぜ、俺達マジで血が繋がってんじゃねぇか!?』
喜びに暮れるそれは、生命の域を越えつつあるとメルストは危惧する。
(まだ余裕あるとか……どんどん進化してやがる。いやもうそんな次元の話じゃない。俺も、あいつも)
思わず笑ってしまいそうになるほどの状況。生命を逸脱した強靭すぎる肉体が、未だその身を保たせてくれているとはいえ、いつまでもここにいられるほどの余裕はない。
エリシアら国民の安否が頭に浮かぶ。そして、魔王軍の放った核兵器のことも。
(こんなとこにいる場合じゃねぇ! 王都に戻らねぇと――)
一瞬身を案じてためらうも、発動した時空転移。だがその躊躇いをしなければよかったと彼は後悔する。
掴まれたような圧迫感。臓腑が泥のように流れ落ちるような気持ちの悪さ。ぐわんと感覚ごとひっくり返り、すぐさま打ち付けられる背中。まるで羽ばたこうとした鳥が撃ち落されたような。
(こいつ、今何を……)
『逃げんなよ。つめてぇやつだな』
その胸部から赤く白い光と液体が漏れる。浮き出る血の管も脈動し、不気味に赤く発光する。
無限のエネルギーを生み出すそれはまさに巨星。重力が歪みかねない存在は、巨腕を地に置いては前傾し、笑う。
『ヤろうぜ兄弟。俺を愉しませてくれよ』
その高熱が共鳴するように、メルストの凍てる体も焔を灯し始めた。
(くそっ、やっぱりこいつをどうにかしないと)
やるだけやってやる。そしたらなるようになる。
意識という信号を途切れさせないことで精一杯だったが、彼は眼光を怪物に向け、身を前へ倒した。
ふたつの閃光が走る。通り過ぎた後の白の砂漠は地表から砕け散り、底の見えない地割れが根を張る。
崩壊の侵食と同時で進行する創造。次々と天高く連なる純鉄や重鋼の剣山、対抗する極剛にVAMの巨壁、そして多彩色の結晶山が瞬時に生み出されてはプレート衝突の如くぶつかり合う。
一撃を食らい、数百kmもの距離を激しく転がり続けるも、そのたびに手を付けた地から次々と金属の壁を創成・構築させ、鋼の森を創っていく。それを容赦なく地盤から叩き壊す怪物の腕。そのまま潜り込ませては地中と真空の空を這う黒い鎖が、錬金術師を追う。
「――ッ」
爆ぜる。
エネルギーを熱的かつ力学的な運動に変換しては放出し、推進力としてそれらを潜り抜けるように回避する。何度も鎖の先端を黒炭鋼の腕と錬成した黒剣で弾くも埒が明かない。全身を放電させ、コーマに急接近し、一蹴。腹部を凹ませ、吹き飛ぶそれを、加速を繰り返しながら追いついては殴打を連発する。
数千もの距離を駆け抜け、やがてその疾さは宇宙速度へ。赤子のように嬉々とした無邪気な声を上げるコーマも対抗し、メルストの速度に適応する。
数万の距離に及び、宙に漂う無数の固体天上物質が同時にただの融けた破片と化し、通りかかった彗星に小さな穴がくり抜かれる。表面が氷で覆われた流星群にぶつかり、弾かれ、そして抜けた先にそびえる小惑星にトンネルを穿つ。エネルギー膨張のあまり、生じた時空転移が彼らの姿を度々消しては遥か遠くへと瞬時に飛ばされる。
まるで小さく、質量の重い天体同士の激突のよう。天秤に量れないほどの規模の小惑星がそのふたつの存在に振り回され、砕かれ、軌道を乱されてゆく。
コーマが楽し気に何かを喋っているが、メルストの耳には届かない。無音、そして闇の中に瞬く光を目で追い、拳を振るうので精いっぱいだ。
時折、自分を失いそうになるくらい、血が滾るような感覚に陥る。衝撃を受けるたび、体が悲鳴を上げるたび、目が覚めるような、しかし酔いしれるような陶酔感を覚える。
気づけば、暴風の層流と岩石の山に囲まれた場所に墜落していた。凄まじい速度で虚無の空間を駆け抜けるそこは、おそらく惑星に墜落するとしたら隕石と称される流浪の矮小天体だろう。
ドズン、という音は感じなくとも、振動で首だけを動かしたメルスト。歩むコーマからガスが創成され、操作しては音を伝播させる空間へと変える。
『いいねぇいいねぇい゛ぃぃぃいねェ! たのしいねぇぇぇえッ!! 絶頂っちまいそうだ♡』
愉悦の声色を漏らし、怪物は重油の如き黒い唾液を垂らす。半ば岩石の瓦礫に埋もれたメルストから聞こえる音は、転がった石ころのみ。生じた生傷も徐々に修復し、痛みも引いてくる。その分、全身が焼けそうだが。
『あのさぁ、少しは喋ってくださらないかしら、私だけ言葉を並べるのは寂しいのですよ?』
「……おまえは本当に、なんなんだ」
『それぁ貴様にも同様のことを述べることができる。おまえは本当に、なんなのだとな』
「俺は……」
『お互い、ろくでもねぇものに生まれちまったな。ヘハハハハ、"天"の悪戯にしたって巫山戯が過ぎるぜまったくよぉ』
ただの言葉だが、引っかかる一言。この比類なき最高峰の能力が、ある神によって肉体に授けられたメルストは、ひとつの可能性を考える。力ない声で、コーマに問う。
「おまえ……神様に、会ったことあるか」
『えー? なになに? それってなんだかとっても素敵な質問だね! 知らねーよバーカ。あ、でもでもでもね、ろくでなしならひとり思いつくよー!』
この怪物も同じ能力を持っている以上、あの神と関与していることは間違いなさそうだとメルストは考え付く。死後の肉体に魂が宿り、かつ神と云われかねない力を授かることも、共通している。
だとすれば、あの神様は――。
『そのバカが言ってたっけなぁ。世界は死ぬ時と生まれる時が同じなんだと。そーやって世界は老いたら若返りをして繰り返していくんだと。なぁ、そのタイミングを自分で作れたら、それこそ下らねぇ神に近づいたってことになるよな』
肩を上げ、大きく横に広げた両腕――翼脚と10の爪を地に打ち付ける。まるで自分という砲台を固定するような。
胸部が噴火のように割れ開き、液状の放射性物質が溶岩のように漏れ出る。全身に赤い紋様が浮かび上がった。
『光あれば闇もあり。つってもよ、闇から光が生まれる事例って知ってるか?』
「なんの、話だ」
『俺ちゃんのとっておき。へはははッ、ろくでなしな神様のよォによ、このクソッタレな世界を"やり直そう"ぜ――』
四脚の体勢のまま、胡蝶蘭のように花開く口。筋肉で押さえつつも膨れ上がる巨躯。向けられた喉奥から見える深淵と一筋の光。
鳴動する無音の空間。視界が歪む。光が曲がるような重さに、指一本動かせなくなっていた。
眼前に起こる、天文現象。繰り返される重水素連鎖反応、創成融合、そして安定崩壊……数秒の間で恒星の一生が口内で行われているような。
自分がちっぽけと思えるようなエネルギー量を前に、一瞬だけでも感情を喪失していたことに恐怖を抱く。
逃げたい。逃げたい。逃がしてくれ。
この体がどうなってもいい。
逃げろ!!!
『"この終焉の日に祝福を"』
次回「一人。」
ふと書いてて思ったのが、メルストでもダークマターは"組成鑑定"(感知・分析)しないんだなぁと。彼の中でその本質の理解の範疇にないのでそりゃそうかと自己完結しましたけども。




