4-12-3.決裂、そして衝突
悪寒が走る。
当然、何のことだと疑念を浮かべる顔もあった。だが、顔をこわばらせ、最も血の気が引いたのはメルストだった。
ベネススは説明を続ける。
「大賢者のみならず、この世界の名だたる"王"皆々が察知したはず。得体のしれない……危機ともいえる大きな変動の前兆を。我々よりも先に調査に出た蒼炎の大賢者はもうお判りでしょう、その存在のことは」
心当たりがあるのはエリシアも同様だった。ある時、ただならぬ"力"の目覚めを察知したからこそ、誰よりも早く、単独でヴィスペル大陸に赴いたのだから。
おそらく彼のことだろう。だとすれば渡すわけにはいかない意思を先決した。声がかすかに震えるも、強く答えた。
「た、確かに調査しに訪れましたが、そのような生物は……」
ふっと嘲笑うかのように元帥は笑みを浮かべ、
「貴女様は純粋だ。慈愛の女神イリスタと形容されるだけの御方が、人を陥れるような嘘を吐くはずがないことも理解している。では……その大陸に"誰が"いた?」
「っ!?」
隠し事ができない彼女の目が丸くなる。
ほう、と。確信までとはいかずとも、大方の目星はついた。
「なるほど……まさか人の姿だとはな。"それ"をこちらに引き渡してくれれば、国王辞任のことは見逃しましょう」
カツ、カツ、と十字団の方へと近づく。一歩ごとに鼓動が早まっていくのをメルストは覚えた。
(やっぱり俺のことだったか……どうする。まだ誰かまでは特定できていないみたいだけど、俺が行かなきゃ、この国が攻撃されるのは確実だ。けど、俺が魔国に行くとしても、この国は本当に無事に済むのか)
元は自分の体ではないが、だいぶ扱いに慣れたこの体が悪用されればどうなるか。生半可な知識や技量、倫理では死人が出るどころか国や世界が滅ぶ力だ。そんな最悪の事態だけは避けなければならない。
対抗できる力はあるにしろ、パラビオスのように自分を傷つけられる存在を生み出している以上、捕縛し操作するだけの技術が開発されている可能性だってある。現に、ある派遣罪人の精神魔法で自我を失っていたのだから、決して無敵の肉体ではないことは理解している。だからこそ、目の前の最高戦力に立ち向かうことが大きなリスクに見えた。
ぴたり、と歩を止める。ベネススに感じた殺気。それはかつての世界最高の英雄――勇者にしかない覇気を感じ取ったためでもあろう。しかし、それは憎しみではなく一種の愛情とも感じ取れた。
振り返れば、既に老いを迎えた救世主の末路。精々、それぐらいのことしかできない様子に、人間の老いを魔族は心の隅で嘆いた。
「さぁ、如何なさいますか、国王殿。怪物ひとりをこちらに引き渡せば、王都も民も、貴方様の地位も、何事もなく済みます」
その怪物をどう利用するのかぐらい、解っている。この場はなんとかできようとも、今後の争いが次の"大戦"に発展することは目に見えていた。魔王軍の支配の未来は、確定だった。
「…………」
王の娘はただ、父の目を見つめるのみ。自分が人質となっている以上、彼女の打開策も雲が明けないだろう。
十字団は捕縛。近侍のカーターに視線をやるも彼は動けない状態。手配したこの場にいる戦力は再起不能。崩れ落ちる壁。機龍がゆっくりと王都を蝕ませていく。地平線に見えるは天まで続く硝子色。城下から民の阿鼻叫喚が聞こえてくる。
時間はない。そう王の考えを読み取ったように、元帥は催促をする。
「黙秘を選ぶということは、すべて"断る"という意味で良いので? 国王殿」
「……私が王を辞めれば、国に手を出さないんだな」
重い口を開く。真摯な瞳を受け取るため、正面へと元帥は体を向け、
「ええ。そちらの選択の方が穏便に済むでしょう」
その一言で、ラザードの疑念は確信に変わった。
どちらにしろ、王の立場を捨てることが帝國の目的だと。目的から遠回りになる程、自分以外の被害が及んでしまうことに、気が付いたのだ。
続く沈黙。そして、
「……わかった。そちらの要望に応える」
「お父様!?」
立ち上がろうとも、パラビオス兵によって再び膝をついてしまう。
王は唇を結びつつ、そして啖呵を切った。
「国を守るためだ。民の命に代えるなら、地位も力もすべて捨てよう」
「ラザード王……!」
信じられないような、近侍の目。まだ何か方法があるはずだと、早まらないでほしいという願いがこもったそれだったが、王はそれを見ることはせず、床に抑えられた錬金術師に対し口角と目元のしわを深めた。
「この国で暮らすものは誰一人、欠けてはならぬ。それが王としての責務だ」
「……」
王の視線、そして想定より容易く王位の放棄を選んだことに元帥は違和感を抱く。彼には、そこまでして怪物を引き渡したくないようにも見えた。やはり企みがあるかもしれない。そうベネススは感じ取れた。
だが、今確かに王はすべて捨てると口にした。巨剣を光粒子化し、手腕の鎧に収納させる。
「そのお言葉に偽りはないようですね。それではすぐに国王辞退の公表を――」
突如としてこの王城が、否、国が激しく揺らいだ。地から伝う強大な振動、だが連動的ではなく、何度も地盤に巨大な衝撃の釘を打ち付けたような、単発的な激震だ。
「な、なんだ!?」
先ほどの地響きとはけた違いだ。膝を立てていることすらままならない。その中で、ものともしないベネススのみが冷静に状況を把握せんと割れた壁の先の空を見つめた。
(スレイバル、生命体のことだが)
思考を言語化・信号化し、微弱な電気魔法の形として対象に問いかける。途端、ノイズが走り、聞こえてくる重低音の電子音声。それは機龍の哄笑に似たものであった。王城に絡みついた龍の咢は地面に突っ込んでいるが、鮮明にベネススの耳にのみ声を届かせていた。
『ああ。この大馬鹿大国、とんでもねぇもんを手にしてやがった!』
目当てがそこに閉じ込められている可能性が高く、かつ厭世的な悪魔でも知る存在。嫌な予感がしてならないが、観測されたエネルギーの根源がそこにあったことは確かだ。
そのレンズで何を見たのか。逃げるように機龍は地鳴りと大量の砂塵とともに巨大な竜頭を地上へと出した。
(地下に何がいた)
冷徹な問いに対し、機龍は焦りを含めた声を上げた。
『いたもなにも、"終焉の渾沌獣"だ! 今までどうやって生き延びてたのか知らねぇが、ニグレドスを吸収してたのも、死の大陸でエネルギー撒き散らしてたのもこいつに違ぇねぇ!』
(……っ、それは悪い知らせだな)
これまで一度も溶けることのなかった氷の顔が語らぬまま、血相を変えた。なぜ"この世に存在してはならないもの"が今になって再び世に顔を出したのか。思わず大賢者の方へと眼球を動かし、その正気を一度だけ疑った。
(蒼炎の大賢者の様子を見るに、回収時は人間の皮を被っていたようだが、果たして渾沌獣がその正体だというのか……いや、今は考える場合ではない)
この揺れがその怪物によるものならば。
戸惑いを見せる人間族の王に向け、吐き捨てる。
「王よ。残念な限りですが、そちらの国で所持している"世界の不都合"により交渉は決裂しました。この王都を滅ぼします」
「なっ――!?」
あまりにも突飛な宣言に誰もが唖然とする。この大地震のことを知っているかのような発言に、メルストは口を開くも、聞く耳を持つはずがなく。
「待てよおい! なんで急に――」
「しかし王都よりも先に……やはり貴方はこの手で確実に消さねばなりません。神への祈りは不要でしょう、ラザード・オル・クレイシス国王」
黒鎧の腕から焚き立つ焔の如く緋色の粒子を放出し――召喚された紅蓮に染まる巨剣を王の眼前に当てる。
「お父様っ!」
王の娘は振りほどこうと蒼炎を体から滾らせながら抵抗する。だが、力も魔法も吸い取られるように抜け、思うように動けない。空間のいたるところに生じた数々の蒼い魔方陣もほのかに表れては消え去っていった。
「っ、ありゃマジで死ぬぞおい」
抵抗する中で視界に入った王の最期の間際。ジェイクでさえ、そう言葉がこぼれた。
今度こそチェックメイトだといわんばかりに、魔王軍元帥は断頭刃の如く巨大な裁きを振り上げた。
「さぞ善き生涯を過ごしたことでありましょう。……だが、貴様の時代は終わった」
風を断ち、振り下ろされる剣。しかし響く悲鳴は誰でもない、剣の方だった。
軋み、潰れ、粉々になった巨刃の魔剣。突如として現れた"力"に軍事最高権力者は目を見開く。
弾き、破砕させたのは人の腕。白衣をまとった黒い髪の少年の姿。夜空のように黒く輝く眼光と鮮血のような赤に染まる眼が合わさったと同時——繰り出された蹴りをベネススは咄嗟に防いだ。
——ズドォン! と。
生じた衝撃波は部屋が膨張し、歪むほどの暴風を生む。ひび割れた壁の表面と窓は粉砕し、霧雨のように床へと降り注いだ。
殺しきれなかった威力は腕部の鎧にひびを入れ、強靭な肉体を意識ごと吹き飛ばそうとする。だが、踏み堪えたまま、後方へ滑るにとどまった。下ろした腕に展開していた防護魔法を解除するが、それでも鎧はからは煙が生じ、骨身に浸透するほどびりびりと麻痺させている。
突如として目の前に現れた若人を、老兵は静かに睨む。対し砂塵越しに立つ無知な青二才は、頬に受けた剣刃の破片をぬぐい、生意気にも睨み返した。
「……何だ、貴様は」
「何だっていいだろ」
【(要らないかもしれない)補足】
パラビオスとニグレドスは同義。
・パラビオス:アコード王国で命名された設計生物BC2.0の名称。発見者かつ討伐したメルストが命名。逸脱した生命という意味。
・ニグレドス:オルク帝國が開発した設計生物BC2.0の通称。黒い神の使者という意味で名づけられた。




